木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

空洞化しつつある世の中

2004-07-21 13:37:35 | インポート
 どうしてこのような時間帯に中学生がうろうろしている
のか、という場面をあちらこちらで目にすることがある。
親は子供はきちんと登校していると思い込んでいる例も
ある。しかし、親の前だけで学校に出向く振りをして、そ
のままどこかで時間を過ごしている。
 街の人が「学校に行きなさい」と促したら、よってたかって
罵声や暴言を浴びせられて、もう二度と注意もしないしかかわ
りたくないと気を悪くされている人の話もきいた。
 男子生徒、女子生徒を問わない言動だという。

 先日、ある街を歩いているとヘルメットをかぶっていない
若い男性が交番の目の前にある信号が赤であるにもかかわらず
故意にバイクを発進し、大きな音を立てて通行した場面を目撃した。
 交番には警察官がいたが、机で事務作業をしており、結局
若者は交番前を飄々と信号無視でへルメットも無しで通り去って
いった。
 私は不快感を覚えて、はてと考えてしまった。

 今の時代に歴史の教訓もあり、かつての「国家」という姿には
陥ることはかなりの確率で有り得ないだろう。当時と違って今や
世論というものがあり、市民や国民の見識や、国際社会の視線も
ある。従って、道を誤ることのないように常に注意をしながらも
正しい権力は必要で、正しい方向に強化すべきではないか、と
正直、思いを巡らせている。
 世の中には、正しい規律と秩序、そして正しい力が必要である。

 そして同時に、被害者の権利の確立を急ぐ必要があるとも
考えている。
 まだまだやるべき課題は多い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気候変動と津波、水害

2004-07-19 01:35:17 | インポート
 空梅雨のままついに梅雨明けになった。しかし新潟や
福井では局地的な集中豪雨が降り続き甚大な被害が出て
しまった。この数年来、どこか気候が変動している。
 植林などによる山々の天然林の減少による治水力の低下
と河川の堤防決壊で街そのものが川になってしまう事態
が目に付く。被災地の一刻も早い復旧を願う。

 FOXの映画で、「The Day After Tomorrow」が上映
されている。この映画は氷河の解氷による海流の温度変化
によって地球規模の気候大変動が生じ、ニューヨークを
豪雨と津波が襲い、その後で氷河期並の気候になり、多数の
犠牲者が出る中で、混乱する人々の姿が描かれている。
 この映画には京都議定書も出てくる。東京都千代田区も
役者や描き方は中国になっているが被害地域として出てくる。
 環境や気候について考えさせられる一本である。

 例えば近畿圏を考えてみる。
 大阪府は海に面しており、広範囲な津波が襲ってくれば
ほとんどが被害を受ける。河川の堤防決壊も生じれば、地下
の繁華街は数分で水没し、逃げ遅れた人々による多数の犠牲者
が出てしまう危険性が高い。
 地球温暖化が進み海水の潮位が高くなる可能性も充分に予想
され、幾つもの断層を抱える近畿地方においては大地震と大津波
に襲われる危険を常に想定しなければならない。

 こういう想定は考えすぎても考えすぎということはない。
 自治体の広域連携による防災対策の充実が求められる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

保守と革新

2004-07-16 10:36:58 | インポート
 保守と革新という言葉がある。政治という視点で世間
を見る時にしばしば使われる言葉である。特に年輩の方々
ではこの言葉の頻度が高いように思える。
 しかし、「保守」「革新」という区分けでは当てはまら
ない人も多くいることも事実だろう。あなたは保守です、
あなたは革新です、と断定されたら少し違うのではないか
と考えてしまう。

 保守とは、古い慣習を保存し伝統・風習などを重んじる
ことである。革新とは、組織や制度などを新しくすること
である。固定観念を取り除き、私自身の目に映る姿として
政治を見た時に、「保守」「革新」という言葉に当てはまる
政党はない。
 つまり、「保守」「革新」という枠組みを構えること自体
に余り意味や意義を感じないのである。
 これまでの時代にはこの言葉が当てはまっていたのならば
少なくとも現在は違うように感じる。時代は変わっていると
感じるのである。

