LINEN GYOZA 近況日記

十年たちました…

ちょこっとリメーク

2006-11-30 21:57:05 | 
 相変わらず図書館で本を借りまくって、読みまくってます。
その中の1冊、『ちょこっとリメーク』に影響され、今日は針仕事をした。

 一緒に昼ごはんを食べた友達と手芸材料店へ行き、リボン売り場でキャーキャー。

 膝上丈のコートの付属ベルトにリボンを重ねてるのが本に載っててステキだったので、真似することにしたんだ。

 本には「30分くらいで出来る」って書いてあったけど、今日の午後中費やして
指を痛めて、やっと半分てとこかしら。いーんだ、ヒマだから。

 明日もつづきをする。出来たら写真に撮ってみよう。

 

 

-5- 手術前日の入院(夕方~)

2006-11-27 15:09:11 | 1998乳がん はじまり
 再生画面を見ながら書くような気分です。けっこう次々と思い出せるものですね。

 さて、手術を前に再放送ドラマなんてどうでもいいだろ!って思えない私は、看護師さんに病室にテレビを入れてもいいかたずねました。今なら最初っからあってあたりまえのテレビだけど、建て替え直前のあの頃は長期入院の人が出入りの業者に頼んで入れてもらってた、というような状態じゃなかったかな。

 看護師さんの答は「点滴やドレーンなどの器具を入れるから直ぐは無理」と。
じゃ、ロビーのテレビで見るしかない。
「明日の手術は何時ごろ終わりますか?5時からテレビ見たいんですけど」
「手術は2時間かかりませんがお部屋に戻った時は酸素マスクしてるし横になったままですよ…」

 ドラマの第1回はとりあえず見たかったが無理なようです。仕方ない。

 夕方、主治医が病室に来られました。(最近のブログで書いた、例の、呼び出しの声が聞きにくい先生です)
明日は温存手術であること、わきの下のリンパ節を取って転移がないかを調べること、などすでに聞いていたことをあらためて聞く。
「よろしくお願いします」と伝える。

 その後麻酔科の先生も来られました。全身麻酔に関するお話をしたんでしょう。全然覚えてない。

 晩は絶食。しかも下剤を飲まされ、体内から水分養分が抜け落ちた感じ。水分摂取可能な時刻に下の義姉が甘いレモンティーを作ってきてくれて、ああ、これでしばらく何にも飲食できないと思うと余計に美味しく身体に染み渡るような気がしたなぁ。

 子どもたちは夕方やって来てしゃべって帰りました。悲壮感ゼロ。
乗ってきた自転車は上の子に乗って帰ってもらいました。翌日の術後の姿は
いっぱい管に繫がれるそうなので、子どもたちにはちょっと刺激が強すぎるな、と思い、「スイミングだから明日は来なくていいよ。あさってね。」と伝える。

 病室は家と違って片付いてていいなあ、などと考えながら睡魔に身を任せ、意外にぐっすり寝た。

 明日はいよいよ手術です。


 

-4- 手術前日の入院(昼)

2006-11-27 12:49:35 | 1998乳がん はじまり
 1998年11月4日に入院したと思う。
翌5日が手術日で、1週間後に退院。退院は早いけど、その後放射線の照射に25回通ったわ。

 で、入院の日。9時半か10時までに病院へ行かないといけなかったので朝から
てんてこ舞いの忙しさでした。朝7時45分に小学生の娘2人を送り出し、洗濯、掃除。入院中に我が家へ来る人が「んまあ!」と思わない程度には片付けねばならない。

 留守中の日程表を作成し、壁に貼った。娘たちの帰宅時間やおけいこ事、その日の夕食をどうするか、など綿密に記入したものを我が家用以外に3部用意して姉たちと実家へ渡しておいた。前年にあの神戸の児童殺傷事件があった頃だし、私もそれなりに子どもたちのことは案じていたのでしょう。

 入院準備はすでにできていた。おニューのパジャマも持った。
夫を送り出したあと、私も出発する。例によって自転車で。

 自転車で?!

