日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

在朝日本人の回想 盧武鉉大統領閣下

2005-03-08 12:50:16 | 在朝日本人
《わたしはこれまでの両国関係の進展を尊重するので、過去の歴史問題を外交的な争点にしない、と公言したことがあります。そして今もその考えは変わってい ません。過去の歴史問題が提起されるたびに交流と協力の関係がまた止まって両国間の葛藤(かっとう)が高まることは、未来のために助けにならないと考え たからです。しかし、われわれの一方的な努力だけで解決されることではありません。2つの国の関係発展には、日本政府と国民の真摯(しんし)な努力が必要です。過去 の真実を究明して心から謝罪し、賠償することがあれば賠償し、そして和解しなければなりません。それが全世界が行っている、過去の歴史清算の普遍的なや り方です》

これは韓国の盧武鉉大統領が3月1日に行った演説のなかの文言である。

正直なところ、私は戸惑いを感じた。とくに《2つの国の関係発展には、日本政府と国民の真摯(しんし)な努力が必要です。過去 の真実を究明して心から謝罪し、賠償することがあれば賠償し、そして和解しなければなりません》の部分が、具体的に何を意味するのかが判らないからである。メッセージは正確に相手に伝える内容を表現しないことにはメッセージとして機能しない。残念ながらその『内容』が私に伝わってこないのである。とすると、これはメッセージの形を取ってはいるがメッセージではない、では何か。

《過去 の真実を究明して心から謝罪し》?
ここからが既に判らない。『過去の真実』?、どの『過去』を指すのであろう。それが判らない限り『真実』にすら進めない。これはメッセージを受け取る側があれやこれや憶測を逞しくすることではないので、これからは私が述べたいことを述べる。

『過去の真実』、『謝罪』、『賠償』なる言葉が戦後60年に至るまで、折に触れて韓国側から飛び出す状況に出くわすと、在朝日本人として朝鮮半島で育まれたことのある私はつい愚痴を云いたくなる。「その昔、なぜ日本の言いなりになって植民地なんぞになったんや!」と。その時の朝鮮半島の住民が全員一丸となって踏ん張り、日本に屈服せずに独立を貫いておれば、今みたいに『恨み節』をことあるたびに持ち出さずに済んだだろうにと思うからである。そう、メッセージが『恨み節』に聞こえてしまうのである。

なぜ『恨み節』なのか。演説にある以下の一文にもヒントがある。

《旧韓末、開化をめぐる意見の違いが論争を越えて分裂にまで走り、指導者たち自身が国と国民を裏切った歴史を見ながら、今日我々が何をするべきかを、深く考えました。そして、我々の地をめぐって日本と清、日本とロシアが戦争を起こした状況で、無力だった我々がどちらの側に立ったとしても、何が違っただろ うかと思い、国力の意味を改めて考えさせられました。そして今日の大韓民国が本当に誇らしくなりました》

大統領自ら朝鮮が日本の植民地になってしまったのも《指導者たち自身が国と国民を裏切った歴史》であると明言されている。『恨』なのである。

ひるがえって元在朝日本人として日本人を観ると、これまた『骨』がない、フニャフニャなのである。間もなく3月10日の東京大空襲の日がやってくる。60年前に米軍の無差別爆撃によって民間人10万人が命を失った。広島・長崎の原爆による20万人近い民間人の死者もそれに加わる。

この虐殺は明らかに戦争犯罪であろう。最後の最後に神風が吹いて日本が逆転勝利をおさめた時のことを思い浮かべれば、答えは自ずと出てくる。日本人はアメリカに対して『謝罪』と『賠償』を求めるのが筋である。それがこともあろうに敗者となったとたん、『謝罪』と『賠償』どころか、原爆記念碑に「過ちは 繰り返しませんから」と記して得々としているのが『日本人』なのである。「原爆を落とされたのも、私たちが悪かったからです」?冗談じゃない!

このように敗者はひたすら屈服し、自らを責めるべきであると『日本人』が自らを律している限り、過去、日本に屈服させられた朝鮮の民が何を日本に問いかけても通じるはずがない。

盧武鉉大統領閣下、『謝罪』と『賠償』を求められる前に、どうぞ日本国民をまず覚醒させてくださいませ。

おことわり:韓国盧武鉉大統領の演説全文の翻訳文は以下のブログからの引用です。
milou

在朝日本人の回想 私は変な日本人?

