今日、岸本佐知子の『気になる部分』を読んでいたら、
”根掘り葉掘り”の”根掘り”はともかく、”葉掘り”って何なのだ?
それを言うなら”夕焼け小焼け”の”小焼け”とは、いったい何が焼けているのか?
”首の皮一枚でつながっている”って、それってすでに死んでいるのでは?
(岸本佐知子『気になる部分』白水Uブックス 37頁「シュワルツェネッガー問題」)
という記述に遭遇した。たまたま昨日、「首の皮一枚」というタイトルでブログを書いたばかりだったので、あれでよかったのかと疑問に思った次第である。手元にあるEX-word(デジタル大辞泉)によれば、「首の皮一枚」というのは「まだわずかな望みが残っていることのたとえ。」だそうだ。しかし、皮一枚でつながっているような首というのは、要するにもう死んでいるということだろう。落語には『首提灯』という噺もあるが、現実には皮一枚だけで首が胴体につながっている状態で生きているはずはない。なるほど妙な表現だ。