fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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句集『露台の人』増田真麻(文學の森)

2017年04月27日 | 本の紹介
          

 「童子」副編集長である増田真麻さんが、句集を上梓されました。
  すばらしい一冊。

 噴水の止まりて空のゆるみたる(噴水と空との緊張感がゆるんだ一瞬)
 二度聞いてやつと納得冬に入る(冬に入るという季語がきいているー)
 大寒や大甕の水ゆれにゆれ(揺れじゃなく、「ゆれ」なんですね)
 再会のことば少なき焚火かな(生きていることの喜び)
 蜩のはげしく鳴くもありがたく(蜩が鳴くたび、この句を思っています)
 木下闇入つてみれば明るかり(外から見たら暗いのに)
 サングラスかけては波に酔うてけり(あの石垣吟行! 楽しかった)
 夏痩せてシークヮーサーこぼしけり(上五とその下に因果関係がないのがステキ)
 雪折を杖に学問行者径(戸隠の奥宮まで)
 餅花のひとつひとつが宙にあり(写生でありながら、「宙」という言葉ひとつで、大きな景になっている。すごい)
 火は走り煙とどまる野焼かな(そう言われて、初めて認識する。写生でありながら、人の世の有り様にも思いを馳せることのできる句)
 露台より呼ばれ露台の人となり(なるではなく「なり」。その後があるのですよね。私もその露台にいるのでしょうか)
 
 しかしなんといっても、

 爽波忌のじつと動かぬ石ばかり
 石ばかり松ばかりにて爽やかに


 この句が生まれた現場に居合わせたことを、幸せに思います。あの石と松しかない庭園を吟行し、その後の句会でこの句が廻ってきたとき、うなりましたもの!
この句に出会えたことが、「童子」にいてよかったことの一つです。

 真麻さん、おめでとうございました。これからも、厳しく(ここ大事)、我々を牽引していってください。

「季節風」春研・2017の記録

2017年04月25日 | 日記
 防備録として、書きます。(ノートや、USBなどは、どこかに紛れてしまう常なので)

 司会のいとうみくさんから、「編集部は、投稿作品を掲載するかどうかを検討するにあたって、出版に向けてという視点では見ていない。人が描けているかどうかを話す」という投げかけがありました。
 「季節風」から出版された作品には、裏がない。媚びがない。とも。

  ・八束澄子さんは、作品は「自分という存在を丸ごと人様に投げ出す場である。作品を通して人とつながることができる。それも、一気に核心部分につながる」
  身を守るということは、誰にでもある。だから、物語に託す。 

  ・越水利江子さんは、とにかく何度も「愛」を訴えてらっしゃいました。「書いている存在を愛しているか」。

  ・いとうみうさんは、「シーンが思い浮かんだら、それを掘り下げる」と。

  八束さんが取材をすることで、得たこと傷ついたことなど、具体的なお話には、心を打たれました。取材は命がけ。人を傷つけてしまう場合もある。そういうことを含めて覚悟してかからないといけない。書くことは、どれだけ恐ろしいことか。でも、書くことで助けられる部分も大きい。
 絶対的な絶望もなければ、絶対的な希望もない。
 作品ができたら、登場人物の視点で見直す。(主人公以外) ただの登場人物におとしめていないかどうか。

  はあ。メモはここまで。このあとはもうメモをとる余裕もなく、参加していました。
  ホント、メモですみません。

  二次会は、久しぶりにいろいろおしゃべりできて、楽しかった! 
  twitterでつながっていて、初めてお会いした方、お名前だけは紙面で存じ上げていたけど、初めてお会いした方、久しぶりだった方。ありがとうございました。

  秋田からいらした青年(?)も入会してくれて、嬉しかった-。心から応援したいです。作品が読める日を楽しみにしています。

失われゆくものー『北原村ととんがらし地蔵』北原とんがらし地蔵講

2017年04月04日 | 日記
 先日、日野図書館に立ち寄ったとき、ちょうど届いたばかりというこの本を頂戴しました。

        

