日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

60年安保闘争の岸首相に孫の安倍首相を重ねてみると

2007-08-03 16:43:39 | 社会・政治
この度の参議院選挙で安倍首相が「私と小沢さん どちらが総理にふさわしいか」と有権者に問いかけた。テレビにこの場面が何回となく映し出される。喋っているのが安倍首相のそっくりさんでないとすると、安倍首相は間違いなくこの参議院選挙が政権選択選挙であることを自ら表明したのである。しかしその結果自民党が惨敗したにも拘わらず、政権の座にしがみついている。君子豹変、と書きかけたが、これは少なくとも君子と目されている人物に呈される言葉、安倍首相にはどのような言葉を投げかければよいのか言葉を失うが、あれやこれやといいぬけて職に留まろうとするのは明らかに国民を騙したことになる。

安倍首相が選挙惨敗後、何のために首相経験者を歴訪したのかピンとこないが、中曽根元首相が「一番困難な時に政治家の本領が発揮される。一番いい例が岸先生。(孫の)あなたにできないはずがない」と語った真意ぐらいは分かる。60年安保闘争で退陣に追い込まれた岸元首相を喩えに出して、「早くお辞めなさい」と中曽根さんは云っているのだ。それが安倍首相に伝わったとは思えない。そう言えばお祖父さんの岸元首相も「声なき声」は聞こえるのに、「声ある声」は耳に入らない異能の方だった。

安倍首相に届かなかった中曽根さんのメッセージが、私の古い記憶を甦らせた。もうかれこれ半世紀近くも前の60年安保闘争の歴史の一齣に私も参加し、その記録がある形で残されていることを思い出したのである。そこで昨日(8月2日)地元の図書館に出かけた。1960年(昭和35)の新聞記事を探すためである。

ところで60年安保闘争といわれてもなんのことか、多くの方にはお分かり頂けないと思うので、日本史広辞典(山川出版社)から「安保闘争」を引用させていただくことにする。

《アメリカと日本との同盟関係の根幹である日米安全保障条約の改訂に反対する闘争。日米安保条約は1951年(昭和26)調印、52年4月に10年ごとの検討を前提に発効したが、最初の継続期の60年安保闘争が有名。この条約は日本に再軍備を要求するものと一般にうけとられ、59年3月、社会党・総評・原水協などが安保改訂阻止国民会議を結成、共産党もオブザーバーとして参加。58年12月に誕生したブント系全学連も反対運動に全力をあげた。60年に入って国会周辺はこれらの抗議デモが連日渦巻き、最大の盛り上がりをみせた6月15日の全学連の国会突入闘争の警官隊との衝突中で、東大三年生樺(かんば)美智子が死亡した。新安保条約は6月19日参議院で自然承認されたが、予定されていたアイゼンハワー米大統領の来日は樺の死などの衝撃によって中止され、岸内閣は退陣。(後略)》

これだけでは一部の活動分子による政治闘争であったかのようにも見えるが、これは日本の社会を大きく揺り動かした大事件で、実は大学も大揺れに揺れたのである。その有様を伝える当時の新聞記事をいくつかお目にかける。

先ずは6月3日の湯川秀樹博士の個人声明である。国会解散を要求されている。



東大でも6月3日には708人の大学教官が国会解散を要求している。



東大のみならず、紙面には立教大学、宇都宮大学、群馬大学医学部教授団と付属病院の医師など、山形大学文理学部、名大文学部、富山大学、宮崎大学、岡山大学、愛媛大学、松山商大、和歌山大学、京都大学、立命大学、同志社大学などの大学名が記されている。教職員が国会解散の要求を出したのである。

当時私が在学していた大阪大学も人後に落ちない。6月4日の全学ストを打ち出している。



そして6月4日午後には、キャプションにも「午後のスターは文化人、教授といわねばならないほど」と書かれるぐらい、大学人に学生が御堂筋を埋め尽くした。この中のどこかに私もいたのである。



安倍首相に退陣を直言しなかった自民党所属元首相に較べて、昔の総理経験者は骨があった。吉田茂氏を除く戦後の元首相全員が6月7日午後、岸首相になんと退陣勧告文を手渡しているのである。



