Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

脱走兵ムニース

2007-09-13 03:16:58 | 中東
日曜日に突然衛星モデムが故障し、修理不能になった。

コミュニケーションの手段がなくなっては仕事にならないので、木曜あたりまで従軍する予定だったところをやむなく早めに切り上げて昨日イラクを後にしたのだが、しかしなんと言うタイミングか。。。故障したのが締め切り日の翌々日。これが数日前だったらエライことになっていたなあ。

以前にも書いたように、今回は写真のみならずビデオの編集、電送まで撮影と並行しておこなわなくてはならず、この時間のかかる作業のおかげで従軍中は一日4時間ほどしか睡眠がとれなかったのだが、昨夜は久しぶりにホテルの柔らかなベッドでゆっくり寝ることができた。

6月にはじめたこのイラクのプロジェクトは、ひとつのプラトゥーン(小隊)の米兵18人と、彼らの家族を数ヶ月ごとに追っていくドキュメンタリーだが、そのパート1と今回のパート2が先日トリビューンのサイトにアップされた。
http://www.chicagotribune.com/platoon

パート2のストーリーのひとつにもなっているが、僕らが今回イラクに戻ってくる直前に、この小隊から一人の脱走兵がでていた。

小隊のなかでも一番若い20歳のムニースが、8月に休暇でアメリカに帰ったきり、期間を過ぎてもイラクに戻ってこなかったのだ。(陸軍兵士には12-15ヶ月の派兵期間のうち2週間の休暇が与えられている)

米国での脱走の罪は重く、法的には死刑になる可能性もある。それほどのリスクを犯してまで、ムニースはイラクという戦場に戻ることを拒んだのだ。

6月にムニースと話をする機会があったが、彼は兵士になる前、麻薬の密売人だったという。マイアミに住んでいた彼は、儲けた金で豪遊し、ナイトクラブで一晩に2000ドル、3000ドルを使うことも珍しくはなかったらしい。

そんな派手な生活をしていた自称プレイボーイのムニースだったが、陸軍にはいってからは随分更正したようで、「もうあんなことはやっていられない」「落ち着きたい」とこぼしていたし、パトロールでは、歩兵としてバグダッドの街を歩くのが怖いので、車から降りなくていいドライバーを志願していたという意外に小心な面もみせていた。

彼はすでに妻の出生地であるメキシコあたりにでも逃亡していることだろう。スピード違反ひとつで捕まっても身元が割れてしまうし、正式に就労もできないので、アメリカで暮らしていくのは難しいからだ。

イラクで死ぬくらいなら一生逃亡者となるほうがいい、とでも思ったのだろうか。。。死刑のリスクを犯してまでなぜムニースが脱走したのかはわからない。いずれにせよ、彼の脱走は残された小隊の兵士たちには随分なショックだったようだ。

「あのくそったれ野郎。。。」兵士達の多く、特に彼と歳の近い若い連中はいまだにムニースを許せないでいる。派兵前の基礎トレーニング時代からイラクの戦場まで、苦労を分かち合ってきた彼ら「兄弟」たちにとって、ムニースの行為は 裏切り以外の何物でもないのだ。

残された兵士達の怒りはもっともだし、よく理解もできたが、実は彼らの話を聞きながら僕はちょっと冷めた頭で冗談半分こんなことも考えていた。

「一掃のこと米兵全員が脱走してしまえば、また世界も変るかな。。。」

(写真:軍用車の運転席でたたずむムニース)