日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

喋りすぎのスポーツ・アナ そして『ホリエモン』への期待

2005-03-14 09:08:25 | 社会・政治
あの渋井陽子選手が名古屋国際女子マラソンを走る。8月にヘルシンキで行われる世界選手権代表を目指して、そして記録への挑戦である。日本列島がすっぽり寒気団に覆われてしまった3月13日のお昼過ぎにスタートの号砲が鳴った。しかし勝負は冷酷なもの、終わってしまえば、期待の渋井陽子選手が7位という不本意な結果であった。しかしその一方では、マラソン初出場の新鋭、原裕美子選手が2時間24分19秒という好記録で優勝し、世界選手権代表に内定した。日本女子マラソン界の層の厚さをまざまざと見せつけられた素晴らしいレースであった。

日曜日のお昼過ぎ、昼食をゆっくり終えてレースの中継をテレビで観戦するのはとても楽しい。ウツラウツラしている間に選手の順位が変わったり、またレースが大きく動くのが面白い。

ところがところが、である。ウツラウツラするにしては、実況放送のアナウンサーが五月蠅いのである。喋りすぎ。ほとんど喋りっぱなしで休むことがない。なるほどアナウンサーは喋るのが仕事であるのかも知れない。しかし今は昔のラジオの時代ではない。テレビ映像の時代なのである。実況は画面を見れば分かる。テレビ画面の右端にゼッケン番号、選手名、これまでの記録などが表示されておれば、誰が何番を走っているのは画面を見れば分かる。テレビ時代であるのに映像が無かった頃の『実況中継』を昔ながらに繰り返しているのが今日のスポーツアナである。

「大島が逆転しました」とアナ氏が一人で興奮して喚いたかと思えば、「原が逆転しました」と一段うわずってヒステリックに叫ぶ。そんなの観てたらわかる、というものである。

それから気になったのがバイクに乗ってランナーと併走しては選手の状況を伝える女性レポーター。これもアナ並の余計なお喋りをする。喋りと云うより喋らされるのであるがこれが気になった。二人乗りのバイクの後ろに女性がまたがり、「なになに選手がサングラスの隙間からこちらを見て私が何を云っているのか気にしているよう、余裕ですね」とか、「江田選手の吐く息の音が一番大きくて、原選手も大きい。大島選手は音がしない」なんてことを得々と喋っている。馬が走っているわけじゃあるまいし、大和撫子の鼻息の品評なんて聞かせて欲しくない。

横に併走されるだけでも鬱陶しいだろうに、端でなにを喋られているのか、選手が気にしだしたらこれはもう競技妨害ではないか。マイクに向かって喋っている声が、選手にも届いているかもしれない、とも思った。なぜ静かに走らせて上げないのだろう。このレポーター個人には何の恨み辛みは無いけれど、今日のこの寒さ、堪えきれずに「おしっこ」とかドライバーに云って途中で離脱して欲しいと心から願ったのではあった。

要するにこのテレビ映像時代には『お喋り』はお節介なんである。アナウンサーが先に興奮してしまったら、こちらはかえって醒めて仕舞うではないか。落語家が「わての話、おもろいんやで。笑って笑って!」と中身なしに観客にわめいているようなものではないか。ここぞという時にアナウンサーが状況を過不足無く冷静に描写して、視聴者に興奮をじわっと伝える、それがプロの技ではないのか。

そこでハタと気づいた。『ホリエモン』が変えたいと思っているのは、このように『視聴者』不在で一人悦に入っているような脳天気スポーツアナ、その存在を疑問にも思わぬ旧態依然とした管理者の惰性的思考であろうかと。『ホリエモン』にテレビ界にも参入して貰って、『無駄な喋り』を必要且つ十分なデータ表示で置き換えるような情報伝達法の抜本的改革を期待したいものである。

注文ついでにもう一つ、あのペースメーカーは止めて欲しい。

ペースメーカーはいわば兎の目の前にぶら下げられたにんじん役であろう。ペースメーカーが引っ張るかたちでレースが展開していく。気がついてみるといつの間にか日本でのマラソンレースに『にんじん』が登場してしまった。私は気にくわない。マラソンこそ走る選手のまさに一人勝負ではないのか。だからこそ月桂冠が燦然と輝くのである。もちろんそれまでの練習は監督、コーチをはじめとする支援グループとの共同作業的性格があるだろう。しかし本番で走り出したらもう選手の独壇場である。ペースの配分も含め走りの組み立てるのは自分の体調をもっとも良く知る選手個人である。

選手のその自己完結性に水をさすのがこの『にんじん』である。走りの最初を『にんじん』に引っ張らせて、という発想が間違っている。もっとも肝心なペース作りを選手が『にんじん』に委ねる怠惰さは、マラソン競技の高貴さとは相容れない。日本で率先して使用禁止として、外国の範となるべきなのである。