 がんの手術を受けに行く人が自転車に乗って出掛けるのって、ちょっと意外かもしれませんが、なにしろ近いし、胸の傷もそんなに痛くないし、付き添うと申し出てくれた家族には術後たっぷりお世話になるし、ここでムダな労力を費やしたくなかったので断ったんでした。

 良い天気の日で、自転車の前カゴの上にバッグを載せた私は、近所の人におはようの挨拶をしながら病院へ行きました。

 私の病室はなつかしい産婦人科の病棟でした。私は2人ともそこで産んだので不安はなかった。お産が少なかったのか、外科や整形の患者さんも見かけました。
術後に器具が付くから個室でした。ナースステーションのそばで、テレビのあるロビーっぽい場所の前。このテレビも後に私の入院生活を彩ってくれることになるんです。

 看護師さんが来て、たくさんの書類にいろいろ記入しました。家族の病歴や日常生活まで、ホントにいろいろと聞かれた。
それが済んだら次は何?と待ち構えてたら、夕方主治医や麻酔科の医師が来て説明するまではゆっくり休んでて下さい、と言われてあ然とした。

 さっきまで家で時間に追われながら家事を片付けてたっていうのに、
このベッドの上で休めだとまだ昼前だよ~

 雑誌読んだり、部屋の前のテレビ見たりして時間をつぶす。
午後の再放送ドラマの時間帯。ぼーっと見てたら、それが最終回で明日からは
『愛しているといってくれ』をやると書いてあるわたし、あのドラマ、大大大好きで、再放送のたびに見てたので、タイミングが良いんだか悪いんだかわかんないけどとにかく明日から楽しみ~と浮かれる。

 こんな細かいこと書き連ねてて、私以外誰が読むんだ

 ちょっと休憩。

 

これがターバンターバンです

2006-11-24 10:26:33 | 生活
 先日はタイトルだけで失礼しました。
2月からずーっとカツラや帽子などの被り物のお世話になっている私ですが、中でも
6月ごろ考案した、Tシャツを利用して作った被り物は私の毎日に欠かせない物になっています。

 今週はその被り物に関して、いろんなことがありました。

 まず、月曜日。前から病院の看護師さんに作り方を聞かれていたのにグズグズしてたけどようやく描いたものを持参できた。で、その時、なんか名前を付けたいなと思い『ターバンターバン』とすることに。見本も置いてきたので今後脱毛の副作用に悩む人のお役に立つことがあれば嬉しいんだがなぁ。

 と、金曜日の今となっては冷静にサラサラッと書けるけど、月曜日は何度もターバンターバンと言ってみたりしてはしゃいでいたのでタイトルに付けたのさ。
あ、それに、月曜の午後には歯科の助手の女の人に褒められたんだった。
「いつも可愛い帽子を被ってますよね。おしゃれ」って
思わず「これのこと?!」と聞き返してしまったよ。
「あの~、私、副作用で髪が少ないの」と言ったら、
「えーっ、そうだったんですか」と驚かれた。初めに問診表にも書いたのに。でも、ってことは、その人は私のターバンターバンをおしゃれのために身に付けた物だって思ったわけで、それって、すごーくうれしかった。

 たしかに、「それ、いいね」と言って頂くことは多々ありますが、どうしても
励ましが混じったものと受け取っておりました。つつましいんだもん。
だから知らなくて褒めてくれるなんて、ホントに嬉しいよ。

 2日後の水曜日。脱毛前の行きつけの美容院を通りかかった時、お客さんがいなかったので久しぶりに入ってみた。以前病気のことは伝えてあったので躊躇せず。
そのうちそこでカットして被り物卒業とする予定なので、現況を見せる。
「この生え際が最近やっと生えてきたのよ」
「ほほう~」
珍しいものを見るような感じでした。その美容師さんが私の髪を見て、ベリーショート似合ってる、被り物もすごく似合ってると言ってくれたのもまた私の気分をググーンと上向きにしてくれました。

 もう自慢ついでにもう1つ。
昨日の木曜日、同じマンションの人も帽子(ターバンターバン)すてき、って声をかけてくれたのです。その人も私が治療中だと知りません。

 もともと帽子は好きだったけど、もし髪が抜けなかったらターバン巻くことは無かったと思う。なんか変な格好をしてるという引け目みたいな気持ちでいたのが、今週3回褒められたことでかなり払拭された。誰に「ありがとう」と言ったらいいんだろうね。

