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草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

新若葉(師走句会)は、終了といたします。皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。次は、(睦月句会)来年一月七日に始まります

2023-12-02 | Weblog
今年も、いよいよオーラスとなりました。師走句会が始まります。
12月7日に、仲冬の句を投句してください。やり方は、いつもの通りです。本年の締めくくりですので、奮って名句を投稿してください。
 
 投句が出揃いましたので、コメントをお願いします。
 
コメントが出揃いましたので、コメントバックをお願いいたします。
 
(紘子)
目覚めたる未明一人の冬ごもり
  「未明」で一度切れる句渡りですが、「一人の冬ごもり」で作者は己を客観視されています。それだけに、この句に醒めた諦観を感じてしまいます。心にしみる句です(九分九厘) 
 
   夜明けに目覚めた時に、ふと自分は孤独であることをひしと感じた。しかし、決して悲観的ではなく、定めを受け入れて冬ごもりしている。作者の達観した透明感ある心境が伝わってきます。(龍峰)
 
  清少納言いわく、”冬はつとめて・・・”、というくらいだから朝の4~5時頃に起き出すのですね、しかし、周りには誰もいない。でも、詠み手は「ふゆごもり」を一人で楽しんでいるのですね。寂寥感溢れる句です。(ゆらぎ)
 
 冬ごもりの現在、朝未明に目覚めれば家族と離れている事を実感しますね?「未明一人の」との措辞に、依って来たる過去に想いを深くされている心情が垣間見えます。(かつらたろう)
 
十二月少し眠たき日々重ね
 「一人の冬ごもり」と「眠たき日々重ね」は、自らの有姿を静かにそのまま受け入れておられる。その透明感に心を惹かれます。 (葉有露)
 
北風と歌ふいのちのありにけり
 上五・中七の表現に、人間の宿命の悲しさとそれを克服する強さを感じます。長生きをして下さいね。〔九分九厘)
 関東の御地は北風が強いのでしょうか? 北風にさらされる戸外の冬木を眺めながら、一緒に心の中で歌っていますね!!(かつらたろう)
 
透きとほる師走の朝の空あらむ
 
軽やかに歩こう今朝も着膨れて
 ユーモラスな句ですね。とても寒いので、ジャケットの上にコートも着込んで、まんまるく着膨れてあるく。そんな自分の姿を
 楽しいながら歩く詠み手です。(ゆらぎ)
 
九分九厘)
白菜のおどろく重さ身に余り
 今が旬の野菜だと詠み手は白菜をたっぷり買い込んできた。今夜は、白菜に旬の牡蛎や湯豆腐それに豚バラ薄切り肉などを入れて食べよう、と詠み手は目論んでいる。そのような情景を五七五にすると、”驚く重さ身に余り”、という格調高い句になるのだから、驚嘆する。(ゆらぎ)
 
 さぞかし立派な白菜だったのでしょう。驚きの比喩がいいですね。(龍峰)
 
 我が家でも田舎鳥取の親戚より、何度も冬の野菜を送って貰って居ります。その中でも葉の良く巻いた大きな白菜は一抱えもあり、大人でも持てない程の重さになります。(かつらたろう)
 
 ゆらぎ様、龍峰さま、たろう様
 白菜の句にコメントを頂き有り難うございます。白菜は冬に格好の食材です。鍋物に漬物に炒め物などに万能な野菜です。台所の隅に転がしておいていますが、食べてもたべても大きさが変りません。(九分九厘)
 
冬ひなた吊るすくつした数奇数
  生活句の一風景として身近に感じます。近い日に偶数になります。(葉有露)
 
  葉有露さま、ちょと捻くれた句に目を留めて頂き、有り難うございます。最近雨模様の天気が断続していて洗濯日和を計りかねています。天気予報が余り正確なものでないことを改めて実感しています。(九分九厘)
 
短日の気配カーテン閉じる毎
 
甲辰を迎ふ偕老師走なき
「甲辰」などと難しい言葉が出てきたので、いろいろ調べてみた。ところが、なんのことはない。長年連れ添った仲の良い老夫婦二人が、”師走の用意などどうでもいいわ”、とうそぶいているだけのことだ。(ゆらぎ)
 
 ゆらぎ様、いやはや! 仰せの通りの句です。ともあれ、来年は十干が最初の「甲」に戻り、十二支の「辰」が家内の生まれ年であります。(九分九厘)
 
The End of this year to say good-by, as time goes by
 
  Accordinng to the laws of time of the macrocosm, this year is coming to an end.   We've had a lot of ugly battles on this Earth this year. But no matter what's happening on this Earth, time will flow.
    I think, this Haiku is composing the  flow of eternal time superficially, on the hand true meaning seems to be composing "compassion" comparing human stupidity to eternal time.
    I think it's a wonderful English Haiku with the writer's feeling. (Ryuhou)
 
(今年も終わろうとしている、大宇宙の法則に従って。今年もこの地球上に醜い争いが多々起きた、しかし、この地球に何が起こっていようとも、時は流れてゆく。
この句は時の永遠の流れを詠みつつ、人間の愚かさを永遠の時に対比させて”あわれみ”を、実は詠まれているように思われる。作者の思いのこもった素晴らしい句と思います。)(龍峰)
 
Dear Mr. Ryuhou
 Thank you very much for your comment that gets to the heart of my Haiku.  I really want to keep on  my healthy life  until I'm 100 years old  to see how the” Anthropocene “ world is changing. (Kubukurin)
 
 今年も「時の過ぎゆく儘に」年の終わりにさようなら!」との意味のようですね?映画「カサブランヵ」の主題曲のジャズナンバーであり小生の睡眠前の音楽の一つであります。絶世の美女イングリット・バーグマンとハンフリーボカートの息せき切るラブロマンスが想われます。(かつらたろう)
 
    たろう様 コメント有り難うございます。句の真意は龍峰さんの解釈の通りですが、「身のうちの時は過ぎゆく師走かな」の句が最初に出てきて、これを英語にする挑戦をした経由があります。〔九分九厘)
 
(葉有露)
新生児くしゃみ発してデビューせり
 極めて動的な句に感動します。赤ん坊が生まれて初めて発すす言葉が「ハックション」でしょうね。〔九分九厘)
 九分九厘さんのコメントに同意! ある意味名句!(ゆらぎ)
 ユーモア溢れる句ですね。新生を祝福する作者の暖かな思いが伝わってきます。(龍峰)
 
 お孫さんでしょうか?或はひ孫さんでしょうか?生まれたとの報に逢いに行けば、さっそく「くしゃみ」をされたようですね?新生児の最初の声は、生理的現象によりデビューです。(かつらたろう)
 
説教中くしゃみありても淡々と
 新生児のくしゃみも教徒のくしゃみも、それを起こす原因が物理的なものとすれば同じなのでしょう。物理的な原因かどうかはさておき、新生児と一緒に説教を聞いている時に大人がくしゃみすると、新生児はどう反応するのかとても興味があります。前句と並べて解釈していくと面白い仮説が出てきそうです。〔九分九厘)
 
 (お礼)
 九分九厘様、ゆらぎ様、龍峰様
多くの先輩に注目して頂き、感謝もうしあげます。「くしゃみは」俳句教室での兼題です。句に仕立てるのに困りはてた結果、二句できあがりありました。おなじ「くしゃみ」でも、感動あり、無関心であったりで不思議なものです。(葉有露)
 
関西のおでんからしにつんと来て
 冬の夜のおでんは、よろしなあ! 関東炊きだと、ちょっぴり辛めですが・・・。特に友と味わうおでんは最高です。この間も三宮の<まめだ>に行ってきました。
 この句は、そんなおでんの楽しさを伝えてくれるような気がします。(ゆらぎ)
 
 (お礼)
 ゆらぎ様
  共感して頂き有難うございます。大阪支社勤務時代、曽根崎あたりの立ち飲み屋で仲間と一杯やり、その日の仕事終了としたものです。
 
現役中焼酎おでんは良き友よ
 
友としてあいさつかわす山眠る
 毎日見る山には殊のほか愛着が湧いてきます。冬の山は「山眠る」の季語ですが、単に季語だけの意味にとどまらず、「眠る」に作者の暖かい心も兼ねて詠まれているように感じます。(龍峰)
 
 六甲山の景色でしょうか?いつも眺めて暮らす山川草木は、日々の暮らしの中の友ですね?(かつらたろう)
 
 (お礼)
 龍峰様、たろう様
 お採りあげいただき有難うございます。神戸生まれ、神戸育ちにとって六甲の山々は、小生にとっていつまでたっても遊び友達です。海外駐在時もその姿を思い出していました。 (葉有露)
 
(龍峰)
厳冬にそなへて黙や北の森
 
雪吊りや掛け声一つ縄の張り
 金沢の冬を詠んだ五句、全部を選んでも良い、いずれも名句ぞろいです。その中から一句! この句は、ピンと張りつめた空気感とその中で響く肉声、そして縄の張り具合の緊張が句全体を締めていてとても素晴らしいです。〔九分九厘)
 
 冬の北陸金沢の有名な風物詩の一つですね?あれ程、びっしり縄を張る作業は、掛け声を発しながらの共同作業によるもののようです。(かつらたろう)
 
 「そなへて黙や」と「掛け声ひとつ」、この中七は私のなかに金沢を引き戻してくれました。とてもいい感じです。(葉有露)
 
九分九厘様 たらう様 葉有露様
 本句を取り上げて頂き有難うございます。雪吊りを公園の中で見ると、周りの景色と大変マッチしていることをあらためて発見しました。「雪吊り」は有名な季語なので凡句にならないようにと気を付けましたが、果たしてどうなのかと思っています。(龍峰)
 
一雨来て治部煮の味の深まりぬ
 石川県金沢の有名な郷土料理の治部煮ですね?鴨肉や鶏肉に椎茸や他の野菜を一緒に煮込み、片栗粉で煮汁にとろみをつけるようです。是非一度は現地にて味わってみたいものです。この句の眼目、「味の深まりぬ」との措辞が効いていますね!!。(かつらたろう)
 
 たらう様
 本句のご感想有難うございます。冬の金沢のあのどんよりした空の下でこそ、この料理も味わい深さが出てくるように感じました。(龍峰)
 
主計町(かずえまち)や紅葉散りゆく浅野川
 吟行で金沢へ行きました。懐かしい光景です。浅野川の辺りに茶屋街がありましたね。当時の思い出が蘇ってくるようです。お詠み頂きありがとうございました!(ゆらぎ)
 
 ゆらぎ様
 本句にコメントをお寄せいただき有難うございます。皆さんで金沢へ吟行に行き、盛り上がりましたね。川の光景も茶屋街も昔の風情を今にとどめ、俳句詠みにはたまらないです。そして、この地には独特の温もりを感じます。(龍峰)
 
氷雨かかる紅がら格子三味かかへ
 
(たろう)
南座の金の唐破風冬日さす
 南座の唐破風を見た思い出がないのですが、西本願寺の金の唐破風を思い出しています。荘厳、極まりないものです。そこに冬が射すと見事なものでしょうね。
 その眺めを思い起こさせる名句です! (ゆらぎ)
 
 ゆらぎ様
 大変有難う御座います!!。
 時々、四条河原町~花見小路界隈を散策して居ります。この景は四条大橋より八坂神社方面を眺めれば、南座の大屋根が見え、その唐破風を詠んだものであります。
 近年新装なった南座の金で縁取った唐破風に、冬日が差し見事なものです。(たろう)
 
 
 
 
ロンドンの霧にさまよふ漱石忌 
 漱石のロンドン滞在中のことを以前読んだことを思い出しました。漱石はかの地で孤独な日々の中、内面的な探求で自分を追い詰めていったようです。さぞかし霧の中をさ迷い歩いた  ことでしょう。(龍峰)
  龍峰様
 大変有難う御座います。
 折しも12月9日は夏目漱石の忌日でしたが、彼漱石は大変ナイーブな性格であったようであり、ロンドンに滞在中も胃薬をよく飲んでいたと聞いております。
 気晴らしに有名なロンドンの霧の街を彷徨ったものと想われます。(たろう)
 
風垣や何処か遠くに海鳴りを
 たろうさんの句を選ぶと、いつもこの種の自然描写の句を選んでいます。とてもすんなりと私の心に入り込んできます。日本海の故郷を思い出されての句だと思いますが、私にとっては何か遠い昔が今の私を呼び寄せているように響いてきます。〔九分九厘)
 
 共感を呼び起させる句ですね。人間幾つになっても生まれ育った環境への思いはにじみ出てきます。(龍峰)
 
 九分九厘様、龍峰様
 大変有難う御座います!!。
 鳥取の田舎のの実家は日本海の海も近く、海より500m程の丘の上にある集落であり、冬になれば海が大時化となり、海岸のごろた石が大波に洗われて恐ろしい程の音を立てて居りま す。

