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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

原子炉を作った人と動かす人

2011-03-27 20:03:53 | Weblog
以前に東京電力をあまりにも知らなさすぎた 関西電力は?なんて記事を書いた。ところがこの記事を読み返しているうちに、私は東京電力の実像をまだ理解出来ていないことに気がついた。それは私が次のように書いていることからも分かる。

東京電力にはすべてを知る生え抜き、たたき上げの技術者集団があって、その束ね役のトップ技術者が原発を動かす要の位置にいるのだろう、と私は勝手に想像していた。それがたとえば福島原発ならその所長であろうし、また本社では技術担当重役であろうと。原発とともに育った経験豊かな技術者が緊急時に指揮を掌握してこそ始めて迅速な対応が可能になる。だからこそ日ごろからその態勢で非常事態の訓練をしていたのであろうと思っていた。ところがいろいろと洩れ伝わる情報では東京電力のトップに技術系が不在とか。それに現場で実際に作業しているのはメーカーである東芝とか日立の技術者であるとか。では束ねているのは誰なのだろうか。

この強調部分であるが、まさに私は実像とは異なることを勝手に想像していたようなのである。では何が実像なのかであるが、その前にそもそも東京電力は何をする会社かを明らかにしないといけない。それは簡単、東京電力は電気をつくって顧客に販売する会社なのである。そう考えると私の頭も少々整理されてくる。

話が変わるが、現役時代に私が最もお世話になった測定装置といえば、化学物質に特有に吸光スペクトルを記録するいろんな種類の分光装置であった。その一つがCary 14 UV/Vis/NIR Spectrophotometerで米国からの輸入品であった。最初にお目にかかったのは創設時の阪大蛋白研にある佐藤了先生の研究室で、測定試料を持っては当時中之島にあった阪大理学部から蛋白研まで日参したものである。その後私たちの研究室でもCary 15型分光器を購入することになり、摂氏20度に保った恒温恒湿の測定室におさまり、私がそのお守り役を買って出た。日常のメンテナンスなどはなんとかこなせたが、手に負えないトラブルは巡回してくるメーカーの技術者に頼らざるを得なかった。その技術者の仕事ぶりの凄いこと、いったん仕事を始めたら食事も摂らずに一心不乱に装置に取り組む。日本人を遙かに上回る勤勉さに度肝を抜かれた覚えがある。私も四六時中付き合って習得するものを逃さないように心がけたが、へとへとになってしまった。出張修理費がかなり高額だったと思うが、十分それに値する仕事ぶりでトラブルは見事に解決された。

なぜこのような話を持ち出したかというと、東京電力にとって原子炉や発電機はメーカーの製品で、私にとっての分光器のようなものではないのか、と思い始めたからである。単純ではあるがこのように類推すると、東京電力は原子炉や発電機を買ってそれを動かすだけが仕事という考えが成り立つ。原子炉に発電機、さらには発電設備すべてが東京電力にすればメーカーからの購入品である。正常に動くのが当たり前で、なにかトラブルが起きるとそれを修理出来るのもメーカーである。

ではこの原子炉の性能・仕様について、主導権を握るのは作る側か使う側の何れなのだろう。使う側としては出力がこれくらいで、この程度の地震には耐えるようにとしか言いようがないのではなかろうか。それとも東京電力側に性能・仕様について、メーカー側とも対等に渡り合って一緒に設計から出来る専門家・技術者集団が存在するのだろうか。私はそういう状況を想像したが、実際は注文はつけながらも、メーカーの売り込むものを買うだけになっていたのでは、と思うようになった。それは最近のThe New York Timesが、ロシアの国営原子力会社Rostomがチェルノブイリを経験したからこそ作ることの出来る安全な原子力発電所を謳い文句に、中国、印度をはじめ発展途上国にセールス攻勢をかけていると報じていたからである。そのRostomは福島原発事故の発生後、原子力協力協定を結んでいる米国と共同で地震の衝撃に対する原子炉の強度テストを数ヶ月中に終了することをはやばやと発表している。主導権を握っているのはあくまでもメーカーである。だから原子炉にトラブルが発生したときは製造責任のあるメーカーが対応するの当然で、福島原発事故現場でメーカーである東芝の技術者達が作業しているのであろう。

では原発の操業に関して東京電力の担う責任は何かと言えば、管理責任であろう。しかしその管理責任がどこまで及ぶかが問題である。火事が起これば消防署に急報はするだろう。では今回のように放射能洩れが発生すればどうするのだろう。元来なら放射能対策を施した消防隊に通報すればそれでよいのだろうか。この辺りになると次第に分かりにくくなる。私は福島原発に放射能防御の作業車両がなかったのかなんて、東京電力を決めつけるような言い方をしたが、東京電力側にしてみるとメーカーが地震にも耐えられると言ったから買ったまでで、地震で原発が壊れたら修理するのはメーカーの仕事、という認識だったのだろうか。そう言えば3月26日付けのThe New York Timesに次のような記事(抜粋)があった。

Nuclear Rules in Japan Relied on Old Science
By NORIMITSU ONISHI and JAMES GLANZ

After an advisory group issued nonbinding recommendations in 2002, Tokyo Electric Power Company, the plant owner and Japan’s biggest utility, raised its maximum projected tsunami at Fukushima Daiichi to between 17.7 and 18.7 feet ― considerably higher than the 13-foot-high bluff. Yet the company appeared to respond only by raising the level of an electric pump near the coast by 8 inches, presumably to protect it from high water, regulators said.

“We can only work on precedent, and there was no precedent,” said Tsuneo Futami, a former Tokyo Electric nuclear engineer who was the director of Fukushima Daiichi in the late 1990s. “When I headed the plant, the thought of a tsunami never crossed my mind.”

私には信じがたい話であるが、海に面した福島第一原発の所長ですらこの程度の認識だったのである。しかし考えてみれば津波も地震と同じく、一原発所長が考えていたからとてどうなることではない。それ以前の問題であろう。そうなると福島第一原発を作ることを決めた時点での話に遡ることになる。かれこれ半世紀前のことになるから、今とは事情が大きく異なるかも知れないが、東京電力が福島に原発を作りたいと思っても原子力が絡むだけに必ずや政府の認可が必要であっただろう。それ以上に地元の協力無くして実現は不可能であっただろう。その折衝過程で当然地震、津波に対する備えが問題になったことだろう。そうすると地震学者、津波学者がどこかで顔を出したことであろう。どのような意見でそれがどのように生かされたのだろう。(すでに行われているのかも知れないが)ぜひ検証が必要である。いずれにせよこの時点で、究極的な責任が政府、経産省にあるような気がし始めた。もしかして東京電力は「哀れな」存在で、そもそもが「スケープゴート」的存在だったのかも知れない。