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草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句/さるすべり(龍峰)

2024-09-01 | Weblog

    さるすべり

 この夏はことのほか暑かった。朝の散歩で街中に見る百日紅の鮮やかな色は貴重な慰めである。
手元のメモ代わりの日記で7,8月の気温を比べると去年、一昨年でも35度や38度の日もあった。しかし、適度に雨が降り、台風がきたりで気温が下がる日もあった。それに比べて今年は連日35度越えで、下がる日がほとんどなし。体は今年の方がはるかに参った。年が加算されたこともあろう。ともあれ今から来年が思いやられる。

  主住むや住まぬや今朝のさるすべり
  予報見るたび猫の目の野分かな
  初秋や薄暮の風の尖り消ゆ

  八十路越え残暑の背なのひしゃげをり
  句づくりの内なる目覚め芒かな
  妻天塩かけし西瓜よプロ裸足
  山門にしばし大の字涼新た 
 
 涼求め日帰りで若狭へ繰り出した。三方五湖、そのほとりの「若狭三方縄文博物館」、「年縞博物館」そして江戸時代栄えた鯖街道、その中心となる熊川宿を訪ねた。名を馳せた熊川宿も今は、秋雨の中に静かに眠るがごとくだった。
 中でも年縞博物館は特異な博物館である。この博物館は五湖の一つの水月湖の底に毎年積もった地層、地下垂直に45mの深さ、7万年間分を切り出した地層が展示されている。無論世界一。人類がこの世にあらわれてからの地球の歴史、日本列島の歴史の一端が一目でわかる。

