日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

兵庫県立芸術文化センター開館5周年記念ガラ・コンサートを大いに楽しむ

2010-10-02 22:41:13 | 音楽・美術
午後1時過ぎ、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団(通称PACオーケストラ)の団員が舞台に登場する。照明が暗くなって正面スクリーンに芸術文化センターの設立、活動にいたる経緯が映し出される。そして佐渡裕さんが現れ、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲が力強く始まった。プログラムは次の通りである。


私はこの「ガラ・コンサート」を歌がたくさん出てくるコンサートと勝手に思い込んでチケットを買ったが、そうではなかった。私は演奏曲目など前もってはほとんど見ない。誰が指揮して誰が歌うかなどを漫然と眺めただけで、「福袋」を買うような気分でチケットを買う。その方が思いがけぬ楽しみがあるからだ。今回は講談師の神田山陽さんが狂言廻し役だった。佐渡さんは他にも落語家とか宝塚スターとかを引っ張ってきたりするが、こういうやり方がお好みなんだろう。そしてこのやり方は悪くない。クラシックの演奏会についてまわる堅苦しさが和らげられ、各人思い思いの思いで音楽を楽しめるからである。咳やクシャミなどあまり人の事が気にならなくなる。佐渡さんもけっこうお喋りで、とてもテンポよく舞台が進む。

私の4000円席は3階のほぼ中央で前から2列目。だから完全に舞台を見下ろすことになる。オペラグラスで一人ひとりを視野に入れることができる。ソプラノの並河寿美さんが「ヴィリアの歌」を歌っているときに、右の胸元から黒っぽい棒状のものがかすかに覗いている。私には一本だけ変に長い胸毛があるが、そのようなものではなさそうである。となるともしかしてマイクのアンテナだろうか、と気になりだした。もし左なら心臓の鼓動を拾うので右なのだろうかとか、自分で差し込んだのか、それともむくつけき音響エンジニアが差し込んだのだろうか、と歌を楽しみながらもいろいろと考えている。正面スクリーンに並河さんが大きく映るときにも注意したが、焦点がぼやけた映像なので棒自体がはっきりと見えない。本当は何だったのかわからないが、それはそれとしてこれも私の楽しみ方の一つである。

バリトンの晴雅彦さんがパパゲーノになって「おいらは鳥刺し」を歌った。私もこの11月、パパゲーノの歌を2曲は歌うことになっているので、競争相手でもある。晴さんはいとも軽やかに大阪弁も交えて歌う。この軽やかにというのが曲者で、だからあんなのは簡単と思い込まされて素人が歌い出すと大変、まともに歌えるどころかただおたおたするばかりなのである。ところが一つ気になりだした。パパゲーノの吹く笛が私の耳にはちょっと調子はずれに聞こえるのである。笛を吹くたびに耳を澄ませたがやっぱりおかしい。次はどう聞こえるだろうとそればかり気にしているうちに歌が終わってしまった。このように歌手と心の中でやり取りするのもこれまた楽しい。

ボレロが始まった。なんべん聞いてもいい、私の大好きな曲である。オーケストラのメンバーに女性がとても多くて、心の奥底を揺り動かすバスーンの響きにそちらを見るとこの奏者も女性である。弦楽器から始まり、小型の木管楽器に引き続き大型木管楽器の分野もいつの間にか女性が占めるようになったのである。女性、といえば最後列の向かって左側の女性は始まったときから坐ったままであった。ほとんど動かない。そのうちに腕組みをしたが偉そうぶらずその姿がとても美しい。足でも組んでくれたら雲中供養菩薩じゃないかと密かに期待したが・・・。クライマックスに立ち上がって銅鑼をおもむろに叩きだし最後の一打で締めくくり、実に格好がいい。女性奏者を賛美するのも大きな楽しみなのである。

早くもアンコール2曲目のラディッキー行進曲に入り、観客も拍手に加わって調子づいているうちに、いつの間にか「六甲おろし」に変わり、会場を覆う大合唱がはじまったのは面白かった。阪神ファンでもないのについ歌わされてしまった。PACオーケストラに合わせて「六甲おろし」を歌えるなんて、阪神ファンにとったらたまらないだろう。明日は公演が2回あるので今からでも遅くはない、チケットが残っているかも知れないので、ぜひ飛び込みで参加されんことを。曲はふたたびラディッキー行進曲に戻っていよいよフィナーレ、間に休憩が入ることなく90分で全プログラムが終了した。90分といえば大学での講義の一齣分である。こんなに密度の高い講義をしたことがあったかな、と少し忸怩たる思いもしたが、このコンサート、大いに楽しみ幸せな気分になって会場を後にした。


「FDデータ書き換え」もさりながら「犯罪捏造」の罪の方がはるかに重い

2010-10-02 09:57:36 | Weblog
郵便不正事件の捜査・立件に携わった大阪地検の当時特捜部長と同副部長が逮捕された。asahi.comの記事である。

 大阪地検特捜部が押収したフロッピーディスク(FD)のデータ改ざん容疑事件に関連して、最高検は1日、同部前部長の大坪弘道容疑者(57)=1日付で京都地検次席検事から大阪高検総務部付に異動=と、同部前副部長の佐賀元明容疑者(49)=1日付で神戸地検特別刑事部長から大阪高検総務部付に異動=を犯人隠避の疑いで逮捕した。

 2人の部下だった主任検事が、FDのデータを改ざんしたと知りながら、隠した疑いが強まった。これまでの最高検の調べに対し、2人はいずれも「意図的な改ざんとは報告を受けていなかった」と容疑を否認していた。最高検は1日の記者会見で、2人の認否を明らかにしていない。
(asahi.com 2010年10月1日23時13分)

