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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

篠山をぶらぶら 毬栗 古式特技法穴太流穴太衆石垣石積

2010-10-16 20:01:38 | 旅行・ぶらぶら歩き
ふとその気になって昨日は久しぶりに篠山まで車で出かけた。黒枝豆に栗が頭に浮かんだせいでもある。舞鶴若狭道が無料になったので、神戸Jctから中国自動車道に入り丹南篠山口で出るまでの通行料が200円とは有難い。三の丸西駐車場に車を駐めて歩き回ることにした。

一度食べたらもう十分の牛とろ丼で腹ごしらえをした。とろろは良いとして、牛肉だと思うが(猪肉もあるがこれは値段が張るはず)生肉片のようなものが混ぜられていて、これは私の好みではない。店によって違うのかもしれないが、食べ比べする気は起こらなかった。

まずは御徒士町武家屋敷群に向う。昔からの屋敷がかなり残っていて、手を加えたり敷地内に建て増ししたりして、先祖伝来の家に往事の武士の後裔が今も住んでいる様子である。もちろん取り壊された屋敷跡であろうか空き地が点在しているが、それがまたゆったりとした空間を生み出しているのがよい。道ばたに黒枝豆をスタンドに盛って売っている男性が、塩ゆでした枝豆を差し出してくれた。大粒のまめがほのかな甘味もあって、ふだん口にしている冷凍枝豆とは大違いに美味しい。1.2kgが600円と値段も手頃なので一束を買った。観光客の集まる店だとこの値段では買えない。

栗の木の植わった空き地があった。よく見ると下に毬栗が沢山落ちている。それも手つかずである。その瞬間、この前に地面に落ちた毬栗を見たのは、朝鮮で父に栗拾いに連れて行って貰った昔々のことだったと思い出した。国民学校の二、三年生のころである。落ちていたのはほとんど実の入っていない毬ばかりで、さんざん探し回ってようやくまともな毬栗を見つけ出したときは、とても嬉しかったことを覚えている。それがここでは毬栗がごろごろ、もちろん木にも沢山ぶら下がっている。さすが丹波栗の本場である。直ぐ近くのスタンドで毬栗が一個百円で売られていた。


またぶらぶらと歩くうちに予期もしない工事現場に差し掛かった。旧屋敷町の一郭で三、四百坪はあるだろうか、敷地の三辺に石垣を積んでいるのである。作業をしているのは、ショベルカーを操作して大きな石を吊り上げたり移動させている人ともう一人の二人組である。立ち止まって眺めている間に休憩だろうか仕事を中断したので、その一人に何を造っているのかを尋ねた。想像がつかなかったからである。すると驚いたことに、個人の家ですと返事が戻ってきた。




勤め人だった人がが仕事を辞め、隠居生活に入るに当たってかねてから思い描いていた石垣のある家を作ることになったというのである。地元の篠山にも石があるのに、滋賀県の坂本の石を使いたいからと、わざわざそこから300トンもの石を運んできたそうである。敢えて値段は聞かなかったが、運搬費も含めると相当な額であろうとは察しが付く。正面の石垣は出来上がり、右側の石垣を築きあげている最中であった。完成の暁には石垣の上に竹塀を組まれるとか、なんとも気宇壮大な話である。出来上りを見に来たくなった。


この石垣造りを請負ったのは作業小屋の横幕にあるように、古式特技法穴太流穴太衆石垣石積の伝統的技法を継承する建設会社である。今は十五代目で、自然石を加工せずにそのまま積み上げる野面積み(のづらづみ)を得意としているとのことであった。