   越路来て荒瀬をわたる秋茜
   湖越しに若狭の海や夾竹桃
   新涼の墨絵眼前三方五胡

   年縞や七万年の史知る秋
   縄文は土と炎よ秋暑し
   秋時雨掛け声いずこ鯖街道
   秋雨や時経てねむる熊川宿 

 年縞博物館の展示、途中の大山の噴火の辺り、0.7mmが1年


             熊川宿


夏目漱石を偲んで

2024-07-29 | Weblog
草若葉のスタイルを今回から以前のスタイルに戻すことに致します。幹事二人で、相談の上、これまでのスタイルに変えて、以前のように各月に一人が
俳句や俳句随想などを書き込むことに致しました。(今月の担当は、ゆらぎです)
 ~~~~~~~~~~~~~~

私、ゆらぎは、松山市にある道後温泉に生まれました。夏目漱石が、一時居留したところであります。また母方の祖父、速水滉(ひろし)は、夏目漱石の門下生や友人たちが集う「木曜会」の一員でありました。。そのようなことから、私は、夏目漱石とは深い縁があるのと思っています。

そのような訳で、今回は漱石を偲ぶ句と、今の季節(晩夏から初秋)を詠んだ句を並べることにしました。

(漱石を偲んで)
 (漱石の人生を辿って)・・・季語はほとんど取り入れておりません。ご容赦   ください。いわゆる無季の句です。芭蕉の、”松島やああ松島や松島や”、がよく知られています。  

 ①漱石も浸かりし温泉道後の湯

 ②松山に子規と遊ぶや二人して

 ③二十人余漱石も坐す子規句会
   ~明治31年新年句会にて

 ④漱石の聴くこともなき玉音放送
   ~昭和20年。漱石の死後ほぼ30年後のことである。

 ⑤倫敦(ロンドン)の寒灯のもとラブレター
   ~愛妻鏡子さんへ

 ⑥ホトトギス「吾輩は猫」起死回生

 ⑦修善寺に今日(けふ)なお残る漱石庵

 ⑧美しき人と出会えり小天(おあま)温泉

 ⑨『草枕』ゆかりの地なり小天温泉


(晩夏から初秋の句)

 ①蝉すだく朝から元気をもらひけり

 ②主計町道を歩けば蝉の声(金沢の景)

 ③まだ若き父の写真や蝉すだく
   ~終戦の夏、父は幽冥境を異にした。

 ④桔梗見て式部の事を思ひけり
   ~京都御所の北西の門を潜ると紫式部の住まいがあります。

 ⑤花火明かり草のゆらぎと幼子と
   ~再掲をお許し頂きたい。

 ⑥亡き父は「或微音」とぞ呼ばれけり
   注)アルビオン(英語: Albion、ラテン語: Albionは、知られている中で最 も古いブリテン島の名称(雅称)である。亡き父は、英文学専攻であり,     また予てより「ロンドンタイムズ」を一週間単位でロンドンから取り寄せていた。そのような訳で、小生は自然と英語に親しむようになった。

 ⑦倫敦(ロンドン)に住みたき願望亡き父は

                      以上















新若葉  文月句会  本句会を終ります。

2024-07-10 | Weblog
        

・遅くなりましたが、七月の句会を始めます。今回の幹事は九分九厘です
・早速の投稿有り難うございました。今回はゆらぎさんは欠席されます。コメント記入をお願いいたします。
・コメント記入を終了として、コメントバックをお願いいたします。
・今回の句会を終了いたします。皆様のご協力に感謝申し上げます。


(紘子)
七夕の逢瀬つつがなき日和
 ・「七夕」は、古来より我が国五節句の一つと云われ、一年にたった一度の織姫様と彦星様の逢瀬の日のようです。お互いに恙なく逢瀬を楽しむ佳日ですね!!。身罷られたご主人と、この日に「一年に一度でも良いから逢いたい」との心情が零れるように想われ、哀切を覚えます。(かつらたろう)

六月に寄り添ふ水無月生まれなる
亡き夫とお大師さまと夏は来ぬ
 ・亡くなられたご主人は七月生まれであったのでしょうか?又、お大師様(弘法大師様)は七月生まれと云われ、七月になればご主人とご信仰のお大師様の両方が想われ、嬉しくなる作者です。(かつらたろう)

森目覚め初夏の朝日のひとりごと
     · 光景も言葉も素晴らしい。作者の初夏の爽やかな感動が伝わってきます。(龍峰)
 「ひとりごと」は森でも朝日でも作者でも誰でもいい。ここで出逢った生き物全ての「祈りごと」なのでしょう。絵本に使えるいい言葉だと思います。〔九分九厘)

梅雨晴れ間空のやさしさ森に触れ
 ・「空のやさしさ」の表現に、自然の呉れる安らぎと調和のすばらしさを感じます(葉有露)

(かつらたろう)
蜘蛛の子の生れてちりぢり糸千本
手花火の命果つかにぷいと墜つ
赤児泣く朝の団地や梅雨深し
捩花や雨の滴の捩じれをり
 ・2か月前に、「捻花」の句を詠んだことがあります。
   捻花野を行く君を見送りて
   捻花身のこのなし見せなやましき   (葉有露)
 ・<葉有露様へ> 
 小生の上記の句に事寄せ、貴兄の過去の句をご紹介頂きまして大変有難う御座います!!。雨の日に眺めた捩花は、水滴が花に沿って捩じれて居り、当たり前の事ながらとても愉快であり美しいものでした。(かつらたろう)

