日々是好日

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角田房子著「碧素・日本ペニシリン物語」 そして大学での特許問題へ

2008-04-21 20:03:00 | 学問・教育・研究
角田房子著「碧素・日本ペニシリン物語」(新潮社、1978)という本がある。日本でペニシリンが製造されるに至った物語で、戦時中、昭和18年にドイツから送られてきた医学雑誌のペニシリン記事が発端となり、そして後には誤報と分かったのであるが、チャーチルの肺炎がペニシリンで治ったとのブエノスアイレス発朝日新聞記者の特電が直接の引き金となって、陸軍大臣が「ペニシリン類化学療法剤の研究」を陸軍医学校に命じたところから話が始まる。昭和19年1月27日のことで、8月までに研究を完成さすことが要請されたが、それは戦局不利につれて激増している傷病兵を救うためのものであった。

動きは早かった。ペニシリン研究会が組織されて、東京とその周辺の医学、薬学、農学、理学などのトップレベルの研究者が招集され、第一回の会合が開かれたのが昭和19年2月1日である。そして東京から大阪までの三等の汽車賃が11円50銭の時代に15万円という、単純計算では現在価格で1億1千100万円の予算が直ちについたというから、最近のiPS細胞研究への政府の肩入れもくすんでしまうほどの反応の早さである。最初の研究会に出席したメンバーは《医、薬、農、理など、各学界を網羅していた。それまでは共同研究と呼ばれるものも、狭い範囲の専門家だけが集まって行われるのが常であった。だがこの委員会は、各学界の人々がペニシリン創製という目的達成のために、それぞれの能力を結集して進もうという大きな特色を持って発足した。》と述べられている。

3月に入り、技術院から軍医学校に「ペニシリンを戦時研究テーマにしたい」との申し出があり、文部省学術研究会からも同じ申し出があったが、軍医学校はその申し出を断っている。既に一流の学者を網羅して委員会が発足した今、他に同じ目的の組織が出来て、委員がかけもちになることは、いたずらに同じような会議が重ねられて力を分散させ、研究を混乱させることになると思われたことからの決断である。昨今のiPS細胞研究の取り組みの実態が気になるところである。

戦時中に組織化された日本の国家的研究プロジェクトが、どのように推し進められてきたのかがこの著書に詳しく述べられている。科学に関しては素人を自認するする著者のひたむきな勉強と、それを一般の読者に伝えたいという一種の使命感が、この著書を第一級の科学物語に仕上げている。内容の密度が高く質のきわめて高いのは、取材時にまだ生存している多くの関係者との豊富なインタビューによるものと言えよう。当時の事情を明らかにした貴重な文献でもあるので、戦時下、極限状態での研究者の生き様を学ぶためにも若い科学者にぜひ目を通していただきたいものである。

昭和20年にはきわめて限られた量ではあるがペニシリンが製剤化され、今上天皇の皇太子時代の教育係で当時慶応の塾長であった小泉信三氏が昭和20年5月25日の空襲による火災で大火傷を負ったさいにその治療に使われたとのことである。その程度まで実用化が進んでいた。そしてやがて敗戦を迎えるのであるが、注目すべきはこの計画の統括者である陸軍軍医少佐が陸軍省医務局長に敗戦の4日前に提出した文書のなかの文言である。それは《碧素特許ハ陸海軍大臣ノ名ニ於イテ出願シ秘密特許トシテ申請スル如ク手続セルモノナリ 戦后世界貿易市場ニオケル一権益トシテ国産碧素製造技術ヲ特許トナシオク要ヲ認メ技術院ト連絡中ナリ》ということで、「戦后」と言う言葉で明らかなように、この時点で陸軍軍医が敗戦を知っていたことになりなる。この提言には国産碧素の特許を戦後の賠償に役立たせようとの考えがその根底にあったとされるが、先人の慮りに深く感じ入るばかりである。ちなみに碧素というのはペニシリンという外国名を嫌う当時の風潮で名付けられた日本名である。

それはともかく、私がこの本にこだわり図書館に出かけて借り出したのは、このペニシリン委員会の主要メンバーとして私の大学・大学院時代の恩師OK先生が最初から加わっており、著者のインタビューを受けて随所に登場するので、その状況をあらためて確認したかったからである(図書館で借りた後、ふと思い出してとある場所の本棚を探すと私の所蔵本が出てきたので二冊ご対面写真を下に掲げる)。



大学の卒業実験でOK先生の研究室に入れていただいてから、戦争中はペニシリンの研究をされていたことは漠然とした話として耳に入ってはいたが、この著書で恩師の具体的な関わりの内容を始めて知ったのである。そして、なぜこのような話を持ち出したかというと、これが研究者の特許申請の話と私の頭の中では密接に繋がるからである。ということでこの続きを次回にする。



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2 コメント

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貴殿と同じく感動致しました (富岡 昭)
2010-08-22 00:40:09
 私も、日本のペニシリンの事については、NHKのテレビを見て存じておりました。まだ中学生だったと思いますが、沼津のみかん農家の甥っ子さんの病気を治すという話は、当時沼津の隣の市に住んでいましたのでよく覚えてました。そのような事もあり、5年程前に古本屋さんで角田先生の著書を見つけ購入し、いたく感動しております。漫画で「JIN-仁」がテレビドラマになった時は、ペニシリンの話が出てきたので、原作者に角田先生の著書を案内しました。そうしたら、原作者の方から年賀状を頂き
非常に嬉しかったです。最近知り合った方で、当時ペニシリンを製造していました、三島の森永乳業のそばを勤労の為、通勤していた方が居ります。なにかご存知かと思いますので聞いてみたいと思います。さて、当時ペニシリンの研究開発に731部隊が関っていたという話がありますが、本当でしょうか?ところで、東北大学で開発されたペニシリン菌がエイズの特効薬だったという設定でスパイ小説があるのはご存知でしょうか?痛快な小説です。この時期、テレビ等では戦争のドラマが放映されていますが、どれも「特攻」だ「沖縄」だと悲しい話ばかりですが、ペニシシンのこの話はまた違った戦争のドラマとして、我々日本人の心を訴える事だと確信致します。
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はじめまして。 (narkejp)
2011-01-29 20:28:07
「電網郊外散歩道」というブログを綴っております、narkejp と申します。
テレビの「JIN~仁~レジェンド」というドラマを見て、という軟弱な動機ではありましたが、戦前のペニシリン委員会のことに興味を持ち、図書館から探し出してこの本を読みました。たいへん興味深く、驚きました。こういう本を、新潮文庫などで復刊してくれないものかと思います。
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