国際千葉駅伝の竹澤くん

2006-11-23 18:07:05 | 竹澤・陸上
 今日はテレビで国際千葉駅伝を見た。数週間前にご贔屓ランナーの竹澤健介が出ると知ってからずーっと楽しみにしてたんだよ。

 全6区間のアンカーでした。早稲田の2年生で、目下絶好調なのさ。
レースは10カ国くらいの対抗戦で、日本からは日本代表以外に、日本学生選抜と千葉選抜が出るんだったかな。今年もまたケニヤの独走で、レース自体はおもしろくなかったんだけど、久々に走る竹澤くん見れて良かったわ~

 竹澤君は私の実家の校区の隣の校区の中学校出身で、その頃から地元紙に掲載される陸上大会の結果によく名前が載ってて私はうっすらチェックしていた。小学校のころ(その頃は別の校区だったと思う)から見掛けたような気もする。

 その後、プッツリ見なくなり、何となく忘れかけていたところ、2年前の秋、再び
その名を見つけることになる。

 それは高校駅伝の兵庫県予選時の新聞記事。よく知られてることですが、兵庫県は西脇工業高校と報徳高校が突出してて、その頃はやや西脇がリードしてた、って感じ。で、報徳のメンバー紹介の記事になつかしい竹澤君の名があったので、おお、あの子(どんな子か知らないけど)は報徳へ行って陸上競技続けてたんだなぁ、と知ったんです。

 県の予選では西脇工業が勝ったんだけど、その年は5年おきの記念大会の年に当たるため、上位校は近畿大会に進め、そこで優勝した報徳も都大路を走れることになった。

 年末の床のワックスがけをしながら見ていた高校駅伝が私の中で一挙にクローズアップされたのでした。

 新聞記事を切り抜いて集め、ローカルニュースをチェックし、全国大会を楽しんだなつかしい日々… 竹澤君は1区でまあまあな成績、って程度だったけど、すっかり魅せられた私はその後も竹澤君が走ると知ると都道府県駅伝をテレビ観戦し、ついには兵庫県郡市区対抗駅伝と姫路城ロードレースを実際に見に行くまでになりました。

 実際見ると結構かっこ良くって、応援のし甲斐もあるってもんです

 その後竹澤君は早稲田へ行き、今年の箱根も‘花の2区’走ったのよ。結果はイマイチだったけど、その後ボンボンと好記録を出して、今や押しも押されぬ日本のトップランナーなのさ

 来年の箱根にも出るよ  楽しみ~

ターバンターバン

2006-11-20 17:34:13 | 治療・体調・医療
 今日は4週に一度の病院の日でした。

 いつものように高級注射をしてもらう。処方箋を貰う。次回の予約をする。
こんな穏やかな通院が続くといいなぁ。

 ところで、私の主治医には悩みがあって、いや、これじゃ書き方がおかしいぞ、
私は主治医に対して不満があって、です。
それは、次の患者をマイク越しに呼ぶ声が聞き取りにくいってこと。

 私の掛かっている病院は、中央に待つ人のための椅子がありそれを囲むように
20いくつもの診察室のドアが並んでいるというものです。
診察室内の医師がマイクを使って次の人を呼ぶのですが、私の主治医はどうもそのマイクの使い方が上手じゃないんですね。

 ○★□N GYO!▲さん

こんな感じで、ああ「LINEN GYOZA」かな?じゃ、入ってみよう、となるわけです。

 このまえなんてそれがきっかけで隣に座ってた夫婦が喧嘩しはじめちゃったんだから。
「今のはおまえじゃないんか?」 「そんなに早くないでしょ」
「でもそんなふうに聞こえたぞ」 「黙って待ってたらいいやないの」
「もしおまえやったらどうするんや」 「また呼んでくれるでしょ」 
「聞いてくるわ」 →違ってた →険悪

 声量は充分なのだが、滑舌が悪いのかなぁ?
他のお医者さんのはきれいに聞こえるのに…

 顔見知りの看護師さんたちも「そうなのよ~」と言ってたし、
ここは一つ、ひま人(私)はこれで楽しむことにした。

 そして今日。ん?意外と快調な呼び出し。皆、間違って中腰になることもない。

 L!NШN GYOZ∀さん

 素晴しい ほぼ私の名前

 診察室に入った私は、
「先生、今日の呼び出し、良かったです~」と申すと、先生は遺憾そう。
「先生も頑張ってるんですね。私もがんばろうっと」
「えっ、いや別に…」
と照れる先生。看護師さんと私は目配せ。

