野呂邦暢『愛についてのデッサン 佐古啓介の旅』みすず書房
今まで全く知らなかった作家。夏葉社の本を次から次へと読んだとき、『昔日の客』に登場していた作家のひとりが野呂邦暢で、『昔日の客』という書名の基になるエピソードが記されている。『昔日の客』の著者である関口良夫と彼が営んでいた古本屋「関口書房」のことが野呂が西日本新聞の夕刊に書いていた随筆のほうにも登場する。示し合わせたわけではないだろうが、互いに忘れえぬ人であったというのが面白い。『昔日の客』のほうでは野呂が『草のつるぎ』で芥川賞を受賞した1974年2月に授賞式に出席するために上京する前後のことが書かれている。授賞式の2、3日後、野呂は夫人とともに関口書房を訪れた。関口が描写する野呂夫妻は仲睦まじい印象だが、野呂は1979年に離婚し、1980年5月7日に自宅で自殺した、という。
ところで本書だが、家業の古本屋を営む20代の男性が主人公の連作短篇。本書のオリジナルの刊行は1979年7月。古本を取り巻く環境は今とはだいぶ違っていると思うが、自分はその時代を生きているので、描写は素直に受け容れることができる。それで感じたのだが、人と人との交渉がネットで気軽にできる今のほうが、相手のことがわかりにくくなっている。用件が済めば相手の人としての総体など知る必要がないし、物事の「効率」という表層を撫でることだけに価値が置かれるようになったので、用件以外のことに関心を払う動機もなければ余裕もない。用件は表層のことで終始することが多く、そういうものを多少積み上げたところで何が生まれるわけでもない。用件の背景、それこそ相手の人となりなどは、下手に踏み込むと厄介なだけだ。
しかし、本書の舞台装置である古本、それにまつわる五感総動員の調べもの、そこから自ずと生まれる人と人との関係性、そうしたところから対象だけでなく自分自身の思わぬ「真実」に気付くことにまでなるという、そうした奥行にこそ生きることの愉しさがあると思う。そういう気付きを与えてくれる作品だ。
世阿弥『風姿花伝』岩波文庫
高校生の頃、放課後に通っていた駿台の古文の先生が自らの仕事に対する姿勢の指針として『花伝書』がある、とおっしゃっていた。そのことがずっと気になっていて、いつか『花伝書』というものを読んでみようと思ってはいたのだが、古文ということもあって取っ付きにくく、今まで手に取ることがなかった。人生の終わりに臨んで、ようやく読むことになった。『花伝書』自体は至る所で様々に引用されているので、つい見知っているように感じがちなのだが、読んでみて「花」の意味するところがようやく腑に落ちたような気がする。
本書自体は能の稽古に対する心構えを説いたものだ。能という芸能についての考え方を言葉を選び抜いて語っている。言葉だけで通じることというのは大したことではない。言葉は理解の切っ掛けを与えるものにすぎない。おそらく本書を読む、あるいは本書の内容を聞く、能や芸能について常々深い思考を巡らせている人だけが、本書のエッセンスを理解できるのだろう。例えばこんな箇所がある。7歳から稽古を始めると12・3歳のあたりではそれなりに上達する、その段階について語っているところだ。
さりながら、この花は、誠の花には非ず。ただ、時分の花なり。(14頁)
だから、猶更しっかりと基礎を訓練しないといけないというのである。それが50歳頃になると
この比よりは、大方、せぬならでは、手立あるまじ。「麒麟も老いて駑馬に劣る」と申すことあり。さりながら誠に得たらん能者ならば、物数はみなみな失せて、善悪見所は少なしとも、花は残るべし。(21頁)
というのである。こんなところを読むと人生の終わりに読むような本ではないと思うのだが、不思議と「良いことが書いてあるなぁ」と自然に感心してしまう。こういう感覚は、やはり老いてこその面白さだ。直面はまさに面構えの話。
顔気色をば、いかにもいかにも、己れなりに繕わで直に持つべし。(28頁)
あるがままにせよ、という。つまり、あるがままで様になる顔になるような生き方をしろということだろう。そういうと漠然としているが、例えば、
人のわろき所を見るだにも、我が手本なり。いわんや、よき所をや。「稽古は強かれ、諍識はなかれ」とは、これなるべし。(50頁)
ということだ。そして、日々研鑽を重ねると
ただ識の花は、咲く道理も、散る道理も、心のままになるべし。されば、久しかるべし。(58頁)
という段階に至る。
そもそも、芸能とは、諸人の心を和らげて、上下の感をなさん事、寿福増長の基、超齢・延年の法なるべし。(75頁)
芸能は人を人ならしめる基と言ってもよいだろう。そこに、
秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘せざるは花なるべからず、となり。この分け目を知る事、肝要の花なり。(103頁)
という有名な言葉が活きるのである。なるほど、と思う。
