熊本熊的日常

日常生活についての雑記

肖像画が語る

2008年10月16日 | Weblog

昨日、勤め帰りにNational Galleryに寄って企画展「Renaissance Faces: Van Eyck to Titian」を観てきた。National Galleryは原則として入場無料なのだが、企画展のなかには有料のものもある。今回は一般当日券10ポンドである。しかし、毎週水曜日は同館のLate night museumで夜9時まで開場している。しかも、午後6時から6時半の間に入場すると企画展の入場料は半額になる。そういうわけで、企画展は水曜の勤め帰りに観ることにしている。

ルネサンスというのは13世紀から15世紀にかけてイタリアで起こり、欧州全体に波及した芸術上・思想上の革新運動を指す。この背景には、11世紀から13世紀にかけての十字軍があり、十字軍に軍備や物資を供給することでヴェネツィアやジェノヴァをはじめとするイタリアの商工業者が富を蓄積することになったという事情がある。また、東方からの文物が欧州に伝えられ、結果的に東西交易が盛んになったことも、その仲介を担ったイタリアの商工業者に利益をもたらした。

その昔、肖像画に描かれるのは宗教や神話の世界の人物と時の権力者にほぼ限られていた。まず画材が高価であり、画家へ支払う報酬が高額であったという理由がある。肖像画というものが単なる人物の写実ではなく、そこに制作意図やメッセージが込められてもいた。そうした肖像画の対象として、裕福になったイタリアの市民たちが登場するようになったのが、ルネサンスの時代である。単に市民階級が経済力を持つようになったということだけではなく、社会の価値観も宗教の世界に重きを置いたものから生身の人間に重きが置かれるようになったということだろう。

この展覧会に出品されているのは15世紀から16世紀にかけて活躍した画家や彫刻家の作品なので、世の中の価値観が大きく転換した後のものといえる。それ以前の時代ならば肖像画になど決して描かれることがなかったであろう人々の肖像が、当時のおそらく最先端の技法によって描かれている。

例えば、普段は常設のほうにあるJan van Eyckの「Giovanni(?) Arnolfini and his wife」は伝統的な絵画が持つ饒舌さをそのままに、表現としても画期的なものだったのではないだろうか。この作品をモチーフにした現代美術もしばしば見かけるが、それほど新鮮な作品なのである。

やはり普段は常設にあるQuinten Massysの作品と推定されている「An Old Woman」も、おそらくルネサンスという価値観の大転換が無ければ生まれなかった作品だろう。それ以前の絵画においては、描かれるものは美しくなければならないという決まり事があったはずだ。その掟を覆し、世の中の現実を写実してみせたことに深い意味があるのだろう。

きりがないので最後にもうひとつ印象に残った作品を挙げておく。これも本展以前は常設展示されていたもので、Giovanni Battista Moroniの「Portrait of a Man」である。正直なところ、本展で目にする以前はまったく気にも留めていなかった作品だ。1570年頃の作品だが、それ以前の時代ではありえないものである。描かれているのは仕立屋なのだから。つまり、この時代になって絵画の世界に市井の人々が登場するのである。もちろん、風景の一部として名も無い人々が描かれることはあったが、肖像画に登場するというのはなかったことだろう。しかもおざなりの肖像ではない。鑑賞者との対話が成立するかのような存在感は、細部の緻密な描写だけでなく計算し尽くされた構図の効果でもある。画家が全身全霊を込めてこの作品に取り組んだことが容易に想像される作品なのである。

「市民社会の勃興」と言葉で表現すれば、「ふうん、そうか」とやり過ごしてしまうのだが、具体的にそれがどのようなことであったのか、ここに挙げた3点のうちのひとつを見るだけで、息を飲むほどの衝撃を伴いつつ理解できるのである。