 来月も楽しみ~

 そんな小ネタに字数とられ、肝心のターバンターバン書けなくなっちゃったよ。
これは次回聞いてください。

台所改造

2006-11-18 14:18:51 | 生活
 いや実は‘模様替え’というのもはばかられるほどの、ちょっとした配置換えを
しました。たぶん今図書館で借りてる『ストックホルムのキッチン』っていう本の
影響です。

 洗い物が溜まらず、ステンレスは輝き、買ったり貰ったりした野菜が傷むことなく食卓に上り、
飲み終えたペットボトルや紙パックも水洗いして正しく分類する、そんな台所。
 排水溝までキチンと汚れ落としされてる台所。

 それってあたりまえの状態なんだろうけど、ちょっと気を抜くとたちまちドロドロでグチャグチャに
なる。嫌なことです。

 もっと台所を居心地良くしてしょっちゅう触っていれば生き生きとしたスペースに
なるんだろうなぁ。

 最近うちの流し台周辺に来た、かわいいアクリルたわし、あの子の為にももっとがんばろう。
そのたわしは、今月初めの陶器市に出掛けた時、同時開催していた障害者のイベント会場内のバザーで買いました。遠くから私を呼んでる、ってくらい惹きつけられたので即買いでした。
可愛いから買おうと思ったのに、たった10円って、どうよ
適正価格なんだろうか?


 病気話は、今日はお休みです。目玉を上に向けて脳内の記憶の箱の中を探る作業は結構懐かしい気持ちになれて、細かい記憶の一つ一つに、つくづく私って幸せ者だな~と思わずにはいられません。

-3- 入院準備

2006-11-17 15:17:25 | 1998乳がん はじまり
 今回も引き続き8年前のことを思い出して書く。
こんなことならメモでも残しておくんだった。


 すでに胸を切ってしまっているので、手術日はそう遠くない方が良いだろう、と
11月5日に決まった。それまであと1週間も無かったように思う。

 朝、夫と病院へ来てから4,5時間経ってて、なんか随分遠くへきてしまったなあ、と思いながらも、時計を見るとそろそろコープの共同購入の時間だと気付き、急いで帰る。病院から自宅までは自転車で5分くらい。生活圏の歩道をいつものように自転車で走る。麻酔が効いていたので痛みはまだなかったし、頭の中は、入院までにすべきことが断片的に浮かんできてグルグルしてた。

 マンションの駐輪場で同じマンションの友人に会った。私が大きなため息をもらしたからか、「どうしたの?」と聞いてくれて、「いやぁ、たいへんなことになった」とだけ告げて別れる。

 共同購入を済ませ、しばらくして別の友人が訪ねてきた。私が病院にいる間に電話をくれてたらしい。「どこ行ってたのよ~」って聞かれ、
「病院。私、乳がんで来週手術するんだ」と言うと、信じてもらえなかった。そのうち本当のことだとわかると半泣きで、何でも手伝うと言ってくれた。

 そのあと、実家の両親に来て貰い、話す。もちろん2人とも超ビックリしてて、悲しませたと思う。同じ市内とはいえやや遠いところに住んでるが、私の入院中は母が出来る限りバックアップすると言ってくれた。

 さらに実家よりもっと近いところに夫の姉が2人住んでいて、その2軒とも協力を申し出てくれたので、本当に心強かったです。

 あのころ長女は小5、次女は小2だったので、食べることや放課後の時間をサポートする必要があった。

 2人の娘に病気のことをどう話すか。ちょっと迷いました。
最初っから包み隠さずすべてをオープンにするのもいいと思ったけど、病名が派手というか、あんまり暗いものを背負わせるのもどうかとも思い、当分は良性の腫瘍ってことで通すことにした。ついでに、その後本当の病名を伝えそびれた人にも全てこの「良性の腫瘍」でいくことにした。