顔見世の襲名披露成田屋に

満天星の冬の紅葉の火炎かな
 ドウダンツツジの咲き誇る冬。紅蓮の炎を思い起こさせる一句。見事です!(ゆらぎ)
   ゆらぎ様
大変有難う御座います!!。
満天星躑躅の冬の紅葉は、植込み一面が日に当たれば紅蓮の火炎のように美しく、息を飲むほどの見事さですね!!。(たろう)
 
(ゆらぎ)
いつまでも相思相愛漱石忌
 この句を、漱石の小説『こころ』に描かれる<先生と奥様>の関係に見立てて深読みをすると、とても興味のあるものとなります。まさに本句の<そのこころ>をどう解釈するのかが問題です。「相思相愛」の言葉の奥にある意味のことです。互いに、知って良いこと悪い事があるようです。長い人生を健やかに過ごせる秘訣なのでしょうか? その善し悪しの判断はとても難しいです。〔九分九厘)
 折しも今日12月9日は夏目漱石の忌日ですね?小説こころ」にもありますように夏目漱石は大変ナイーブな性格であったようです。その為、神経衰弱にもなり胃薬をいつも飲用していたようです。然し、作者は大変心細やかに奥様にも気を配りながら、いつまでも相思相愛のようです。・・・大変ご馳走さま!!。(かつらたろう)
 
 (お礼)九分九厘様、たろう様
  駄句にコメントを頂きありがとうございました。この句は、単純に漱石と奥様の鏡子さんの、仲の良さを詠んだもので、それほど深い意味はありません。深読みして頂き恐縮です。
  (ゆらぎ)
 
浪の音聴きつつ入る柚子湯かな
 この浪には人生の波も入ってるでしょうか。それを受け止めてくれるのが、柚子の香りとは、風流,風雅なことです。(葉有露)
 何とも羨ましい限りの光景です。作者の超満足な笑顔と詩作に耽る姿が浮かんできます。(龍峰)
 何処の温泉でしょうか?浪の音も聞こえる「オーシャン・ビュー」の露天の菖蒲湯とは、まさに極楽、極楽ですね!!。(かつらたろう)
 
 (お礼)葉有露様、龍峰様、たろう様
  柚子湯の句にコメントを頂き恐縮です。この句は、琵琶湖西線の堅田にある<浪の音酒造>にかけて詠んだものです。近くにある<シェラトンホテル>のお風呂では柚子を沢山浮かべてくれます。柚子の香りがしていいものです。極楽極楽!(ゆらぎ)

訃報聞く不眠不休の臘八会

ターナーの絵に立ち止まる十二月
 ターナの晩年の絵は、モチーフも地も空も混然一体、ただただ宇宙を描いているような感じですね。作者はこのターナの混然一体となった絵に引き込まれて、立ちすくまれたのではないかと思います。作者の深い感銘が伝わってきます。(龍峰)
 
 (お礼)龍峰様、ターナーの句にコメントを頂き有りがとうございました。ターナーの絵は、大好きです。先頃、大阪の中之島美術館へいき、そこでターナーの作品を見ました。
その絵に思わず引きこまれ、しばし呆然としていました。昔、英国へ旅した時、ロンドンのテムズ川畔、ミルバンク地区にある国立美術館をおとずれ、「ターナー」の絵を眺めた事があり、その時の事を思い出していました。(ゆらぎ)

押し通す「私
の流儀」伊集院忌



 
 
 
 

新若葉 霜月の句会  本句会を終了します。

2023-11-04 | Weblog
 霜月の句会を終了いたします。皆様のご協力に感謝いたします。次回は12月7日(師走の句会)となります。(九分九厘)

 (龍峰)
 六甲の岩を潜りし秋の水
  神戸っ子にとって、六甲山は自慢の身近にある登山の山ですね?地質から言っても、その湧き水は美味しいとの評判のようです。(かつらたろう)
  六甲山に湧き出た水は、清冽な水となって住吉川に注がれます。秋にふさわし句となりました! (ゆらぎ)
  六甲山の東、芦屋川上流当りから花崗岩を通し宮水が伏流水となり、夙川の北で地表近くに出てきます。西宮神社(恵比寿さん)の南側で灘五郷の酒蔵はこれを宮水としています。鉄分が少なく、濁りない酒になります。(葉有露)
  たらう様 ゆらぎ様 葉有露様、思いのこもったコメントありがとうございます。
六甲山の御影石を潜り、途中石灰石を少し溶かすも鉄分は含まず、灘五郷に出現するいわゆる宮水は天然の宝物です。六甲山の日本海側に沸いた水は酒米作りに最適とか。灘の酒はこれ、六甲山あっての名酒かもしれない。(龍峰)

 零余子飯すつと七十年(ななそじ)戻りけり
  田舎暮らしの子供の頃は、秋ともなれば遊びは野山に於いて栗や椎、山芋掘り、零余子拾いなどでした。その零余子飯などを食べれば、一気に子供時代に戻ります。(かつらたろう)
  たらう様、思い出のコメントありがとうございます。小さいころ何気なく秋に食べていた零余子飯、味もそんなに分からずに。思えば、数十年前は人は自然の中により入って生活を営んでいたのだとつくづく思います。(龍峰)
 
 木漏れ日を浴びて漫ろや一位の実
 裏に鳴く鳥変わるらし秋の暮
 秋夕日一山の山毛欅包みをり
  ブナを山毛欅と書くとは知りませんでした。この雄大な光景は六甲山系で見られるのでしょうか。秋の夕日が目の前に浮かびます。絵に描いてみたいものです。(九分九厘)
 白神山地のブナのように、ブナは巨木となります。それを秋の夕日が覆い隠している。雄大な句となりました! (ゆらぎ)
 九分九厘様 ゆらぎ様、拙句を取り上げて頂きコメントありがとうございます。図鑑でブナ科を調べると、ブナの他にクリ、カシワ、クヌギ、ナラ、カシ、シイの木など、日本の広葉樹のほとんどをブナ科が網羅していることが分かりました。そのような小賢しいことは脇に置いて、夕日に染まる裏の山を眺めていると、下界の厄介ごとにはかかわりなく、自然は今日も変わらぬ姿を見せてくれており、畏敬の念を覚えずにはおられないひと時を過ごした。(龍峰)

(紘子)
 心身の痛む朝あり神の旅
  この年齢ともなれば、朝起きたばかりなのに心身の痛みを覚える事があるようになりましたね?全国の神様が出雲に集まる(神の旅)の頃ともなれば、そのようなことも? (かつらたろう)
  時に体は痛むことがあります。それを作者は神が旅に出ておられ、身近には神の不在故の仕業だと詠っておられる。このユーモアがいいですね。(龍峰)
  龍峰さんのコメントと同じなのですが、この句の神はひょっとするとご主人にかかわっているのかも?(九分九厘)

 散るは散れ雑木林の冬支度
 「散るは散れ」と一見ぶっきらぼうに突き放した表現がいいですね。木枯らしで既に裸木ばかりとなった雑木林の寒々とした光景が、強く伝わってきます。(龍峰)

 霜月の朝日染む雲雑木山
 内に向く心放りぬ天高し  
  どうしても外出の機会が少なくなれば、自身の心持ちなど内面指向になりがちですね?この秋晴れの良い日には、戸外へ出掛け、心の憂さを放念したいものです。(かつらたろう)
  どうも内向的な心。それを放り出して、高い天を見上げる。明るく生きようとする詠み手心が伺えます。(ゆらぎ)

 冬眠に近づく眠りあらまほし
  加齢による睡眠障害に悩まされています。ぐっすりと冬眠をしたいですね。そのまま目が覚めなかったらややこしいですが。(九分九厘)
  下界との縁を切りひたすら過ごす時間,心には何が存在するのでしょうか。
想像もつきませんが、不思議な時間でしょうね。(葉有露)

(かつらたろう)
 あご髭の尖り覚ゆる朝寒し 
  「あご髭の尖り」がいいですね。朝の寒さを、ユーモラスに見事に表現されていると思います。そういえば作者が顎髭を大事にされていることを思い出しました。(龍峰)
  龍峰様、大変有難う御座います!!。小生のあまりにも締まりのない顔にあご髭を
生やしております。上唇はいやらしく感ずるため、下あごに3ミリほどです。寒い朝などは、皮膚が締まるからでしょうか?あご髭が尖っているようです。(かつらたろう)

 どんぐりの転がる中に又ひとつ
 休耕の荒野明るく泡立草
  荒野と泡立草の組み合わせがいいですね。そしてその言葉を「明るく」が繋いでいる。まことに「自然」のままの描写です。(九分九厘)
  九分九厘様、大変有難うございます!!。当地洛西の田園地帯を良く散策ウオーキングを行っております。休耕田や休耕畑には泡立草が我が物顔に蔓延っておりますが、驚くほど明るい色に救われる思いであります。(かつらたろう)

 風無くば戸惑ひをりぬすすき原
 
   すすき原は少しばかり風があって、すすきがそよぐことで、一段と風情が増します。作者のせっかくすすき原に来たのにすすきはそよいでいない、少し残念な気持ちが「戸惑いをり」に感じます。すすきも自分も戸惑っておられるようだ。(龍峰)
 まだ俳句始めた頃、曽爾原に吟行に行きましたね。風が吹いていて、見事な長めでした。詠み手は、その事を思い出されているのでしょうか。(ゆらぎ)
  龍峰様、ゆらぎ様、大変有難う御座います!!。近在の田園のすすきの穂もかなり解け、風に吹かれて得も言えぬ風情ながら、風が無ければ、すすきの穂もどうして良いのか?と戸惑っているように見えます。曾爾高原へは未だ「芒の会」に入って居ない時でしたので、とても残念です。(かつらたろう)

 歩きませんかなどと云ひをり星月夜
  若い頃を思いだしての句でしょうか。甘言を弄して若い女の子を誘う。あの頃は良かったですね! (ゆらぎ)
  ゆらぎ様、大変有難う御座います!!。いつもそのような「気障なセリフ」で誘おうと思って居りましたが、好きな女の子があってもとうとう言い出せずじまいでした。
若い時は今から思えば、かなり初心であったようです。(かつらたろう)

(九分九厘)
 帰り咲く鉄線不可思議この地球
    作者の庭の鉄線が帰り花を咲かせた。これまでにないことだ。この花に地球環境の変化を読み取った。小さな花と地球との対比が面白い。(龍峰)
  龍峰様、コメント有り難う御座います。鉄線の帰り花をみるのは初めてのことでした。春先に咲く花ですが、何かがおかしいと感じました。そのうち、あらゆる植物の帰り花が見られるようになるのかも知れません。(九分九厘)

 冬の神ガザの土地にもジェノサイド
  連日のようにテレビ、新聞などによりパレスチナ情勢のイスラエルによるガザ地区のハマスへとして、地上からも空からも猛攻撃の有様です。とは云いながら難民キャンプや病院などの一般市民ばかりが被害を受け、イスラエルは休戦も聞き入れず殺戮の限りを尽くして居ます。これを戦争ではなくジェノサイドと云わずして何と云うのでしょうか?毎日、その映像を見て心が痛むばかりであり、無力を恥じるばかりです。(かつらたろう)
 「ジェノサイド」という言葉は、比較的最近生まれた言葉(1944年)。年月が進むに従って、人類は進歩遂げている筈なのに、殺戮を繰り返す。まるで、心の冷たい冬の神が働きかけているかの如く。事態を見つめて冷徹な心で詠んだ名句です。(ゆらぎ)
  たろう様、ゆらぎ様、コメント有り難う御座います。遂にイスラエル軍は病院に進攻しました。はたして地下トンネルにハマス軍がいるのだろうか。先行きが渾沌としてきました。(九分九厘)

 霜月や生殺与奪五里霧中
  国連のグテーレス議長による「とにかく停戦を!」との提案も聞き入れず、カナダの提案もイスラエルの自衛権について触れていないと拒否、支援国のアメリカの一時休戦も聞き入れません。こんなことを続けて居れば、今後更にイスラエルは国際的孤立を
深め、国際社会より益々嫌われる事が何故解らないのでしょう!!。上記の二句は時事俳句ながら、今の世に花鳥風月にはない説得力がありますね!!。小生の最近の句に「うそ寒やモーセの嘆くカナンの地」と云うものがあります。(かつらたろう)
  長らく世界秩序維持の中心だったキリスト教社会は、秩序破壊の中心にいます。特にアメリカは特に福音主義派がイスラエルを支持していて、秩序破壊をの中にいます。キリスト教社会が、自ら反省すべき事象と思います。(葉有露)
  たろう様、葉有露さま、コメント有り難う御座います。1948年の建国時イスラエル人の人口は約100万、現在では入植と高出生率3のお陰で約900万人と増えています。これに対しパレスチナ人の人口は難民流出などで減りましたが、最近では約520万に増加し出生率も同じぐらいであるが、先々数世代にわたる人口比は逆になる可能性があります。子供も含めてパレスチナ人殲滅をしなければいけない背景と考えると,背筋が寒くなります。かつてのホローコーストの再来かも!下記を参照して下さい。
  https://honkawa2.sakura.ne.jp/9240.html  (九分九厘)