 どの分野にいようとも、日本のことを考えていくという
視点と感覚が大切ではないか。もっと自然に、もっと日常に。
 イデオロギーでもなく、特定の思想でもなく、利権でもなく
日本のことを考えていくということが現在のそしてこれからの
姿や政治の形であると思うのである。
 丁度、アテネ五輪の開催が間近になった。
 日本選手を応援する時のあの自然な気持ちは誰にも分かる筈。
 そういう気持ちで日本を、日本のことを考えていけば必ず
時代は拓けていくだろう。

 保守でもなく革新でもなく。
 日本を。
 自分達の国のことを。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲惨さを忘れず

2004-07-15 10:04:50 | インポート
 非核平和行進に参加する。
 戦争を知らない世代が大半を占めるようになり、やが
ては戦争の悲惨さを体感した方々が世を去ってしまうと
悲惨な過ちが繰り返される・・・そういう危機感を抱き
ながら日々を過ごしている。
 日本の国是は平和である。

 私は幼い頃から出兵された高齢者の体験談を聞く機会
に恵まれていた。零戦の実物も故郷の沖に浮かぶ島に展示
されていたので、このような小さな金属の構造物の中に
先人は入り込んで空に散って行ったのかと想像して震え
た記憶がある。どこかで人間魚雷の実物も見た。二度と
戻れない片道切符の海底で海の藻屑と消えた若者の無念
を思うとき、胸が痛んだ。
 私の故郷の沖に浮かぶ島では旧日本軍により毒ガスが
製造されていた。戦時中、その島は地図から消されていた。
 実際に毒ガス製造に従事していた高齢者の体験談も幼い
頃によく聞いた。

 鹿児島県の知覧には特攻隊の出撃基地があった。悲惨と
いう言葉以上の悲惨さをこれほどに物語る場所はない。

 若い世代にも太平洋戦争があったということすら知らな
い者もいれば、少なくとも戦争体験のある方々から生々しい
体験談や映像を見て育った若い世代もいる。
 私はそういう語りを聞いてきた若い世代として、悲惨さ
を忘れないよう努めていきたい。
 政治の究極の姿や場面は、いかにして戦争を回避するか
ということであると私は思っている。

 ただ、平和というものは与えられるものではなく、勝ち取る
ものでもあり自ら得るものでもある。変転し続ける国際情勢
の中で、いかに平和を守るのか、現実的な対応の中で難しい
舵取りが求められる。
 現実的な対応の中で平和というものは何か、市民や国民の
命を守るということはどういうことなのかを考えていく必要
がある。

 ヒロシマとナガサキの心があれば、道を誤ることはないと
信じていたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世の中を

2004-07-14 10:02:10 | インポート
 何かの分野では卓越した人達や、何かの技術について
は高度な素晴らしいものを持っている人達は多い。しか
し、その一つ一つの集合体としての「世の中」というこ
とになると何故か人々の力や意識が埋もれたり、発揮さ
れない不思議な現象を感じている。
 つまり、世の中をどうしていくのか、という発想があ
まり定着していないところが今の日本の弱点ではないか
と思うのである。

 私は典型的な無党派層の人間だった。政治にかかわる
こと自体を敬遠していた、そういう者だっただけに痛い
ほどにこの弱点がよく見える。
 そういう私が、現在、政治の道を歩かせて頂いている。
世間の感覚と既存の政界の感覚との間に、まだまだ大きな
距離と壁を感じている。常識と言われていることは常識で
はなく、正しいと思い込んでいることは正しくないことも
ある。
 こういう壁や距離がある限り、世の中、つまりは社会の
改善というものは到底おぼつかないだろう。

 時代は変わっている。世の中の幅が広がるようなことを、
政治の道に入ったのだから私はそういうことに挑戦したい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする