横田めぐみさんの遺骨と伝えられるものが、本人のものであるのか他人のものであるのかを巡って、日本政府はこれが他人のものであるとの立場に立って北朝鮮を非難した。それにたいして北朝鮮政府は鑑定結果が日本側の捏造であると非難している。
これまで私が取り上げた問題点は
①《帝京大はDNAを鑑定できた、科警研は出来なかった。これは科学的立証の一番基本的な条件である再現性が確認出来ていないことを示す。何故再現性が確認できないのかをつまびらかにするのは、科学者の責務である。》
②《DNAが検出されたのは事実として、このDNAを遺骨由来のものと断定した科学的根拠の明示が必要である。》と云うことになる。
この問題があるにせよ、「遺骨が横田めぐみさんのものではない」との鑑定報告書を鑑定者が作成・提出して、それを受けて政府側の発表になった、と私は思っていた。
ところが私がこのことをブログで述べた直後2月3日の英国の科学誌「ネイチャー」( Nature 433, 445 (03 February 2005))に、私の『思い込み』を否定するかのような記事が掲載されていたのである。その報道が一部に流れたが、このたび友人の協力を得てその記事の原文に接したところ、たしかに私の『思い込み』を覆す内容の報道だったのである。
以下が私の問題とする文章である。
《Nonetheless Yoshii, who has no previous experience with cremated specimens, admits his tests are not conclusive and that it is possible the samples were contaminated. The bones are like stiff sponges that can absorb anything. If sweat or oils of someone that was handling them soaked in, it would be impossible to get them out no matter how well they were prepared," he says.》
Nonethelessというのは前の文章を受けたものである。その文章の骨子は、「摂氏1200度の高温で処理された遺骨にDNAが生き残る可能性はほとんどあり得ないが、完全否定は出来ない。」ということである。そしてYoshii以下の文章で意外な事実が浮かび上がってくる。
まずYoshii氏はこれまで火葬で焼かれた試料のDNA分析の経験がないとのことである。
これまで一度も取り扱ったこともなく、また量に限りがあって繰り返しの効かない鑑定試料でDNA分析に着手されたYoshii氏は、なんて勇気のある方だろうと私は思った。もちろん最初から鑑定試料に手を着けられたわけではなかろう。分析の対象となるDNAを鑑定試料から抽出するにはまずその手法を確立しないといけないが、そのために人骨を種々の条件で高温処理を行い、それぞれの標品から標品特有のDNAが抽出されることを確認しているはずである。当然実験記録が残されていなければならない。
鑑定試料の実際の形状を私は知るよしもないが、一応骨片だとしよう。研究室に運ばれてくるまでどのように扱われてきたのか、その経緯の記録が欲しいところである。しかしその記録の有無に拘わらず、運ばれるまでの全過程で第三者のDNA試料が骨片に付着している可能性を想定するのは常識である。となるとどうすればもっとも効果的に混在したDNAを取り除くことが出来るのか、これまた鑑定試料をテストに使用できないので、あらかじめ類似試料での予備実験が必要になる。これも実験記録が残っているであろう。
貴重な鑑定試料の処理に入るまでにはこのように、かなりの予備実験で測定条件の詳細な検討を行わないことには、怖くて本実験に入ることができないのがふつうである。
そしていよいよ本実験。ところがその分析結果について、Yosii氏はいとも気安げに仰っているのである。「私の検査は決定的なものではありませんよ。鑑定試料が汚れていた可能性もありますからね」と。
ここで私は自分の思い違いにはたと気づいた。Yoshii氏は分析が出来るかどうか、とにかくちょっと様子を見てみましょう、という気軽な気持ちで分析を引き受けられたのではなかろうか、と。私の推理が正しいかどうかは、上に述べた予備実験の記録が残されているかどうかを調べればすぐに判る。多分残されていないだろう。
ここで、少し横道に逸れる。実はこの「ネイチャー」の記事で二カ所ばかり科学的には必ずしも正確でない記述がある。
《Teikyo University'sTomio Yoshii, one of Japan's leading forensics experts, says there are several reasons why he managed to extract DNA from all five of his samples. These include the fact that he used a highly sensitive process called the nested polymerase chain reaction (PCR), which amplified DNA twice instead of once as in conventional PCR,》