2005-03-07 11:22:48 | 在朝日本人
朝鮮から引き揚げてきた翌年の昭和21年春、神戸に引っ越して漁師町にある国民学校に通うことになった。ところが5年の3学期だけを過ごした高砂国民学校でも今度の学校でも、私はどうも溶け込みにくかった。まわりがダサイのである。

私が教室の机に座っていると突然男子が一人机の上に腰をかけた。『どす』を机の上にガンと突き刺して「おい、チョーセン」と語尾上がりに云うのである。朝鮮からの引き揚げ者というのが何らかの形で伝わったのであろうが、私は自分が『朝鮮人』と云われたのだと受け取った。もちろん自分は紛れもなく日本人であるので、そんな見分けがつかないこいつは馬鹿か、と思った。

『どす』なんて少しも怖いとは思わなかった。「宮本武蔵」の読後感も生々しいし、それよりなにより、戦のためとはいえ、『人を殺す』公教育を国民学校で受けてきている筋金入りである。咄嗟に相手がこうでたらああでよう、と心に決めた。その後のやりとりはもう記憶に残っていないが、二度と同じ仕打ちに会うことはなかった。

振り返ってみるとその頃の子供は今の大人以上の分別を備えていたと思う。『どす』はあくまでも脅し、それを実際に使って人を傷つけることの愚をちゃんと悟っていたのである。私にもそれが暗黙の認識としてあったから冷静に対応できたのだろう。

それはともかく、『朝鮮人』を蔑視する日本人の存在をこのことで始めて実感した。その後歴史を学ぶことから、例えば関東大震災時の社会主義者、朝鮮人、中国人の殺害に示されるように、『朝鮮人蔑視』が日本社会の底部に定着していることを知っていくのである。

私は朝鮮に暮らしていた全期間を通じて、子供の目に触れさせなかったと云われればそれまでだが、日本人が朝鮮人をひどく扱う場面に遭遇したことは幸か不幸か一度もない。私自身においても『蔑視』はほんの一欠片もなかった。学校での教育でも家での躾でも、日本人と朝鮮人は一視同仁が徹底していた。敢えて両者の『違い』を取り上げると、日本人は朝鮮人に対しては『兄』であり『姉』として振る舞うことを躾けられた。

戦後の朝鮮半島における凄まじい『反日感情』の高まりは、私の『朝鮮』への『屈折した思い』を凍結してしまった。清水の舞台から飛び降りる思いで大韓航空に搭乗したのは戦後30年も過ぎてからのことである。海外出張に格安のチケットが魅力だったのである。伊丹空港から一旦ソウルの金浦空港に飛び、アメリカ行きに乗り換える待ち合わせの時間が落ち着かなかった。一歩外に出たらあの『京城』に行けるのにと、でも昔の記憶が大きく塗り替えられるのが怖かった。

大韓航空を利用するようになって何回目か、アメリカからの帰途、遂に決心してソウルにストップオーバーすることにした。金浦空港から乗り合いバスで市内に向かい、ロッテホテルに到着した。アメリカでの滞在が長く、髪の毛の伸びが気になっていたので、地下の理容室で散髪をして貰うことにした。戦後始めての『朝鮮人』との接触である。いやこの時点では『韓国人』と云わないといけない。私は英語で話しかけた。最初は英語で戻ってきたが、そのうちに日本語に変わっていった。しかし私は何故か英語で押し通し、韓国人が使う日本語と私の英語で意を交わしたのである。

調髪の最中、何としたことか日本でも目を引くであろうこの高級ホテルで電気が消えて真っ暗になった。停電なのである。懐かしさがこみ上げてきた。戦時中京城の家で当たり前だった灯火管制を連想したからである。それと同時に『いじらしさ』を覚えた。かっての支配国日本に追いつけ追い越せを合い言葉に頑張っている(であろう)、韓国のこの代表的なホテルでのまさかの停電、元に戻るまでの長い時間に、「まだまだ頑張らなくちゃね」と言葉をかけたくなったのである。

翌日、地下鉄でかって住んでいた永登浦に行こうと思った。ソウルオリンピックを目前に控えて、ソウルの中心部の改造が大がかりに進められていた頃で、地下鉄駅に向かう通路もまだ完全に整備はされていなかった。しかし東京や大阪の地下鉄に決して見劣りのしない立派な近代的な建造物である。そう思った瞬間、鼻の奥がつんときた。と涙が滂沱の流れとなり歩けなくなった。全身が感動で充ち満ちたのである。理由づけるとしたら、あの『弟』がここまで大きく逞しく成長したんだ、という私だけの思いが心を大きく揺すったとでも言えるのだろうか。

