木工教室でゴミ箱を製作している。杉の細長い板を継いで幅広の板材にし、それを組み立てる、という手順で作業をしている。先週は大きいほうの側板を電動ヤスリで研磨した。磨いた表面は滑らかになり、手触りが良くなる。しかし、杉の場合、夏材と冬材では硬さが大きく異なるので、均一の負荷をかけて研磨すると夏材のほうが冬材よりも深く摩耗して、滑らかではあるけれど木目に合わせて波をうったようになる。今日は小さいほうの側板を磨いたのだが、手作業によって研磨し、平らになるように心がけた。
杉はひとつの素材のなかに夏材の柔らかいところと冬材の硬い部分とが同居しており、全体としては比較的柔らかく、加工は容易だが歪みも出易い。そうした性質の異なる部分が互い違いに並んでいるので、木目は鮮明で美しい。製作をしながら、研磨が終わった板を手に、眺め入ってしまうこともある。
季節の変化に応じて成長を続け、夏材、冬材と違ったテイストの素地を重ねていくが、夏も冬も毎年一様ではないので、木目は規則性を持ちながらも微妙に揺らぐ。その揺らぎがまた良い。これが等間隔で同じ夏材、冬材だったら、それはそれとして美しいかもしれないが、果たして心惹かれるものになるだろうかと疑問に思う。
去年の夏と今年の夏とは違うけれど、夏であることに違いはなく、去年の冬と今年の冬も、おそらく全く同じ冬ではないだろうが、それでも冬が巡ってくる。そのような予測可能性は安心感をもたらしているように思う。個人の生活という現場においては、一寸先は闇であり、不確実性のなかを不安を抱えながら、その不安を敢えて無視して生きているからこそ、微妙に揺らぎながらも規則性が現出することに心が落ちつくのではないだろうか。
杉の木目を眺めながらそんなことを思った。
杉はひとつの素材のなかに夏材の柔らかいところと冬材の硬い部分とが同居しており、全体としては比較的柔らかく、加工は容易だが歪みも出易い。そうした性質の異なる部分が互い違いに並んでいるので、木目は鮮明で美しい。製作をしながら、研磨が終わった板を手に、眺め入ってしまうこともある。
季節の変化に応じて成長を続け、夏材、冬材と違ったテイストの素地を重ねていくが、夏も冬も毎年一様ではないので、木目は規則性を持ちながらも微妙に揺らぐ。その揺らぎがまた良い。これが等間隔で同じ夏材、冬材だったら、それはそれとして美しいかもしれないが、果たして心惹かれるものになるだろうかと疑問に思う。
去年の夏と今年の夏とは違うけれど、夏であることに違いはなく、去年の冬と今年の冬も、おそらく全く同じ冬ではないだろうが、それでも冬が巡ってくる。そのような予測可能性は安心感をもたらしているように思う。個人の生活という現場においては、一寸先は闇であり、不確実性のなかを不安を抱えながら、その不安を敢えて無視して生きているからこそ、微妙に揺らぎながらも規則性が現出することに心が落ちつくのではないだろうか。
杉の木目を眺めながらそんなことを思った。