石垣島の海岸に行くと、ときどき軽石が落ちています。 多いのは灰色のと茶色っぽいの。 この二色の軽石、約4000万年前に石垣や西表が噴火してた頃の物で、灰色のが西表島産、茶色のが石垣島産、だと思っていました。 だって周りの先輩方が皆そう言ってたから・・・。 しか~し!、今回改めて調べ直して見ると違ってました!
一つは西表島産。 年代は1924年(大正13年、結構最近の事だったんですね)10月31日に北部沖で噴火した時の物でした。 周囲の島々では海面が軽石で覆われ凄い事になったそうです。 当時の画像が「石垣島地方気象台」のHP・下の方にある「南風(ぱいかじ)日記(地学の先生・Mさんが書いていた!)」、に出てるので見て下さい。 そのあと黒潮にのって北上し、北海道まで流れて行ったとの事。 しかも関東大震災(1923年)の翌年のことだから、その時代も今みたいに地震の連鎖を気にしてたんじゃないでしょうか? もともと沖縄は地殻変動が激しい地域で、先島だと与那国近海は特に地震が多く、宮古島断層帯というのもありその影響はともに石垣島まで及んでいます。
もう一つは「小笠原諸島最南端の福徳岡の場」という海底火山が1986年(物凄い最近)の1月に噴火して出来たのが流れ着いた物でした。 小笠原から石垣に?と思うかも知れませんが、「黒島反流」というのがあって黒潮のさらに沖に行くと西や南西に流れる弱い流れがあるそうです。 黒潮の詳しい潮の流れがこの二つの軽石のおかげで解明されたというから面白いですね。
さらに調べて行く内に分かったんですが、もう1色、黒い軽石があるというのが分かりました(白灰の縞模様もある)。 実は同じ場所で真っ黒の軽石っぽいのを見た事があり、「でも多分これは軽石ではないだとう、軽石だとしても焚き火で焼かれて黒くなっただけだろう」と気にしてなかったんです。 もしかしたらあれが670年(今から約1300年前)に上と同じ「小笠原諸島・福徳岡の場」の海底火山から噴出した物だったのかも知れません。 ただ論文によっては灰色~暗灰色のが福徳岡の場の海底火山から分噴出されたと書いてあるのや、神奈川県にある平塚市博物館のHPでも相模湾に流れ着いた「福徳岡の場・海底火山(同定済み)」の軽石の画像はオイラが載せてる画像の軽石にそっくりでした。 なんだか分からなくなってきたなぁ。 やはりこれは一度、Mさんに聴きに行かなくては!
と言う訳で早速翌日に聞きに行ってきましたが、ますます混乱するばかり(笑)。 M氏が実際に見た聞いた物、という事で書きますと、「西表」のも「福徳岡の場」のも色は画像右側の茶色っぽいのですが、大きさが全然違ったそうです。 近場の西表産のは、八重山郷土史研究家で「八重山の明和大津波」の著者で知られる故牧野清からM氏が聞いた話によると「子供の頃には2M位のがあり、乗ったりビート板代わりにして遊んだ」と言ってたそうです。 M氏自身もある程度大きいのを見てるそうで、逆に「福徳岡の場」産のものは長い距離を流れて来てるせいかみんな小粒で3~4センチ位だった、とおっしゃっていました。 西表産のが沖縄本島に漂着しただけでも殆ど数センチになっていたという記録があるので、見た目通り軽石は崩れやすいんですね。
帰宅してからまた検索していると有力な記録が見つかりました。 「琉球大学理学部海洋学科の加藤佑三教授」の論文で「問題の西表海底火山の軽石は白色で~」というのと「福徳岡の場で火山噴火があり、灰色の軽石が放出された~」と書いています。 少なくとも白色と灰色は間違いないようです。 「おいおい、茶色や灰褐色のは?」 う~む、謎のままですね。 同じ噴火時に色違いの軽石も出来るのか?、時間や環境によって色が変わるのか? 加藤教授に聞いたら分かるかな? ちなみに加藤教授とM氏は知人で、若い頃教授が石垣にいる時には良く一緒に勉強会を開いていたそうです。 いずれも軽石のおかげで黒潮の流れがかなり正確に分かるようになった事だけは間違いないんですけどね。 また新たな情報が分かったら報告します。
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