熊本熊的日常

日常生活についての雑記

理想の相手

2008年05月01日 | Weblog
地下鉄の駅にマッチングサービス会社のポスターがたくさん貼ってある。インターネットの広告にもある。地下鉄の駅のポスターはもちろん英語で、インターネット上の広告は、それが日本語のサイト上のものなら日本語で書かれている。洋の東西を問わず、人々は出会いを渇望しているらしい。

自分の身近には、こうしたサービスを利用して結婚したとか友達を作ったという話は聞かない。この手のサービスは決して新しいものではなく、自分の世代なら「アルトマン」とか「ツヴァイ」といった名前を見聞きしたことがあると思う。さらに時代を遡れば、結婚相談所が原理的には同じサービスを提供していた。私が知らないだけで、世の中にはこのようなサービスを利用して知り合った人たちが思いの外たくさんいるのかもしれない。

日常生活において、出会いの場というのはかなり限定されているものである。人と人とが知り合い、そこから交際が始まり、互いを理解したり誤解したりして結婚に至るというのは、けっこう時間がかかることである。それを、心理学者が開発したとされるプロファイリングによって、効率的に行うというのが冒頭に書いたような企業が提供しているサービスである。こうしたシステムによって知り合って1ヶ月で結婚した、という話を今日聞いた。

人と人との相性というのは、果たしてそれほど容易に「わかる」ものなのだろうか。そもそも、人はどれほど自分のことを知っているものなのだろうか。「信ずる者は救われる」という。「科学」の力で心理を分析すれば、かなり高い確率で理想の伴侶が「見つかる」という幻想があるような気がするのである。人は物理的な存在でもあるが、他者との関係性によって形成されるバーチャルな部分も決して小さくはないと思う。人間関係を結ぶというのは、できあがっているものどうしを組み合わせることではなく、自分と相手とがそれぞれに相手との関係性のなかで新たな自己を創造することだと思うのである。それは容易なことではない。しかし、その手間暇を惜しんでは、「相性の良い関係」というものは永久に構築できないのではないだろうか。