この文章では、nested PCRと呼ばれる非常に敏感な方法を用いたからこそ彼の5種類の標品からDNAをなんとか抽出できた、となる。しかしnested PCRはDNAの増幅手段で、抽出手段ではない。だから『抽出』に焦点を当てる限り、この文章全体は科学的に無意味である。鑑定結果を出すためのおおまかな実験の流れは『試料特有のDNAの抽出』→『そのDNAのPCR法による増幅』→『量が増えたのでし易くなったDNAの分析』となるのであって、『抽出』と『PCR法によるDNAの増幅』は明らかに異なる操作なのである。
さらにnested PCR自体についての説明も誤解を与えやすい。PCR法とはDNA断片を短時間に増殖させる方法で、例えば数時間で20万~50万倍に増幅できる。だから通常のPCR法では増幅が1回、nested PCR法では増幅が2回という記述は正しくない。(このライターがなぜこのような書き方をしたのか、ある程度推測は可能であるがここではこれ以上立ち入らない。)
科学的に細かいことに私がわざわざ立ち入ったのは、このライターとしての『資質』を問題にしたかったからである。
Yosii氏の発言引用も、まさかとは思うものの、このライターの思い込みがありはしないかと慎重にならざるをえない。しかしこの記事が現れて一ヶ月になるが、Yosii氏からこの記事に異議を唱えられたとのニュースも伝わってこない。となると、発言引用はそのまま受け取っていいのではないか、というのが現時点での私の立場である。
ここで本題に戻る。
「私の検査は決定的なものではありませんよ。鑑定試料が汚れていた可能性もありますからね」の発言引用は重大な意味を持ってくる。Yoshii氏は「遺骨は横田めぐみさんのものではない」と断定していないのである。ではどこで政府発表のように「遺骨は横田めぐみさんのものではない」になってしまったのだろう。
『鑑定書』の流れを時間的に追っていけば答えは自ずとでてくる。
どこかで誰かが『決定的ではない』→『決定的である』の『すり替え』を行っているはずである。
私が不思議に思うのは「ネイチャー」の記事に触発されて日本のマスメディアがどのように動いたのか、見えてこないことである。私が見逃している可能性は高いので、もしお気づきの方がおられればぜひご教示をいただきたい。
ただ日頃からマスメディアに不信感を抱いている私は、日本のマスメディアの沈黙は「ネイチャー」記事の確認が、北朝鮮の『捏造』批判に与することになると(特に政府関係者から)云われそうなので、それを怖れての自己規制か、と勘ぐっているのである。
これまで私が取り上げた問題点は
①《帝京大はDNAを鑑定できた、科警研は出来なかった。これは科学的立証の一番基本的な条件である再現性が確認出来ていないことを示す。何故再現性が確認できないのかをつまびらかにするのは、科学者の責務である。》
②《DNAが検出されたのは事実として、このDNAを遺骨由来のものと断定した科学的根拠の明示が必要である。》と云うことになる。
この問題があるにせよ、「遺骨が横田めぐみさんのものではない」との鑑定報告書を鑑定者が作成・提出して、それを受けて政府側の発表になった、と私は思っていた。
ところが私がこのことをブログで述べた直後2月3日の英国の科学誌「ネイチャー」( Nature 433, 445 (03 February 2005))に、私の『思い込み』を否定するかのような記事が掲載されていたのである。その報道が一部に流れたが、このたび友人の協力を得てその記事の原文に接したところ、たしかに私の『思い込み』を覆す内容の報道だったのである。
以下が私の問題とする文章である。
《Nonetheless Yoshii, who has no previous experience with cremated specimens, admits his tests are not conclusive and that it is possible the samples were contaminated. The bones are like stiff sponges that can absorb anything. If sweat or oils of someone that was handling them soaked in, it would be impossible to get them out no matter how well they were prepared," he says.》
Nonethelessというのは前の文章を受けたものである。その文章の骨子は、「摂氏1200度の高温で処理された遺骨にDNAが生き残る可能性はほとんどあり得ないが、完全否定は出来ない。」ということである。そしてYoshii以下の文章で意外な事実が浮かび上がってくる。
まずYoshii氏はこれまで火葬で焼かれた試料のDNA分析の経験がないとのことである。