 図書館の近くにある「とんがらし地蔵」(別名「やんめ地蔵」)は、目の病に御利益のあるお地蔵様です。トウガラシがお供えされています。
 明和3年建立(250年になります)の歴史あるお地蔵様で、いつのころからか、地域の方達が念仏講を行うようになっていました。年に二度。2月1日の「てんとう念仏」と10月23日の「おこもり念仏」。「てんとう念仏」は、お天道様がある日中に行われ、「おこもり念仏」は一晩こもってのものでした。
 もともとは、講中の家に交代でお地蔵様をお迎えして行われていましたが、自治会館ができてからは、そこで。
 
 数年前、見せていただきました。
 年配の女性が中心に、鉦をたたき、念仏を唱えます。車座になり、大数珠を回しながら百万遍を唱えたり。
 とてもとても興味深く拝見させていただきました。
 昔は、女性達の息抜き(お茶のみ)の場にもなっていたのでしょう。
 
 でも、自治会館が取り壊されることに伴い、この「講」は解散となったそうです。残念です。伝えていくことは、難しいのでしょう。「講」という江戸時代から続いた助け合いの組織は、町内会ともまたちょっと違い独特のものだったのだと感じます。ここは違うでしょうが、金銭もからむ場合もあり、それが相互銀行に変化したと聞いたこともあります。御嶽講、富士講など、信仰に基づいているという点も。むじん講(無尽か?)というのも聞いたことがあります。
 話は少しずれましたが、記録しておくために、この本が編纂されたというわけです。
 このように、ごくピンポイントに伝わっている伝承や民話など、とても興味があります。正直言って、そこから創作のヒントになる、自分がこれからやっていくべきは、この辺りなのでは? という気持ちも抱いています。

   左側の写真は、鉦や大数珠など。

 そのとき作った俳句は、

念仏の節そろはざる夜長かな   あぶみ(句集『だだすこ』)

 節がそろっていないのは、別にそれを悪いといっているわけではありませんので。
 貴重な体験でした。

岩手の田んぼのこと

2017年04月01日 | 日記
 義父が亡くなって、岩手の田んぼをそのまま継ぎました。
 義父も高齢になっていたので、亡くなるまで十年くらいは、委託という形で知り合いに田植えと稲刈りのほとんどをやっていただいていたので、そのままその方にお願いするという形で続けることができていたのです。なにせ、私達は基本は東京在住なので。田植え、稲刈り以外の水の管理や草刈りは、義父の弟であるおじさんにお願いし、私達は、一ヶ月に一度行き、様子を見る、畦の草を刈る(私ではないですよ)、田植え稲刈りは四隅は私とおじさんとでやりました。ということで、9割は他人の手で維持していたわけです。
 経済的には、はっきり言って赤字です。田んぼを残すためにやっていたようなもの。
 田植機や稲刈り機は、もう処分していて、うちにはありません。

 さて、今年。委託をしていたその方が体調悪く、できないと言われました。あわてて他にやってくださる方を捜していたのですが、見つからず。その方はうちだけではなく、同じように田はあるけれど、人手のない農家を20軒以上請け負っていました。みなさん、大慌てだったと思います。
 結局、いたしかたなく、今年一年は、調整田という形にして、水を張り、米は作らないことになりました。
 
 となったとたん、不思議なのですが、寂しい気持ちがわき起こっています。
 あの9枚の田んぼが、今年はただ水を張るだけなのか、と。
 一枚くらい手で植えて、(四隅を9枚やることを考えたら、一枚分くらいになる)自家用だけ作ったら? と言ったらば、もう農協に「作らない」と報告したので、それはできないのだそうです。そう。米は勝手に作っちゃあダメなんですね。たとえ自家用でも。そうなんだー。

 今年は、ああ、そろそろ田植え。青田。稲の花が咲く頃、黄色くなってくるころ・・・と想像して過ごします。
 来年は、どうなるでしょうか。Sさんのご回復を心からお祈りいたします。

   去年の田植え後。
 ならば、今年は岩手へ行く回数が減るか? いいえ、他の用事もあるし、やっぱり行きますよ!