LINEN GYOZA 近況日記

十年たちました…

餃子を200個

2006-12-30 23:10:20 | 生活
 今夜は実家で妹と餃子を作って9人で食べました。200個作りました。

壮観だったので写真に撮ろうと思ってたのに食べ終わるまで忘れてた。

私は妹(&妹の娘たち)が作るギョウザが大好き。

 なんかね、肉親が作り、しゃべりながら包み、そしてともに食べるのって、

いかにもギョウザの故郷中国っぽいでしょ?

    

 今年は1月に乳がんの肺転移が判って、図書館やめて、抗がん剤の点滴をして、

いろいろとしんどいことも多かったけど、ブログを始めるとまるで日記を書くようで

読み返すとなんだか今年って良い年だったんじゃないかとさえ思える。

来年も良い年でありますように。私にも、あなたにも。

一生懸命走ります

2006-12-28 00:26:12 | 竹澤・陸上
 箱根駅伝の公式ガイドブック、ゲットうれし~
去年は買えなくて、関西じゃ入手しにくいのかとガッカリしていたが、
TSUTAYAへ行くという夫に一応頼んでいたら、あっさりと、あった。

 最近はネットで検索の旅に出掛けたり、11時25分の『箱根駅伝の素』っていう番組を見たり、あれこれ情報を収集しておりましたが、やっぱりね、これは欲しかったんだよ。

 中を見ると予想以上に竹澤くん載ってるし、いろんなデータも載ってるし、今はまだじっくり見てないけど、1月2日までには熟読しなくっちゃってことで、新しいカテゴリーも作っちゃいました。

 早稲田の渡辺監督が「竹澤は世界選手権やオリンピックという高いレベルでやれる選手」って言ってる。監督、よろしくお願いしますね。

 この写真の横の見出しは「タイムではなく、勝った選手が一番強いと思います」
という竹澤の言葉を使ってる。そうか、そうなのか。

 さらに選手名鑑によると、お誕生日は10月11日と判明。ふむふむ。
『影響を受けた選手・憧れの選手』をたずねる項では同じ早稲田のメンバーのうち3人も「竹澤」と答えてるのは分かるとして(いや、でもすごいことだ)、
他大学にも「竹澤」と答えている者もいてビックリしてたら、
報徳学園の後輩だった。
神奈川大学の黒田はそういうわけで、ういやつじゃ。

 『今大会への抱負』の項に対する竹澤の回答が冒頭の言葉―

    一生懸命走ります

 私は一生懸命応援します。(ちなみに私は一所懸命支持派)

これこそクリスマスなんだね

2006-12-26 14:17:42 | 生活
 23、24,25の三日間、こまごまと色んな人に会い、
ごはんやケーキを食べ、
カードを受け取り、
音楽を聞いて、おしゃべりをして過ごした。

 今日は、家中のあちこちに飾っていたオーナメントやリースを外して
片付けながら、心があたたまってるのを実感している。
こんな気分になれて、今年のクリスマスは最高だよ。

 昨夜は久しぶりに顔をあわせた4人でごはんを食べた。
なぜか皆病気だったり検査を控えていたりで、
おのずと話題は健康とか病院に関することが多かったにもかかわらず、
不健康さは全然なくて、
つくづく楽しい時間はエネルギーになるなあと思ったことでした。

 イブの夜はご近所の人が不定期に開く喫茶○○へ。途中、我が家へ移動して
ベトベン(のだめ風に発音してみました)の7番の1楽章ばっかりを
聞き比べるCDコンサートをしました。
今回分かった事なのですが、うちの夫は7番好きで
CDを8枚くらい持っていたのです。
皆で「これは早い」とか「遅い」とか素人くさく聞きました。

 今年もあと少しです。

 

 

ふつうの日曜日

2006-12-24 14:31:15 | Weblog
 クリスマスイブだけど、家族は仕事や遊びに出掛けてて私は一人で家にいます。

で、ゆっくり高校駅伝見てました。

午前中に行われた女子の部では須磨学園優勝!!で、大満足です

 2区を走った小林祐梨子ちゃんの走りっぷり、すごかった!酔ったね!!

