木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

言葉、文書、文章

2004-07-04 23:46:37 | インポート
 果たして相手がどういう真意でその言葉を出したのか、
判断する側の感覚とひだ、様々な哲学や背景次第で微妙
な趣旨の相違が生じ、それが違う解釈を生むと政治問題
に発展したり紛争になることがある。

 「日出づる処の天子、書を日没する処の天子にいたす。
  つつがなきや。」
 
 あまりにも有名なこの文書、607年に当時の我が国・倭国
の政権が隋の皇帝に送った国書である。この文書がもたらし
た結末もあまりにも有名で、隋の皇帝はあきれ果てて二度と
このような無礼で野蛮な国使は相手にせず、このような国書
は見せるなと述べたという。
 差出人は果たしてどのような意図でこの文書を書いたのか。
教科書で習った解釈としては、太陽が昇る東側にある私達の
国が太陽が沈む方角にある国のあなた方に書をおくりますと
いうものであるが、果たしてそうだろうか。
 太陽が昇る方角にある私達は太陽が沈む側の方角にある
あなた方のところまで書を届けに参りました。それだけ遠く
離れた距離にある私達があなた方に書を持ってやって参りま
した。私にはこのような息吹が感じられるのだが、当時の人
の真意はどうであったのかは分からない。
 しかし隋の皇帝が後者の意味に感じていたならば気分を害
することはなかったのではないか。

 又、西南戦争勃発直前に明治政府が発した電報がある。
「サイゴウ ヲ シサツ セヨ」
 というものである。
 これは視察なのか刺殺なのか一触即発の状態にあった当時
の空気ではどちらにも解釈が出来、これが当時の薩摩人を刺
激して暴発に到らしめたとも言われている。

 今の時代。
 世の中を的確に映す言葉や文書、文章が大きな意義を持つ。
 それは地域、国の内、国の外、外交などと立場や分野を問わ
ないものだとも思っている。

コメント
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