この後、再建された篠山城大書院を訪れた。慶長14(1609)年に篠山城築城とほぼ同時に建てられ、幕藩体制の終わるまで藩の公式行事に使用されてきたが、昭和19年1月になんと失火で焼失してしまった。しかし古絵図、古写真、発掘調査などの学術調査に基づいて改めて設計し、12億円の総工費をかけて再建したとのことである。大書院の一室で「篠山城物語」をビデオで観ていたときに、この城の石垣を穴太衆(あのうしゅう)が築いたとの説明が流れたものだから、築城術が今にいたるまで、延々と引き継がれている歴史の流れをまさに実感した。織田信長の安土城の石組みなどに活躍した石工集団がその頃から穴太衆として呼ばれていたらしい。技術を伝えるには現場での仕事を次々とこなしていくことが欠かせないのに、なかなか仕事がないので、との先ほどの作業員の方の言葉が耳に残った。

城趾の一角にある天守台に上ると眺望が開けて、篠山が間近な山々に取り囲まれたこぢんまりした盆地であることがよく分かる。その中に静かに溶け込んでいくような心地がした。



鈴木さんの「特許発言」がなぜぶれたのだろう

2010-10-12 17:24:21 | 学問・教育・研究
根岸、鈴木両博士の2010年度ノーベル化学賞受賞のニュースが流れたその夜、鈴木さんのテレビでのインタビューを見た時の印象を、鈴木章博士の嬉しい言葉  「特許は一切取っていない」で次のように述べた。

2010年度ノーベル化学賞受賞者鈴木章博士のインタビューをテレビで見ていた。その中での博士の一言に私は感動し、わが意を得た思いをした。医薬品や電子関連素材の合成に博士の発見した合成法が全世界で広く使われているのに、「特許は一切取っていない」と言われたのである。何故取らなかったのかその思いを語られたが、特許を一切取っていないから使うのはまったく自由、とにかく広く使われて役にたっているのが嬉しいと言われたのである。キュリー夫人の再来、とまで思った。

ところがその後、毎日新聞の《特集:ノーベル化学賞・受賞者に聞く 鈴木章さん/根岸英一さん》で、鈴木さんの次のような言葉が報じられた。

 最初から社会に役立つことを考えたんじゃなくて、たまたま結果としてそういうことになりました。特許を取らなかったのは、僕自身の怠慢です。あのころは大学で特許を取ることはほとんどなかったし、申請するにも権利を維持するにもお金がかかる。でも、特許を取らなかったから広く使われるようになったのはその通り。社会に貢献できたのは、たまたまなんです。
(毎日新聞 2010年10月8日 東京朝刊)

特許を取らなかったのは、僕自身の怠慢ですのところで一瞬わが目を疑った。私がテレビインタビューから受けた印象と大きく違ったからである。テレビインタビューでは(元来特許ととるべきであろうに、そうしなかったのは)僕自身の怠慢です、のようなニュアンスではなかったからである。私の勘違いと言うこともあり得るので、幸いYouTubeにアップロードされた映像でその発言内容を確認してみた。



まず1:25に「私はこのクロスカプリング反応に対してはですね、特許というものはまったく取っておりません」との発言がある。そして6:27-7:31の次の発言に続く。

「私たちの場合には、私はさきほど特許を取っていないと言ったが、その理由の一つは、われわれの時には大学での研究で特許を取るという例はそれほど多くなかったということもありますけど、私はその時、この研究費は文部省の研究費、その他企業からのサポートもありましたけども、ある程度の経済的なサポートもありましたし、実際に仕事をやってくれるのは学生ですね。これはレーバーコストがかからない。そういうことでですね、先生の名前で特許を取るというのは、私のその当時の気持ちとしてはあまり釈然としなかった、ということもありまして、まあそれだけではないんですけれども、特許を取るということは、なかなか取る時に(?)金が掛かるとか、その特許を長く続けるためにはお金が掛かるという、そういう点もありますけれど、それだけではなくて、私自身は先ほど言ったようなことで、実際には特許を取っておりません。」

