日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

アメリカ生活(2) 美味しかったアメリカの牛肉

2005-03-28 12:19:06 | 海外旅行・海外生活

1966年の夏の終わりに一家で渡米して東海岸のNew Havenの街に住むことになった。George Streetの家である。
右隣が大家さんの家で左隣はお婆さんが住んでいた。



裏庭の垣根越しにはじめてお目にかかり声を交わしたのがきっかけで、日中子供を抱えて家にいる妻にはあれこれとアドバイスしてくれたそうである。

落ち着いて間もない頃にハーロインの時期にさしかかって、子供が次から次と大勢押し寄せてくるから絶対にドアを開けないように、とお婆さんが教えてくれたそうである。もっともわれわれミーハー夫婦は何でも経験したい方だから、妻は逆に子供たちにどうすればいいのかと教えて貰い、キャンディーなどのお菓子を買ってきて袋に詰め、子供たちの襲来を待ち受けたことであった。このお婆さんはアイルランド出身、息子さんが日本軍相手の戦争で戦死したことを何かの折りに知ったが、われわれに対しては暖かであった人柄が記憶に残っている。

わが家は表側に居間がありそれに続いてダイニング、そして裏庭に面する台所があった。



トップの写真はその台所のテーブルに広げたある日の食料品スーパーでの買い物である。毎週土曜日が家族4人半分の食料仕入れデーであった。欲しいものが目につけば値段のことを気にせずにカートにボンボン放り込めばよかった。それでも一回の買い物で50ドルを超えることは滅多になかったように思う。

かれこれ40年ほど前の時代である。まだ日本での生活は貧しかった。アメリカから給料を出して貰ったお陰で一挙に『アメリカ映画』の生活に飛び込んだことになる。大きな肉の塊、ステーキ肉のパックにただただ圧倒された。ここぞとばかりあらゆる肉料理にチャレンジして『本場』の肉の美味しさを堪能したのである。

肉に突き刺す温度計で肉塊の温度をモニターしながらオーブンで焼き上げたローストビーフの芸術的な出来上がりに、われながらうっとりとした。塩とにんにくをすり込んだだけの分厚いステーキのジューシーなまさに『肉の味』にひとりでにほっぺたがほころびた。

その頃、アメリカのスーパーですき焼き用のスライス肉は置いていなかった。どうしたか。ほどほどの大きさの塊を一旦冷凍してから解凍して、包丁の刃が通るようになると薄くスライスしていくのである。それぞれの料理に合った肉を探し当てるのがまた楽しかった。

2年余りの滞米生活を終えて日本に帰ってきた。あれほど慣れ親しんできた牛肉のなんと高価なこと。わが家の肉料理はハンバーグオンリー、ステーキはもちろんすき焼きですら特別料理になってしまった。比較的安い輸入肉が市場に姿を現すようになってわが家にステーキが再登場する頃には、子供たちはもう家には居なかった。その償いでもないが、たまに息子たちが家に顔を見せるときには、必ず挽肉ではない肉料理でもてなすことになっている。

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