 殺戮の世に長生し所詮冬 
 赤き実の七つ残して柿落葉
  柿の木に実を七つ残こして、葉は散ってしまった。この「七つ」は何を意味するのだろうか。七つも実を残すことは、もう主は年老いて実を取ることが難しくなったのだろうか、山里なら熊の出没が心配される。ラッキーセブンであることを祈りたい。色々考えさせられる「七つ」に、作者のユーモアさえも感じられ、いいですね。(龍峰)
  龍峰さんのコメントに、激しく同意!(ゆらぎ)

 龍峰さま、ゆらぎ様、コメント有り難う御座います。あと七年生きられたら、これ幸いなり・・という意味でこの句を作りました。短いのか長いのか本人にもよく分かっていません。(九分九厘)
 
(ゆらぎ)
 陽の光満ち溢れたる小六月
  長い長い残暑の果て、十一月になっても高い気温が続き、一昨日などは30℃もの夏日の地点もあったようですね?そういって居るうちに本日8日は「立冬」を迎えたようです。然し、戸外に出掛ければ空気は澄み、暖かくて行楽には持って来いのようです。(かつらたろう)
  たろうさん、コメントありがとうございました。もう立冬ですか! でも、この句を詠んだ日は、本当に暖かったですよ!(ゆらぎ)

 ストーブを焚いている家炎(ひ)のゆらぎ 
  この家は作者の実家なのだろうか。「炎のゆらぎ」と自らの俳号を詠みこまれていることから、ストーブの炎に相当の思い入れがあるものと拝察します。「炎のゆらぎ」を見て感じることは人により千差万別、作者何を感じておられるのだろうか。(龍峰)
  やはり下五が秀逸です。ゆらぎさんの心の中に果敢にもえる「炎」が感じられます。(九分九厘)

  龍峰さま、九分九厘さま、コメントを頂きありがとうございました。おっしゃるように、「炎のゆらぎ」に心の安らぎを感じ、またその言葉に思い入れを込めて詠みました。 こんな光景の家に住みたいと思います。(ゆらぎ)

 串の先マショマロを刺す小春の日
 神の留守フランス行きたし二人連れ
 
  神の留守の間にフランスに行きたしとは、しゃれていますね。二人連れにいつまでも若くロマンを追い続ける作者の姿が強く伝わってきます。(龍峰)
  龍峰さま、「神の留守」の句に、コメントを頂きありがとうございました。この句は、萩原朔太郎の詩”フランスへ行きたしと思えども・・・”に触発されて詠みました。パリを訪れて、美味しいフランス料理を食べ、美術館巡りをしたいものです。(ゆらぎ)
 
 紅葉散るクレージーキャッツ逝きしまま
  つい2〜3日前、クレージーキャッツの最後の生き残りの俳優でありベーシストの犬塚 弘さんが逝きましたね?嘗て一世代を風靡しました、バンドでありありながらコミックも演ずる団体は消滅のようです。紅葉が散る時季のように、淋しくなるばかりのようです。(かつらたろう)
 コミックとユウーモアを軽快に結合させた貴重な存在でした。(葉有露)

 たろうさん、葉有露さん、コメントありがとうございました。クレージー・キャッツの演技・掛け合いは見ていてとても面白かったですね! (ゆらぎ)

 小春日や五十年を経し関門橋 
  特別寄稿)同期の三田村武君が、関門橋建設五〇周年を記念してNHKテレビに出演します。それ記念して一句献呈。
  
(葉有露)
 時雨来る幼き子らの足乱れ
  晩秋も終わり立冬ともなれば、季節替わり特有の雨や時雨ですね?通学の児童達も傘を差しながら一列の心算でも、どうしても足が乱れ勝ちになるようです。(かつらたろう) 

 老僧もついに小走り時雨きて
  老僧の小走りから、いかにも急な時雨にあって慌てている様子が強く浮かんできます。また、冬の到来の寒さと慌ただしささえも伝わってきます。いいですね。(龍峰)
  晩秋から初冬にかけて降る時雨は、未だ大丈夫と思って外出すれば、その内濡れる程の降り方になります。何時もであれば、落ち着いている老僧もつい小走り気味に?(かつらたろう)
 老僧は修行を積んで、いかなる事態にも慌てぬはずなのに、時雨に降り込まれまいと走り出す。ユーモアの溢れる素敵な句です!(ゆらぎ)
  龍峰様、たろう様、ゆらぎ様、「時雨」2句にコメント頂きお礼を申し上げます。時雨時の幼子と老僧の動きも対比して句としました。

 コロナ棟住まう処は尚狭く
 コロナ棟日を過ごす人季節なく
 季節なく句をひねるかなコロナ人
  コロナにかかって隔離病棟に入れば、そこには季節も何もなく、真空状態のようだと。そこで人は句をひねれば、おのずと無季俳句になる。非日常の光景や心理状態までもが強く伝わってきます。(龍峰)
  三句併せて読ませてもらいました。人間は自然の季節につねに囲まれて生活しています。今日は特に寒くなってきて厚めの肌着に替えました。生活のリズムが季節に支配されているのでしょう。コロナの隔離病棟ではこの「季節」が存在しないという此れ等の句!。ともかく別宇宙のような所なのでしょう。俳句の季語の意味について改めて考えさせられました。(九分九厘)
  龍峰様,九分九厘様、異例の句にコメント頂き感謝します。隔離病棟での突然の日々を経験しました。何もできない状況で、何ができるのか。思いついたのが俳句でした。無季俳句を作ったのも、初めてです。(葉有露)

                           以上

新若葉(神無月句会)は終了とします。長いあいだ、ご協力ありがとうございました。次は、来月七日、霜月句会となります。

2023-10-01 | Weblog
 雨が降って、いっきょに涼しくなりました。神様は、出雲の方へ旅に出られます。神無月です。初冬の句をお詠みください。一人、五句です。投稿は、十月七日です。予めご用意ください。(今回の幹事は、”ゆらぎ”です)
  注)写真は、十月の花。茶の花。

皆様の投句が出揃いましたので、コメントを書き入れていただくようお願いします。コメントは、いつものように一段下、右へ一字ずらして記入してください。

 当該句のコメントバックに当たっては、コメントの時と同様、当該句の一段下、一字右寄せでお願いいたします。

 紘子さんのコメントバックは、先月と同様に割愛させてもらいます。皆様によろしくとのことです。(九分九厘)
 




      


(龍峰)
 秋夕焼風ふところに土手に立つ
  吟行をした犀川の夕焼け風景をふと思い出しました。壮大な夕焼け風景と作者の姿が溶け合って一幅の絵を見ているようです。(九分九厘)
  なんとも風情がある句。”風ふところに”が、効いています。名句です。(ゆらぎ)
  心地良い秋風を頬に散策を行っています。その内次第に夕日が落ちて来て、荘厳な眺めになり土手に立って腕組を行ったまま眺めながら思いに耽って居られるですね?(たろう)

九分九厘様 ゆらぎ様 たらう様
  コメント有難うございます。今の時期夕焼け空を眺めていると、目の前の光景とかつて見た大夕焼け空が重なって、いつの間にか自分の世界が出来上がってしまいました。そのような迷句です。(龍峰)

 竹林のにはかに葉音初しぐれ
  雨に打たれる竹林の羽音に静寂さを感じました。 (紘子)

紘子様
  コメント有難うございます。嵯峨路の竹林を歩いていて突然葉音がしたかと思うとパラパラと雨模様、そして雨がやんで静寂が戻ってきました。(龍峰)

 泉下の声解き放ちをり曼珠沙華
  ある日突然花を咲かせる曼珠沙華の姿を見事な言葉で表現されました。(九分九厘)
  見事な曼珠沙華が咲いている。今は、なき泉下の父も声を上げて喜んでいることであろう。これも、名句かと。(ゆらぎ)

九分九厘様 ゆらぎ様
  コメント有難うございます。道端の曼珠沙華に出くわし、瞬間的に泉下の声が放たれているように感じました。(龍峰)  

 虫の音や金鈴かすか書を閉じぬ
  秋の静寂を演じる名優が揃いました。(葉有露)

葉有露様
  コメント有難うございます。ご指摘のように名優が揃い過ぎました。反省の句ですね。(龍峰)
 
 嵯峨の路の庵近しや柿紅葉
  嘗て、芒の会にて嵐山の落柿舎で句会を行いましたね?想い出しました!!。中に入って意外にこじんまりしていて、皆で驚きました。(たろう)

たらう様
  コメント有難うございます。ご指摘の通りです。落柿舎に辿り着く前に、途中の軽食のカフェレストランで昼食をとった。その庭に柿の木があり、見事な五色の柿紅葉を見つけました。庵は落柿舎でその暗示に柿紅葉を詠みこみました。遊び過ぎですな。(龍峰)


(紘子)
 茜雲森に触れ秋深まりぬ
         空一面が茜色に染まり、その雲がかかる森は赤く色づいている。秋の深まりをしみじみ感じる句です。(龍峰)
  夕刻の茜雲が広がり、森に触れ森の紅葉が深まりました。日毎に深まり行く秋の光景が、夕刻の茜雲によって強調されました。(たろう)

 茜さす雲ふつふつと神無月
  中七が気に入りました。辞書によれば、ある感情がわずかずつ込み上げてくるさまなどを意味するとあります。上五・下五と組み合わせいろんな解釈が出来て面白いです。しかし、神様が留守の間に、西方の茜色した鰯雲が浮かんでいると、自然に読むのが正解なのでしょう。(九分九厘)

 心身のどこか歪みぬ天高し
  季語の「天高し」は、健康体に対する羨望の意味なのでしょうね。(九分九厘)
  体の調子があまり良くない。それなにに秋の天は、高い。その高い天に、詠み手は思いを馳せているのでしょうか。(ゆらぎ)

 秋の野の風に寄り添ふ昨日今日
  野を吹き渡る風は、海風と違い一様ではありません。人の世のそれぞれに夫々の風が吹くようです。(葉有露)
  晩秋ともなれば、野山には季節替わりの風が良く吹きます。その景色を「風に寄りふ」との措辞が巧みであり、芒の穂や草花がそよぐ光景がありありと見えます。(たろう) 

 古刹への道迷ひけり天高く
  ここで言う古刹は、奈良にある唐招提寺のことではないでしょうか。駅からは一本道なので迷うはずもありませんが、天高く良い天気なのであれやこれやと道の両側にあるものに目移りして、迷ったのでしょう。趣のある句です。(ゆらぎ)

   久々に訪れた古刹、その道を迷う、そして天高し。ゆったりした時間の流れ、作者は道を迷ったことさえ楽しんでおられる様に伝わってきます。(龍峰)

(九分九厘)
 老妻の甘え切なく秋の暮
        身につまされる句です。円満なる夫婦の老後を見事に率直にうたいあげられている感動句で、訴えるモノ大です。 (龍峰)
  恋し焦がれて一緒になったお二人。奥様から、”ねえ貴方、背中が痒いの。掻いて!”とのお声が飛んでくるかも。そんな風景が思い起こされる秋の暮れ。甘ったるい(笑)迷句ではありますが、羨ましくもなるような名句です。(ゆらぎ)
  二人暮らしの日々の中で、お互いにこれ迄簡単に出来て居た事が老いて来れば次第に難しくなって来ます。つい相手に頼む事が多くなります。 何!こんな事もかい?と云いながら優しく行います。(たろう)
  コメントありがとう御座います。喜怒哀楽を共にして今年で60年目となります。遂に老老介護の域に至るまで、長生きをしております。あと十年ともなれば、野球で言えば九回裏になります。(九分九厘)
   
 円満の笑みに翳あり満月の夜

 弁当の夜食に無口そぞろ寒
  夜食に弁当とは少しこたえますね。どうしても無口になりがちです。(葉有露)
  毎日の料理作りは、さすがに飽きが来て最近出来合いの弁当を週三回取り寄せています。いずれまた趣向を変えねばと思っています。(九分九厘)

 温め酒良き夢あると思ひしか
       忙しい1日が終わって、くつろぎに温め酒、一酔いに夢を託す。人生のほろ苦さを感じます。(龍峰)
  老齢が進むと睡眠の質が急低下してきています。寝酒を避けたほうが良いようになってきました。いい案があれば皆さんに教えていただきたいと思います。(九分九厘)
 