さらに8:37には「とにかく私は一つも特許を取っておりませんから、この反応は世界中の人が自由に思う通り使うことが現在でも出来るわけです。」と述べている。特許に関するこのような発言を聞く限り、私が最初に抱いた印象は間違っていなかったと思う。ではどういう行きがかりで2日後の特許を取らなかったのは、僕自身の怠慢です発言になったのだろう。鈴木さんご自身に説明していただければよいが、大学の研究者に特許を取らせようという愚行に躍起となっている文部科学省側から、何かバイヤスでもかかったのかとつい余計な気を回してしまった。げすの勘ぐりだろうか。



2010年10月10日の佳き日に久しぶりの白ネクタイ

2010-10-10 23:20:27 | Weblog
昨日から明け方まで思いっきり雨が降ってくれたお陰で、今朝は気持ちのよい秋晴れだった。日曜日なのに普段より早く起き、身支度を整えた。この頃ともなるとたまに結ぶのは黒ネクタイばかりなのに、今日は嬉しいことに白ネクタイなのである。一体何年ぶりだろうか、心が弾む。慌ただしく京都に向かった。甥の結婚式なのである。式は北山通りの教会で2010年10月10日の佳き日の10時から始まり、その後、近くのゲストハウスで結婚披露宴が催された。

甥は私の四弟(末弟)の長男で大学では国史を学んだ。考古学クラブに加わって、今、平城遷都1300年祭で賑わっている場所辺りの発掘などに足繁く通ったらしい。「国史大辞典」を遺贈するつもりでたのに、なんと大学院では教育心理学を専攻し、やがて京都府に勤めるようになった。4月に新規開設された相談機関で現在働いているが、昨今大きな社会問題になっている児童虐待やDVの防止などに立ち向かう最前線の職場とのことである。後手に回ってほぞをかむことがないように願うのみである。末弟も若い頃大阪府下の養護施設で働いており、昭和天皇が施設を訪問された折には、施設を代表して活動内容などを説明した経歴もあり、そういう親の血を引いたことが進路を変えさせたのでは、と勝手に想像している。

新郎新婦の友人たちも大勢参加し、その活気がとても嬉しかった。傍で眺めているだけで心が和んでくる。これからの日本をしっかりと背負っていってほしいものである。ところが一つ気になることがあった。甥は仕事の関係で出向いた先の病院で新婦と出合ったらしい。女性優位のご時勢に逆らって、甥の方からメールや携帯で攻勢をかけてとか暴露されていたが、それぐらい積極性のあるはずなのに、職場の上司が祝辞の中で新郎は声が小さくて、と指摘されたのである。本当にそうなのか、比喩的な意味で言われたのか確かめようもないままに、われわれ兄弟では意見が一致した。わが一族で声が小さいなんてあるはずはないと言うのである。

そこで目にものを見せてくれんと、急遽、音楽で飯を食ってきた三弟に飛び入りで歌わせることにした。会場も割れんばかりの声量でカンツォーネを、と期待したのになんと歌い出したのが「故郷」である。会場の雰囲気を察して選んだのであろう、皆がシーンと聞き入った。となると私もむずむずしてくる。次弟とともに三弟に歩み寄り、二番からは聴くも妙なる三重唱を奏でることになってしまった。飛び入りだからぶっつけ本番である。それが皆にも分かるから、度肝を抜かれたような表情をなさっている。それが実に気持ちよかった。

と自慢話になったので、今日はここまでにする。m(__)m



「2位じゃだめか、は愚問」と言わされた鈴木さん?

2010-10-09 20:10:24 | 学問・教育・研究
次の産経ニュースが目に止まった。

「2位じゃだめか、は愚問」ノーベル賞・鈴木さん、蓮舫氏発言をバッサリ

 ノーベル化学賞に輝いた鈴木章・北海道大名誉教授(80)は8日、産経新聞の取材に応じ、「日本の科学技術力は非常にレベルが高く、今後も維持していかねばならない」と強調した。昨年11月に政府の事業仕分けで注目された蓮舫行政刷新担当相の「2位じゃだめなんでしょうか」との発言については、「科学や技術を全く知らない人の言葉だ」とばっさり切り捨てた。