 今思うと、あのころは娘たちもかわいかった…
母親のことを心配しながらも、日替わりであちこちの親戚がごはんを提供してくれる1週間の計画に大はしゃぎだったもんね。

 さらに間の良いことに、手術の翌日から夫が休みを取っていた
ホントは家族で蒜山に行く予定で取っていた休みだが、大いに助かった。

 子どもの面倒は心配なさそうだ。あと一つの厄介事は16日に地域の祭があり、
私は子ども会の役員で、お祭のお手伝いの役割もきまっていたのでした。
申し訳ないが仕方ない。他のお母さんに話すと「何も心配せずにあなたは自分の
病気のことだけ考えて」と言ってくれて嬉しかった。

 週末には母とパジャマを見に出かけたんだった。その頃私が持ってたのより
可愛い、あるいはややラブリーなものを母は選んでくれた。

 入院前夜(3日の文化の日)は実家で晩ご飯を食べ、「がんばってこいよ」とお酒を飲んだ。

カンガ

2006-11-15 10:23:27 | Weblog
 これは東アフリカの布で、カンガという物の一部です。
100×150センチぐらいの大きさで、現地では衣服として、あるいは寝具、
だっこひも、ふろしき、などなど生活の様々な場で使われているそうです。

 カンガは、いかにも強い陽射しのアフリカの大地に映えるような鮮やかな色遣いと大胆なデザインの物ばかりです。

 カンガには必ず言葉が書いてあるのも特徴の一つで、ちなみにこれは、

 まずは家庭の愛と平和から

 と、書かれてるらしい。う~ん、深いわぁ。
これは日曜日にオルセーの後で買いました。あれがいい、これがいい、と
夫婦でなかなか意見が一致しなかったのですが、最後はこのメッセージで決めました。

 写真ではオレンジっぽくなってるけど、真っ赤と黒です。かっちょいいです。

 昨日(火曜日)は文学館へ与謝野晶子と寛展を見に行った。
面白くなさそうって思って行ったら、けっこう楽しめて、先入観なんて
アテにならないなぁと驚いた。誘ってくれた友人に感謝

-2- 前々回の続き

2006-11-14 10:20:52 | 1998乳がん はじまり
 この前は、細胞診でも判らなかったしこりを直接取り出すために手術室へ行くことになったところまで書きました。
「ぼんやり座ってた」なんて読み様によってはまるで悲劇のヒロインぶってるみたいだけど、そうじゃなくて、ホントにボーっとしてたの。そりゃ、距離的には近所だけど、まさか国立病院の手術室が自分の日常に含まれるなんて思ってもみなかったから。
 あ、でもその年の私にはちょっと関係ある場所だったかも。
 同年の5月、小5だった長女が左手薬指を骨折して、5、7、9月とその手術室にお世話になっていたのでした。

 さて手術室に案内された私は、部分麻酔をされて手術台?に横たわっていたのかな。いまいち曖昧。室内のこともあまり覚えてない。

 印象的だったのは手術室の看護師さんがズーっと熱心に世間話をしてたこと。たぶん気持ちを軽くする目的だったんでしょう。先生は黙々とメスでしこりを取り出す一方で、私と看護師さんは子どものこととかしゃべってたというわけです。
「先月(その年の9月)、うちの子がお世話になったんです。すごーく泣いたらしくって」と話すと「ああ、あの子…」とご存知でした。

 部分麻酔はよく効き、全然痛くないけど確かに私は今切られているという感じはわかる。その時先生が、

 「あ、本物だわ」

と言ったので、「えっ、ガン」と聞き返しました。
先生は「うん、大きい手術をせんといかんな」と。

 私はこのときシロウト考えで、なぜしこりを取り出したのにまだ手術が必要なんだろうか、と不思議に思い、たずねると、先生ったら、

 「しこりのまわりを含めてその周囲をケーキを切るみたいに取る。あと、転移がないかリンパ節も切らんといかんから全身麻酔で…」

 ケーキ?
 ケーキかぁ…  っていうか私、ガン

 切ったところにフィルムシートみたいなのを貼って、再び外来の診察室で待つよう言われる。

 またしても「ぼんやり座って」待つ。このときはやはりショックだった。今回の転移が判った時よりも。

 外来の看護師さんは他に患者さんがいなくなった待合ベンチに座っていた私に優しく何か声をかけてくれた。まだ若いからショックだろうねぇ、とか言われた気がする。ちょっと泣いたかも。でも、自慢するけど、私このとき以外泣いてないから。しかもこのときだってホンのちょっとだったし!

