日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

在朝日本人の回想 母の姫鏡台

2005-03-18 10:12:43 | 在朝日本人
朝鮮から引き揚げてきてから60年たった。全財産を朝鮮に残し、国民学校5年生を頭に3年生に幼稚園児、そして満2歳の4人の子供をなんとか日本に引き連れて逃げ帰った父と母は既にこの世にいない。

生前、父は朝鮮でのことを自分から口にすることは一切なかった。

母は嫁入り道具に着物、その全てを失った悔しさを、それを持たせてくれた両親に対する想いととともに語ることがままあったが、「朝鮮のことは話したくない。もう嫌なことは忘れる」と締めくくるのであった。そして、晩年、語ることは絶えてなかった。

母が息を引き取るまでベッドの傍らにあったのが、嫁入り道具唯一の生き残りの鏡であった。姫鏡台から鏡だけを外して背負い袋にいれ、朝鮮から持ち帰ったものである。朱塗りはすべてはげ落ちて金具は外れ、銀メッキも傷みが激しい。その鏡をか細くなった両腕で支えながらも自分の顔色を点検していたものであった。

入院して間もない頃は院長回診ともなると、その鏡に向かっていそいそと化粧にいそしみ宛然と一行を迎えるのであった。何回目かに「○○さん、お化粧をすると顔色がわからないのでしないでくださいね」と云われて、大いに落胆していた。しかし袋に入れたその鏡を決して手放しはしなかった。

私にとっては第二の故郷である朝鮮も、両親にとっては全財産と共に未来への希望も夢も奪い去った『恨み』の土地であったのではなかろうか。両親はただそれを忘れることを救いとしたのであろう。私としては朝鮮の生活の思い出で欠如しているところが多い。両親に問いただしてその欠けているところを埋めたいとの思いはあったが、結局聞かずじまいで終わってしまった。

「もう嫌なことはわすれる」との母の言葉が甦ったのは、3月1日の韓国盧武鉉大統領の演説に引き続き、昨日、韓国政府が、竹島や歴史教科書検定問題などで日本に「断固対処する」姿勢を対日政策の新原則として発表したからである。

「お互いに忘れましょう」と個人の世界では有効な『世間智』が、政治の世界で働きにくいことは重々承知の上で、しかし云ってみたいのである。「もういい加減忘れませんか」と。

続きは稿を改めて述べることにする。