(中略)

 特に、蓮舫発言については「研究は1番でないといけない。“2位ではどうか”などというのは愚問。このようなことを言う人は科学や技術を全く知らない人だ」と厳しく批判。「科学や技術を阻害するような要因を政治家が作るのは絶対にだめで、日本の首を絞めることになる。1番になろうとしてもなかなかなれないということを、政治家の人たちも理解してほしい」と話した。(後略)
(産経ニュース 2010.10.8 23:50 )

政府の積極的な投資を促す意図があっての記事であろうが、一方では違和感を抱いた。何故このような場で「蓮舫発言」が飛び出したのだろう。産経記者の誘い水なのだろうが、その意図は何だったのだろう。そして「研究は1番でないといけない。“2位ではどうか”などというのは愚問。このようなことを言う人は科学や技術を全く知らない人だ」との鈴木発言をどう受け取るべきなのだろうか。

蓮舫さんは次世代スーパーコンピュータの性能について「2番じゃダメなんですか?」と質問したと記憶している。それが鈴木発言では「研究は1番でないといけない」とスパコンが研究に化けた上に、「このようなことを言う人は科学や技術を全く知らない人だ」と高飛車な発言につながっている。取材状況、それに産経記者の質問の趣旨が分からないからこれ以上鈴木発言については触れないが、この発言で昨日紹介した村上陽一郎著「人間にとって科学とは何か」の中の一文をまた思いだしたのである。

 私などは法律には素人なので、最近発見して驚いたことがあります。それは、裁判の法廷は「必ずしも真実をみつける場ではない」ということ。では法廷とはどういう場かというと、当たり前といってしまえばそれまでですが、訴えた方と訴えられた方が、お互いに人智を尽くして勝ち負けを争う戦場なのです。(70-71ページ)

村上さんが専門家として法廷に立った経験に基づいて述べているのであるが、科学者として戸惑いを感じられたようである。裁判がいろいろと取り沙汰されている昨今、私も裁判の本質について目の洗われる思いがした。そして科学、技術の本質的な違いに連想が働いたのである。ふつう科学技術と一括りにして取り上げられることが多いが、元来科学と技術は本質的に異なるもので、それを一緒にしてしまうと話がややこしくなる。ここで「必ずしも真実をみつける場ではない」裁判を技術に当てはめてみる。

法廷で訴えた方と訴えられた方が勝ち負けを争うのは、いわばスパコンのような技術製品の性能(価格も?)が一番とか二番とか争うようなもので、技術だからこそ順位を競うことが出来る。しかし真理を追い求める科学研究はもともと順位を争うようなものではない。順位を決めようにも誰もが納得出来るような基準がないのである。研究はあくまでも真理の探究である。発見の一番乗りはその後についてくるもので、最初から何を発見すべきかが分かっているようでは、それはあまりたいした研究ではない。その意味で「研究は1番でないといけない」との鈴木発言は、記者とのやり取りのどこかでボタンが掛け違ったような気がする。

村上さんの著書に科学的合理性と社会的合理性の対比と連携の話が出てくる。科学者が白黒の判断が下せないことに社会的合理性のようなもので判断を下さざるをえない場面があり、その主役は社会の成員すべてである、というのである。蓮舫さんはその代表だと思えばよい。鈴木発言に怯むことなく「科学や技術を全く知らない?人」の強みをこれからもますます発揮して、「専門家」をどんどん質問攻めにして欲しいものである。


ノーベル化学賞の人名反応で思うこと

2010-10-08 11:40:33 | 学問・教育・研究
ノーベル賞公式サイトで2010年度のノーベル化学賞の授賞理由が分かりやすく述べられているが、そのなかに次のような文章がある。

Many organic reactions are, however, rather prone to the formation of unwanted side-products owing to the fierce conditions or highly activated molecules required. The 2010 Nobel Prize in Chemistry rewards three chemists who have developed new methods for making carbon-carbon bonds, highly selectively, under relatively gentle conditions. All three have their reactions named after them. The Heck, Negishi and Suzuki reactions all depend on using palladium, a silvery metal, to unite two molecules, resulting in the formation of a new single bond between them. Over the last 30 years or so, these reactions have become staple and much-valued additions to the organic chemists' toolkit.