友逝きて白きに咲きし曼珠沙華 
  ひめやかに咲く花の姿を思いました。(紘子) 
  年々同級生や嘗て親しくしていた友人が先に逝きます。仕方の無い事ながら、淋しさが余計に募るこの度は秋です。その心情を「白きに咲き̪し曼珠沙華」との措辞に込められ、共感の一句ですね!!。(たろう)
  曼珠沙華の花言葉は、”また会う日を楽しみに”です。恐らく学生時代からの親友が亡くなって悲しみに沈んでいる詠み手ですが、”また会えるかも”と心に思っていることでしょう。心に染み入ってくる句です。(ゆらぎ)
  お三方のコメントに感謝を申し上げます。3年後輩で入社以来、半世紀以上付き合ってきた友人が昨年亡くなられました。丁度この句会投稿日の前日が1回忌でした。庭に白い曼珠沙華が満開の時でした。(九分九厘)
 

(たろう)
 朝早く旗日のあがり運動会
  
賑やかな運動会のはじまり始まり!(紘子)
   75年前まで記憶を戻して楽しみました。(龍峰)
   紘子さま、龍峰さま・・コメントを頂き大変有難うございます!!。以前は運動会の当日ともなれば、「決行」の告知も兼ねて旗日があがって居ました。パンパンパン~と大きな音が聞こえれば、いやが上にも気分が高揚していました。最近は騒音防止の観点からでしょうか?無くなってしまい少し淋しいですね!。(たろう)
  
 数珠玉やあの娘もすでに白髪なる

 吟行の御所の闇とや後の月
        かつて行った御所の吟行を思い出しました。あの時も後の月が印象的でした。作者は思い出に浸っておられる。(龍峰)
  思えば、あの暗闇の中で吟行をしましたね。そのあと近くの小料理屋の二階で句会をしました。今となっては懐かしい思い出です。(ゆらぎ)
   龍峰さま、ゆらぎ様・・・コメントを頂き大変有難うございます!!。夕刻うす暗くなって御所の南入口にて待合せの上、芒の会の「後の月」吟行を行いましたね?その後、ゆらぎさま行きつけの小料理屋の二階に於いて、一杯飲みながら句会を行いました。懐かしくも楽しい想い出のひとつです。(たろう)
 
 冷まじや月影うすく比叡山

 神在りの月の出雲や海荒るる
  稲佐の浜に集まって来られた八百万の神様たちは、今年はちょっと機嫌が悪いようです。戦争や悪疫が流行っているせいでしょう。(九分九厘)
  小学一年の時、祖母と二人で出雲大社に疎開していました。大鳥居の横です。稲佐の浜に出かけ、漁師の引く網を手伝って少しばかりの魚を貰っていました。(葉有露)
   九分九厘さま、葉有露さま・・・コメントを頂き大変有難うございます!!。旧暦の神無月となれば、全国の神様は出雲に参集の上、年頃の男女の縁結びの相談を行われると云います。然し、出雲のみは「神在り月」と云われます。この頃ともなれば、日本海の稲佐の浜は冬荒れの波となりますね!!(たろう)


(ゆらぎ)
 二人して小春日和に酌み交わす
  暖かい陽光が広がり、静かな語りの時を思いました。(紘子)
  かなり寒くなって来た初冬に、ふと恵のように暖かい日です。こんな日は  夫婦そろって出掛け、ディナーでも?のようですね!(たろう)
   紘子さま、たろう様コメントをお寄せいただきありがとうございました。夫婦ふたりして、家でワインを楽しんでいる図です。外へ出かけると、高くつくものですから(笑)・・・(ゆらぎ)


 金沢や十夜念仏人去らず
        金沢にお二人で旅行されましたか。秋の金沢は景色も味も深まってきます。金沢は真宗王国。寺も多く信心深い人が多い。思いでの句になりましたですね。(龍峰)

  龍峰さま、コメントありがとうございました。金沢は、仰るように真宗王国ですね。知人から聞いた話ですが、彼が友人の葬儀に出向いた時、その日はたまたま十夜年仏の日でした。葬儀が終わっても広い座敷から誰も去ろうとはしません。一緒になって座っていると、そのうち皆さん横にごろごろ寝転がって朝になるまで、そうやって誰も去ろとうとはしなかった、とのことでした。
(ゆらぎ)

 秋の燈のいつものひとつ未(ま)だ消えず
  灯火親しむ秋とはいえ、いつもの窓は深夜になっても未だ燈が灯って居ります。物書きでしょうか?受験生でしょうか? 特に自宅の窓よりその窓の燈が見えていて想像が膨らむ作者です。(たろう)
 たろうさん、コメントありがとうございます。詠み手は、一晩中読書にふけっていました。そんな光景詠みました。(ゆらぎ)

         読書家の作者、秋の夜長は正におのが世界。今夜の書は読み終わったが、心の灯りは未だ灯ったまま。余韻がいつまでも残る。(龍峰)
  龍峰様、コメントありがとうございました。たろうさんへ、”一晩中、読書を・・・、と書きましたが文字通り読書に没頭しておりました。ドストエフスキーの作品な読むと、どれも長編なので、読み通すのに一晩中かかります。(ゆらぎ)


 銀木犀すべてを忘れまた明日
  
我が家にも大きな銀木犀があります。金木犀と違ってあまり匂いもしなくてあっという間に散ってしまいます。人間は中七・下五のようにはなりませんね。明日がどうなっているのか、皆目見当がつかないようです。(九分九厘)
  今回小生も「銀木犀」の句を詠みました。強烈な匂いでなく、ふと思い出す程度です。そのように、、亡き父を思い出します。(葉有露)
 
  九分九厘様、葉有露様、コメントありがとうございました。銀木犀の花言葉は、「初恋」です。その思い出をすべて忘れ去って、明日へ踏み出そうと思った次第です。本音をいえば、そう簡単には思い出を忘れることはできないのですが・・・。あはは・・(ゆらぎ)

 小六月言葉の力信じたり


(葉有露)
 秋晴れや老いをあずけるベンチあり
  中七・下五の表現が素晴らしいです。ベンチをメタファーと解釈して、「教会」「イエス」と読みました。(九分九厘)
  伸びやかな秋晴れの戸外での一時を頂きました。(紘子)
  空気も澄み,暖かく晴れた秋晴れの戸外です。こんな日はベンチに座り日向を浴びてのんびりしたいものですね!!。(たろう)

  (お礼)
  本句に注目して頂き、お三方にお礼申し上げます。中七をさまざまに受け取って頂き、うれしく思います。私自身としては、「老い」を軽くしたいとの思いが底流にありました。(葉有露)
  
 
 秋日和しみじみと見るわが影は
         よく似た光景は、小生にもあります。ただ、その時に思うことは様々。作者の気持ちに強く共感が持てます。(龍峰)

  (お礼)
 共感して頂き、龍峰様にはお礼をもうしあげます。体の曲がり具合、横幅の変化と自らは思っていない自画像に驚いています。(葉湯露)

 銀木犀父の呉にし香りかな

 新走りぐい呑み片手腰浮かし
 
 新走り友とつどいて荒ばしり
         新走りが出たと友と盛り上がり、その勢いで馴染みの店に駆けつけた。荒ばしりと語呂合わせで軽妙洒脱に句を詠まれている様に思います。(龍峰)

  今年出来た新酒の出回る頃です。利き酒に出掛け、ついでに友とはしご酒になってしまいました。(たろう)

  今年採れたての新米で造った酒を呑んでいたら、機嫌が良くなり友達を誘って近くの呑み屋へゆく。そこでは、発酵を終えたばかりの液を絞った「荒ばしり」が出てきた。座も大いに盛り上がったとか。羨ましいようなことです。(ゆらぎ)

  (お礼)
  お採りあげ戴いたお三方にお礼申し上げます。
 下五を様々に受け止めていただき、うれしく思っています。灘五郷の真ん中に永年住んでいるものですから、つい口に出てしまいました。「荒走り」とは、ゆらぎ様が触れておられるように、業界用語では,醪を酒と粕に分ける工程で、最初に出てくる酒のことです。絞り始めのため微炭酸が特徴で、軽快な味わいです。アルコール度数はやや低めです。新々酒とでも云うべきでしょうか。(葉有露)


                            以上



新若葉 長月の句会 (最終清書編) 本句会を終了いたします。

2023-09-04 | Weblog

 九月になりました。まだまだ暑い日が続いているようですが、暦では中秋の頃となっています。9月7日に、爽やかな秋の句を期待しています。(幹事:九分九厘)

 投稿が完了しました。コメントの記入をお願いします。フォントは適時に幹事側にて修正いたします。(9月8日記、幹事)

 全員のコメント投稿が完了いたしました。コメントに対する意見その他があればご記入下さい。(9月11日記、幹事)

 コメントバックが終了しましたので、「長月の句会」を終了いたします。紘子さんのコメントバックはありません。投句およびコメントは、スマホ LINE で小河原が中継しこれを再入力しています。コメントバックは入力の煩雑さのため省略することにしています。コメントを頂いた方々によろしくとのご挨拶がありましたので、ここに付記させていただきます。(9月15日記、幹事)


<龍峰>
 梅花藻や醒ヶ井の水今朝も澄み

  醒ヶ井の水は清冽で綺麗ですね。梅花藻の句が、四句も詠まれているのは、よほど梅花藻に魅せられたのかと思います。その四句なかでは、”今朝も澄み”の句が、最も心に響いて来ました。 (ゆらぎ)

  新入社員時代,課内旅行で訪れたことがあります。水量の豊かなのに驚いたこと覚えています。(葉有露)

  梅花藻に咲くやさしい風の、爽やかさを思いました。(紘子)

<お礼>
 ゆらぎ様 葉有露様 紘子様
  本句をお取り頂き、コメント有難うございます。
久しぶりに醒ヶ井を訪れましたが、街道筋に流れる昔ながらの水は、澄んで冷たく水量豊でした。小さな梅花藻の花は、けなげにも川の中に五弁の小梅の花のような形をして揺れていました。ここには変わらぬ日本がありました。(龍峰)

 梅花藻や小さき五弁は川の底
  
  真清水に梅花藻ゆれる宿(しゅく)の里

 梅花藻や時止まりたる宿場町
  中山道米原の醒ヶ井宿へ旅をされたようですね?銘水百選にも選ばれるほどの清流に梅花藻が咲き、時止まりたるとの措辞に江戸の昔の静寂さえ想われる程です。心の中まで洗われるようですね!!。(かつらたろう)
 
 たろうさんのコメントに、同感です!(ゆらぎ)

   江戸の宿場町はむしろ喧騒であったと解釈します。現在に残された宿場町が静寂で寂れていて、梅花藻は昔と変らずにかつての江戸の華やかさを伝えていると、作者は考えたのではないでしょうか。「時止まりたる」は、宿場町が江戸の風情をいまだ残している事を言い表したものと解釈します。時空を超えた表現の句で素晴らしいと思います。(九分九厘)

<お礼>
 かつらたろう様 ゆらぎ様 九分九厘様
 本句をお取りいただき、深い読みとコメントありがとうございます。
昔ながらのこの宿場町も、九分九厘さん言われるるように、京に近く、さぞかし人の往来は多く、賑わったことでしょう。乾いたのどを潤すのに冷たく絶好の水は、旅人を癒したことでしょう。昔の風情は、緩やかにカーブした街道とそれに添う水の流れ、わずかに残る往時の建物の軒の傾きに見るばかりでした。しかし、町全体が醸し出す雰囲気に、昔も今も変わらぬ、時を超えて漂うものを感じました。(龍峰)

 小生のコメントに対し、ゆらぎさまには共感頂き有難うございます!!。又、九分九厘さまの江戸の宿場町はむしろ喧騒であったとの解釈には納得であります。更に、揚句は時空を超えた表現で素晴らしいとのコメントにはとても共感致します。(かつらたろう)

中山道吾(あ)取り戻しぬかき氷


<ゆらぎ>
 焼け消えて「新訳源氏」蘭の秋
    与謝野晶子の「源氏物語」の新訳は一旦焼失した。    

 濁世より乱世がよけれ居待月
  居待月とは名月より数えて三日目に出るお月様であり、名月より一時間余り遅れて出ます。その出方が濁世より乱世を願う作者の心情にぴったり合うようですね?汚れ切ったこの世を変えて呉れる、乱世の名君を待つ心情です。(かつらたろう)
 
  たろうさん、居待月の句にコメントをお寄せいただきありがとうございました。ご指摘のとおり、乱世の英雄が出で欲しいものです。(ゆらぎ)

  乱世の英雄はどのような人物でしょうか。新たな秩序をもたらすすでしょうか。(葉有露)
 
   葉有露さん、居待月の句にコメントを頂き、ありがとうございます。現代のような混沌とした時代には、信長のような乱世を切り開いた英雄が出てほしいものです。(ゆらぎ)

 ブラームスララバイを弾く良夜かな
  注)ブラームスが「ララバイ」を弾いているのではなく。「ブラームスの子守唄」をチェロで弾いている、という図です。(ゆらぎ)

 良夜の月の光の下でチェロを弾く、それもブラームスの子守歌、ただそれだけでうっとり。今夜はいい夢を見そう。作者至福のひと時ですね。(龍峰)

