木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

教育について

2004-07-30 01:45:26 | インポート
 思えば教育の成果というものは、その過程にある時よ
りも、その時が過ぎてからしばしの歳月を経てから醸成
されるように滲み出てくるものかもしれない。
 その時空に重ねた時間が、その人の見る風景や意志、
或いは方向性などを自ずと形作っていくものだろう。

 教え育む、教育は洗脳とは全く異なる全ての柱である。

 ふと、新島襄の記した大学設立の旨意を見た。
「私は敢えて私の赤心を開陳して、全天下に訴え、全国民の
 力を籍り、以て私の年来の宿志を達っせんと欲す。
 勿論この大学よりしては、或いは政党に加入する者もあらん
 或いは農工商の業に従事する者もあらん、或いは宗教の為に
 働く者もあらん、或いは学者となる者もあらん、官吏となる
 者もあらん。
 その成就する所の者は、千差万別にして、敢えて予め定むべ
 からずといえども、これらの人々は皆一国の精神となり、元
 気となり、柱石となる所の人々にして、即ちこれらの人々を
 養成するは、実に同志社大学を設立する所以の目的なりとす。

 一国を維持するは、決して二、三英雄の力に非ず。実に一国
 を組織する教育あり、知識あり、品行ある人民の力によらざ
 るべからず。これらの人民は一国の良心ともいうべき人々な
 り、私はこの一国の良心ともいうべき人々を養成せんと欲す。
 私が目的とする所、実に斯くの如し。」

 母校の、というよりも歴史資料として私は見ている。今日、
私達が教育だと思い込んでいる姿は案外、教育ではない。教育
はここに述べられているように、もっと素朴で純粋な志から出
ているものではないか、と思うのである。

 この志は学校を建てる趣旨のみならず、今や、国を成すべき
ものにも当てはまるだろう。
 国が建つためにはこういう気持ちが必要なのだろう。

コメント
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