そしてそれぞれの人名反応の特徴を次のように説明している。

In the Heck reaction, the first molecule always contains carbon bonded to a halogen atom, such as chlorine, and the second always contains a carbon-carbon double bond. Remarkably, the reaction works at room temperature.

Ei-ichi Negishi and Akira Suzuki, who incidentally had both worked with Herbert Brown, the 1979 Nobel Laureate in Chemistry, extended the range of applicability of the Heck reaction, principally by developing ways of varying the second component molecule. The double-bond-containing molecule is replaced by an organozinc molecule in the Negishi reaction, and by an organoboron molecule in the Suzuki reaction.

発見した反応が自分の名前で呼ばれるようになる。それも自分から名乗るのではなくて、その価値を認めた仕事仲間が命名してくれるのである。研究者冥利に尽きると言えよう。生命科学の領域でも、Michaelis-Menten constantとかLineweaver-Burk plotなどは生化学の教科書には必ず出てくるし、Okazaki fragmentsに触れない分子生物学の教科書はまずないだろう。そして研究者の名前で呼ばれる反応や現象、ある重要な成分などが教科書に登場することで、分野外の科学者にも広く知れ渡るようになる。鈴木章博士は留学先のブラウン教授から「教科書に載るような研究をしなさい」と言われたことを肝に銘じた、と報じられたが、まさに人名反応はその最たるものであろう。

それで思い出したのがつい最近読んだ村上陽一郎著「人間にとって科学とは何か」(新潮選書)の次ぎの一文である。「科学者たちを動かしたものは」の中に出てくる。

 ノーベル賞が稼働するのは一九0一年のことですが、それ以前も以後も、優れた研究活動(知識生産)に対して与えられる最も大事な褒賞は、「エポニム」でした。大事な法則や定理、方程式であると評価される知識に発見者の名前を冠して呼ぶという習慣がそれです。「ハイゼンベルグの不確定性」「ボーアの相補性原理」「プランクの定数」「シュレーディンガーの波動方程式」などがその例ですが、この褒賞制度も科学者共同体の内部だけで完結していたことを如実に物語っています。(23ページ)

これを私流に解釈すると、褒賞制度としてはノーベル賞が「エポニム」の延長線上にあることになるが、今やノーベル賞受賞の影響が科学者共同体の内部だけで終わらずに、広く社会的評価・賞賛を掻きたてる波及効果を及ぼすようになってきた。その意味では村上さんがノーベル賞について、

分野によって多少の違いはありますが、あるのはただ、個人的な好奇心の発露であり、真理への探求心に駆り立てられて科学に取り組む人間に対し、利得を得ようなどとは発想もせずにフィランスロビーの原理にのっとって財を投げ出してきた、ノーベルの生きていた時代そのままの精神です。ノーベル賞は、その結果としての贈り物なのです。(30-31ページ)

と述べていることが素直に心に染みいると同時に、極めてナイーヴにも響いてくる。この乖離をどう受け止めるべきか、それが実は村上さんの論説の主題であり、またフィランスロビーの原理とは一体どういうことなのか、それを説明しようとすると、これまた村上さんの著書にまともに向かい合わざるを得なくなる。

ということで、この先は次の機会に譲りたいと思う。


鈴木章博士の嬉しい言葉  「特許は一切取っていない」

2010-10-06 23:36:29 | 学問・教育・研究
2010年度ノーベル化学賞受賞者鈴木章博士のインタビューをテレビで見ていた。その中での博士の一言に私は感動し、わが意を得た思いをした。医薬品や電子関連素材の合成に博士の発見した合成法が全世界で広く使われているのに、「特許は一切取っていない」と言われたのである。何故取らなかったのかその思いを語られたが、特許を一切取っていないから使うのはまったく自由、とにかく広く使われて役にたっているのが嬉しいと言われたのである。キュリー夫人の再来、とまで思った。