 龍峰様、「ブラームスの子守歌」の句に心温まるコメントをありがとうございました。上手が弾くと、眠くなるようです。残念ながら、小生のようなビギナーが弾くと、”コンチクショー、眠るどころではないぞ、ということになります。(ゆらぎ)

 主人が大変ブラームスが好きで、いつも聞いていたことを懐かしく思い起こしました。(紘子)

 紘子さま、「ブラームスの子守歌」の句をお取り上げいただき、ありがとうございました。メロディーは、単純ですが、小生が弾くと、不眠症に陥りそうです、あはは(笑) (ゆらぎ)


 夫(つま)ならぬ人の唇(くち)あまし柳散る
  
読み手にとって、この句は妄想たくましくストレートに入って来ます。しかしながら、年寄りの読み手には、読後に軽い疲労感が残るようです。(九分九厘)

    九分九厘さま、「夫ならぬ」の句をお取り上げいただき、ありがとうございました。この句は女人が詠んだ句ですが、男が詠んでも同様です。不倫は、苦いながら甘い水ですね。(笑)(ゆらぎ)

 曼珠沙華諳じいたる(おみな)の私語
     (注)そらんじいたる


<葉有露>
 秋灯下久方振りに古書開き
  読書の秋ですね。そこで読むのが、一般の小説ではなく「古書」というところが憎いですね。開いているのは、『枕草子』か、はたまた『源氏物語』でしょうか。(ゆらぎ)

    秋灯火の下、古書を開く。作者時を忘れる至福の境地ですね。勉強家の作者の姿が目に浮かんできます。(龍峰)

  酷暑の夏も納まりまさに読書の秋です。心を落ち着かせ世の先行きを読み込む。その為にはやはり古書なのでしょう。(九分九厘)

  古書と秋の世と、その静けさの出会いに、思いを馳せました。(紘子)

 (お礼)
 紘子様、九分九厘様、ゆらぎ様、龍峰様,皆様にお採りあげ戴き望外の喜びです。
ここで言う「古書」とは、中国古典です。夏の初めに近くの古書店で、諸橋テツ次著「中国古典名言事典」を安価で手に入れました。内容は、10数年前に学んだ論語、大学、中庸、十八史略の外、唐詩選もあり中国の古典のほぼ全てを網羅して全1020頁です。これを毎日めくりながら、興味深いところは、抜き書きしてこの夏を過ごしました。(葉有露)
 
 萩の波子らの走りを追いかける
  萩の花が咲き始めました!。この御句を鑑賞すれば、波打つように萩の咲き乱れる小径をお孫さんらと散策でしょうか?お孫さんは喜々として走りだし、それを追いかけています。(かつらたろう)

 教会の窓明かり見す乱れ萩

 鰯雲海の上をば泳ぎ去り

 鰯雲軍団なして音もなく
  ”鰯雲”が、多いのでしょう。”軍団をなして”という表現がユニークで、面白いですね、(ゆらぎ)

  下五の「音もなく」を情報合戦の意味に捉えました。鰯雲の軍団が空を飛び交う姿を、サイバー空間と読みました。(九分九厘)

(お礼)
 ゆらぎ様、九分九厘様
  本句をお採りあげ戴きお礼申し上げます。「軍団なして」とは、まるで「軍国少年」のようですが、大空に編隊を見ると、つい少年の頃の記憶が今の世に繋がります。(葉有露)


<紘子>
 夕べより寂しき朝柿熟るる
  上五と中七の、何とも言えない寂しい気持ちに同感いたします。「柿熟れる」を如何に解釈するかは読み手次第だと思いますが、私は「老いて達観の境地に至った人」と考えました。(九分九厘)

 風も無く朝曇りけり爽やかに

 明け方に浅き夢見し秋暑し
  今年の夏は9月に入っても暑い。作者は朝のまどろむ中にうとうとと夢を見る。年を重ねるごとに寝坊の小生も朝方目を覚ますことが多くなってきた。実感が湧いてきます。(龍峰)

 朝の五時行く秋のこと我のこと
  日中の残暑はさりながら、ここ数日朝晩はすっかり涼しくなり急激に秋めいて来ましたね?急激に涼しくなれば、朝の夢見のおそろしかったり、ふと身の回りのことや拠って来たる自身の人生を考え、物思いにふける事があるようです。小生も昔のことの夢見が多くなったようです。(かつらたろう)(幹事注:本コメントは、次ぎに続く「もの思う・・・」の句と併せたものについて書かれたものです。)

  「行く秋」は、一日一日、月日が去ってゆくことを意味しているのでしょう。そしてそれが、我が身にも当てはまる。なにやら寂しさを感じます(ゆらぎ)

 一日一日を刻む意義を問い、確かめる存在になったわが身を見つめています。(葉有露)

 もの思ふ透き通りゆく夜長かな


<かつらたろう>
 夜半忌の風にうべなひ風を詠む 
  後藤夜半の句は、小生も好きです。”老の掌をひらけばありし木の実かな ”、などは気に入っています。その夜半忌に、”風を詠む”なんて洒落ていますね。(ゆらぎ)

  どんなやさしい風が、と思いを馳せました。(紘子)

  ゆらぎさま、紘子さまには嬉しいコメントを頂戴しまして大変有難うございます!!。嘗て以前、後藤比奈夫主宰の結社「諷詠」に2年程所属した事があり、その父後藤夜半に因んで詠いました。(かつらたろう)

 秋冷や朝の夢見のおそろしき

 愛告げる為に歌ひぬ小鳥かな
  まるで立原道造の詩のような句ですね! 心惹かれます! (ゆらぎ)

  作者の人柄、やさしさが自然とにじみ出ている句です。このような心持が作者の句を詠む姿勢ですね。(龍峰)

  ときにはかくも優しい句を作られるのですね。すっと抵抗もなく身のうちに滑り込んできて、読み手に救いを与える句だと思います。(九分九厘)

  ゆらぎさま、龍峰さま、九分九厘さまには小生の拙句に素晴らしいコメントを頂き、大変有難うございます!!。この句の背景には少し涼しくなった朝方、美しい小鳥の鳴き声を聞き目覚めました。とても心地良い目覚めでした!!。(かつらたろう)
 
 寛解と告げらるる朝涼新た
  ”病状は、大したことはないですよ”、と医者に言われた。そこで朝涼に気持ちも新たになった。心暖まる、素敵な句です。(ゆらぎ)

  ゆらぎさまには拙句に共感のコメントを頂き、大変有難うございます!!。
予ねてより検査しておりましたが、数値が高くなり前立腺がんと決まり昨年の春よりホルモン療法とその後連日37回の放射線治療を終え、その後念のためと3ヶ月毎にホルモン注射を打っておりあと3回にて終ります。先日通院にて医師より「順調ですよ!」告げられました。(かつらたろう)

 身に沁むやコードネーム消ゆプリゴジン


<九分九厘>
 梨を剥く手腕確かに八十路とや
  老いの症状は手足が弱くなったり、手先の指が不器用になったり色々ありますね?作者は八十路となった今でも器用に梨の皮をむく事が出来、まだまだ矍鑠としている事を自覚しています。(かつらたろう)

  たろうさま、コメント有り難うございました。料理の腕だけはますます進歩しているようです。包丁だけはよく研がねばなりませんね。(九分九厘)

 爽やかな友誼のありし絵画展
  趣味の絵画を続けられて居り、絵画展を目指し鋭意制作中なのですね?絵画展を開けば、同好の士どうしの友情を温める事も出来、お互いの近況も話合う事が出来ますね?何よりも外に向けた心持ちが若さを保つ秘訣のようです。(かつらたろう)

  昨日、光彩会展に行ってきました。”絵を描く”という趣味で繋がっている友人の存在はいいですね。気持ちも爽やかになります。(ゆらぎ)

  所属する会の絵画展は、そのまま旧交を温める絶好の場になっています。見に来てくれた旧友との同期会のようです。(葉有露)

  明るくやさしい会話が聞こえてくるように感じました。(紘子)

       老いた仲間の絵画展には何とも言えぬ空気が漂う。それは爽やかで、温もりがあり、癒しさえある。決して、若い時のように油ぎることはない。各仲間にはそれぞれの紆余曲折の人生を経ての今がある。縁あって一つの舟に乗り合わせた仲間には絵という共通語で、今を語り合う。爽やかな友情が自然に漂う。作者は心地良いこの雰囲気をこよなく愛でておられるのだろう。気持ちが伝わってきます。(龍峰)

  たろう様、ゆらぎ様、葉有露さま、紘子さま、龍峰さま:コメントを有難く拝見いたしました。旧知の友達はもとより、会場で始めてお会いする人に絵の説明をする機会もあり不思議なご縁を得ることもあります。一生絵画を続けたいと願っています。(九分九厘)


 秋茄子やそのままの貴方が好きなの 
  どのように解釈したらよいのか、いささか迷います。ま、夫からみて、そのままの妻がどのようであろうとも、”好き”だということでしょうか。逆もまた真なり・・・。ご馳走さまでした。(笑)(ゆらぎ)

  ゆらぎさま:この句は、買ってきた秋茄子の色が素晴らしく、下手な料理をするよりこのままでいいの、との発想から作ったものです。勿論、取り合わせを意図しておりましたから貴兄のコメントに感謝しています。ゆらぎさんの解釈の前者が私の句意であります。歳をとって互いに健康状態あるいは容姿も変りますが、今日の姿がいちばんいいと言ったところです。明日はまた違う姿に出会うかも知れません。(九分九厘)

 身の内の不安に添ひし吾亦紅
  何か不安な気持ちを抱いているとき、ふと吾亦紅を見て感じた瞬間を捉えた句ですね。吾亦紅の飾り気のないぽつんぽつんと並ぶ花が、まるで多弁ではない一言一言のようで、詠み手の気持ち添っているようだ。作者の感受性に富んだ句ですね。(龍峰)

  龍峰さま:私の気持ちをとても上手く表現してもらいました。有り難うございます。(九分九厘)

 哀れなるかな打ち仕留めし秋の蚊

                         以上


新若葉(葉月句会)ご案内~コメントバックをお願いします

2023-07-31 | Weblog
いよいよ八月です。葉月句会が始まります。晩夏(七月七日から八月八日頃の前日まで)の句をお詠みください。投句は、八月七日にお願いします。
 ~投句をお願いいたします。

 投句の要領は、前回と同様です。 
①一人五句をお詠みください。なを投句はゴシック体で表記します。 また詠み手の名前もゴシック体にします。 

 コメントは、当該句の一段下に、一字右寄せでお書きください。フォントなどは、のちほど幹事(ゆらぎ)が調整します。(いつもの通りです)

 当該句の句のコメントバックに当たっては、コメントの時と同様、当該句の一段下、一字右寄せでお願いいたします。
 

(たろう)
 朝涼の窓の風より目覚めけり

  日中はいくら暑くても朝方はひんやりしている。きっと作者は爽やかな目覚めをされたことでしょう。素直な感動が伝わってきます。(龍峰)

       この酷暑にあってこそ、感じ取れた涼しい気配は新鮮でしょうね。(葉有露)

  精神・肉体ともども健康な人の在り方を感じさせる句です。私はなかなかこのようにはいかないようです。好きな句です。(九分九厘)
  
   龍峰さま/葉有露様/九分九厘さま
   素晴らしいコメントを頂き大変有難う御座います!!。
   8月8日の「立秋」の朝はそのように想って居た為か
   朝早く未明より涼しい風が網戸越しに入り、余りにも
   涼しさに目覚めました。(たろう)


 かなかなの忽と鳴き初む入日かな

 大の字に寝たる広間や帰省の子
    故郷での大いなる眠り、とてもやさしいひとときですね。(紘子)
 
   紘子さま大変有難う御座います!!。鳥取の実家に帰省すれば大の  字になって昼寝を行います。海は近く、海からの風が」心地よく帰省したと
 いう実感がわきます。(たろう)



 漁火の沖へつらなる帰省かな
  こんな句は滅多に詠めませんね。日本海側の、大山の見える地の
  出身である詠み手であってこその句です。佳句です!(ゆらぎ)

   漁火の沖へつらなる帰省かな
    ゆらぎさま過分なるコメントを頂戴し、大変有難う御座います!!。
    実家は霊峰大山の麓の日本海に近く、海より150メートル離れた
    丘の上にあります。今の時季は夜ともなれば烏賊釣船の漁火が沖つら  なり、得も言えない風情となります。実家へ帰った!との実感です。
又両親のお墓も丘の上にあり、日本海が一望できます。お盆のお墓参り
には夕刻の早めに出掛け、島根半島に沈みゆく夕日を心行くまで眺めて
来ます。(たろう)


 手花火の尽きたるやうに恋の果つ


  (葉有露)
 焼け跡でトマト育てつ学びたり

  戦後の焼け跡でささやかな野菜作くり。作者はその時のトマトの味が忘れられないのでょう。学校でも生徒は野菜を作った。夏が来るたび心は原点に戻る。(龍峰)

