ピアサポーター話。
前回受講の折のメモに
「思いを聴く」
と書いてました。
ピアサポーターの講義の目的は、これなんだと思う。
‘聴く’という受け身なことをするための訓練…
06年の3月、マリア病院で、傾聴とかスピリチュアルケアについての講演を聞いた事はずっと印象に残っていた。村田久行先生のお話でした。たしか、末期の患者さんに対してたとえ治療が出来なくなっても、まだ出来ることがある、それは話を聴くことだ、患者さんは話したがっている、というような内容だったと思う。
実際、私もそうだったと思う。人とお喋りすることで自分の気持ちが穏やかに晴れていくのを何度も体験した。
くもった窓ガラスを磨いたり、もつれた毛糸を根気強くほどいていったりするような感じ。
「ピアサポーター」なんて言葉は知らなくても、同じ病気じゃなくても、周囲の人たちはまさしく私にとっては良き伴走者=ピアサポーターでした。腫れ物にさわるようにではなく、けっこう皆さん突っ込んだ質問をしてくれたりして、ウジウジと抗がん剤やってた私は、おしゃべりでエネルギー補給してたのかもね。気持ちよくお喋りさせてもらってたんだわ。
前回受講の折のメモに
「思いを聴く」
と書いてました。
ピアサポーターの講義の目的は、これなんだと思う。
‘聴く’という受け身なことをするための訓練…
06年の3月、マリア病院で、傾聴とかスピリチュアルケアについての講演を聞いた事はずっと印象に残っていた。村田久行先生のお話でした。たしか、末期の患者さんに対してたとえ治療が出来なくなっても、まだ出来ることがある、それは話を聴くことだ、患者さんは話したがっている、というような内容だったと思う。
実際、私もそうだったと思う。人とお喋りすることで自分の気持ちが穏やかに晴れていくのを何度も体験した。
くもった窓ガラスを磨いたり、もつれた毛糸を根気強くほどいていったりするような感じ。
「ピアサポーター」なんて言葉は知らなくても、同じ病気じゃなくても、周囲の人たちはまさしく私にとっては良き伴走者=ピアサポーターでした。腫れ物にさわるようにではなく、けっこう皆さん突っ込んだ質問をしてくれたりして、ウジウジと抗がん剤やってた私は、おしゃべりでエネルギー補給してたのかもね。気持ちよくお喋りさせてもらってたんだわ。