大学人が特許取りに駆り立てられることになって、私は大学人、とくに生命科学研究者は特許申請に超然たれ次のように述べている。

私は大学人が特許、特許と駆り立てられるのには元々大反対なのである。大学人にとって百害あって一利なしとまで思っている。「学問の自由」が破壊されてしまうからである。その思いを以下の過去ログに書き連ねている。

万能細胞(iPS細胞)研究 マンハッタン計画 キュリー夫人
iPS細胞の特許問題に思うこと
大学は特許料収入でいくら稼ぐのか 知的財産管理・活用ビジネスのまやかし
角田房子著「碧素・日本ペニシリン物語」 そして大学での特許問題へ
学問の自由は今や死語?
マイケル・クライトン(Michael Crichton)の死去を悼む

(中略)

大学人一人ひとりが自分の研究成果を特許申請に心動かされることなく直ちに論文として世界に公開すればよいのである。論文の結語にそのような趣旨で発表したと書き添えれば世界にその動きが拡大することも考えられる。私はそのような大学人の叡智を信じたいのである。

特許申請なんて雑用の最たるものである。研究者の奮起を望みたい。


日本人のノーベル化学賞受賞はやっぱり嬉しいが  研究は「政治主導」から「科学者主導」へ

2010-10-06 20:46:45 | 学問・教育・研究
ノーベル化学賞に日本人受賞の嬉しい知らせ食事をしている最中に飛び込んできた。Nobelprize.orgは次のように発表した。

Press Release

6 October 2010

The Royal Swedish Academy of Sciences has decided to award the Nobel Prize in Chemistry for 2010 to

Richard F. Heck
University of Delaware, Newark, DE, USA,

Ei-ichi Negishi
Purdue University, West Lafayette, IN, USA

and

Akira Suzuki
Hokkaido University, Sapporo, Japan

"for palladium-catalyzed cross couplings in organic synthesis"

三人の受賞者は、Heck reaction、Negishi reaction、Suzuki reactionとそれぞれの名前で呼ばれるいわゆる「人名反応」で斯界に広く知られている。Heck博士が1931年生まれ、根岸英一博士が1935年生まれ、鈴木章博士が1930年生まれとのことなので、ちょうど私とほぼ同世代の方々となる。その方々の業績がこのたび評価されたという意味で喜びも一入である。

ニュースで日本人が二人と強調されていたが、根岸博士は国籍こそ日本であるが、研究生活のほとんどは米国である。1958年に東大を卒業して帝人に入社したが、1960年には米国に渡り、1963年に博士号をペンシルバニア大学で取得した。そしていったん帝人に戻ったが1966年にパーデュー大学のH. C. Brown教授のもとで研究生活に入り、その後米国で研究生活を送った。一昨年ノーベル化学賞を受賞した下村脩博士と共通するところがある。この点、鈴木博士は生粋の?北海道大学人で、根岸博士と同じく1963年からパーデュー大学のH. C. Brown教授のもとで博士研究員を送っている。

とくに鈴木博士の場合は、その研究生活の時代背景が私と共通するところがあって、まさに戦後の0から始まった不自由な時代に研究生活のスタートを切られたのである。昨今のように、何かあると金を大げさにばらまくような風潮とはおよそ無縁な、ストイックな研究環境であった。その中から生まれた成果であることを思うと、近頃の金で尻を叩くような(と私の目に映る)「政治主導」の科学振興策の薄っぺらさを実に嘆かわしく思う。

