自由のないフラストレーションに悩まされながらも、どうにかイラクでの取材を終え、今晩また空港にあるあの150ドルのコンテナ宿に戻ってきた。
明日の飛行機でドバイに戻る。
残念ながら、イラクではもう取材を終えてもその充実感など全くない。前にも書いたとおり、ほとんど自由に動けないから思うように写真が撮れない。今年1月に訪れたときもそうだったし、この治安ではもうどうしようもないのだ。
自分の力をだしきれない撮影はつらい。仕事が終わっても、くすぶったままだ。
このような状況が好転するまで、残念だが今度こそしばらくの間イラクには戻れないなと思う。
明日の飛行機でドバイに戻る。
残念ながら、イラクではもう取材を終えてもその充実感など全くない。前にも書いたとおり、ほとんど自由に動けないから思うように写真が撮れない。今年1月に訪れたときもそうだったし、この治安ではもうどうしようもないのだ。
自分の力をだしきれない撮影はつらい。仕事が終わっても、くすぶったままだ。
このような状況が好転するまで、残念だが今度こそしばらくの間イラクには戻れないなと思う。
その抑制の中にずっと監禁される(あるいは生活している)と、感性が押し込められてしまうのではないでしょうか?
そうなることが、とても危険だと思いました。
羽を持った鳥が、飛ぶことを忘れてしまうような感じです。
いま自分が、感性を失っていないかどうか、振り返ってみなくてはと思いました。
俺も感性を失っていないだろうか?と考えさせられました。