  終戦後は、何も食べるものがありませんでした。まさに自給自足でした。
  それでも勉強に精をだした。学びへの熱意に敬意を表します。(ゆらぎ)

  作者の現在と幼少時のトマトとの因果関係をあれこれと想像しています。盆栽好きも関係するのでしょうか。(九分九厘)

  (お礼)
  コメントを頂いたお三方にお礼申しあげます。今回の投句は晩夏に属することを前日に知り、お慌てて作った次第です。
  八月に入りますと、家の前の焼け跡を思い出します。それは敗戦の現実と自ら生活を切り開くだけの日々を知ったことです。目の前の焼け跡に自ら畑を開き、各種の野菜を育てました。その中でトマトの赤黄色が今でも忘れられません。命の輝きに見えたのでしょう。それから植物    葉有露拝

 ベランダの新じゃが煮るや恵受け
  ベランダ菜園の成果でしょうか?その恵みに感謝し、新じゃがを煮ます。
  (たろう)

 蝉時雨そのハーモニーその声量
  蝉時雨を、「ハーモニー」と表現された、そのユニークさに敬意を評します。(ゆらぎ)

  わっとかたまった蝉の声が、心に響きました。(紘子)

 茄子にしむ深き味わい忘れえず
  茄子は色々な料理で味わう事が出来ますね?御句では「しむ」となって居りますので、小生も大好きな「茄子の煮びたし」のようですね!!。(たろう)

 その軽さ薄羽蜉蝣うらやまし
  「うらやまし」なる理由ですが、加齢現象で体が動かない事についての事でしょうか。(九分九厘)


  (紘子)
 天高し心と体寄り添うて

 万と言う数の単位や夏惜しむ
  作者にとって「夏」は思い出の多い特別の気候なのでしょう。(九分九厘)

 秋空と話す言葉を探しけり
  今日8日は立秋であり、今後秋の綺麗な空を眺め俳句にするため話かける言葉を探しますね?。空の様子は室内からでも眺められ今の環境にめげず作句に「おきばりやす!!。(たろう)

  あまりにも澄んだ青い空、その感動の深さで発すべき言葉も出て来ない。 作者の感動がこちらにも伝わってきます。(龍峰)

  秋風と話をする。それは今は亡き人との対話でしょうか。”ねえ、貴方
、庭先に月見草が咲いているわよ”、と。しみじみとした、いい句です!(ゆらぎ)

  待ちかねた秋、今年もたくさんのお話をされることでしょう。(葉有露)

 小鳥来る川辺の森へ風を追ひ

 目覚めたる五臓六腑や秋の声
  日毎に涼しくなり、秋めいて来れば夏の間は暑くて食欲がなかったものの、美味しさが五臓六腑にしみわたります。(たろう)


(九分九厘)
 心配の種は尽きざる原爆忌 
  8月6日は広島原爆投下の日でしたね?この人類の負の遺産は今でもウクライナ戦争に於いてロシアが核使用を仄めかし、核戦争の懸念は増々大きくなっています。プーチンには敗戦のシナリオはなく、現実的脅威ですね!(たろう)
   仰る通りプーチンには敗戦はなく、切り札は核を使う一手しか残っていません。現実に核を使うと世界がどうなるかプーチンも知っていることでしょう。バイデンも核を恐れています。それでいて核のない国へ核保有国が侵入する事を徹底して防ぐことに躊躇している。トランプが大統領になったらどうなるのでしょう。(九分九厘)

 ひとしきり耳をつんざく蝉地獄
  ”蝉しぐれ"ではなく、蝉地獄。よほど蝉の声が大きいのでしょうね。(ゆらぎ)
  地獄はウクライナを連想しました。「蝉時雨」を使うとありきたりの句になってしまうと考えました。(九分九厘)
  

 プーチンの影武者なりや毛虫焼く
  全くの同感です。そう言えばこの時期周りには大小の影武者が多い。(龍峰)
  同感の仲間を得ました。有り難うございます。(九分九厘)

 金魚と吾おなじ病か熱中症
        普段金魚はじっとせず、優雅な姿を見せてくれるものです。地上の万物が異常事態にあり、水中の金魚まで影響が及ぶとは。     (葉有路)

 露涼し石版に彫る般若経
  今でも、ご趣味の石板に彫る版画を制作されているようですね?何かに無心になることは大切なようです。般若経を彫りつづければ、お経も暗記できます。(たろう)

 「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」と唱えていると心も落ち着き、まさに心頭滅却してくることでしょう。まさに「露涼し」の心境です。それにしても、般若心経を石版に掘るとは、高尚なご趣味ですね。彫られた般若心経の経分を拝見したいものです。(ゆらぎ)

  静かなおのれへの対峙を思いました。(紘子)

 たろう様、ゆらぎ様、紘子さま
  石版彫りの句に選を頂き、有り難うございます。いわゆる「篆刻」というお遊びです。普通は印鑑の大きさ位ですが、大きな石を使うとお経が入ります。一寸失敗すると一からやり直しになります。3度目の挑戦です。(九分九厘)


 (ゆらぎ)

 風待月病癒えたる海の宿

  無事退院されて浜辺の宿で、潮騒を聞きながら静養に努められた。そして句を詠まれた。ご回復をお祈りするとともに、何だか羨ましい気持ちにもなります。(龍峰)

  この月を海の宿で迎える感慨はいかばかりか、ご健勝を祈ります。(葉有露)

  無事の退院よかったです。なにはともあれ自宅が一番です。海の宿をご自宅と読みました。(九分九厘)

   龍峰様、葉有露様、九分九厘様
  退院のお祝いのお言葉を頂き、ありがとうございました。九分九厘兄の言われるように海の見える自宅でのんびり疲れを癒やしております。いつものように食べるわけにはいきませんが、少しづつ美味いものを食べてのんびりしております。

 余花朗のうなぎ食べたし浮御堂  

  「余花朗」とは琵琶湖畔にある鰻料理屋でしたね?その昔、句会に出た事があり想い出しました。琵琶湖畔の浮御堂との措辞と相俟って涼やかで美味しそう!!。(たろう)

   たろう様、「余花朗」は金井泰一流など銘酒を生産する酒造会社ですが、酒造りをいそしまない時期には、鰻の蒲焼きを食べさせてくれます。長山あやさんが句会を指導されるようになって、初めての吟行が「余花朗」でした。美味しい料理を食べて、俳句を詠むという贅沢なものでした。


 思い出は思い出のまま百合の花
  すべては百合の花に、花の凛としたたたずまいを感じました。(紘子)
 
  紘子さま、「百合の花」の句をお取りいただき、ありがとうございました。その昔、百合の花のように純粋・無垢な乙女との思い出を詠みました。
その思い出を追うことなく、そっとそのままにしていきたいとの思いを句にしました。

 夏こそはわが時ならむ百日紅
  
  青空のカッと照り付ける太陽に元気一杯に咲く、百日紅です。その名前のように夏より秋にかけて咲き、花期の長い百日紅こそ今の時季の花ですね!!。(たろう)

  たろう様、百日紅の句をお採りいただきありがとうございました。真夏の盛りなど気にせず、あるき回っている小生にとって、夏は好きな季節です。
ビールも美味いですし・・・(笑)

  この異常な暑さにも、時が来れば変らぬ花を咲かせる百日紅。擬人化して読みたい句です。喝!(九分九厘)

  九分九厘さま、百日紅の句をお取りいただき、ありがとうございました。本当に夏こそ、わが季節です。汗、びっしょりなってあるき回ったあとシャワーを浴びて、飲むビールは最高です!

 人生は最高の本夕焼雲(ゆやけ雲)


(龍峰)
 
 夏の日や松ヶ枝越しに伊吹山  
  「松ヶ枝」との地名は各地にあるようですね?ここでは京都市内松ヶ枝町越しから眺める伊吹山の遠景のようですね!!。

  大きな涼やかな景色を頂きました。(紘子)
  
   この景色は、想像でしか浮かびませんが、いつまでも心に残っているのでしょうね。 (葉有露)

たろう様 紘子様 葉有露様
  本句の景は琵琶湖の堅田の浮御堂周辺の老松の枝越しに、対岸の遠くに見える伊吹山を詠んだものです。琵琶湖の広がりを詠みこめなかったのが反省点です。(龍峰)

 三上山に夏雲垂るや浮御堂
  浮御堂からは琵琶湖の向こうに三上山が見えましたね。素敵な景色でした。(ゆらぎ)

ゆらぎ様
  琵琶湖の広がりを詠みこめなかったのが、この句でも反省点です。(龍峰)


 湖南風に身ほどけゆくや浮御堂
 「湖南風」は「うみはえ」と読むのでしょうか?梅雨明け後の琵琶湖に吹く南風です。黒南風の重苦しさはなく、琵琶湖に吹く風に浮御堂もゆったり波間に浮かぶようです。(たろう)

  たろうさんの解釈はお見事で同感です。「ほどけゆく」と「うきみどう」の語呂が重なって、それに「うみはえ」がかぶさる。いいですね!(九分九厘)

  たろう様 九分九厘様
  たろうさんの解釈の通りです。浮御堂へ行ったのは午前10時頃でしたが、気温は35度を超えていたでしょう。しかし、浮御堂の陰に行けば湖の上を渡る南風に命を救われたような、心地になりました。あるいは浮御堂の阿弥陀如来に救われたのかも。(龍峰)

 門弟の囲む翁墓や膳所の夏
 
  膳所の義仲寺を訪ね、ここに葬られた芭蕉の墓に詣で、詠みました。(龍峰)

 おうわさの堅田のうなぎ六腑に沁む
  堅田は、<余花朗>のうなぎは美味かったですね。もう少し、量が多かったらと、思いました。(笑) ”六腑に沁む”、とは言いえて妙です! (ゆらぎ)
 
ゆらぎ様
  諸兄のおうわさを裏切らない大変美味な料理であり(仰せの通りうなぎはもう少し多い方がいいですね)、90年以上経つ邸宅と庭にしばし、暑さを忘れるひと時を過ごした。はるばる来た甲斐があったと思った。拙句ではとても深い感動は表わせられない。(龍峰)

 


新若葉 / 文月句会 (最終清書編) 文月句会を終了いたします。 

2023-07-02 | Weblog

7月21日記:最終清書編
 コメントバックの記入の締め切りを致します。文月句会を終了いたします。次回は8月7日です。担当は ゆらぎさん です。

7月11日記:コメントバック記入編
 参加者全員の選句及びコメントが終了しました。コメントバックの記入をおお願い致します。書式は各自の自由とします。

7月8日記:選句・コメント記入編
 ゆらぎさんが都合で今回は欠席となりました。参加者全員が揃いましたので、選句とコメントの記入をお願い致します。
 
7月7日記:投稿編
 7月7日 投稿日になりました。晩夏の句を中心に投稿お願いいたします。

7月2日記:予告編
 今月7月7日に文月句会の投稿をお願いいたします。本句会よりブログの掲載要領を次のように編集したいと考えます。皆様のご協力をよろしくお願いいたします。

      1,予告編
      2,投稿編
      3,選句・コメント記入編
      4,コメントバック記入編
      5,最終清書編

 従来のやり方に加えて、「コメントバック」を付け加えました。お互いのコミュニケーションを更に向上させたいのが目的です。(今回の当番は九分九厘です)

<紘子>
今朝もまた番ひの烏青葉風  

  あの頭も良くていたずらの好きな烏とて、今朝も又番ひでやって来ています。やはりどんなに良い気候の下とは言っても、連れ合い(相方)は居て欲しいものですね?その心情がとても良く表れて居ります。(たろう)
 
七月の風あをあをと我が息吹き

  「風あをあを」がいいですね。生い茂る木々の間を抜けてきた7月の風の、いかにも爽やかで、そして我が息吹も清々しいと、伝わってきます。(龍峰)

  七月となり梅雨の最中であり、連日日替わりメニューのように天候と気温が替わっています。しかし、吹く風は青々として居り、私の息吹きを蘇らせて呉れるようである。(たろう)

  この俳句を読んだあと、外に出て大きく深呼吸をしました。あをあをとした木々の緑の間を吹いてくる風に、我を取り戻しました。(九分九厘)
 

雷鳴と花火の音と響きあふ

鳥追ひ文月の入り日森に消ゆ

  時の流れでの一瞬の変化は、絵画を見るようです。(葉有露)

初夏の風部屋に入れ満たしけり


<九分九厘>
腕白の記憶戻して西瓜切る

  親が西瓜を切るぞと声をかけると、中は熟れて真っ赤か固唾をのんで見守ったものです。そしてこの時だけは腕白も静かになったように思います。西瓜を切る時、その小さい頃の自分をふっと思い出す。全く同感です。(龍峰)

  子供の頃より、昼寝から目覚めれば西瓜を切ると云って家族皆集まりましたね?中々等分に切る事は難しく喧嘩にならないよう苦労しました。その当時の記憶を呼び戻し、西瓜を切ります。家族大人数でかぶり付いた頃が懐かしいですね!!。(たろう)