「現在の重大な政情を憂慮し、かって国政を担当したものの立場から慎重な検討をつづけてきた。わが国の民主政治の危機を憂うる国民の声は未曾有のものがあるが、それにもかかわらず事態が深刻化の一途をたどっている。その根源は国政担当者が大局的見地からの解決をはかっていない点にある。すなわち岸首相退陣がすべてに先行しなくてはならないとの結論に達した。われわれの立場として軽々に発言すべきでないと考えてきたが、事は急を要するので、あえて岸首相に勧告することを決定したのである」がその要旨である。実に正論ではないか。

そして、私の探していた記事が登場する。最初に探したときは見逃していったん書庫に返却したものの他の新聞を探しても見つからず、再度借り出してようやく見付けることが出来た。



ある大手新聞社が開いた座談会の記事である。日付は6月14日。「明日15日、総評を中心とする安保阻止国民会議は6・4ストを上回る全国規模の実力行使を行う。参議院は自民党のみの単独審議を続け、安保は自然承認になる形勢はいよいよ強い。アイクはきょうフィリピンに着く。さる5月20日の安保強行採決以来日本をおし包んだ”黒い霧”はますます厚く、いよいよ暗く国民のまわりに立ちこめて一人一人の胸に日ごとにドス黒いオリになってたまっていっている。いいかえると岸政府のスケジュール、国民の広い層の反対運動、この二つはどこまでいっても一つになりえないという危機感が一日一日たかまっているような感じだ。この事態を青年たちはどう身体にうけ、どう打ち破ろうとしているか聞いてみた」というのが座談会の主旨である。出席者は25歳から29歳までの銀行員、会社員、労組書記、大学院生、看護婦の5人で、この大学院生というのがかく申す私なのである。

どういう成り行きで座談会に出たのか覚えがないが、新聞社が大学に推薦を求めてそれが回りまわって私のところに来たような気がする。大学院に進んだ以上、他のすべてを擲って研究に精進すると覚悟を決めたはずなのに、まだまだ血の気が残っていたらしい。「ふだんいそがしくてデモにでていくことはできないが、4日にははじめてでかけていった」と発言しているので、やっぱり真面目に仕事をしていたのだと胸をなでおろした。新聞は皆の目に触れるからすぐにバレル嘘をいうはずがない。真実を語っているのだ。

そして翌6月15日夜に全学連主流派が国会構内で警官隊と乱闘になり、双方で400人を越す重軽傷者が出来、女子学生が一人亡くなった。警備・治安に確信が持てなくなった政府は結局19日に訪日の予定されていたアイゼンハウアー米大統領に訪日延期を要請せざるを得なくなり、訪日が取りやめになった。

それでも大学人は執拗であった。大阪大学でも次のような声明が相次ぐのである。





私にとって昔懐かしい先生方のお名前オンパレードである。



これを阪大医学部学生と見間違ってはいけない。「岸内閣即時退陣、国会解散」の声明文に署名しているのは、医学部教授25人のうち19人をはじめ助教授、講師、助手ら272人なのである。学生は含まれていない。先生も勇ましかった。

そこでつい調子に乗って云わせていただくと、今の大学には自分たちだけの狭い世界に閉じこもり、お金集めに血道をあげては仲間内の評判のみを気にする器の小さな人たちが、学者の代表面をしているようなことがないだろうか。社会の全般に目を向けてもっと社会常識を磨き、それをより活力のある大学作りに役立たせていただきたいものである。

新安保条約は6月19日午前0時、参議院で自然承認となり、23日に批准書が交換されて発効した。岸内閣が総辞職したのは7月15日であった。

岸首相は6月に予定されているアイゼンハウアー米大統領の訪日に合わせるために、衆議院で十分な審議を尽くさずに5月19日夜半、新安保条約を自民党だけの単独採決で承認した。これが安保闘争の大きな火種となったのである。国民の間で反対運動が高まってきた5月28日に首相官邸記者会見で岸首相は「声なき声に耳を傾けて、日本の民主政治を守っていきたい。いま騒いでいるのは、声ある声である」と語ったと伝えられる。そのDNAが優性遺伝で伝わったのか、安倍首相にはやはり「声ある声」が届かないようである。だからこそこれまでの不祥事の処理が後手後手にまわったと思えば頷けられる。遅ればせながらご自身の最後処理もそのうちに仕上げていただきたいものである。

ところで問題はポスト安倍である。上記の座談会の記事が私の次のような発言で締めくくられている。



「岸さんが辞めたからといって」の部分、岸を安倍に、社会党を民主党に置き換えてもまったく違和感がなく読めると思う。死に体安倍内閣には一刻も早くご退場願いたいものである。