これまで一度も取り扱ったこともなく、また量に限りがあって繰り返しの効かない鑑定試料でDNA分析に着手されたYoshii氏は、なんて勇気のある方だろうと私は思った。もちろん最初から鑑定試料に手を着けられたわけではなかろう。分析の対象となるDNAを鑑定試料から抽出するにはまずその手法を確立しないといけないが、そのために人骨を種々の条件で高温処理を行い、それぞれの標品から標品特有のDNAが抽出されることを確認しているはずである。当然実験記録が残されていなければならない。
鑑定試料の実際の形状を私は知るよしもないが、一応骨片だとしよう。研究室に運ばれてくるまでどのように扱われてきたのか、その経緯の記録が欲しいところである。しかしその記録の有無に拘わらず、運ばれるまでの全過程で第三者のDNA試料が骨片に付着している可能性を想定するのは常識である。となるとどうすればもっとも効果的に混在したDNAを取り除くことが出来るのか、これまた鑑定試料をテストに使用できないので、あらかじめ類似試料での予備実験が必要になる。これも実験記録が残っているであろう。
貴重な鑑定試料の処理に入るまでにはこのように、かなりの予備実験で測定条件の詳細な検討を行わないことには、怖くて本実験に入ることができないのがふつうである。
そしていよいよ本実験。ところがその分析結果について、Yosii氏はいとも気安げに仰っているのである。「私の検査は決定的なものではありませんよ。鑑定試料が汚れていた可能性もありますからね」と。
ここで私は自分の思い違いにはたと気づいた。Yoshii氏は分析が出来るかどうか、とにかくちょっと様子を見てみましょう、という気軽な気持ちで分析を引き受けられたのではなかろうか、と。私の推理が正しいかどうかは、上に述べた予備実験の記録が残されているかどうかを調べればすぐに判る。多分残されていないだろう。
ここで、少し横道に逸れる。実はこの「ネイチャー」の記事で二カ所ばかり科学的には必ずしも正確でない記述がある。
《Teikyo University'sTomio Yoshii, one of Japan's leading forensics experts, says there are several reasons why he managed to extract DNA from all five of his samples. These include the fact that he used a highly sensitive process called the nested polymerase chain reaction (PCR), which amplified DNA twice instead of once as in conventional PCR,》
この文章では、nested PCRと呼ばれる非常に敏感な方法を用いたからこそ彼の5種類の標品からDNAをなんとか抽出できた、となる。しかしnested PCRはDNAの増幅手段で、抽出手段ではない。だから『抽出』に焦点を当てる限り、この文章全体は科学的に無意味である。鑑定結果を出すためのおおまかな実験の流れは『試料特有のDNAの抽出』→『そのDNAのPCR法による増幅』→『量が増えたのでし易くなったDNAの分析』となるのであって、『抽出』と『PCR法によるDNAの増幅』は明らかに異なる操作なのである。
さらにnested PCR自体についての説明も誤解を与えやすい。PCR法とはDNA断片を短時間に増殖させる方法で、例えば数時間で20万~50万倍に増幅できる。だから通常のPCR法では増幅が1回、nested PCR法では増幅が2回という記述は正しくない。(このライターがなぜこのような書き方をしたのか、ある程度推測は可能であるがここではこれ以上立ち入らない。)
科学的に細かいことに私がわざわざ立ち入ったのは、このライターとしての『資質』を問題にしたかったからである。
Yosii氏の発言引用も、まさかとは思うものの、このライターの思い込みがありはしないかと慎重にならざるをえない。しかしこの記事が現れて一ヶ月になるが、Yosii氏からこの記事に異議を唱えられたとのニュースも伝わってこない。となると、発言引用はそのまま受け取っていいのではないか、というのが現時点での私の立場である。
ここで本題に戻る。
「私の検査は決定的なものではありませんよ。鑑定試料が汚れていた可能性もありますからね」の発言引用は重大な意味を持ってくる。Yoshii氏は「遺骨は横田めぐみさんのものではない」と断定していないのである。ではどこで政府発表のように「遺骨は横田めぐみさんのものではない」になってしまったのだろう。
『鑑定書』の流れを時間的に追っていけば答えは自ずとでてくる。
どこかで誰かが『決定的ではない』→『決定的である』の『すり替え』を行っているはずである。
私が不思議に思うのは「ネイチャー」の記事に触発されて日本のマスメディアがどのように動いたのか、見えてこないことである。私が見逃している可能性は高いので、もしお気づきの方がおられればぜひご教示をいただきたい。
ただ日頃からマスメディアに不信感を抱いている私は、日本のマスメディアの沈黙は「ネイチャー」記事の確認が、北朝鮮の『捏造』批判に与することになると(特に政府関係者から)云われそうなので、それを怖れての自己規制か、と勘ぐっているのである。