「おだまき」が椿の根元の鉢に咲いた。
どうしたものかこの花のイメージは、陽光が燦々と照らす世界ではなく、木漏れ日がさし込んで来る木影の雰囲気が相応しいようだ。虚庵居士が勝手に描くイメージの世界でのことだから、当らないと指摘する人もあろうが・・・。思えば、多分に静御前の歌による思い込みが、そうさせたのかも知れない。「しづやしづ賎のおだまき・・・」の歌は、この花とはかかわりもないが、「おだまき」と歌われた「糸取りの苧環」と、花の名前の「おだまき」がたまたま共通ゆえに、「おだまき=静御前=哀しみにくれる白拍子=木漏れ日」という観念の連鎖が、何時の間にか結びついたのかもしれない。
それにしても、おだまきの花の木漏れ日を受けて咲く姿には、相見ぬ静御前の、気品ある舞姿が偲ばれる。
義経を慕いて舞いつつ詠みたると
伝ふる歌のひびきかなしも
たまきわるいのちをかくごのうたなれば
まいひおおぎもたゆたひなからめ
木漏れ日を受けて咲くかもおだまきの
花の姿に 静御前見ゆ
光の当たり方に特徴がありますが
何か工夫されていますか?
ストロボは直接当たっていないようだし、
必ず順光で撮れるものでもないし・・
花が自ら光を発しているように感じます。
虚庵居士は、撮影技術といえるような技量は
何も持ち合わせておりませんし、
バカチョン・カメラですので皆様のような、
メリハリの利いた写真は撮影出来ないものと
当初から諦めています。
ブログをお訪ね下さる皆様に、すこしでも虚庵居士の
目に映った感動のお裾分けをしたいと願って、
その都度あれこれ写したものから選んで掲載
しております。
この「おだまき」は、鉢の位置を若干工夫して、
木漏れ日の当り方を調節しました。
ストロボを当てますと、色合いが損なわれますので
原則として自然光を大切にしたいと思っています。