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旧和宇慶家墓

2018年11月09日 | 文化・歴史好き!

自分で探そうとしても絶対に分からないであろう「旧和宇慶(ワウケ)家墓(重要文化財)」です。和宇慶家と言うのは、石垣島に住んでいる人なら一度は聞いた事があるであろう「オヤケアカハチ」の時代に活躍した「ナータフーズ」の子孫・長栄姓一門で、ハンナーヤー伸茂(長栄姓9世)の第二子・真那を先祖とする大川村の旧家です。元々はハンナーヤー本家の墓だったそうですが、ハンナーヤー信明が石城(イシグスク)山の麓に新しく墓を作り直し改葬した(移した)ので、分家の和宇慶家が譲り受け大正時代まで使用していたとの事。お墓の中にあった石棺には「メーラの主(宮良間切の頭)」と書かれていたとの事で、今で言う宮良・白保・桃里・伊原間・野底・平久保一帯を納めていた頭と言う事になります。偉い人だったんですね。あれ?でも和宇慶家って大川村の旧家じゃなかったっけ? 大川村は石垣間切(石垣・名蔵・新川・崎枝・川平・桴海地域)の一つで今で言う市街地あたりの事だから、住んでいる所が違いますね。どういう事?住まいは大川村だけど、宮良間切りを治めていたって事かな?

分かりました!「乾隆33年(1769)の間切の改正により大川村は大浜間切に移行、以後近代にいたるまで変更は無かった」と言うのを見つけました。途中から変わったんですね。これで納得!

お墓の作りは、自然の石灰岩に出来たチョットした洞窟を加工利用して葬室や壁、寄棟状の屋根、前庭などを作り、あとから外庭も作られたようですが、まだ加工途中の岩が画面階段の右横に残ったままです。作られた年代は分かっていませんが、石棺に入っていた方は長栄姓12世・真般(1733~1791)でほぼ間違いないとの事。理由は、和宇慶家で唯一頭職を務めたのはこの方だけだったから。

とにかく非常に格好良いお墓で惚れ惚れします。特に今は雑草が沢山生えててより雰囲気を醸し出しています。この墓の少し手前にも別の古いお墓があるんですが、そちらはかなり藪に覆われ、さらに分かり辛くなっています。勿体無い!

和宇慶墓も他の墓も以前、草刈りなど掃除をした後の状態が見たい方はこちらをどうぞ。
「3月の観察会報告 前編」「3月の観察会報告 中編 水道橋(水路橋)」
一番下から見てね。


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