  たろう様、龍峰様 / 西瓜の句の選、有り難うございました。現在では二人きりの生活なので、スーパで八分の一に切った西瓜を買っているのが実情です。昔の楽しい思い出は浮かべながらの西瓜はとてもおいしいです。(九分九厘)

頃合ひを指でさぐるや夏キウイ

骨切りの出来栄えよしと鱧を買ふ

  七月に入り、祇園祭が近くなれば関西では鱧を食べる時季です。鱧は骨切りを上手に行ってあれば、とても食べやすく美味しいものですね?関西人ならでは一句かと。(たろう)

  家内が淡路生まれなので、タマネギと一緒に煮込む鱧鍋が大好物です。(九分九厘)

  京都生まれの私には、懐かしく、しっかり骨切りされた鱧を味和せて頂きました。(紘子)

  淡路島の沼島から、海と淀川を遡って、鱧を京都に運んだとの話を聞いています。(九分九厘)


青柿の落ち転ぶとこ風雨つよし

百合一花狭庭にありし心所かな 

 「心所」なる言葉を初めて知りました。句者の「心」にとって百合はどのような「心所」なんでしょうか。お教えいただきたく。(葉有露)
 
  狭庭の白百合の花が、所構わず時を一緒にせず一本ずつ咲きます。毎年少しづつ増えています。個々の花を見るたびに、私の心に浮かぶ思いは同じではありません。母親への思い、病気、死の予感などなど・・・私の過去の行動情報が深層意識にプールされていて、ふいと今の私の眼前にあるものに触発されて、その都度の意識に上ってくるのでしょう。
 心所は、心の働きを意味する仏教用語ですが、5世紀ごろにインドの無著・世親が論理化した唯識教学にもっぱら使用されます。唯識論は日本では法相宗に継承され、総本山は興福寺と薬師寺です。「心所」は六つのグループに分けられて、合計51種類にもなります。『俳句で学ぶ唯識超入門 / 我が心の構造』(多川俊映、春秋社、2020)がとても分かりやすく且つ面白く読めます。
 日本では古代末期から中世にかけて、具体的な現象世界をそのまま悟りの世界と肯定する本覚思想が宗教界全体に広がります。草木成仏もその一局面です。しかし、法相宗のみはこの思想を認めていません。同じ生命体でも輪廻する人間と植物は截然と区別され、悟りを開く可能性は人間のみとしています。(九分九厘)

<龍峰>
寝床で聞く悲喜の汽笛や明易

  朝方、未だ薄暗い頃に聞く遠くで鳴っている汽笛を聞けば歩と目覚め、田舎を出てからこれまでの「悲喜こもごも」の事に想いを馳せる事はよくありますね?蒸気機関車の汽笛であれば尚更哀愁がそそられます。(たろう)

たろう様
  出船や入港の時の汽笛を聞いていると、船に乗っている人の思いは悲喜こもごもだろうなあと感じ、その汽笛はそれを一つにまとめて響いてくるのだろう と思いました。(龍峰)    

ひと山越ゆあぐら組む手に心太

しょうぶ湯や同窓集ふ加賀の宿

  親しく懐かしい顔の揃った加賀の湯の楽しい時間を思いました。(紘子)

  加賀温泉に於いて同期生会が行われ、参加されたのですね?温泉に浸かり昔の誼をつなぎます。小生も昔の同窓生の夢を良く見る事があり、懐かしさが込み上げています。(たろう)

  今回のしょうぶ湯は、幼き頃の、或いは少年の頃のしょうぶ湯に思いを重ねたことでしょうね。(葉有露)

紘子様 たろう様 葉有露様
  金沢の市内から車で30分ほど山の方に向かうと、山合に旅館が7件ほどの湯涌温泉がある。江戸時代前田家のいわば奥座敷であった。今回5年ぶりに同窓会が開かれた。前回は出席者は15名、今回は10名。この間1名亡くなり、あとは療養中であったり入院加療中であったりした。出席者は意気軒昂ではあるが、懐かしいしょうぶ湯につかりつつも、ひしと感じるものを噛みしめる一夜でありました。(龍峰)


長雨や夏越の京菓書を閉じて

裏山の梅天抜けて今朝の鳥

  作者の住まいの裏山とは六甲山。下界も裏山も白く霞んでる梅天の世界に鳥を見つける、その情景が「今朝」の事である。この「今朝」なる言葉に「今生きている」という作者の気概を想像します。作者の自然との繋がりに共鳴します。(九分九厘)

九分九厘様  
  朝起きると裏山は如何にと眺める。今朝も変わらぬ厚い梅雨の雲。ふと今年の梅雨の長さを感じるも、万象はそれに順応しているのだろうと思う。今朝もヒヨドリや老鶯の声を聞きながら感じた次第です。(龍峰)

<葉有露>
暑き日に影を求める身の軽さ

  日頃は悠々迫らぬ動作ですごしていても、外に出てこの暑さでは堪らず日陰に逃げ込む。我ながらこの時の身の軽さに、また、まだ自分に残っている素早い動作にも驚いている。共感を覚えます。(龍峰)

暑き故友の誘いもことわりて

  七月に入り、未だ梅雨の最中とは言え全国各地の気温が上昇し早くも今年一番の気温を記録するようになりました。折角コロナ禍も下火となっても急激な暑さは身体に堪えるようになり、友人からのお誘いも時には断ることも!!。(たろう)

 (葉有露よりお礼)
   龍峰様、たろう様
 「暑き日」の句をお採りあげ戴き有難うございます。俳句教室での兼題でしたが、「暑さ」から逃げまくっている小生には、この程度の句が精一杯でした。


ぬかずきぬ十字架の下白き百合

  礼拝の時には、聖壇には必ず花が飾られていますね? 白い百合の下にてお祈りを捧げれば、身も心も洗われるような心情になりますね? 語順を少し変え、「十字架の下にぬかづく白き百合」などとも?(たろう)

  上五「ぬかずきぬ」は動作を表わす言葉ではあるが、むしろ信心・信仰を表わす象徴的な言葉と理解したい。本句は、一旦この上五で「切れ」て、一呼吸おいて次の中七・下五で表現される信仰の「物理空間」に繋がるものと考える。そこは十字架と白百合という清らかな空間がある。(九分九厘)

(葉有露よりお礼)
  たろう様、九分九厘様
 「百合」の句をお採りあげ下さりお礼申しあげます。未熟にも拘らず、俳句の中で聖書の世界を少しでも読めたらとトライした次第です。当初は、たろう様のご教示の作句でありました。主体は「百合」であり、全体として状況を読んでいるのみで句者の姿、心は見えません。そこで五・七・五を組みなおし、教会での自らの礼拝の姿を上五に据えた次第です。

甘酒の売り子の声のややさびし

  声張り上げて売られるのではない甘酒のやさしさを思いました。(紘子)
 
 (葉有路よりお礼)
    紘子さま、お採りあげ戴きお礼申し上げます。「甘酒」も俳句教室での兼題で、小生自身どのような句が作れるか、ながながと迷いました。ふと浮かんだのが小さい頃に耳にした甘酒売りの声でした。竿竹売りの声、チャルメラの音などと違い、語りかけるような正にに人の声でありました。

甘酒を昔どこかですすりしを


<かつらたろう>
山藤の莢の垂るるや風涼し
  
  山の中に藤の花、咲き終わった後見事な莢が幾つもたれ下がっている。そこを潜り抜けている風の涼しいこと、感性豊かですね。(龍峰)
 
  龍峰様
「山藤の莢の垂るるや風涼し」の句をお選び頂き、感性を感ずるとの素敵なコメントを頂戴しまして大変有難う御座います!!。バス停へ向かう坂道に樹木が茂り、春には山藤がとても綺麗に咲いて居りました。今の時季には山藤の莢が垂れ下がり、風に揺れその下を掻いくぐるようにバス停に向かいます。(かつらたろう)

日盛やホースの水に鴉どち

あおぞらの視界ぐるりと梅雨晴間
  
  梅雨晴れ間がくると、なにかほっとする安らぎを感ずるものです。作者はこの安らぎを、とても大きな景で句を作られました。素晴らしく大きな景です!(九分九厘)

  梅雨の晴れ間は、心を明るくし、又心をも広くしてくれます。(葉有露)

  九分九厘様、葉有露様
「あおぞらの視界ぐるりと梅雨晴間」の句をお選び頂き、それぞれの方に素晴らしいコメントを頂戴しまして大変有難う御座います!!。梅雨の長雨が続いた後、ある日我慢をしていたご褒美のような晴間の日がありました。
 うそでしょう!!?と思いながら戸外に出て空を見渡せば、東西南北ぐるりと秋晴れのような青空が広がって居りました。梅雨最中でもこのような日もあるのですね!!。(かつらたろう)

色なせる龍田川とやみどりさす

  懐かしい竜田川が緑に染まっているとか、久しぶりに岸辺を歩いた思いです。(紘子)

  紘子様
「色なせる龍田川とやみどりさす」の句をお選び頂き、嬉しいコメントも頂戴しまして大変有難う御座います!!。ニュースでも取り上げられました秋には竜田姫もお出ましになると云う、大和の清流竜田川(名前の漢字を間違えていましたね?)が
みどり色に染まって流れると云う事件がありました。大量の染織粉末と見られていましたが、警察の調査の結果はその後何ら発表されて居りません。心無い事をする輩もいるものですね!!。(かつらたろう)

街角の祇園囃の四条かな

                        以上
 

新若葉(水無月句会)コメント完了。本稿を最終便とします。

2023-06-13 | Weblog
もう六月も半ばとなりました。来る七月七日には文月(ふみづき。ふづき)の会をおこないます。準備おさおさ怠りなく。


九分九厘

 梅雨寒や宿痾の槍に神経痛
  梅雨寒に諸々の長年身に付いてきている病が痛み出す。どこか江戸前の俳   諧の匂いが漂っているように感じます。(龍峰)
  梅雨時の冷えに持病のような神経痛は痛むのですね?槍でつつたような痛さは、急な冷えや湿度によっても痛くな り、天気予報代わりにも?(かつらたろう)


 鬼百合の赤のどぎつさ雨光る

 好物の辣韮漬けしも妻嫌ふ
  らっきょうは、小生も大好きです。それを奥様は、好きではないと言う。
  とはいえ、愛妻とのやり取りはなんとも微笑ましいですね。(ゆらぎ)
 
  永年生活を共にしていても、聖地はあるものですね。(葉有露)


 五月晴れ洗濯済んでオーソレミオ
  声高く洗濯完了、五月の爽やかな日差しを感じました。(紘子)


  九分九厘さんは、昔から「オー・ソレ・ミオ」がお好きでしたね。
  洗濯をすませ、声高らかの「オー・ソレ・ミオ」を歌う九分九厘さんの
  姿が浮かんできます。(ゆらぎ)


 久々の歌唱のうたげ夏スーツ
  まだ合唱を続けて居られるのですね?普段の日常生活では滅多に着る事の ない夏のスーツをピシッと決めて、宴に?緊張で引き締まる思いをすれば、心もちが若返りますね!!(かつらたろう


 龍峰
  六甲に分厚き雲や梅雨に入る
   六甲山麓に住んでおられる作者ならでの実感の句と思います。(九分九 厘)

 荒梅雨やついに手放す工学書
  「ついに」という言葉に長い年月を感じました。(紘子)

  長年愛読した「工学書」には、いい知れぬ思い出があったでしょう。
  本は違えど、その思いには同感を覚えます。(ゆらぎ)

 「ついに」の表現に、深い思いを感じます。(葉有露)

  断捨離でしょうか?或いは終活の意味でしょうか?わが心の拠り何処としていた工学書も思い切って手放すことに?3年見る機会が無ければ断捨離の対象としても「心の中の思い」は何時までも残りますね?(かつらたろう)

 梅雨降るやひねもすぶらり子規の街
  根岸二丁目にある子規の住まい。小生もしばしば訪ね、子規のことを忍びました。龍峰さんの句に共感を覚えます(ゆらぎ)
 
 巴里の露地に光る青赤梅雨の宿
  パリの想い出の中の一景でしょうか?パリを漢字で「巴里」と表記すれば、そこより一瞬にして妖艶なムーランリュージュやシャンソン、などが想われます。「巴里の路地」との措辞が効いています。(かつらたろう)

 道後の湯けむりも香も梅雨の中(うち)
  小生は、松山の道後温泉の前にあった家で生まれました。今となっては、懐かしい思い出があります。お詠みいただき、ありがとうございました(ゆらぎ)


たろう
 薫風や京都みやげに阿闍梨餅
  阿闍梨餅は夫婦ともに大好物。爽やかな味と「薫風」が響き合っています。(九分九厘)
  
  京都に出たときにはいつも阿闍梨餅を買う。甘さも程よく飾り気のないのがよい。薫風の爽やかさとさりげなくマッチしているように感じます。(龍峰)