豊田健次編『白桃 野呂邦暢短篇選』みすず書房
不安な時勢のなかで読む所為もあるかもしれないが、小説というものは良いものだとつくづく思った。小説を読んでこれほど感心したのは初めてかもしれない。米朝や志ん朝の噺も良いが、野呂の短編も心にしみる。
短篇選でどの作品も同じように面白いというわけではないのだが、表題作「白桃」、原爆が落ちた日のことを描いた「藁と火」、労働組合と公害が話題になっていた頃のことと思しき「鳥たちの河口」、時代に取り残されたかのような人が最期を前に一花咲かせる「花火」は印象深い。
「白桃」の弟の目線が痛い。弟から見た兄は、おそらく世間の体制派の象徴だ。兄にも苦悩はあるはずなのだが、主流から外れているとの認識に囚われている弟からすれば、眩しいばかりに上手く立ち振る舞っているように見えてしまう。第三者から見れば、それでも仲の良い兄弟に見えるだろう。自分にとっての世界と世界から見えるらしい自分とのギャップに違和感を覚えるというのは程度の差こそあれ誰しもが抱えていることではないか。たぶん、そのギャップが所謂「生命力」に通じている。それを埋めるべく人は思考し行動する。
原爆のことはもちろん体験していない。しかし、原爆のことも含め戦争でコテンパンに負けた国で生まれ育って今日に至っている。意識するとしないとにかかわらず原爆のことも戦争のこともいろいろなことを聞いたり読んだりしてきた。「藁と火」を読んでも初めての話のようには感じられない。自分が知っていると思っている一連の流れから或る家族のエピソードを抜き出したもので、自分がこの家族のその後のことまで知っているかのような錯覚を抱えながらドキドキして読むのである。自分がどこかの国の国民として生きるというのはそういうことなのだと思う。
同じことは「鳥たちの河口」でも言える。戦後の復興のなかで、新しい国を創るべく民主主義という借り物の錦の旗の下で、復興一辺倒で復興の主体であるはずの人間のことをそっちのけにして表層だけをシャカリキに取り繕ってきて今がある。そういう認識があるので、労働運動に翻弄されているらしい主人公を、醒めた目でしか見ることができない。物語の主人公は失業保険の給付金と退職金を手にして、それを使い尽すまで鳥の観察をして過ごす。それでも、縁あって新しい土地に引っ越して新しい生活をはじめる算段はついている。鳥の観察は、おそらく主人公と世界をつなぐ術だ。膨大な観察記録をものにし、たぶんある瞬間においては主人公の命の証なのかもしれない。それまでの生活の終わりに臨み、主人公はその観察記録を焼却する。そのことが自然なことのように思われる。私は日記をつけている。もうだいぶたまったが、いつか全部一遍に燃やしてしまおうと思っている。
「花火」は良い話だと思う。人は生まれようと思って生まれるのではない。意図せず生をあてがわれるのである。生きていることの根源にある不安の正体は、それが意図してないことにある。意図していないのに今在ることへの違和感を誰にとっても穏やかに収めるには互いを尊重すること以外にない。世の中を平穏に収めるためには、明日があると当たり前に思う共同幻想を確立させることだ。それはたぶん、銭金や競争のことではないし、宗教でも政治でもない。
野呂邦暢『草のつるぎ 一滴の夏』講談社文芸文庫
野呂の文章の美しさ、読んだ時の心地よさは、言葉が選び抜かれているところにある気がする。歌や俳句と同じなのだ。歌や俳句は短すぎて詠み手と読み手との間で共有されるべきものが大きいのだが、小説となるとそうしたハードルがかなり低くなる。しかし、それに甘えることなくストイックに言葉を選び紡いでいくところに生まれる美なのだと思う。
岡崎武志編『夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選』みすず書房
「小説は題名が決まれば三分の二は出来上がったのもどうぜんだ」(147頁、「小説の題」)と言われて、なんとなく腑に落ちた。物語の核を一言で表現したのが題なのだろう。核が決まれば、雪だるまをつくるようにそれを転がして形にしていく。たぶん、それは小説に限ったことではなく人の暮らしとか人生の多くのことに当てはまる。一言にならないことは内容が無いとか、理解が欠けているとか、ろくなものではないのである。自分が生活のなかで体験すること、考えること、それを一言で表してみる。うまくできれば自分の身の中に収まっているということであり、そうでなければいくらこねくりましたところで芽は出ないということなのだ。具体的になにがどうということではなしに、なんだかとても良いことを聞いた気がする。
ところで野呂の随筆だが、これがまたいい。読んでいて自分が良い時間を過ごしていると思える。彼は生活の実感をとても大切に生きていたことが伝わってくる。やっぱりそうだよな、と思うところがたくさんあった。