 その日はその後手術日や入院の説明、そしてしこりが2センチ以下の初期ガン?だから乳房温存手術が可能であることなどを聞いて帰宅。

       

 手術した頃のことを振り返って書いておくのもいいかもしれないと思って書いたけど、まぁ、珍しいところへ行った人の話、って感じで読み流しといて。またそのうち入院時のこととか書くかもね。



オルセー美術館展へ行った

2006-11-13 11:57:07 | おでかけ
 これはゴッホの絵の看板です。
外に出たら道路に面してあったので、例の携帯のボロカメラ機能でパチリ

 日曜日だったし入場者多かったよ。絵の前で一瞬ずつ「ハイ、見た、ホイ、見た」ってな感じで、あまり優雅にはいきませんでしたね。しかし私のご贔屓のモローの絵の前は空いていて、逆に「ちょっと~これも見てよぅ」って思いました。なんか本物のビーズでも付けてるのかと思うぐらい絵が光ってるの。きれい。タイトルは『ガラテア』。

 昨日は下の娘と夫婦の3人で出かけ、私たちが美術展を回ってる時、娘は韓国映画を1人で見に行き、昼食を一緒にとった後、午後は別の映画館で別の韓国映画をまたもや1人で見に行ったのでした。

 来月はもうクリスマスだからデパートの中も華やいでいた。上の娘はケーキを焼きたいと言っていたなぁ。1年は早い。

 夜のウォーキングしてるわりに私の脚力は劇的な好転を見せない。
昨日も階段上がるとき夫に後ろから押してもらった…トホホ

 

-1- 11月のカレンダー

2006-11-11 10:19:39 | 1998乳がん はじまり
 カレンダーを見てるうちに、さまざまな年の11月に思いを馳せることがある。
特に印象的なのが、五年前の11月に亡くなった義父のことと、八年前に乳がんの手術を受けたこと。

 私が乳がんに気付いたのはその義父のおかげでもあった。
義父は十年前に胃がんの手術をして、その後も通院を続けていた。うちの家から病院は近かったので、
私はしょちゅう付いて行って長い待ち時間を一緒に過ごしたものだった。
別に父は弱々しく衰えて付き添いが必要だったわけではなく、病院のあと駅前でお昼をご馳走になってしゃべるのが楽しかったから。

 八年前の10月、いつものように病院で順番が来るのを待っていた時、たまたま
目の前に乳がんを自分でチェックしようという啓発ポスターが貼ってあったので、それをずーっと見ていた。
で、帰宅後自分で触ってみるとなにやら気になるものが、あった。

 ポスターを見ながら「うわ~、こんなのあったらどうしよう」と言った私に、父が
「気になるんやったら早めにみてもらいよ」と言ってくれた事。父の主治医は乳腺を専門に診ていること。受付や診察日などすでによく知っていたこと。そんなこんなに後押しされ、その週の乳腺外来の日に受診した。

 診察は触診から。自分で触って気になるしこりを見つけた、と言って駆け込む人が多いのか、先生は最初「まあ、違うと思う」みたいな感じで、他のよく間違えやすい症状のことを説明したりしていたけど、「ん?」って顔になり、エコーで見ることになった。だったかな?まあ随分前のことだからね。

 エコーで見ても私のしこりの正体は判らなかった。

 次は、直接胸に注射針を刺して中身を抜いて調べる「細胞診」をすることになった。読むと痛そうだけど、痛かったという記憶は全然ない。検診に行こうか迷ってる人も安心してね。

 もしかしたら乳がんかもしれない、と思ってすぐ出かけたのがやっぱり図書館で、診断が確定するまでの流れを一応調べていて良かった。本の通りに進んでいったから。

 細胞診の結果が出るのは1週間後。その間、検査のことを知っていたのは夫だけでした。違ってたら要らぬ心配を人にさせることになるからね。

 1週間後、夫婦で結果を聞きに行ったけど、なんと、それでも判らなかったらしい。
1~5までの値のうち1と2なら良性、4と5なら悪性(つまり癌)で、私のは3だったから。

