渋谷センター街と云う地名を聞いた事がある方は多いと思います。
渋谷センター街といえば若者文化の発祥地として有名です。
また過去には変造テレカや合法ドラックを売る外国人露天商がはびこる「怖い街」「汚い街」という危険なイメージがついていました。
そのイメージを払拭しようと2011年にバスケットストリートと改名したのですが、残念ながらいまだに定着していないようです。
さて、場所は変わってこちらは新宿は歌舞伎町です。
新宿にもセンター街があるのを知っていましたか?
ネオン煌めく歌舞伎町の裏路地・・・。
1951年からあると云うこの通りが新宿センター街「思い出の抜け道」です。
馳星周の小説「不夜城」の主人公、劉健一が経営する「カリビアン」というバーがこの路地にある設定になっていました。
実は、この通りはHさんにとってもまさに”思い出深き”抜け道なのです。
と云うのも、この通りの突き当りにHさんが上京した当時から通っている小料理屋さんがあります。
女将さんが一人で切り盛りしている小さなお店です。
Hさんが、東京のある会社に就職して、当時の先輩に連れて来られたのが始まりで、それから何かに付けて通い続けてかれこれ35年になります。
その女将さんはHさんが上京してから現在に至るまでの波乱万丈?の人生を知っている唯一無二の人と言っても過言ではありません。
Hさんにとっては”新宿のお袋さん”と呼べる存在です。
上京したばかりでまだ東京の右も左も判らない中で唯一安心して飲める店でした。
このお店には様々な人たちが来ます。
普通のサラリーマンも来れば、出勤前のホステスさん、仕事を途中で抜け出して息抜きに来る近所の店のマスター、当時はバブルで景気が良かった不動産屋、新宿の地主さん、ギターを持った流しの演歌歌手、ちょっと強めのお兄さんまで・・・
Hさん一人で飲みに来てカウンターの隅に座り、それらの人たちと女将さんとのやりとりを聞いているだけでいい社会勉強になりました。
その内に何人かの人たちとも顔見知りになって、ますます通うようになりました。
最近はなかなか行く機会がなかったのですが、先日、久々に女将さんはどうしているのか気になって行って見ました。
まず、路地の入口から店の灯りが見えたので一安心・・・。
この店の暖簾、開店十周年のお祝いに当時の常連さん達がみんなでお金を出し合って寄贈したものです。
寄贈した人たちの名前が書かれています。
もちろんHさんの名前も・・・。
女将さん元気かな~と擦りガラス戸を開けると・・・。
カウンター席と一畳ほどの小上りがあり、お客さんは10人程で一杯になる小さなお店。
”あら~! Hちゃん、来てくれた~!! 元気だったの~!”と女将さんの声が!!
今年で77歳になったと云う女将さんに、逆にHさんの方が元気だったのかと心配されてしまいました・・・。
Hさんが東京でこれまで仕事を続けてこれたのも、こんな元気な女将さんとの出会いがあったからです。
人と人との出会いは大切にしたいものですね~。