あの子はなんて言うかすごく突き抜けた明るさをいつも漂わせてるのがスゴイと思う。兵庫の宝じゃね

 昨夜クリスマスケーキを食べました。生クリームといちごのこんなのを。
来年はもっと素朴なのを食べたい。シュトーレンじゃなくて、でもドライフルーツ系の。気が早いけど、来年のクリスマスはもっと本来の意味を思うようなクリスマスにしよう。イメージとしては、キャンドルナイトの趣旨に近いかも。

 あ、今からでも間に合うのか。今夜がイブだもんね。あまりにもふつうの日曜日なんで錯覚してました。

 この前、そのキャンドルナイトのためのキャンドル作りのイヴェントに参加しました。蜜蝋を溶かし、手作りの型に流し込んで固めたのです。信じられないくらい不細工な出来でしたが、自分で作ったものに火をともすのは楽しみです。

 それぞれの家にしみじみと平和な夜が訪れますように。

-8- 術後②

2006-12-21 10:54:48 | 1998乳がん はじまり
 いつも台所で手を拭くのはてぬぐいにしてます。今はこれ。かわいいでしょ。
てぬぐいの柄になるとサンタクロースのポップさが程よく中和されて、手を拭くたびにな気分。

 さて、ダラダラ書くからまだ昔話が終わりません。
いつもパソコンの前で、おばあさんが「そうさなぁ~」とか言いながら話を思い出すかのように宙をにらむ。
    ~・~・~・~・~・~・~・~

 術後、胸の傷跡を見ることはないままでした。傷口消毒の時も横になってるから見えないし、お風呂には入らないし、でも、寝たり起きたりする時はとても痛かった。いきなり横にはなれず電動ベッドの頭部を起こしてから横たわり、またリモコンで水平にしてた。

 ぼんやりしてたら回復が遅れそうな気がしたので、翌日からよく歩いてました。
私の場合、退院後の通院時に近所の人に会う確率が高いと思ったので、不自然に見えないようなバッグの持ち方はどうだ、とか廊下で実際に手提げ袋など持って歩いてみました。

 そうそう、右腕が、腋下リンパ節切除のために上がらなかったんだ。
術後2日目か3日目に看護師さんがリハビリのやり方の紙を持ってきてくれて、
簡単な腕の運動とかがイラストで書いてあったのでやってみたらできなかった。
「えーっ、こんな動きができないなんて」と青ざめたけど、続けるうちに少しずつ出来るようになっていった。でも、『自分の髪を櫛でとく』なんてのは難易度が高かったですね。

 何日目だったか忘れたけど、個室を出て4人部屋に移った。個室は寂しかったのでほっとした。
しかも、この4人部屋での数日間は、私のこれまでの病院ライフの中では群を抜いて楽しかったのですよ。

 部屋のメンバーは、50代胃がん、40代卵巣がん、20代卵巣膿胞、そこへ30代の私が加わりました。

 間仕切りのカーテンを開け放ち、朝から晩まで喋り続けた。話題は、主治医自慢、看護師さんの品定め、ごはんのおかず、自分のこれまでの経緯、などなどきりがなく、「真ん中にこたつでもあったらいいのにねぇ」とよく言ってたものです。

 20代卵巣膿胞は病名こそ「がん」が付かないけど一番弱音吐きでした。
「私がナースコールして痛い痛いというたびに、術後すぐリハビリに取り組んだ乳がんの人を見習えってさんざん言われたけど、それって奈津子さんのことだったんかぁ」とうらめしそうに言われました。エッヘン!でも、その後どんどん回復に向かった彼女は私のリハビリの良き相棒となり、2人で院内探検に出掛けたり、腕が上がらない私の頭を洗ってくれたりして、とてもお世話になりました。

 50代胃がんの夫が見舞いに来たとき、私を見て、「あの人、なんで寝巻着ておるんや?」と奥さんに聞いたそうです。よっぽど元気そうに見えたんだろうな私。

 40代卵巣がんは3人の子持ちで、一番下がうちの長女と同学年だったので、よく学校の話とかした。ちょうどその年はうちの子の行ってた小学校が超・超・荒廃してたので熱く語り合ったような記憶がある。

 そんなに盛り上がった割には誰ともその後会ってない。どうしているだろう。
三人とも元気でいると思いたいです。

 それと、ドラマ『愛していると言ってくれ』ですが、その後大相撲九州場所なんか始まっちゃって、毎夕場所取りや交渉でたいへんでした。

 そんなこんなで楽しく過ごし、術後1週間後には予定通り退院した。
さらにその1週後に抜鋼(ばっこう、って読む。抜糸じゃなくはがねを抜くの。)
骨シンチっていう骨のレントゲン写真みたいなのを撮る検査をして、12月から1月にかけて25回だったかな、放射線を照射。これにはちょっと体力減退でした。

