5月9日 帰りの新幹線は4時44分発だから、たっぷり時間があります。観光タクシーたのんで金沢港へ行くことにしました。
日本海を見るの久しぶりです。外国からの船も入る港があり、長い歴史と豊かな文化のある古都金沢はイスタンブルと似ています。日本海が黒海に見えてきました。
日本海の幸がいっぱい「いきいき魚市場」へ
とれたてのお魚がいっぱいの市場。ますますイスタンブルみたい。近江町市場はいろんなところからお魚が入っているけれど、この市場は近海ものだけですって。
新鮮なお魚は買えませんから、半生ものを少し買いました。
からくり紀念館はおもしろかったです
大野町の「からくり紀念館」は、からくり人形だけでなく、初期の写真機やラジオ、エレキ、のぞきからくり等々、おもしろいものがいろいろ、体験コーナーもたくさんあって結構遊べます。
館のロビーで、からくりの茶運び人形の実演を見せてくれます。ぜんまい仕掛けのお人形さんがちょこちょこと、お茶を運んできてくれました。実演者の副館長さんが、お人形のハカマをめくって、ぜんまいと歯車の構造をみせてくれました。
これはでんぐり返しをする唐子人形。生きているように動きます。
幕末の科学技術者・大野弁吉がつくった貴重なからくり人形。かわいい顔しています。
大野弁吉(1801~1870)は若いとき、長崎で理化学、医学、天文、暦、鉱山、写真、航海学など学び、朝鮮に渡り、帰国後、大野村(現大野町)に住んで、研究と製作の日々を送りました。
弁吉の弟子の米林八十八のお人形が入館者をお出迎え。
からくり記念館周辺を出ると、こんなきれいな庭園があります。
銭屋五兵衛紀念館と銭五の館
銭屋五兵衛(1773~1852)の館です。豪商・銭屋五兵衛の本宅の一部を移築したもの。「加賀百万石の経済を支えた海の豪商」と言われる銭屋五兵衛ですが、その最期は濡れ衣を着せられ獄死。ドラマティックな生涯でした。紀念館には1845年に造られた船の4分の1の模型がありました。
囲炉裏のあるお座敷。父の生家の埼玉の家を想いだしました。
2階のお座敷。五兵衛は風雅の道にも親しみ、詩や俳句もよくしたといわれます。
大野はお醤油の町ですって
昔からお醤油やお味噌がつくられていたそうで、古い建物が映画のセットのようです。
あら~、江戸時代みたい。
顔をのぞかせているのは妹夫婦です。
お醤油入りソフトクリームが、大野町の名物のようです。私は「気持ち悪い。食べたくな~い」ですけれど、妹はどんな味か食べてみると買って、「塩キャラメルみたいな味」と言っていました。
お醤油関係商品を売ってるショップがあって、お客が大勢入っていました。
いろんなお醤油の味見ができます。お醤油の味もきわめれば深いのでしょうけど・・・。
最後に「石川四高記念館」へ
一度ホテルに帰って、またまたお土産ショッピングしてから、最後に私たちが訪れたのは四高紀念館でした。金沢の旧制・四高は父の母校なのです。
緑にかこまれた赤レンガの建物が絵のようです。
昭和初期の金沢の町と白線帽にマントの四高生の写真。学生寮内部の模型もあって、父もこんな部屋で暮らしていたのかなと・・・
私の秘蔵の大正時代の四高生の寫眞。前列右端が、なにを隠そう、青春時代の私の父親です。当時は和服も洋服も両方着ていたようです。父も白線帽にマント、高下駄で、金沢の町を闊歩していた時もあったのですね。金沢の某写真館で撮った写真です。
昔の金沢の街の写真の前で妹と。
PM4:44の新幹線で東京へ
東京着8時ジャスト。楽しかったね~と、ミニーも満足そうです。
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