 ついに、直接しこりを取り出して目で見ることになった。へぇ~、でも、どうやって?
先生はそこから内線電話で手術室の午後の予約を取っている。
しゅ、手術室でやるのちょっとビックリ
夫は仕事のため去り、私は静かになった外来でぼんやり座ってた。


 わ~、こんな内容でこんなに書いちゃったよ。
でも、どんなところから私の今の病気との付き合いが始まったのかを書くのって、
何かの役に立たないかなぁ、と思ったのよ。
次は楽しい手術室での様子から書きます。

もう一息かと

2006-11-09 12:13:26 | Weblog
 おとといだったか、急に寒くなったのでフリースを出しました。
昼間は暑くなり、脱いで、ふと見たら、フリースの内側のあちこちに短い毛髪が
刺さっているではありませんか。

 このフリース、4月まで着ていた。しまう前にも毛髪取りをしたはずだったのに
明るい陽射しの中でチェックすると、フリースの厚みの中に潜るように1センチくらいのが
たくさん。

 ドラマなどでよく見るのは、長い髪がバサバサッと抜けるシーン。
でも実際には、その後すぐにまた生えてくるのよ。
で、次の点滴でそれも抜けるから短いのが多いんです。

 本当に、今年の2月ごろからは髪の毛でたいへんだったわ。
ショック受けてる場合じゃなく、日常生活、いかに髪の毛を集め拾うか、でした。

 特にお風呂。シャンプー。ピーク時には毎回カップ麺の容器を伏せたぐらい
排水口に髪の毛があって、湯冷めしないように気をつけながら毎晩掃除するのが常でした。

 だからある程度抜け切って、ゆっくり入浴できるようになった頃は、ほっとしたものです。
タートル着れた時も嬉しかった。
ピーク時はフリースなんて不適切だったから、脱毛後半にしか着なかったはずなのに、
それでもこんなに刺さってたなんてね。


 さて、現在の発毛状況ですが、額の生え際の毛もだいぶ育ってまいりました。
あとは、全体的に量が増えれば‘ベリーショート’として見られるかも…
眉毛、まつげ、鼻毛は復活しました。まつげが戻り、目にゴミが入ることも激減し、
本当にうれしいわ。

 毛に関しては劇的な一年でした。


 

また雑草

2006-11-07 14:45:41 | 生活
小さい黒紫の実がわかるでしょうか。判りにくいな、やっぱり。
国立病院前の植栽に絡まっていたのをひっぱって来た。

 キャンドルを入れるものの中にペットボトルの蓋を置き、上部に開いた穴から
挿してみました。

 ちなみに、便宜上「国立病院」って使ったけど、正式には今はすごく長い名称に
なってるのよ。独立行政法人国立病院機構○○医療センター、だったかな。

<インテリア>で読むイギリス小説

2006-11-06 19:09:33 | 
 というタイトルに引かれ、予約を入れた本を読み終えました。あ、図書館の本です。

 図版が多い、ヴィジュアル重視な本を想像してたけど、違ってた。
文字がほとんどで、図版はちょっとしかなかった。
 しかも、イギリス文学なんてちゃんと読んだことないからよく判らない所が多く、
はっきり言えば、うわすべり、な読み方しかできなかった。

 それでも、こんな切り口で小説を読んだことはなかったから刺激的でした。
読んですぐ返却したので、取り上げられていた小説のタイトルや作者を記せないけど、
面白かったのは、ヴィクトリア様式の室内は、物があふれていたってこと。
柄の壁紙、装飾の多い家具、調度品の数々…
一つ一つは吟味されたはずのものなのに、雑然としてうるさい印象しかない。それはまるで我が家。

 そのアンチテーゼとしてあの有名なウイリアム・モリスが登場する。

 ワイルド作『ドリアン・グレイの肖像』では東洋趣味な室内装飾が細かく描写されていた。
ストーリーに関係ないと、ついつい読み飛ばしがちだけど、実は重要な部分だったかも。

 マリオ・プラーツという人は、こう言ったそうです。

 「室内とは『一種の魂の博物館』であり、所有者が『自分自身がそこに反映
されているのを目にし、自分が何者であったかを再び読み取る』空間である」

 わかるような感じ。なんか、渋くない?!