おもひ出は夢の中とや蛍狩り
     ·    何ともノスタルジックな、小さい頃、夢中になって行った蛍狩り。今や夢の中だけだと。老いが被さって一抹の淋しさを感じますね。(龍峰)
 ・ 本当にノスタルジックな句でね。これから先の人生で蛍狩りなぞ恐らくないのでしょう。九割が思い出の人生となってきたこの歳ごろです。〔九分九厘)
 ・<龍峰様、九分九厘様へ>
 小生の上記の句に、素晴らしいご句評を頂戴しまして大変有難う御座います!!。
小学生の低学年の子供の頃は、毎夜のように蛍狩りに出掛け、蚊帳の中に蛍籠を頭元に於き寝て居りました。又、我が家でも子供が小さい頃は夜になれば蛍狩りに出掛けましたが二人だけとなった今では、思い出と夢の中ばかりとなりました!(かつらたろう)


(葉有露)
老いの坂夏越峠仰ぎ見る
梔子の花の匂いに人想う
 ・ 梔子の花の盛りは過ぎましたが、この花はとても良い大人の女性の香りがしますね?先日も買物で出かけました生協の生垣に、八重の梔子の花が咲いて居り余りにも良い香りに、暫く佇んで居りました。小生の小さい頃に亡くなった母親とも、その昔の年上の女性などを想い出しておりました。(かつらたろう)
 (お礼)たろう様
   コメントをお寄せ頂き有難うございます。くちなしの花は、その姿よりも其の香りが印象深く、この香に似合う女人を想像するのも楽しいいものです。
                             葉有露拝

くちなしの香りの誘う小径あり
サングラス優しい声にほっとして
 ・人は他の人と相対した時、相手の目鼻口などの表情により他者を一瞬にして判断します。その中でも、視線は大部分を占めます。ところが相手がサングラスを掛けて居れば、視線が読み取れず不安になります。話してみて、その声に安堵した作者です。(かつらたろう)
  (お礼)
 平凡な句ながらお採りあげ戴き、お礼申し上げます。サングラスは、どちらかといえば、他の人と距離をおき、あるいは遠ざける印象があります。それにもかかわらず、その優しい声に接したときのギャップが新鮮だなと思って,句にしてみました。             葉有露拝

サングラスかけて迷いを隠しおり
     ·     サングラスは魔法の杖。作者のユーモア満点、俳味溢れる句で、いいですね。(龍峰)
 ・   夏の日差しが強いと私もサングラスを使います。普段の眼鏡の上に更にかけ、帽子とマスクもするので、先ずは私の特徴は殆ど分かりません。仮面舞踏会の自由さとはこのスタイルかも。(九分九厘)
 (お礼)龍峰様、九分九厘様
 お採りあげ戴き有難うございます。サングラスは、おしゃれの小道具と気軽にも居られるようですが、様々な心理状況中では、必須の小道具でもあります。
  小生が多用したのは、春山スキーで激しい紫外線、雪からの反射光線をさけるためでした。                 葉有露拝

(龍峰)
荒梅雨や砂利道急ぐセザンヌ展
 ・何処のセザンヌ展に出掛けられましたでしょうか?洋画を嗜まれる龍峰様ならではの行動力ですね?荒梅雨や砂利道はなんのそのとの想いで、展覧会場へ急がれる作者が見えるようです。(かつらたろう)
かつらたろう様
 本句の選句有難うございます。読み取っていただいた通りです。強いて言えば、荒梅雨と砂利道の中を押して、セザンヌを見たいという気持ちを込めたつもりです。(龍峰)

夏帽の色深まるや旅支度
 ・日本の四季は、その生活の随所に働きかけて、季節のもたらす秩序を意識させてれます。(葉有露)
葉有露様
 本句を取り上げて頂き有難うございます。仰せの通りです。日本の四季の変化の豊かさ、万物の移り変わりは人の心に訴えるものがありますね。比較的出かけることが好きな故にか、いつも被っている帽子が日に焼けて小麦色が深まったいることを、旅の準備をしながら、ふと気づき、過ぎ去った過去を思い出しました。(龍峰)

黒南風や市場にこもる人いきれ
大土佐や八金の藁焼き鰹
 ・土佐の高知では男性の豪放磊落な(いごっそう)、女性は快活で働き者の(はちきん)で有名ですね?土佐を訪れ、藁焼き鰹と皿鉢(さはち)料理の歓待を受けられたようですね!!。(かつらたろう)
かつらたろう様
 本句のコメントを有難うございます。「歓待をを受けた」の部分を除いて、土佐はご説明の通りです。高知で市の中心部の市場で、何ともエネルギッシュな雰囲気を味わった様子です。(龍峰)

万緑を分けて鉄塔若狭近し
 ・この句は絵画をすぐに連想させてくれます。龍峰さんもこの絵を描かれたような気がしています。柳宗元と山水画の話し以来、「俳画」なるものに気が向いています。〔九分九厘)
九分九厘様
 本句を深く鑑賞いただき有難うございます。絵画的な見方のご指摘、句を詠んだ時には全く気づきませんでした。
「万緑」と言うイメージは日本の夏の緑一色の生命力を感じます。そこに鉄塔と言う人工的なエネルギーを加えました。そして、「若狭」は原発の近さも暗示しました。