かっての『一視同仁』の頃に私が舞い戻っていたのである。


白髪三千丈の国 井波律子氏の二著

2005-03-05 14:33:18 | 読書
李白秋浦歌其の十五にあるのが「白髪 三千丈 愁いによりて かくの如く長し 知らず明鏡のうち 何れの処よりか 秋霜を得たる」

「白髪がなんと三千丈もある! 愁いがつもりかさなって、こんなに長くなったのだ。明るい鏡の中の頭へ、いったい何処から秋の霜がふってきたのか、わしにはさっぱりわからない」(中国詩人選集8 李白上 武部利男注 岩波書店)

この「白髪三千丈」が「新明解国語辞典」では「愁いのため伸びた白髪を極端に誇張した言い方」となる。

レトリックではあるがゆえに、『南京大虐殺』で日本軍が30万人もの中国人を殺したと彼が唱えれば、さすが李白の後裔のなせる誇張の技かと響くこともあれば、文化大革命で反動分子として処刑された犠牲者が数百万人から2000万人とも伝えられると、そこまでは誇張はいくらなんでもないだろうから、やっぱりこの数字は真実かと妙に納得したりする。とにかく虚実の詮議が意味を持たないぐらい何でもありの国が中国、だからこそ何かと気になる国なのである。

その気になる中国であるが、私は系統的な歴史の知識がない。学校で勉強したわけでもないので、もっぱら興のの赴くまま手にする「史伝」などから散発的に入ってくる知識を自分の頭の中の年代表に整理したものが、私のもてる全てである。最大の知識源が宮城谷昌光氏の中国歴史を題材にした作品で、最近の「三国志」第三巻までのほぼ全作品を通読した。昌光様々である。

この浩瀚な作品群と対照的に、最近刊行された井波律子氏の「奇人と異才の中国史」(岩波新書)は、帯に「-古代から近代まで-中国史を丸ごと楽しめる!」とあるように、「春秋時代の孔子から近代の魯迅に至るまで、約2500年にわたる中国史の流れのなかで、さまざまな分野において活躍した五十六人の異色の人材を時代順にとりあげ、彼らの生の軌跡をたどったものである」。

全体が I 古代帝国の盛衰、II 統一王朝の興亡 III 近代への跳躍と三つの時代に分類されている。取り上げられた人物の内、私が何らかの知識をもつ人物はI では 19人中14人、次は20人中9人、最後では17人中2人と、内容的に著しく偏っていることが分かる。古代にその名を知る人物が多いのは明らかに宮城谷氏のお陰を被っている。それに引き替えて近代では林則徐と魯迅に限られているのには忸怩たる思いがする。

よく日本人には近代史、現代史の知識が欠けていると云われるが、私の中国史に関してはまさにその通りである。私はたまたま歴史に興味があるので、自分でも欠けたところを読書ででも補おうとするが、若い人達はどうなんだろう。少なくとも学校で国の内外を問わず近代史、現代史の知識が極端に欠けているのでは、と気がかりではある。

私が新しく知って面白く思った人物の一人が馮道(ふうどう)。後唐から後周までの五王朝で十一人の皇帝に仕えて、しかも二十年余り宰相の地位を占めたというから、並大抵の政治家でないことが分かる。ふつうなら王朝が変わると「節を屈するは士人にあらず」とかなんとか云って下野するのが普通の身の処し方なのであろうが、馮道は次々に王朝が変わっても常に行政のプロとして重用されてきたのである。重用した王朝も偉いが、一般には無節操だとか破廉恥だと云われる生き方を選んだ根底にあるのが「家に孝、国に忠」という彼の信念である。

彼は自叙伝の中で《目まぐるしく交代する「君」に忠義立てをするのではなく、「国」すなわち国家を構成する基礎である民衆のために尽くしてきた》と明言している。

私は目を開かれた。「愛国心」、国を守るというと、戦時中への記憶に連想が働くこともあって、くどくどとその意味するところをえてして弁じるのであるが、国を守るとは「国を構成する基礎である民衆」を守ることである、といえば何も付け加える必要はない。千年以上も前に没した先人に今あらためて学んだのである。

明末の異端の思想家、李卓吾もその生涯を追ってみたい人物である。《「童心(虚偽をはぎ取った純真そのものの心)」を重視して、修身・斉家・治国:平天下といった儒教の伝統的な価値観を、虚偽だときっぱり否定した》のである。《儒教の聖典と目される『論語』や『孟子』については、「永遠の真理などではない。これを絶対視するのはひからびた人間だけだ」》と容赦しない。

