「対話する社会へ」(暉峻淑子著)その2

2017-04-09 17:56:41 | 私の愛読書

 

 前回に続き、「対話する社会へ」(暉峻淑子著)の感想です。

 暉峻さんは、対話の実践が希望ある社会をつくることを希望の実践として3つ紹介しています。そのなかで、白鳥勲先生という高校の物理の先生の実践に興味をそそられました。

 いま、多くの学校現場で外からの圧力と多忙さで諦めにも似た閉塞感に陥っている先生が少なくない中でも、行政による管理の言葉でなく、教師自身が自分で考え抜いた言葉で生徒に語り、対応している先生として、この先生が紹介されています。

 人間の間の理解も共感も、すべては対話に始まり、コミュニケーションの中で成長します。白鳥先生は、対話の中で中途退学者や引きこもりの生徒を大きく減らし、問題を起こす生徒との関係を自然にいい方向へ開いていきます。

 白鳥先生の最初の赴任校は、いわゆる「問題校」で、中途退学や不登校が多い学校でした。その中で、先生が自分にできることとして考えたのが、一人一人の生徒と毎日対話することでした。

 毎日、一人ずつ生徒を呼んで、一日に二人の生徒と対話をします。一ケ月で一巡して40人学級の生徒全員と対話することができます。それをまた何度もくり返し、一年間、対話が続きます。生徒のほうも、自分の順番がいつになるかを予定しており、対話を忌避する生徒は一人もいませんでした。

 対話するときは、何かあったの?というように、自然にすっと話題に入り、決して先回りしないこと、叱ったりせず、また、○○のために、とか、意図的にある結果にもっていこうとしないこと。上下関係で話すのではなく、あくまでも生徒の人格に対する尊敬の念を忘れず、聞き役に徹すること。生徒のよっては、大人に頼ったこともなく、頼り方も甘え方もわからず、心を開かない子もいるので、まずそういうときは教師のほうから先に心を開いて話し合うようにしたということでした。

 生徒は敏感で、一人の人間として対応されていることがわかると、自然に態度が変わり、信頼して誠実になり、時に甘えを出すようになります。生徒によっては、大人に寄り添ってもらって、一人前に対応してもらった経験のない子もいるので、対話するうちに変化していくのが先生のほうにもわかるそうです。対話をしたからといって何かすぐにいい結果がでるわけではないけれども、退学するかしないかというような分かれ目のときに、それがはっきりと出るのだそうです。

「退学者が教職員の努力で減るということは、生徒自身が自分を大切に思うようになるからです。そのように思うようになるのは、まわりの大人が自分を大切に『敬意』をもって接してくれるからです。自分自身を大切に思うということは、行動としては荒れる行為が少なくなり、何より勉強に取り組みます。…」

「そういう生徒たちに寄り添って対話を続けていると、深みにはまって、かえって生徒たちにとってもいい結果ではない、と忠告されることがあります。だけど、僕はそうは思っていません。たしかに、生徒とは距離を置いて、ほどほどにし、大人を頼らないように、自立して自分で問題を処理させたほうがいいと考えている教師もいます。でも、僕は、大変でも逃げる大人にはなりたくない。知らんぷりをして、自分も傷つかないようにしていることが生徒にあたえるマイナスよりも、深みにはまるマイナスのほうが小さい、ということが断言できるからです」

「僕自身、生徒や親から裏切られることもあったし、生徒の話を聞いても『それはつらいね』とか『先生も考えてみるから』としかいえないことが多いです。しかし、同じ裏切られるにしても、もし初めから距離を置いていたら、そういう経験も積めないわけだから、やっぱり経験をして、成長する人生のほうがいいと思っています」

 

 対話の力に希望を感じる実例だと思います。暉峻さんは「こういう小さな積み重ねが無数にあって、社会の壁に穴をあけ、やがて変わらないと思われているこの社会を変えていくのだと思いました」と述べておられます。

 

 いま、学生の新入生歓迎運動が取り組まれており、ある大学での対話の経験を聞きました。新入生は、声をかけられ、大学の履修のことなど、自分の心配事を親身になって聞いてくれる先輩、大人を待っていることを実感します。親身で丁寧な対話が若者の心に響くのです

  

 

 

 

 

 


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