 転移とか再発とか無かったら、あとは定期的に通院するだけだったんだよな。
乳がんの自己検査法とか知っておいて、早めに見つかれば予後も良いらしい(私のことは例外だと思ってね!)ので、
毎月自分でチェックしてください。おかしいな、と思ったら、婦人科じゃないよ外科へ行きましょう。
一応、これでこの項終了

後悔、続々

2006-12-19 13:40:26 | Weblog
 まぁ、些細なことばっかりなんですがね、最近、「しまった~」と
思うことが続いている。

 MIHO MUSEUMまで行ったのに、あとから館蔵品の仏像がハンサムだと知らされ、「しまった~」

 『ちょこっとリメーク』見て、コートのベルトにリボン付けたけど、この前アジア雑貨屋にアクの強いリボンがわんさかあるのを見たら、私が選んだので良かったのかどうか不安になった。もしかしたら「早まった~」

 それと、これが一番の「しまった~」
早稲田大競争部の竹澤ファンの私は、苦心の末に三浦しをん著の駅伝小説『風が強く吹いている』を図書館一番乗りで借りることができたんですが、脇が甘かった…
今年は陸上小説(そんなジャンルあるかな?)の佳作がほかにもあったのを最近になって知りました。

 あわてて図書館に予約入れたけど、長蛇の列の後ろに並ぶこの屈辱感といったら…

『RUN!RUN!RUN!』と『一瞬の風になれ』の2作。『一瞬の―』なんて上中下の3冊からなり、それぞれ『イチニツイテ』、『ヨウイ』、『ドン』という副題つけて挑発してるのかってーの。すでに読み終えてお持ちの方がいれば、貸してください

今年最後の診察日

2006-12-18 12:17:23 | 治療・体調・医療
 今日は今年最後の診察日でした。
いつもと同じホルモン注射と処方箋以外に血液検査を受けました。
血管が出にくいので細いホース付きの部品を使うの。羽根みたいなかっこうしてて
なんか虫っぽいな~、といつもこれ見ると思う。

 年明けには久々のCTも予約。年末年始はさらなる免疫力アップを心がけ、前より
アレが小さくなるようにするつもり。
これって、試験前だけ勉強しても頭が良くなるわけではないのと似てませんか?

 ところで!
最近の私の外見についてまとめておきます。

 髪の毛… ショートカットとして外を歩くこともほぼ可能イエーイ

 眉毛・まつげ… 元どおりイエーイ

 爪… 手の爪はほぼ元どおり。足指の爪はやや黒ずみが残ってる。

 虫歯… 11月に大虫歯が見つかって歯医者通いをしてましたが来週には終了(これは関係なかったかな。あ、でも、日経に抗がん剤の影響で虫歯の進行が早まるって書いてあったもんね)

 というわけで、落ち着いてきました。

 楽しい季節を存分に味わいたいと思います

6冊の本

2006-12-14 17:14:51 | 
 さっき図書館へ行ってきた。
雨が降る寒い午後は図書館に限るね。

 予約本3冊と、館内で選んだ3冊。
そのうち5冊はステキな本です。

 ①アールヌーヴォーのガラス(NHK美の壺)

 今春から始まった番組美の壺が本になってます。あれは金曜日放送で、
はじめのころは点滴の副作用グワグワ虫(なつかしいな~)の出るのと同じ曜日だったのでちゃんと見てないのが多い。アールヌーヴォーが特に好きなわけじゃないけど本がきれいだったので借りた。

 ②漆 塗師物語(赤木明登)

 この人は今人気の漆塗り職人さん。この前友人に勧められた芸術新潮の漆特集にも登場してた。ミホミュージアムの売店にも作品があったわ。

 ③韓国陶磁器めぐり

 韓流大好きな娘と、先日見た青山二郎展の影響です。

 ④うちの器(高橋みどり)

 食の本をよくスタイリングする著者の本。この人の本は全部好き。
これも先日ミホミュージアム売店で母が欲しそうにしてたので再借り。

 ⑤ヨーロッパのお茶の時間(山本ゆりこ)

 この著者の本を絶賛してた友人の影響で予約してた本。
おいしそうなものがズラーリ


 と、ここまではホワワン系なんすけど、予約本がもう1冊来てた。
『最良のがん治療道案内』
毛色違いすぎですわよ。

-7- 術後①

2006-12-13 13:44:54 | 1998乳がん はじまり
 手術翌朝。
明るくなるまで本当に長かった気がした。時計が見えず、今何時なのかわからなくて
明けない夜もあるんじゃないかと怪しんでたら朝が、来た。
でも、こういう夜はよくあることだと今年分かりました。

