珍しいトルコ映画。山岳地帯に住む一家を訪れる悲劇が淡々とした描写で綴られる。
最近は映画鑑賞時のマナーについてよくアナウンスされるが、今回は上映中の観客同士のおしゃべりについて、大変静かな作品なので特に注意するよう、休憩中に放送されたのが印象的だった。
それは本当だった。台詞は少なく、音楽もない。山の深い緑の中で、時折鳥のさえずりとせせらぎの音が聞こえ、蜜蜂の羽音が空間をよぎって行く。
巣箱を山において蜂蜜を採取する、というのが父親の仕事だ。これも養蜂という概念で捉えられるのだろうか。蜂を求めて山奥に入って行かなければならない。巣箱は高い木の上に設置される。
それがどれだけ危険な仕事であるかが映画の冒頭で示される。それが悲劇の伏線でもあるのだが、逆にそれが父親に起こった悲劇であり、ここから時間がさかのぼって物語られる、と解釈することもできる。が、作品中では一切説明がない。
一家の幼い息子は吃音で教科書がうまく読めない。教師は生徒の良い行いを見つけてはご褒美のバッチをくれる。息子は何とかうまく読んでバッチを手に入れたいのだが、終盤近く、やはりうまく読めない。でも、教師はバッチをくれる。
この男の子がどう成長していくのか。3部作で、第1部の壮年期を描いた「卵」、第2部の青年期を描いた「ミルク」でが追って公開になるようだ。日本では製作とは逆に成長を追う形での公開となる。