さらに、またもや医学生理学賞は素通りであった。利根川進博士が日本人として唯一の受賞者ではあるが、その業績は日本の研究環境から生まれたものではない。このことに関してはすでにノーベル医学生理学賞が日本に来ないのはなぜ?で私の考えを述べているので、興味をお持ちの方はぜひご覧いただきたい。それにつけても思うのは、研究者を出来る限り雑用から解放して、とくに若い時から自立して研究に専念させることこそ、科学研究の王道であるのに、「政治主導」の科学振興策がその逆を推し進めているといえよう。科学に関しては「政治主導」から「科学者主導」へ、その革命的転換を旗振りする高杉晋作は現れないものだろうか。


臓器提供をしない意思を登録する人が増えたのは歓迎

2010-10-05 18:24:13 | Weblog
「臓器提供しない」移植ネット登録急増 9月は29%

 自分が脳死になったり、心臓が止まって死亡したりしたら臓器を提供したいかどうかを、日本臓器移植ネットワーク(移植ネット)の意思登録システムに登録している人のうち、「提供しない」という人が急増し、9月に登録した人では3割近くに上ったことが分かった。4日に開かれた厚生労働省の作業班会議で同省が報告した。
(asahi.com 2010年10月5日15時0分)

脳死下臓器提供に拒否の意思を示す人が増加したのは自然の流れだと思う。私は自分の身体は自分のもの、という考えを持っている。臓器移植法改正案が国会で審議された際にも臓器移植法改正が必要? 自分の身体は誰のものなのかで次のように述べて「臓器移植法改正A案」が否決されることを訴えたが、残念ながら成立してしまった。

自分の身体は自分のもの、たとえ家族といえども太古からの自然のことわりを侵す権利はないのである。われわれは自分の臓器が他人に取られることをわざわざ拒否しなければならないという発想自体が自然のことわりを犯していることを心に銘記すべきなのである。自分の身体は誰のものでもない、文字どおり自分のものである。

脳死下臓器提供の意思を明らかにしていなかったために、家族が承諾するに至る苦衷を思えば、本人が日ごろから何らかの形で自分の考えを表明しておくべきであろう。しかし本人が何らかの意思を示していないからと言って、家族というだけで自分の身体のものでもない臓器の提供を決めること自体、僭越である。

本人の意思が不明のまま、臓器提供を承諾した家族の言葉が新聞などで報じられた。いわく「誰かの中で生きて役に立ってくれることが今後の家族にとって誇りに思える」、「当初は考えられなかったが、役に立ってくれるんだと思うと、いいことだと思う」、「誰かの役に立てたい。体の一部がどこかで生きていてくれたらうれしい」。万感の思いが込められた家族の言葉であろうから一々コメントはしないが、本来自分が決める問題でないと考えた家族は、この中に一人としていなかったのだろうか。役に立たせることより先に、臓器提供を承諾することで、脳死という死を愛する家族に対して宣告する自らの行為に、戦きを覚えることがなかったのであろうか。

「改正臓器移植法」が施行された7月17日から10月5日までの81日間で、家族承諾のみによる脳死臓器提供は14例になった。この間、脳死下臓器提供を承諾した家族は100例中1例?で述べたように、家族さえ承諾すれば脳死者として扱われた例が810件あり得たと推測すると、承諾14件に対して残りの796件で、家族が脳死下臓器提供を拒否したことになる。すなわち脳死下臓器提供を承諾した家族は100例中2例未満に過ぎず、大多数の家族は拒否しているのである。朝日新聞も上のようなことを報じるなら取材を進めて、現状では脳死下臓器提供を承諾した家族が極めて少数であることを報じるべきである。もしそのような資料が見つからなかったら、その旨を「改正臓器移植法」の「からくり」として報じるべきであろう。

この機会に、意思不明の本人に代わり、家族が脳死下臓器提供の決定を行うことの不条理を改めて考えてみたらどうだろう。現実的には、承諾にかかわる家族の誰一人として書面にて脳死下臓器提供の意思を明らかにしていないような場合に、この話は打ち切ることも考えられる。とくに意思が不明の未成年者の場合には、医療機関が家族に承諾を持ちかけること自体を控えるべきであろう。わが国の現状は「改正臓器移植法」に賛成した国会議員の意識とは大きくずれているようである。