 さて、あらためて見てみると、私の体は数本の管に繫がれてました。
そして、右胸は白い布で被われていて、麻酔が切れてるからちょっと動いても
少し痛みがあって、ホントに切ったんだなぁと思った。

 看護師さんが来て、検温とか管の様子をチェック。管のうちの1本は尿を
取ってたもので、それを外して歩いてトイレに行くよう言われた。

 内臓を切る手術じゃなかったからか想像するよりずっとラクに歩けた。
ただし、キャスター付き点滴を押して、肩からは体内から出る膿?分泌物?を受ける
管(ドレーンと言います)付きの箱をポシェット掛けしてて結構物々しい感じ。

 食欲もあった。トイレにもふつうに行ける。

 となると、手術って言ったってまるで怪我みたいなもんだよな~(気楽でしたね。)

 あとは日にち薬かしらぁ(ホントに気楽でした。)

 そんな軽い気持ちと、がんという言葉の重みのアンバランスさにとまどってました。

 その頃は、ドレーンがうっとおしくて嫌だった。
時々看護師さんがドレーンの管を器具ではさんでしごくんだけど、2回に1回は
体に鋭い痛みが伝わってくるので、そのドレーンしごきのたびにギャーギャー言ってたような気がする。

 午後から来た母は元気そうな様子を見てびっくりしてた。

 夕方には念願の『愛していると言ってくれ』を見ることができました。

 娘たちも下校後お見舞いに来てくれたけど、
その夜はおじいちゃんおばあちゃんとごはんを食べるのが嬉しくて、みんなで帰っていきました。
小学生の2人が寂しそうにしてなかったのはとても救いでした。

 次の夜、消灯後に見回りに来た看護師さんが体調など二言三言たずねたあと、
「こんなしんどいこと知らずに済む人も大勢いるのになぁ」と小さく声をかけてくれました。

 私だけが不幸な目にあってるんじゃないし、そのときも全然そんなふうに考えてなかったけど、それでもその看護師さんにそう言われると「優しいなぁ」とジーンとしてしまいました。

30数年いっしょ

2006-12-12 10:57:29 | Weblog
 毎年クリスマスが近づくと脚立に乗って下ろして来る深緑色の風呂敷包みがあります。
 その中にはいろんなクリスマスグッズが入ってて、その年どしの気分で飾るものを選ぶのです。

 以前に比べると熱意もなく、な~んとなく惰性で出してくるものが多い中、
これは毎年飾る。

 紙粘土製の手のひらサイズの小さいものなんだけどかわいいでしょ。

 中1か中2のとき学校の文化祭で買ったんです。

 当時は、上級生が作ったこの子達を見て
「なんとすばらしい
なんて思ったのですが、あっと言う間に製作者の年齢を越してからは、その稚拙さゆえに手放せなくなりました。稚拙さや素朴さって、とてもクリスマスっぽい。

 例によって携帯のカメラで撮ったらピンボケ具合が気に入ったのでのせてみました。

-6- 手術当日

2006-12-10 20:59:59 | 1998乳がん はじまり
 師走じゃ師走じゃ、大掃除じゃ、この昔話も早く終えねば年を越せない~
なので、サクッと手術日のこと書こう。

  -

 でも、実は手術日のことってそんなに詳しく覚えてないような…
たぶん絶食のまま、手術は午後からで、昼ごろから夫や母や義姉が来てくれてたと思う。
ストレッチャー(あの、人が寝たまま運ばれるワゴンですよ)に乗って手術室へ。

 看護師さんが見送りの家族に対して「はい、行ってきます」と言ったので皆も
「行ってらっしゃい」とか「がんばってね」とか言いながら手を振ってた。
私がその時どう思ってたかと言うと、まず、照れくさかった。だってさぁ、まるで
ドラマみたいでしょ。ま、非日常感タップリです。

 手術室の自動ドアのなかは先日の告知を受けた手術室とは全然違うように思った。さらに中に入る前、少し待ち時間があり、看護師さんに「今、どんな気持ち?」と聞かれた。私が「まな板の上の鯉」って答えると「そう言える人は本当に少ないんですよ」と言われ、なんか、そんな時でも褒められるって嬉しいもんだなと思いました。

