あーあ・・・またやっちゃったよ~
世の中には、芸能人のこととか、アニメのこととか、ちょっとした世相とか、なんかそういう大衆的な事柄を通して、難しい解釈を可能にしてる賢い人々っているでしょ。
私はたぶんその真逆だわ。
手におえない小難しいことについつい近づいて、わけがわからないくせに、どんなことなのか知りたくなって、結果その周辺をただうろうろしてるだけ。
しかも、うろついて努力するというわけでもなく、そのうち熱が冷める、と。
今年は特にあきらめが悪く、ピアサポーター講習時に手を出した『苦しみと緩和の臨床人間学』―聴くこと、語ることの本当の意味―(佐藤泰子 著)、先日挫折した『1900年のプリンス』(フィリップ・ジュリアン著)、さらにそこからつながる『失われた時を求めて』(プルースト著)では活字は端っからあきらめて‘まんがで読破シリーズ’で済ませた。
こういう、わからないものを手にするのは後味が悪いんです。すっきりとした読後感が懐かしい。と、心底思っているのに、昨日から気になってしょうがないのが『夜と霧』・・・
昨日はごはんづくりに精を出し、家にこもってました。で、テレビ欄で見つけたのが『
100分で名著【夜と霧】』。昼間に先週放送の第一回目の再放送があって、夜には第二回目があった。
なんだか、ピアサポーター講習時に思った事柄とかと、ものすごく重なってる感じなんです。
ぞわぞわ。
本を買わずにこのテレビ番組だけで済まそうかな?テキストくらい買おうかな?それともやっぱり読まないとだめでしょうか?
この本のことは、中高のころから題名と概略だけは知ってて、「んもー、ナチスの強制収容所での話なんて無理よッ」って当時は思ってた。 マイルドそうな新訳のほうなら大丈夫?てなこと言ってる人間にあの本を読む資格なんて無い? ぞわぞわ・・