木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

悲惨さを忘れず

2004-07-15 10:04:50 | インポート
 非核平和行進に参加する。
 戦争を知らない世代が大半を占めるようになり、やが
ては戦争の悲惨さを体感した方々が世を去ってしまうと
悲惨な過ちが繰り返される・・・そういう危機感を抱き
ながら日々を過ごしている。
 日本の国是は平和である。

 私は幼い頃から出兵された高齢者の体験談を聞く機会
に恵まれていた。零戦の実物も故郷の沖に浮かぶ島に展示
されていたので、このような小さな金属の構造物の中に
先人は入り込んで空に散って行ったのかと想像して震え
た記憶がある。どこかで人間魚雷の実物も見た。二度と
戻れない片道切符の海底で海の藻屑と消えた若者の無念
を思うとき、胸が痛んだ。
 私の故郷の沖に浮かぶ島では旧日本軍により毒ガスが
製造されていた。戦時中、その島は地図から消されていた。
 実際に毒ガス製造に従事していた高齢者の体験談も幼い
頃によく聞いた。

 鹿児島県の知覧には特攻隊の出撃基地があった。悲惨と
いう言葉以上の悲惨さをこれほどに物語る場所はない。

 若い世代にも太平洋戦争があったということすら知らな
い者もいれば、少なくとも戦争体験のある方々から生々しい
体験談や映像を見て育った若い世代もいる。
 私はそういう語りを聞いてきた若い世代として、悲惨さ
を忘れないよう努めていきたい。
 政治の究極の姿や場面は、いかにして戦争を回避するか
ということであると私は思っている。

 ただ、平和というものは与えられるものではなく、勝ち取る
ものでもあり自ら得るものでもある。変転し続ける国際情勢
の中で、いかに平和を守るのか、現実的な対応の中で難しい
舵取りが求められる。
 現実的な対応の中で平和というものは何か、市民や国民の
命を守るということはどういうことなのかを考えていく必要
がある。

 ヒロシマとナガサキの心があれば、道を誤ることはないと
信じていたい。

コメント
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