しかし、上記のような自句自解の説明は句を台無しにしますね。(龍峰)

(九分九厘)
それぞれに猪口才ありし金魚かな
 ・熱帯魚や金魚は眺めればとても心が落ち着き、癒やされると言いますね?お家には金魚を水槽にて飼われているようですね?良く眺めれて居れば、それぞれの金魚に猪口才な個性がある事を発見した作者が見えます。(かつらたろう)
 ・たろう様、コメント有り難うございます。金魚を飼うのも20年以上になります。理由は分かりませんが、金魚と一緒の人生がそのまま続いて行かねばならぬと思っています。(九分九厘)
百日紅ひこばえ既に咲くを待つ
耽読のあげくの晩夏旨酒を汲む
 ・文章に酔い、酒に酔う、これぞ人生の旨味。     (葉有露)
 本を読みふけっている内に、夏も遂に晩夏となってしまいました。夜更けに酒を汲みながら、又本を読む事も一興かともですね!!。このまま読書の秋を迎えたい心情かとも?(かつらたろう)
 ・葉有露さま、たろう様
コメント有り難うございます。仲間との研究会での発表資料作成に、ここ2ヶ月近く懸案の難解書を読み続け漸く終りました。辛口の清酒を冷で飲みましたが旨かったです。
(九分九厘)

短夜の端踏む母の夢彼方
老いまじく老いし自覚や夏の幻
     ·    いかにも老人臭くは老いたくないと思いつつも、いつの間にか老いてしまった事を実感する。しかしこれはいっ時の幻なのか、現実なのか。淋しさを感じるも、かくの如く自問自答する心の余裕は素晴らしい。(龍峰)
 ・ 龍峰さん、有り難うございます。いつも正鵠を得たコメントに感心しています。
「老いまじく」は精神的な事のようで、肉体的にはそれなりの自覚があります。これをなんとかして退治せねばと思っていますが。 (九分九厘)
                  以上

新しいスタイルの草若葉を!

2024-07-07 | Weblog
現在の草若葉でも、諸兄諸姉の様々な句を楽しむ事ができ、それなりに楽しいいものであります。ただ、一回に五句というのは、いささか物足りません。

そこで初めの頃の「草若葉」に戻り、詠みたいように句を詠む、十句でも二十句でも・・・・。ということでは如何でしょうか? 次項に草若葉当初の頃の一例(「桔梗」)を示しますので、皆さまのご意見をお聞かせください。
                         (ゆらぎ 記)

   







草若葉  水無月の句会  本句会を終了いたします。

2024-06-03 | Weblog
          

 ・そろそろ本格的な夏の暑さを迎える頃と思います。最近の異常気象は、偏西風とエルニーニョの発生状況が地球温暖化によって変ってきたことが原因とのこと。写真は我が家に咲く野生の赤百合です。今回の幹事は九分九厘です。
 ・六月七日になりました。投稿をお願いいたします。
 ・皆様の投稿が終りました。コメントの記入をお願いいたします。
 ・全員の選句が終りました。コメントバックをお願いいたします。
 ・コメントバックが終りました。本句会を終了いたします。暑くなって来ました。
  熱中症に気をつけましょう。来月の句会を楽しみにしています。(九分九厘)


(九分九厘)
赤百合のお出まし忽如鮮烈無比
  虚栄心の高い貴婦人が、にわかに現れた。その様を鮮烈無比と詠んだ。赤百合に、ぴたりの句。このような難しい句を、よく詠まれたものと感じいりました。(ゆらぎ)
 ゆらぎ様 コメント有り難うございます。中七下五で字数を揃えるの苦労しました。漢字と言うものはうまく嵌められるととても便利なものですが、やはり堅苦しいようです。(九分九厘)

草引や腰の痛みは明日も又
 梅雨入り間近ともなれば、雑草は採っても採っても生えて来ますね?中腰となっての草引きは、お互いの事ながら腰の痛みに難儀します。農作業用の腰掛などの用意も必要ですね!!。(かつらたろう) 
 たろう様、コメント有り難うございます。中腰のしんどさを理由にしてすぐに庭掃除を諦めています。もっぱら雑草の成長に興味を持ってきたようです。(九分九厘)

お絵書きの筆は乾きし昼寝覚
 矢張りお絵描きは日課でしょうね?とは言っても暑くなれば、食後の一服と昼寝は欠かせないようですね?その間に絵筆は乾いてしまいます。(かつらたろう)
 小生のお絵描き生活と、相似たりです。寝る前に一筆二筆入れて明日につなげます。朝方時には、筆を洗っておき、午後に備えます。(葉有露)
 たろう様、葉有露さま、選を頂き有り難うございます。やはり、何をするにも緊張感と根気が続かなくなってきたようです。徹夜をしてでも仕上げてしまう嘗ての勢いを懐かしんでいます。(九分九厘)

紫陽花の色にまぎれし子等の声
来し方の色はなにいろサクランボ
 子供の頃を振り返っている九分九厘さん。 さくらんぼの色ねえ!あの甘く赤黄色に染まったさくらんぼ。それは、まぎれもなく幼い頃の思い出でしょう。(ゆらぎ)
  二つの意味があるように感じられる。一つは歩んできた長い人生、幸せだった。色に例えれば赤い、そうさくらんぼの色だ。