菅氏、中国首相と会談とはいい話 共産党の「尖閣、日本の領有は正当」論も

2010-10-05 11:22:34 | Weblog
菅氏、中国首相と会談 廊下で25分 対話再開など合意

 アジア欧州会議(ASEM)出席のためにベルギーを訪問した菅直人首相は4日夜(日本時間5日未明)、中国の温家宝首相と会談し、両国の戦略的互恵関係を進展させるとの立場を確認。尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で止まっている両国間のハイレベルでの対話や民間交流の再開で合意した。同会議のワーキングディナーの際に会場外の廊下のイスに座って約25分にわたって話をしたという。
(asahi.com 2010年10月5日6時49分)

日中問題に関して久しぶりにいい話である。この話し合いの場を設定するために、先日、細野豪志前幹事長代理が訪中したとか。やるではないか。

そして共産党。

共産「尖閣、日本の領有は正当」 官房長官に申し入れ

 共産党の志位和夫委員長は4日、首相官邸で仙谷由人官房長官に会い、「尖閣諸島の日本の領有は歴史的にも国際法上も正当だ」などとする党の考えをまとめた文書を手渡した。文書は、日本が1895年に同諸島の領有を宣言して以来、中国側から75年間、抗議がなかったことなどから、中国が領有を主張していることの不当性を指摘している。
(asahi.com 2010年10月4日20時9分)

共産党の申し入れの趣旨がもうひとつはっきりしないが、正論を主張するのは大いに結構なこととこれも歓迎する。いいな、と思える話をもっともっと伝えてほしい。

10月に入り地下鉄は値上げで御座候は値下げ

2010-10-04 21:49:30 | Weblog
10月1日から神戸市で敬老優待乗車証を利用している高齢者にとってバス、地下鉄、ポートライナー、六甲ライナーなどの料金がそれぞれ値上げになった。私が利用するのはほとんど地下鉄であるが、2年前の2008年10月1日からそれまで無料であった地下鉄が小児料金の半額になり、それがこのたび小児料金になったのである。三宮に出るのに従来は60円で済んだのが120円になった。倍の値上げである。敬老優待乗車証はプリペイド式なので改札口を出るときに料金と残高が表示されるのが、残高がみるみる減っていく感じであまりいい気がしない。「高齢者の外出を支援し、社会参加の機会を持つことができるよう敬老パス(ICカード)を交付します」というのが敬老優待乗車制度の趣旨であるが、神戸市の財政事情の厳しさを実感する。

そして今日、通りかかった阪急三宮駅の構内で、ふだん見受けないところで長い行列が出来ていた。今川焼き、もしくは太鼓焼きを「御座候」の名で売っている店で、発祥は姫路である。創業60周年の奉仕販売ということで、通常1個80円を60円に値下げをした。ただし期間限定で10月1日より明5日までである。


60年前と言えば私が高校に入学した年で、朝鮮戦争が勃発した年でもある。敗戦後5年でようやく主食以外の嗜好品がぼつぼつ出始めた頃で、入学祝いというわけでもないが、叔父が連れて行ってくれた店の本格的なおぜんざいの美味しかったことを今でも思い出す。ようやく小豆餡が出まわるようになったのだろうか、その頃の創業である。それから何年も経って、姫路の大学に通っていた弟が御座候を買って帰ったのが私との始めてのご対面であった。ほどよい甘味の小豆餡がたっぷりと入っていて、素朴な味わいを楽しんでいると、食糧難の時代から脱却し始めた頃の喜びがいつも甦ってくる。月に一、二回は買って帰る私の好物である。ちょっぴり嬉しいプレゼントで、運賃の値上がりにもかかわらず出てきた甲斐があった。