日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

私がヨウ素131の「内部被曝者」だった話

2011-03-25 14:07:09 | 昔話
誤解を生まないように最初にお断りしておくが、これは私は40年ほど前にバセドー病に罹り、放射線性ヨウ素内用療法(アイソトープ療法)を受けたときの話なのである。

その頃はいろんな体調不良に悩まされていた。一番困ったのは研究室で試験管に液体試料をピペットで入れようとすると手がブルブル震えて、ピペットの先端が試験管の口になかなか入らないことであった。また声が出なくなって、研究室仲間とは力を振るってかすれ声を出し、なんとか用を足した。しかし市中に出て店などで店員に一生懸命話しかけようとすると、時には変な目つき・態度が戻ってくることがあった。明らかに差別的な扱いを受けていたのである。風呂でも浴槽に入るのが一苦労であった。足が自分の意思で思うように上がらない。両手で足を持ち上げなんとか浴槽内に入れる始末だった。そうこうしているうちにある朝目が覚めたところ、身体が縛られたように身動きが一切出来なくなった。仕方なく大学は休み半日ほどそのまま堪え忍んでいるとようやく縛りが解けてきた。数日経つとまた繰り返すものだから、ついに妻が嫌がる私を近くの総合病院まで引き連れていった。甲状腺が肥大しているとのことで、甲状腺疾患の専門病院である隈病院を紹介され、そこでバセドー病と診断されて治療を受けることになったのである。

バセドー病とは一口に言うと肥大した甲状腺から過剰に分泌された甲状腺のホルモンの引き起こす疾病である。肥大した甲状腺が声帯を圧迫するものだから私の場合は声が出にくくなり、また細胞内へのカリウム・イオンの取り込みが亢進するものだから低カリウム性周期性四肢麻痺が現れたのである。したがって治療は血液中の甲状腺ホルモン濃度を下げればよいので、甲状腺ホルモンの産生を抑える薬剤を服用したり、また甲状腺組織そのものを放射線で破壊して甲状腺を縮小させ、ホルモン産生を抑えればよいのである。後者が放射性ヨウ素131を用いたアイソトープ療法なのである。私の場合はまず抗甲状腺剤を毎日服用して経過を観察の上、さらにアイソトープ療法を受けたのである。といっても放射性ヨウ素131のカプセルを飲むだけの実に簡単なものであった。

その数日後、ふと思い立って隣の研究室に出かけた。アイソトープを使った実験をしているのでガイガー-ミュラー・カウンターが備えられていたからである。試しに頸部に当てて貰ったところバリバリバリと実に凄まじい音が出た。たしかメーターが振り切れたのではないかと思う。念のために身体全体を探ってみたが、放射能はものの見事に頸部に局在していた。私は放射線怪人の呼び名を欲しいままにしたが、一面では放射線を浴び続けたキュリー夫人を思っていささか昂揚した気分を味わっていたようである。とにかく私の専門分野の「Biochemical and Biophysical Treatments」を受けているなんて、嬉しそうに吹聴していたのだから。

今から考えると気になることがあった。カプセルを服用後も私はどこかに隔離されることもなく、自由に歩き回り人とも普通に接した。その頃研究室で放射性物質を扱う場合はそれなりに厳しい取り扱い規定があって、仲間内ではだから米国に負けてしまうなんて話が流れていたくらいである。米国の研究室では放射性物質を含んだ溶液を間違って実験台上にこぼしてしまっても、ティッシュペーパーでサッと拭いてゴミ箱にポイッと捨てたらそれで終わりだから、と言う類の話である。今の様子が気になったので隈病院のホームページを見ると、次の説明のようにそれなりの対策が採られているので納得した。

●バセドウ病の放射線性ヨード内用療法(アイソトープ療法)