前田恒彦検事が「FDデータ書き換え」をしたことが明らかになった以上、それ相応の処罰を受けるのは当然のことである。ところが前特捜部長・副部長が逮捕された現在でも、この二人に前田検事が「FDのデータを改ざん」をしたとの認識あったとは考えにくいのである。私のブログですでにそのことを繰り返し取り上げたが、素人の常識で判断した同じことを、この二人が朝日新聞のインタビューに答えているからである。

 大坪弘道・大阪地検前特捜部長と佐賀元明・前副部長は逮捕前の朝日新聞の取材に対し、前田恒彦・主任検事によるデータの書き換えを隠そうとした事実はないと説明してきた。大坪弘道・前特捜部長との主なやりとりは次の通り。

【大坪前部長】

 ――改ざんについて、前田検事から直接聞き取りをしたのか。

 本人からは聞いていない。佐賀前副部長が前田検事から「データを書き換えたかもしれない」と聞き取り、その報告を受けた。しかし、すでにFDは返却済みでデータを確認できなかった。意図的な改ざんだった場合、(正しい最終更新日時が記された)捜査報告書が残っているのも不自然だったため、過失による書き換えと判断した

(中略)

 【佐賀前副部長】

 ――データの書き換えについて、前田検事からどのように報告されたのか。

 1月下旬に電話で聞き取った。意図的な書き換えとは言っていなかった。

――どう受け止めたのか。

 前田検事は「インターネットからダウンロードしたソフトで誤ってFDの日時データを書き換えたかもしれない」と言っていた。疑問は感じたが、正しい日時データが記された捜査報告書がすでに証拠開示されており、意図的ではなく過失だと思った
(asahi.com 2010年10月2日5時13分)

《最高検察庁の調べに対し、「フロッピーディスクのデータを自分たちが描いた事件の構図に合うよう改ざんした」と(前田検事が)供述している(www.nhk.or.jp/news 10月1日 4時40分 )》のが事実であったとしても、この二人の目にそうは映らなかったことは十分に納得がいく。あまりにも前田検事のやったことが状況的にちぐはぐだからである。だからこそ、大坪前部長、佐賀前副部長ともこのインタビューで述べた立場を貫くことに違和感を覚える検察人はいないだろう。異を唱えることは自らの阿呆さ加減を満天下に曝すことになるからだ。これは前田検事の「FD書き換え」を認識した後で、二人が適当な処置をとらなかったことは別のレベルの話なのである。

品の悪い例えで恐縮であるが、私に言わせると今回の一連の現職検事逮捕は、殺人犯が逃走途中に立ちションベンをしたのを、「軽犯罪法?」で捕まえるようなものである。

公判での証拠にはならなかったが、「証拠品」に手を加えたのは確かに悪い。しかしこのことは、私が前田検事の「FD書き換え」より大事なこと  検察に踊らされた朝日新聞?でも述べたことであるが、郵便不正事件で無罪となった村木厚子さんに無実の罪を着せようとした「犯罪捏造」に比べると、敢えて言うが、取るに足らない些末なことである。

村木さんの無罪確定で明らかなように、もともと「村木事件」はあり得るはずのものではなかった。断片的であれ報道を通じて分かったきたことは、そもそも村木さんの起訴どころか、逮捕すらあってはならないことであった。共同通信の記事である。

 検察関係者によると、昨年5月26日に逮捕された上村被告は直後の取り調べに、FDの保管場所を供述。取り調べ担当検事が入手したFDに記録された文書データを確認すると、村木さんが「2004年6月上旬」に文書作成を指示したとする検察側構図と時期が一致しないことが分かった。

 同僚検事は、前田容疑者に6月上旬のままでいいかどうか何度も確認。しかし、同容疑者は構図の見直しを拒否し、昨年6月14日に村木さんを逮捕、特捜部内のほかの検事にはFDの存在を隠し続けて起訴した。
(共同通信 2010/10/01 06:49)

科学者が実験データをどう見るか、の立場でいうと、「FDに記録された文書データ」が実験データに相当する。あるストーリーを念頭において実験を行ったところ、その実験データがストーリーに合わなければ、科学者はストーリーを改めていく。犯罪捜査においても同じで、証拠に合わなければストーリーを改めざるをえない。それにもかかわらず証拠に合わないストーリーに固執することはストーリーの捏造にあたり、犯罪捜査でこのようなことをするとこれは紛いなく「犯罪捏造」に当たる。それを前田検事が行い、無辜の人間を罪人に陥れようとしたのである。

検察の仕組みは私は知らない。しかし大阪地検では特捜部自体も一つの組織で、だからこそ主任検事、副部長、部長が存在し、地検ではさらにその上に次席検事、検事正が存在するようである。村木さんの逮捕、起訴に際して「はんこ」を捺した人間にはすべて直接の責任がある。科学者が論文を発表する際の著者に名前を連ねるのと同じだからである。

科学者は捏造論文一つで研究者生命を絶たれ、失職もする。検察による「犯罪捏造」では、それに巻き込まれた第三者の生命まで奪われる事態がありうることを思えば、その罪の重さは筆舌に尽くし難い。大阪地検特捜部を尖兵とする検察はその大罪を犯したのである。「犯罪捏造」を二度と繰り返さないために「村木事件」を徹底的に検証して真相を明らかにし、罪あるものを厳しく処罰すべきなのである。「フロッピーディスク(FD)のデータ改ざん容疑事件」解明はその一部をなすに過ぎないことを忘れてはならない。