 あと、不安はひとつ。

 もし、麻酔が効かなかったり、途中で切れたりしたらどうしよう
 痛いのは、イヤだ

 で、手術台に横たわった時そう言ったら、その辺の人(もう誰が看護師さんかお医者さんかわからない)は妙にのんきに「だいじょぶ、だいじょぶ」って言って、
で、実際1,2,3
で記憶は途絶える。

 遠くで誰かが私を呼んでる
 眠いなあ
 でも、ずっと呼ばれてる…

 ってな感じで目が覚め、手術は終わってた。

 目は覚めたけど、体はまだ麻酔が効いてて痛みはなく、口に酸素マスク?プラスチックのものを付けられてた。
そのまま再びストレッチャーで私の部屋に戻る。マスクもしてたから喋るのは出来なかったけど、問いかけに頷いたりはできてた(つもり)。

 夕方、うとうとしてたら部屋の前のロビーから馴染み深いメロディが聞こえてきた。あ、そうだ、今日から、『愛しているといってくれ』の再放送だったんだ。
朦朧とした頭が急に時間軸や場所の認識をしていた。
えっちゃん(私はトヨエツをこう呼んでいた)、明日はテレビ見るわ、と思いながらもその日は夜遅くまでマスクで、水を飲むのを許されたのはそれを外してからでした。

 水を飲めるようになったのを見届け、両親や夫も帰る。
病院の夜は長くて、明け方暗いうちから目が覚めて、ちょっとさみしかった。

 私のがんは2センチ以下だったけど、腋のリンパ節を切ったら一番手前の場所に転移が見られたそうです。次の場所には転移なしだったからもう大丈夫
と確信してた、あの頃…

怪しい、を楽しむ

2006-12-08 16:16:26 | 
 図書館の本をインターネット予約すると、実際に手に取るわけではなく、
ただタイトルのみが手掛かりになることも多々ある。これなんかはじめっから
「どうよ」って思いつつも、とりあえず予約してた本です。

 タイトルは『免疫力がみるみるアップする100のコツ』 っていうんですよ。

 内容も、まあ、想像通り。
半身浴がいい、野菜がいい、アハハと笑え、ヨーグルトを食べろ、などなど、
どこかで聞いたことのある、当たり前の事ばっかりが大挙してのっかってる。

 目次を見てると「モーツアルトの音楽を聞くと副交感神経を活性化させ、ストレスをやわらげ、免疫力を高めます」という項目があった。これも、よく言われてるよ、と思いながらそのページを見て思わず笑ったよ。

 太字でよけいな騒音や視覚、嗅覚は避けて、両耳をおおうヘッドフォンで一回につき30分程度を一日2~3回聞くのがおすすめ。また、聞く前にコップ1杯の水を飲み、深呼吸をすると、血流が促され、免疫力がさらに高まります。だってさ。

 腹の底から笑えば、血圧血糖値が下がり、便秘も治り、その上抗がん力までアップしますの記事では「こう笑おう!」と写真まで載ってます。

 「コーンを食べたらガンになりにくいんだって。イカもいいらしいよ。」という私に夫「でも、あんた、もうガンやんか」って、それを言っちゃあおしまいよ。
とりあえず、きのこ、海藻、野菜、発酵食品の類は体に良くて、もしかしたらガンが大きくなるのを妨いでくれるかもよ、という至極ありふれたことを書いてあるんだけど、意識してそれらの食品を摂るとやはり良いのかも。

 それに、こんなにつっこみどころ満載のおかげで何度も「アハハ」と笑ったので、
NK細胞が活性化したのは確実だわじゃ、いい本なの

 

院内コンサートへ

2006-12-06 17:18:36 | おでかけ
 病院内でヴァイオリンとチェロのミニコンサートが催されると聞き、ご近所さんと出掛けた。
‘入院患者と障がい者に笑顔とコンサートを贈る市民の会’っていうところの主催だそうです。私は入院してないけど、通院患者だし、「ホーム感覚」ですね、もう。

 吹き抜けに面した明るい地階で、30分足らずの短いものでしたが、ベートーベン二重奏、埴生の宿、童謡、それとアンコールには、もろびとこぞりて。

 院内コンサートって初めて行ったけど、看護師さんに付き添われた車いすの人や、私みたいな被り物の人もいた。入院患者さんはすぐわかる。スリッパ履きなんだよ。

 音楽には力がある。音楽だけでなく、病気に立ち向かうのには薬や点滴みたいなの以外にもいろいろ良いものがある。良い匂いをかぐとか、あ、それはアロマとかね、人と楽しく喋るとかね。スピリチュアルケア、って言葉にも出会った。その言葉は耳に新しかったけど、どうやら内容はすでに薄く実感してるもののようでもあり。

