日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

ノーベル化学賞の人名反応で思うこと

2010-10-08 11:40:33 | 学問・教育・研究
ノーベル賞公式サイトで2010年度のノーベル化学賞の授賞理由が分かりやすく述べられているが、そのなかに次のような文章がある。

Many organic reactions are, however, rather prone to the formation of unwanted side-products owing to the fierce conditions or highly activated molecules required. The 2010 Nobel Prize in Chemistry rewards three chemists who have developed new methods for making carbon-carbon bonds, highly selectively, under relatively gentle conditions. All three have their reactions named after them. The Heck, Negishi and Suzuki reactions all depend on using palladium, a silvery metal, to unite two molecules, resulting in the formation of a new single bond between them. Over the last 30 years or so, these reactions have become staple and much-valued additions to the organic chemists' toolkit.

そしてそれぞれの人名反応の特徴を次のように説明している。

In the Heck reaction, the first molecule always contains carbon bonded to a halogen atom, such as chlorine, and the second always contains a carbon-carbon double bond. Remarkably, the reaction works at room temperature.

Ei-ichi Negishi and Akira Suzuki, who incidentally had both worked with Herbert Brown, the 1979 Nobel Laureate in Chemistry, extended the range of applicability of the Heck reaction, principally by developing ways of varying the second component molecule. The double-bond-containing molecule is replaced by an organozinc molecule in the Negishi reaction, and by an organoboron molecule in the Suzuki reaction.

発見した反応が自分の名前で呼ばれるようになる。それも自分から名乗るのではなくて、その価値を認めた仕事仲間が命名してくれるのである。研究者冥利に尽きると言えよう。生命科学の領域でも、Michaelis-Menten constantとかLineweaver-Burk plotなどは生化学の教科書には必ず出てくるし、Okazaki fragmentsに触れない分子生物学の教科書はまずないだろう。そして研究者の名前で呼ばれる反応や現象、ある重要な成分などが教科書に登場することで、分野外の科学者にも広く知れ渡るようになる。鈴木章博士は留学先のブラウン教授から「教科書に載るような研究をしなさい」と言われたことを肝に銘じた、と報じられたが、まさに人名反応はその最たるものであろう。

それで思い出したのがつい最近読んだ村上陽一郎著「人間にとって科学とは何か」(新潮選書)の次ぎの一文である。「科学者たちを動かしたものは」の中に出てくる。

 ノーベル賞が稼働するのは一九0一年のことですが、それ以前も以後も、優れた研究活動(知識生産)に対して与えられる最も大事な褒賞は、「エポニム」でした。大事な法則や定理、方程式であると評価される知識に発見者の名前を冠して呼ぶという習慣がそれです。「ハイゼンベルグの不確定性」「ボーアの相補性原理」「プランクの定数」「シュレーディンガーの波動方程式」などがその例ですが、この褒賞制度も科学者共同体の内部だけで完結していたことを如実に物語っています。(23ページ)

これを私流に解釈すると、褒賞制度としてはノーベル賞が「エポニム」の延長線上にあることになるが、今やノーベル賞受賞の影響が科学者共同体の内部だけで終わらずに、広く社会的評価・賞賛を掻きたてる波及効果を及ぼすようになってきた。その意味では村上さんがノーベル賞について、

分野によって多少の違いはありますが、あるのはただ、個人的な好奇心の発露であり、真理への探求心に駆り立てられて科学に取り組む人間に対し、利得を得ようなどとは発想もせずにフィランスロビーの原理にのっとって財を投げ出してきた、ノーベルの生きていた時代そのままの精神です。ノーベル賞は、その結果としての贈り物なのです。(30-31ページ)

と述べていることが素直に心に染みいると同時に、極めてナイーヴにも響いてくる。この乖離をどう受け止めるべきか、それが実は村上さんの論説の主題であり、またフィランスロビーの原理とは一体どういうことなのか、それを説明しようとすると、これまた村上さんの著書にまともに向かい合わざるを得なくなる。

ということで、この先は次の機会に譲りたいと思う。