くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

自殺

2007年05月28日 | Weblog
■松岡農水省大臣が自殺した。戦後初めての政治家の自殺らしい。

戦後倒産して首をくくった経営者は数え切れないのだが、、。

訃報を聞いた石原慎太郎は死をもってって償った彼は侍だったというコメントを吐いた。 

いったいどういうことなんだろうか。簡単に逃げることができる方法として使われるということだろうか。死者を鞭打つという文化がないので死んだら仕方ない、と許し諦めてしまうからなのか。

簡単に自殺できる文化というのは危険視される。特攻隊がテロリストとして恐れられるのは簡単に死ねる文化が理解できないからだ。

民主主義なら人の命より大切な価値はないのだから自殺は非民主主義的な行為なのだが、単なる逃避としての自殺は死の恐怖を感じないからだろう。死後の世界があり生まれ変われるという世界観が自殺をサポートしている。

大臣の自殺は抗議の焼身自殺のようなアクティブなものでなく、責任に耐え切れず逃避のためにする自殺だろう。夢や希望を見出すことができないという人生のひとつの選択方法だ。

生存本能にもかかわらず自殺すると言うのは種の存続のための調整作用かもしれない。人類が多すぎるから虚弱で希望のない個体は「間引き」される遺伝子があるのかもしれない。

発展途上の国の方が先進国より個体のバイタリティーがあるように思う。自殺が多い日本文化というのは豊かさが飽和し精神力が衰え始めた証ではないのか。

子供や老人の自殺が多いというのはその証拠だ。社会的弱者こそ本来強い精神力をもち、夢や希望を抱くものだと思うからだ。



コメント
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