 あづさゐの早も咲き初むうすみどり
  六月に最もふさわしい花の色に引かれました。(紘子)
 
 かたつぶり片目つぶりてゆくところ
  面白い一句ですね。片目をつぶろうと、つぶるまいと行き先は変わらない
  でしょうが・・・。なんともユーモラスな句です!(ゆらぎ)

  両目ながら、小生先々の行方が見えません。(葉有露)

 花南天小つぶなれども雨誘ふ
  中七が洒落ていて、南天と雨の自然の姿を上手く繋いだ句と思います。 
好きな句です。(九分九厘)

  好きな子に殊更つよく草矢打つ


紘子
 五月晴れ夫誘ひて野に出でむ
  夫(つま)在りし日の思い出!しみじみとしたペーソスを感じます。(ゆらぎ)

 葛切りの夜食老人ホウムにて


 青嵐人も木立も風に染む
  人も木立も初夏の嵐に、若々しく敢然と立ち向かっている、と同時にその風の荒荒らしさを取り込んでいるようだ。「風に染む」に感性の豊かさを感じます。(龍峰)

  ここ数日間は青嵐が良く吹きました!!。大風に木々の枝は揺れても、明るい緑色なのです。人も木立も心の中まで緑にそまるようです。(たろう)
 
 梅雨空へ夫への思ひ飛ばしけり
  「飛ばしけり」という言葉は、作者が元気で生きているという証左だと読みました。(九分九厘)

  九分九厘さんのコメントとは違い、忘れられない夫の思い出を空の彼方へ、振り切ってしまおうとする詠み手の思いを感じます。(ゆらぎ)

  梅雨空とは言え、明るい空の色です。「夫が元気で居た頃には梅雨 の今の時季ともなれば、花卉や野菜作りに一緒に精をだしたものである。」とのご主人との邂逅の一句ですね?(かつらたろう)
 
 梅雨晴れ間まったり生きる一日づつ
  この句は、私の日常をそのまま表現して頂いています。(九分九厘)

  「まったり」にはまりました。(葉有露)

葉有露
 
 五月晴れ胸の内にも広がりて

 五月晴れバタバタと時去りゆきて
  暖かくなって、急に忙しく庭仕事や諸々の仕事等などに熱中してしまう。気が付けばアッと言う間に時が過ぎている。作者は時の流れの速さにため息をついておられるようだ。(龍峰)

 五月晴れバタバタと時去りゆきて
  
 さくらんぼどんな時でも二人して
  どんな時も一緒の二人の長い長い夫婦生活、仲の良さはサクランボのようである。ご馳走さまでした。(九分九厘)

  九分九厘さんのコメントの通り、甘いお二人の日常生活を思います。(ゆらぎ)

  六月ともなれば、さくらんぼの出回る時季ですね?アメリカンチェリーから山形の高級品佐藤錦など、ピンからキリですが誰しも山桜桃や夏茱萸などの想い出もあり、食後のデザートに良さそうです。いつも一緒に奥様と二人で賞味です。(かつらたろう)

 さくらんぼ口に含みて別れかな 

 ガーベラは一人一人でたたずみて
  ガーベラの花の強い生命力を感じました。(紘子)


  現代ではガーベラの花は色々な色合いの花があり、驚くばかりですね?鉢植えのこの花を愛でる時には一人でしゃがんで眺めます。(かつらたろう)


ゆらぎ


 雨降れば雨を楽しむ柿の花 
  何かつつましい感じの柿の花への自然の恵みを感じました。(紘子)

  葉の色と同じでつつましく下向きに咲いている柿の花。雨が降ると小さな傘を背負っているような景を読ませてもらいました。(九分九厘)

  華美とは縁遠い、控えめな柿の花。雨にしっとり濡れている様はまるで雨を楽しんでいるような穏やかさが漂っている。情緒豊かですね。(龍峰)
 
 雨の音が聞こえてくる七変化  
  変化の中には紫陽花が入っているでしょうが、それ以上は想像です。(葉有露)

 曽爾原は蛍の名所漫雨(そぞろあめ)
 
  嘗て長山あや先生の心の名所曾爾原の芒は、今の時季であれば蛍の名所でもあったのですね?降るとも降らぬとも想われる曾爾原に雨が降り、蛍の妖しく明滅している夜景が想われます。(かつらたろう)
  
 端座して独り書を読む初蛍
  古のように書見台に本を置き、正座の上読書を行って居ります。気が付け ば夕刻となり初蛍が飛び交い始めました。(かつらたろう)

 藤井荘藤井七冠五月晴れ









新若葉(水無月句会) コメントをお願い致します。

2023-06-11 | Weblog
 今回、小生(ゆらぎ)の不手際で、水無月句会のデータが消失してしまいました。まことに申し訳ありません。ご容赦ください!

皆々様のご協力を得て、改めてここに再現させていただきます。
す。フォントは、必要に応じ後ほど調整いたします。

コメントも含めて、完全に元の記事を再現することができました。これもひとえに皆様のご協力のおかげです。感謝感激雨あられです。ありがとうございました!!!


九分九厘

 梅雨寒や宿痾の槍に神経痛
       梅雨寒に諸々の長年身に付いてきている病が痛み出す。どこか江戸前の俳諧の匂いが漂っているように感じます。(龍峰)

  梅雨時の冷えに持病のような神経痛は痛むのですね?槍でつつたような痛さは、急な冷えや湿度によっても痛くな り、天気予報代わりにも?(かつらたろう)

 鬼百合の赤のどぎつさ雨光る

 好物の辣韮漬けしも妻嫌ふ
  らっきょうは、小生も大好きです。それを奥様は、好きではないと言う。
  とはいえ、愛妻とのやり取りはなんとも微笑ましいですね。(ゆらぎ)

       永年生活を共にしていても、聖地はあるものですね。(葉有露)

 五月晴れ洗濯済んでオーソレミオ
  声高く洗濯完了、五月の爽やかな日差しを感じました。(紘子)

  九分九厘さんは、昔から「オー・ソレ・ミオ」がお好きでしたね。
  洗濯をすませ、声高らかの「オー・ソレ・ミオ」を歌う九分九厘さんの
  姿が浮かんできます。(ゆらぎ)

 久々の歌唱のうたげ夏スーツ
  まだ合唱を続けて居られるのですね?普段の日常生活では滅多に着る事のない
夏のスーツをピシッと決めて、宴に?緊張で引き締まる思いをすれば、心もちが
若返りますね!!(かつらたろう


龍峰

 六甲に分厚き雲や梅雨に入る
  六甲山麓に住んでおられる作者ならでの実感の句と思います。(九分九厘)

 荒梅雨やついに手放す工学書
  「ついに」という言葉に長い年月を感じました。(紘子)

  長年愛読した「工学書」には、いい知れぬ思い出があったでしょう。
  本は違えど、その思いには同感を覚えます。(ゆらぎ)

  「ついに」の表現に、深い思いを感じます。(葉有露)

  断捨離でしょうか?或いは終活の意味でしょうか?わが心の拠り何処としていた工学書も思い切って手放すことに?3年見る機会が無ければ断捨離の対象としても「心の中の思い」は何時までも残りますね?(かつらたろう)

 梅雨降るやひねもすぶらり子規の街
  根岸二丁目にある子規の住まい。小生もしばしば訪ね、子規のことを忍びました。龍峰さんの句に共感を覚えます(ゆらぎ)
 
 巴里の露地に光る青赤梅雨の宿
  パリの想い出の中の一景でしょうか?パリを漢字で「巴里」と表記すれば、そこより一瞬にして妖艶なムーランリュージュやシャンソン、などが想われます。「巴里の路地」との措辞が効いています。(かつらたろう)

 道後の湯けむりも香も梅雨の中(うち)
  小生は、松山の道後温泉の前にあった家で生まれました。今となっては、懐かしい思い出があります。お詠みいただき、ありがとうございました(ゆらぎ)


たろう

 薫風や京都みやげに阿闍梨餅
  阿闍梨餅は夫婦ともに大好物。爽やかな味と「薫風」が響き合っています。(九分九厘)
  
  京都に出たときにはいつも阿闍梨餅を買う。甘さも程よく飾り気のないのがよい。薫風の爽やかさとさりげなくマッチしているように感じます。(龍峰)

 あづさゐの早も咲き初むうすみどり
  六月に最もふさわしい花の色に引かれました。(紘子)

 かたつぶり片目つぶりてゆくところ
  面白い一句ですね。片目をつぶろうと、つぶるまいと行き先は変わらない
  でしょうが・・・。なんともユーモラスな句です!(ゆらぎ)

  両目ながら、小生先々の行方が見えません。(葉有露)

 花南天小つぶなれども雨誘ふ
  中七が洒落ていて、南天と雨の自然の姿を上手く繋いだ句と思います。 
好きな句です。(九分九厘)

 好きな子に殊更つよく草矢打つ


紘子

 五月晴れ夫誘ひて野に出で
  夫(つま)在りし日の思い出!しみじみとしたペーソスを感じます。(ゆらぎ)

 葛切りの夜食老人ホウムにて

 青嵐人も木立も風に染む
  人も木立も初夏の嵐に、若々しく敢然と立ち向かっている、と同時にその風の荒荒らしさを取り込んでいるようだ。「風に染む」に感性の豊かさを感じます。(龍峰)

  ここ数日間は青嵐が良く吹きました!!。大風に木々の枝は揺れても、明るい緑色なのです。人も木立も心の中まで緑にそまるようです。(たろう)
 
 梅雨空へ夫への思ひ飛ばしけり
   「飛ばしけり」という言葉は、作者が元気で生きているという証左だと読みました。(九分九厘)

  九分九厘さんのコメントとは違い、忘れられない夫の思い出を空の彼方へ、振り切ってしまおうとする詠み手の思い感じます。(ゆらぎ)

  梅雨空とは言え、明るい空の色です。「夫が元気で居た頃には梅雨 の今の時季ともなれば、花卉や野菜作りに一緒に精をだしたものである。」とのご主人との邂逅の
一句ですね?(かつらたろう)
 
 梅雨晴れ間まったり生きる一日づつ
  この句は、私の日常をそのまま表現して頂いています。(九分九厘)

   「まったり」にはまりました。(葉有露)


葉有露
 
 五月晴れ胸の内にも広がりて

 五月晴れバタバタと時去りゆきて
  暖かくなって、急に忙しく庭仕事や諸々の仕事等などに熱中してしまう。気が付けばアッと言う間に時が過ぎている。作者は時の流れの速さにため息をついておられるようだ。(龍峰)
  
 さくらんぼどんな時でも二人して
  どんな時も一緒の二人の長い長い夫婦生活、仲の良さはサクランボのようである。ご馳走さまでした。(九分九厘)

  九分九厘さんのコメントの通り、甘いお二人の日常生活を思います。(ゆらぎ)

  六月ともなれば、さくらんぼの出回る時季ですね?アメリカンチェリーから山形の高級品佐藤錦など、ピンからキリですが誰しも山桜桃や夏茱萸などの想い出もあり、食後のデザートに良さそうです。いつも一緒に奥様と二人で賞味です。(かつらたろう)

 さくらんぼ口に含みて別れかな 

 ガーベラは一人一人でたたずみて
  ガーベラの花の強い生命力を感じました。(紘子)

  現代ではガーベラの花は色々な色合いの花があり、驚くばかりですね?鉢植えのこの花を愛でる時には一人でしゃがんで眺めます。(かつらたろう)


ゆらぎ

 雨降れば雨を楽しむ柿の花 
  何かつつましい感じの柿の花への自然の恵みを感じました。(紘子)

  葉の色と同じでつつましく下向きに咲いている柿の花。雨が降ると小さな傘を背負っているような景を読ませてもらいました。(九分九厘)

  華美とは縁遠い、控えめな柿の花。雨にしっとり濡れている様はまるで雨を楽しんでいるような穏やかさが漂っている。情緒豊かですね。(龍峰)
 
 雨の音が聞こえてくる七変化  
  変化の中には紫陽花が入っているでしょうが、それ以上は想像です。(葉有露)

 曽爾原は蛍の名所漫雨(そぞろあめ) 
  嘗て長山あや先生の心の名所曾爾原の芒は、今の時季であれば蛍の名所でもあったのですね?降るとも降らぬとも想われる曾爾原に雨が降り、蛍の妖しく明滅している夜景が想われます。(かつらたろう)
  
 端座して独り書を読む初蛍
  古のように書見台に本を置き、正座の上読書を行って居ります。気が付け ば夕刻となり初蛍が飛び交い始めました。(かつらたろう)

 藤井荘藤井七冠五月晴れ



新若葉

2023-06-01 | Weblog

いよいよ六月です。七日水無月句会が始まります。仲夏の句をお詠みください。

投句要領は、前回(皐月句会)と同様です。

①ひとり五句投句。

なを投句はゴシック体で表記します。 また詠み手の名前もゴシック体にします。