四月から五月・端午の節句の季節になると、例年のことであるが「うつろ庵」の君子蘭が咲き誇る。ほゞ一ヶ月に亘り、淡い黄丹色の花をつけて愉しませてくれる。
嘗て、「うつろ庵」の門被り松や植木の手入れを十余年に亘りお願いしていた、植木職人・定吉爺の忘れ形見だ。 植木職人の腕の確かさは、「松の剪定が全てを語る」との言葉があるが、彼の腕は見事であった。剪定後の門被り松の、シャキッとした 透かし葉の爽やかさが、爺の力量の程を物語って鮮やかであった。
「うつろ庵」の門被り松の新芽に、もくもくと花らしからぬ花を付けるのと、「定吉爺の君子蘭」が咲くのは相前後するが、松の手入れを終えて、鼻歌交じりに「君子蘭」の鉢を抱えて来たあの姿が、今も鮮明に瞼に浮かぶ。
定吉爺は「うつろ庵」の松がお気に入りであった。虚庵居士が若くして手に入れた分譲住宅ではあるが、格調高い門被り松を移植した。定吉爺はこの門被り松を、町内のシンボルとして仕立てたかったのではなかろうか。
門被り松の根方に君子蘭の鉢を据えて、ためつ眇めつしていた定吉爺の姿は、 虚庵居士にとってはつい昨日の情景だ。定吉爺がお亡くなりになって既に十余年。君子蘭が咲くと、毎年の事ながら当時が偲ばれる。
門被り松の手入れを終えた爺は
鼻歌交じりに鉢抱え来ぬ
爺の腕に君子蘭の花揺れるかな
確かめるらし 松との相性
爺逝きて十余年をも経にしかな
君子蘭の花 違わず咲くに
君子蘭は松の日陰ぞ安からむ
日向に咲けば疾く日焼けして
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