《一つの時代には一つの時代の基準があり、歴史上の人物を固定した儒教的基準で一律に評価できない》とも主張している。この李卓吾あってこそ、上に記した馮道も世に出たのである。しかもあらゆる面で既存の権威や価値観を否定した李卓吾の根底に、自ら信じるものの為に命を差し出す覚悟のあったことを粛然と知らされるのである。

井波律子氏が取り上げた人物の中に、必ずや一人は自分の生き方の範としたい人物に行き当たるではなかろうか。中国史を学びつつ自分探しができる一挙両得の本。一人について3ページの記述であるから気楽に読んでいける。マンガ大好きな方にも、時にはこういう本を読んで頂きたいものである。

井波律子氏の近著に「故事成句でたどる楽しい中国史」(岩波ジュニア新書)がある。『童心』をお持ちの方はもちろん、ひからびたとお嘆きの方にも心よりお薦めする。

在朝日本人の回想 わたしの故郷

2005-03-02 18:36:21 | 在朝日本人
「ふるさとの四季」に出てくる唱歌を歌って、私が思い浮かべる風景はみな朝鮮の風景である。幼稚園から国民学校5年生までを朝鮮で過ごし、それより幼かった頃は風景の記憶なんてないから、当然のことといえる。

「春の小川」で浮かんでくる光景には学校からの遠足で出会った。遙かかなたまで広がる草原一面にレンゲが咲いている。そして岸辺のスミレ。水の流れに水草が揺れ動き光がキラキラ動く。よく目をこらすと小さな魚が流れに逆らうかのように動かずに立ち止まっている。静寂の中、チャラチャラと音が拡がる。

夢かうつつか、しかしこれが私の心象風景なのである。

京城を流れる大きな河は漢江。その支流であろうか船に分乗して川遊びをした記憶がある。父の勤務する会社の催すいろいろな行事に、私はよく連れて行って貰った。大きな鍋で豚汁を作って鱈腹食べたこと。砂糖代わりに蜂蜜を使ったおぜんざいの美味しかったこと。今も思い出すと父の温もりを感じる。。

その時だったかどうか、記念写真がある。父が趣味のカメラで三脚を使ってで撮ったのであろう。向かって一番右端の立っている国民服姿が父でその反対側、左端の制帽姿が私である。国民学校2年か3年ではなかっただろうか。女性は最前列に、朝鮮服姿も一緒に並んでいる。朝鮮人に和服までを押し付けたのではないことが分かって嬉しい。

「春の小川」で連想するのが飛行場。遙か彼方まで広がる草原が飛行場の延長であったのかもしれない。その飛行場で催された戦闘機の献納式に父に連れられて行ったことがある。父の勤務する会社が戦闘機「鍾馗」を献納したのであった。天幕の下の椅子にちょこんと座っていた記憶がある。

戦前・戦中の日本では、企業や国民の国防献金により製造され、軍隊に献納された軍用機を献納機と呼んでいた。戦後生まれの方であるが、奇特にも献納機の実体を調査されて、ウエブサイトに「陸軍愛国号献納機調査報告」を掲載されている。奇しくもその中に番号が1704、機体名「鐘紡朝鮮」なる一式戦が献納された記録がある。日時の記載はないが、その前後の記録から推測するに昭和18年秋頃のようである。私は国民学校3年生。一式戦といえばかの有名な戦闘機「隼」で、「鍾馗」だと思いこんでいた私の記憶とは異なる。献納式では何機か飛行機が並んでいたが、この記録には収録されていないので、「鍾馗」はその中に含まれるのかもしれない。

ついでながらこの記録によると、昔も愛国心鼓舞の権化であった「朝日新聞」が率先して献納機への献金を呼びかけて、多大なる実績を残したことがよく分かる。それにしても、このように地道な資料を収集されている方へ心からの敬意を捧げたい。

話が逸れてしまったが、ことほどさように、私の子供の頃の思いではすべて『朝鮮』にある。その意味では『朝鮮』が私の「故郷」なのである。私にとってこれが歴史的事実であるので、この思いは私の心の中で微動だにしない。

だからこそ、私には長年にわたり心に葛藤があった。



ダン・ブラウンが"DIGITAL FORTRESS"で描く日本人

2005-03-01 13:03:53 | 読書
ダン・ブラウンの作品では、これまでの4作全て冒頭に人が死ぬ。

"DIGITAL FORTRESS"で死ぬのはEnsei Tankadoという人物、場所はスペインのセビリヤである。

ポルトガル人かな、と思ったが、読み進んで行くにつれて、彼は日本人、しかも天才的プログラマーであることが分かる。

National Security Agency (NSA) はアメリカの情報収集・解析機関である。世界最高性能を誇るコンピュータTRANSLTRを四六時中作動させて、世界を飛び交うあらゆる情報を収集し、高度に暗号化されたメールなども直ちに解読してしまう。従ってこのTRANSLTRの存在そのものが完全に秘匿されている。

天才プログラマーTankadoはかってNSAでTRANSLTRの開発に従事していた。TRANSLTRの使用にあたり、当初は暗号解読に第三者の認証を条件としていたはずが、完成間近になりテロ防止が急務との理由で、NSAのみの判断で自由に暗号解読が出来るように運用方針が変わった。これは基本的人権を蹂躙するものだとTankadoは猛烈に反発した。

結局彼はNASを解雇され、国外追放の処分をうけた。それに加えてNSAは、彼の全人格を否定するような噂を世界に広めて、彼のこの世界における活動を妨げる手段をとった。Tankadoはその処分を淡々と受けて、「われわれには誰でも秘密を持つ権利がある。それを守ってやるぞ」との言葉を残してNSAを去っていく。

そして、TankadoはTRANSLTRをもってしても、決して解読されることのない暗号化のアルゴリズムを開発して、それをネット上で公開する。プログラム自体が既にそのアルゴリズムで暗号化されているので、彼の宣言の信憑性は直ちにチェック可能である。事実、誰もそれを解読できない。そして解読のためのキーワードをオークションにかけたのである。

これまでTRANSLTRが解読に10分以上かけた暗号はなかった。ところがこのプログラムは10時間以上TRANSLTRを稼働させても解読できないのである。NSAは卑劣にもTankadoから強引にキーワードを奪うことを試み、暗殺者をセビリアに送って彼の殺害には成功する。

そのキーワードは殺された彼の指輪に刻み込まれていたのである。ところがTankadoは絶命寸前に、その指輪を自分を抱きかかえてくれた旅行者に渡したことから、この指輪を求めての波瀾万丈のストーリーが一方で展開する。

NSAでも思いがけない展開があった。TankadoのプログラムをTRANSLTRに取り込んだことが引き金になって実は想像を絶する大破局に向けたのカウントダウンが始まったのである。それを止めるにはパス・キーの入力しかない。頼みの綱が指輪なのである。

こうなると、いつもながらのダン・ブラウン ワールド。420ページが128章に分かれるから、とにかく歯切れのよいテンポでストーリーが展開する。それは読んでのお楽しみとして、私はここで彼の日本人の取り上げ方について少し触れておきたい。

Tankadoの母は原爆投下直後の広島で被災者の救助に携わたせいで放射線を浴び被爆者となった。それが原因で19年後、彼女は息子を出産して命を失うのであるが、生まれたTankadoも身体障害児であった。妻を失ったショックと障害児への失望から、父親は失踪してしまう。この父親とも意外な形で再び接点ができるが、それは後の話。

そのような背景をもつTannkadoが、この作品のなかで極めて正義感にとみ、あくまでも筋を通す人間として描かれている。彼に敵対しているNSAのかっての同僚すら、Tankadoの人物の正直さ、公平さを疑わない。すなわち「想像を絶する大破局」をもたらすはずの彼ではあるのに、かならず歯止めを設定しているに間違いない、と彼への信を失わないのである。大破局をもたらすkamikaze行為も実はあくまでも脅かしの手段で、彼の真の目的がTRANSLTRの存在の公表にあることを、彼らは正確に理解しているのである。だからこそカウントダウン下、彼らはためらうことなくパス・キーの確定に全力を傾ける。

人間としての信を貫き通す正義漢の日本人、Tankadoを作り出したダン・ブラウンに、親近感を抱いてしまった。しかもアメリカ最大の権力機関を手玉に取るのだからこれは日本人の私にはこたえられない。それだけに、日本に関する事柄について、心こまやかな配慮が欲しかった。例えばEnsei Tankado、どのような漢字を当てはめたらいいのだろう。

広島、長崎に投下された原子爆弾がこの物語の大きな『鍵』になっている。ところがこの原子爆弾に関する科学的記述に『つじつま合わせ』を持ち込んでいることに、些か引っかかる。それに眼をつぶってであるが、指輪に刻まれた文字が解読されて文章になり、これがパス・キーの求め方を指示している。その時点でパス・キーが何であるかが私には分かった。ところがこの作品では、NSAが最高の頭脳が結集してパス・キーまで到達するのに、さらに15ページを費やしているのである。

私は不世出の天才なのだと思った。(冗談ですよ!)