 そんなに大勢観客がいたわけでもないのに、2人も知人に会った。いつも世間は狭いわ。そのうちの一人は高校の同級生なんだけど、私の病気を知らない人で、少し喋ったけどターバンターバン姿の私を病人とは思わなかったようで、ほっ。そうそう花束贈呈役の看護師さんも知人でした。

 さて、その病院の外科外来に先週からターバンターバンが展示されてます。
作り方のコピーも一緒に。けっこう恥ずかしいものです。5枚ほど持ち帰られたようです。公共の場で見る我が子ターバンターバンは、みすぼらしいです…

で、信楽。

2006-12-04 15:26:58 | おでかけ
 つづき。

 青山二郎を見終わって、長浜の有名ギャラリー季の雲が出してた売店もじっくり見たあとは、お楽しみ昼食です。

 miho museum内のレストランは農薬や人為的な肥料を使わず作られた野菜や調味料を用いたメニューがいろいろあって、私は‘おにぎり御膳’(\1600)を頼みました。お高いでしょ?でもね、美しい根野菜たっぷりな料理が信楽焼の器に盛られ、3種のおにぎりともども気分よく平らげました。父は天ぷらうどんがたいそう美味しかったらしく、パスタを頼んだ母に同情してたけど、パスタだってお肉を使わずコクを出した逸品でした。天然酵母パンも買って帰りました。

 そのあとは、焼き物のお店を巡る。
6年前に私たち夫婦が見つけたお店を目指して行く途中に可愛いギャラリーっぽいお店発見。出動。

 草土っていうそのお店は、ご主人が焼いた器を奥さんが販売してる様子。
植物をあしらったり、布と組み合わせたりして器の使い方を提案してた。夫、コーヒーのカップ購入。私はステンレスの小さいスプーンを買いました。母も何か買ってたな。
そこの奥さんにおススメ店を2,3教えてもらい(地図をコピーして書き込んでくれた!)、次へ向かう。

 すぐ先の清庵へ出動。
「100万もの中から自分の眼で『一つ』を発見すること」を創作だと言った青山二郎。それにひきかえ私たちは、あーでもない、こーでもないをくりかえしつつ器を手に取る。黒い小鉢を2つ、器を、私ったら、ああっ、処分したがってるくせに、買ってしまいました…

 つぎの店、陶夢で両親は念願のお湯のみを購入。揃いではなく、テイストばらっばらだけどそれぞれ自分で気に入ったものらしい。

 ところで、信楽の町のあちこちに大きなタヌキの焼き物があった。
大きいものは大丈夫だろうけど、小さいタヌキが兵馬俑みたいにズラーっと並んでるのって、夜間はどうするんだろう?置きっ放しじゃ盗まれないかな。心配。

 

青山二郎の眼

2006-12-04 12:08:33 | おでかけ
 日曜の昨日、夫婦プラス実家の両親の4人で、滋賀県信楽町のMIHO MUSEUMへ行きました。お目当ては特別展「青山二郎の眼」を見ることと、信楽で焼き物を見たり買ったりすること。

 青山二郎は、骨董の目利きで、本の装丁家で、文章も書いたりした人です。
白洲正子の骨董のお師匠さんとして、また小林秀雄の友としても有名なんだけど、
なんか想像以上にスケールのでっかい人だったようで、昨日展示を見てあらためて私は青山二郎について何も知らないということを実感しました。

 以前白洲正子の『いまなぜ青山二郎なのか』も読んでたし、今回の展示を見るに当たっても『天才青山二郎の眼力』っていう本も読んでそれなりに予習したつもりだったけど、そんな生半可な知識なんか要らなかった。

 青山が選んだり所有した壺や器の展示の合間に時々青山自身の言葉がパネルになっていたのがとても示唆に富んだ、なんて言うか、言葉も展示品のひとつのようでした。

 私の記録のためにここに記しておこう。

   優れた画家が美を描いた事はない。
  優れた詩人が美を歌ったことはない。
  それは描くものではなく歌い得るものでもない。
  美とは、それを観た者の発見である。
  創作である。
     『日本の陶器』


 きゃ~二郎カッコいいよ