くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

NY病

2010年03月28日 | Weblog
■先日サルサ修行にNYに行っていたNちゃんが1時帰国。やはりNYの魅力にどっぷりはまったようだ。誰しも今後どうするか悩むところで、大抵のひとが感染する病気みたいなもんだな。僕の意見も書いたところでNYのこうじに頼んでいたアドバイスのメールも届いたので彼女に転送した。

NY時代に会った1人の女性のことを思い出した(くそっ。名前が思い出せない)。多分Nちゃんより年齢は高いと思うが、見た目はおとなしくて若くみえた。慶応病院の看護婦さんで、同じラガーディア校で看護学科を専攻。よく周りの日本人学生たちと一緒に食事に行ったり語り合ったりしたもんだ。

彼女は傍目にもなにかトロくて英語の課題にも苦労しているようだったが彼女の目指す看護学科は特に優秀な成績が必要で、卒業の見込みは立っていない状況のままビザの期限がきた。

ある日彼女から会いたいと言われ、会うと50万円貸して欲しいと頼まれたので、即座に断わった。彼女がすごいけんまくで僕をなじり始めたのには驚いた。彼女の誠実さを疑ったわけでもなくお金に余裕がなかったわけでもない。貧乏学生が家族もちの駐在員に身を売って勉強をつづける話は聞くが彼女がそんなことを条件に考えていると僕が思っているわけじゃない。ただ、50万ぐらいで1セメスター勉強したくらいで卒業できる見込みはない、英語の論文テストだって何もパスしないくせに何を考えているんだ、と言う気持ちだった。仮に卒業して看護の仕事に就いたってあのフィリピン看護婦たちと張り合ってやっていけるはずがないし、日本の看護婦なんだからそんな選択をする必要もないじゃあないか、人生を棒に振る気か、自分の力を認めてさっさと諦めて帰れ!という気持ちだった。

僕はEMT(救急救命)の受験クラスでERの現場に1日研修に行ったことがあり、フィリピン看護婦の救命作業をまのあたりにして彼女たちの処理能力の高さに度胆をぬかれていた。喧騒の中、救命処置中に的確に薬物の確認をしてメモを取り報告し医師をサポートする語学力の高さと作業の俊敏さは神業に近いとさえ思ったくらいだ。医学用語なんて一般人にはわけがわからんし、患者はスペイン語だ。ぽっと出の外国人である日本人がネイティブの中で太刀打ちできるはずがない。彼女の留学をあきらめさせるいいチャンスだとさえ思った。

にがい想いで別れて1年後、こうじの所に彼女が現れたことを聞いた。そしてNYで落ち着き先が決まるまで居るところがないので僕のところがあいていないかということで、スーツケースを引っ張ってやってきた。ルームメートが出た後だったし、僕の方は嫌って帰国させた訳ではないので、妙な気持ちでシェアすることになった。慶応病院の看護婦さんちゅうのはすごいなと思った。1年夜勤ばかり続けて100万稼いで戻ってきたのだ。

末っ子なのに外見に似合わず恐ろしいほど強情で、特に気を引くようなところもなく、朝は遅くまで布団にもぐりこんでいて部屋には何もない、なんか変な子やなぁ、、。そのうち、僕に迷惑だろうから、部屋が見つかったといって出て行った。僕に嫌われていると思っていたようだったが、僕は別に何とも思わず、無理に出て行くことはなにもないのに、、という気持ちだった。

人づてに彼女がちゃんと学校を卒業し、他の学生と同様に日本食レストランでバイトしながら勉強を続けているという話を聞いた。仲間内では信頼されているお姉さん格のようだ。彼女は一言も言わなかったけど夢はNYでドクターになることだったと知らされた。それに僕のことが好きだったそうだとも言われた。

あの時なぜ、あんな話をしてたんだろう、、とか、いろいろ思い出すとちょっと気持ちが重くなる。今、彼女はどうしているだろうか?

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