バセドウ病の治療には、抗甲状腺剤を内服する内科的療法、手術する外科的療法、そして放射性ヨードを内服するアイソトープ療法の3つがあります。日本では放射線という言葉のせいかアイソトープ療法をためらう方が多いのが現状ですが、欧米ではバセドウ病の治療にアイソトープ療法が最も多く選ばれています。アイソトープ療法はとても安全でよい療法です。
1回内服するだけで甲状腺は少しずつ小さくなり、6か月後には約50%の方でおくすりの内服が不要になります。残りの半数の方は甲状腺機能低下症になりますが、甲状腺ホルモン剤を内服すれば生活に支障はありません。手術などに比べ身体的な負担が軽く、再発が少ないのが特徴です。甲状腺に取り込まれた放射性ヨードはどんどん減っていき体外に排出されます。主に外来で治療ができ、投与量が大量になる場合のみアイソトープ療法専用病室へ数日間入院が必要になります

ところで私はいったいどれぐらいの放射性ヨウ素131を投与されたのだろう。「Harrison’s Principles of Internal Medicine」で調べてみると次のようなことが分かった。

 The usual therapeutic use of 131I [approximately 5.9 MBq(160 uCi)per gram of estimated gland weight] leads to a high frequency of hypothyroidism. (中略) Others have administered smaller doses [approximately 3.0 MBq/g (80 uCi/g)].

私の場合は全体の経過からして少ない方の線量だったとする。甲状腺の重さを肥大を考慮して18 gだとすると総放射能量は3.0 x 18=54.0 (MBq)、すなわち54,000,000 ベクレルである。23日に東京都水道局が乳児の飲用に適さない濃度の放射性ヨウ素が検出されたと発表したが、その検出濃度は1キロ当たり210ベクレルであった。54,000,000 ベクレルに達するにはほぼ257トンの水を飲まないといけないことになる。放射能量を細胞破壊能が疑わしい百分の一に下げても2.5トンの水を飲まないといけない。だから少なくとも放射性ヨウ素については状況がさらに悪化しない限り、飲み水の心配は要らないと言ってもよかろう。さらに次のような事実に注意を払う必要がある。The New York Timesの「Radiation in Tokyo's Water Has Dropped, Japan Says」というDavid Jolly記者の24日の記事の一部である。

Japan’s limits on iodine 131 are far lower than those of the International Atomic Energy Agency, measured in a unit called a becquerel. Japan says older children and adults should get no more than 300 becquerels per liter while the I.A.E.A. recommends a limit of 3,000 becquerels. Greg Webb, an I.A.E.A. spokesman in Vienna, said he could not immediately provide his agency’s recommendation for infants. The level that raised the alarm for infants on Wednesday was 120 becquerels; that had fallen to 79 on Thursday, according to the Tokyo city authorities.

放射性ヨウ素に対する許容基準が子どもと成人に対して国際原子力機関の基準がリッター当たり3,000ベクレルであるが、日本ではその十分の一の300ベクレルに設定されているとの指摘が目にく。乳幼児についての国際基準については触れられていないが、それなりの理由があるにせよ、少なくとも成人に関して、そして恐らく乳幼児に対しても、日本がきわめて厳しい基準を設置していることが今回の「騒動」を引き起こしたとも考えられる。日ごろ、厳しい基準を設けているのを誇るのはよいとしても、今回のような緊急事態になると作業員の被曝線量を100シーベルトから一挙に250シーベルトに上げたりするのだから、基準もいいかげんなものである。見かけの厳しい設定なんて混乱を招くだけではないか。ほとんどの車が80キロ以上で走っているようなよく整備された道路の速度制限を60キロにして満足している感覚とよく似ている。

私のバセドー病は一回のアイソトープ療法と、2年あまりの抗甲状腺剤の内服でなんとか制御下に置くことが出来たようである。この40年ほど不調を覚えたことはなかった。アイソトープ療法の有効性が実証されたわけであるが、一方、たとえ治療目的であれ組織細胞を破壊してしまったことは事実である。ちなみに54,000,000ベクレルをシーベルトに経口摂取の実効線量係数0.000,000,022を掛けあわせて単純に換算すると1.19シーベルト、すなわち1,190ミリシーベルトになる。詳細が分からないので推測であるが、福島第一原発の復旧作業現場で今よりも放射能が増加するような事態が発生すれば、この程度の被曝が起きうる可能性が現実のものになる。作業員の方々はあらかじめヨウ素剤を服用して甲状腺を安定なヨウ素で飽和して防御するなど、万全の策を取っていただくことを切にお願したい。