もう一つは、長年の絵画と銅板画の世界で色々な色を追求してきた。その一つが茜色、今日この頃この色を出せるようになった。さくらんぼのこの赤を。作者の感動が伝わってきます。(龍峰)
 本句を「選」とします。(紘子)

ゆらぎ様、龍峰さま、紘子さま
 選を頂き有り難うございます。句作りのきっかけですが、モノトーンのペン画で自画像を描きながら、ふと吾が人生の来し方を色で表わすとどうなるのか考え込みました。大学の寄宿舎時代を除き、あまり明るい色の印象が浮かばないようです。絵に描く色でサクランボはとても難しい色ですが、こんな色の人生を過ごしてきた人もいたかもしれない。俳句では「サクランボ」を使って素晴らしい人生だったと表現してやろうと、自虐的かつ諧謔的に詠んだものです。(九分九厘)
 

(たろう)
新調の靴をおろせば風薫る
 句に動きがあって、詠み手の元気さが伝わってきます。季語と新調の靴が響きあっています。靴は白色のウオーキングシューズかな? いい句ですね!〔九分九厘)
 本句を「選」とします。(紘子)

 <九分九厘様、紘子様>
 上記の句をお選び頂き、嬉しいご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。毎朝、雨でも降らなければ1時間〜1時間30分程句材収拾を兼ね、歩いて居ります。そのウオーキングシューズが下手ってきました。その為楽天ショップにて、4E、ひも付き、ファスナー付の条件で少し大きめの靴を購入しました。靴が届けば、子供のように早速履いて出掛けました。(かつらたろう)

歩み行き影に気付けり夏あかね
  散策中に句作りに夢中なるも、はたと己が前の影に気付きそしてまわりに珍しいトンボが飛んでいるのにも気付いた。作者の感動の一瞬が伝わってきます。(龍峰)
<龍峰様>
 上記の句をお選び頂き、嬉しいご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。散策ウオーキングの時には、いつも俳句メモ帳を片手に何か題材はないか?と何時も探しながら歩いて居ります。ある時木洩れ日の鋪道を歩いていましたらとんぼの影に気付き、見上げれば夏あかねが沢山飛んでいました。(かつらたろう)

緑蔭の高き梢や空の青
頬赤き粒もありたり梅漬ける
 二年前より絵の仲間から青梅をいただき、梅干しと梅酢作りに挑戦しています。出来るとは思っていなかったことができました。(葉有露)
 <葉有露様>
 上記を句をお選び頂き、嬉しいご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。
我が家の家内は毎年、壺ひとつ分の梅を漬けます。今回も生の梅を買い求め梅を漬けました。一家言があるようで、過去の経験とレシピを見ながらです。青梅と云っても、黄色に熟れ頬の赤くなったものもあります。(かつらたろう)

 <山口の孫の運動会見学へ>
麦秋の備前平野の車窓かな
 私は岡山の倉敷出身です。何か昔なじんでいた風景です。(九分九厘)
 故郷である大山の麓に帰る詠み手。その列車の車窓にはちょうど麦畑が広がっている。懐かしささえ覚える作者です。(ゆらぎ)
 <九分九厘様、ゆらぎ様>
 上記の句をお選び頂き、嬉しいご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。子供の頃、鳥取の田舎でも秋の取り入れ後には麦を作って居りましたが、麦は米一俵の価格の6割しかならず、次第に作らなくなりました。今回山口の孫の運動会見学に行きましたが、三陽新幹線の車窓はトンネルが多いい中、岡山の備前平野では沢山の熟れた麦畑を眺める事が出来ました。麦秋は何やら懐かしい光景でありました!!。(かつらたろう)


〔紘子)
水無月の空のやさしさ雲を呼ぶ
六月の風透きとほり森を抜け
 六月に入ったとはいえ、日によっては朝夕はまだ涼しく、森を通り抜ける風は爽やかですね?森の新緑によって風も更に清浄になるようです。(かつらたろう)
 たろうさんのコメントに同感です。すきりした佳き句です。(ゆらぎ)

白百合や少し寂しきひと日あり
 あの清廉なる白百合も咲き出しましたね?余りにもの美しさに見惚れていれば昔の色々な事を想い出して、寂しくなる事も?白百合はそのような花ですね!!。(かつらたろう)

梅雨晴れ間老いにやさしき日ざしかな
 わたしのいつもの実感と全く同じです。雨が降ると神経痛で悩まされています。(九分九厘) 
 心を柔らかく、安らかににしてくれます。貴重な日です。(葉有露)

新緑の雲に触れなむ並木道
 散策している道の両側には新緑の葉をつけた並木道が続いている。歩いていて、気持ちがよくなりますね(ゆらぎ)

    新緑の生い茂る並木道を散策中。木々に微かに雲がかかり始めた。その瞬間を感性豊かに捉えられた。感覚の鋭さが伝わってきます。(龍峰)


 (龍峰)
振り向けば一村つつむ新樹光
 列車からでしょうか?或は車からでしょうか?今の時季は何処に行っても滴る様な新樹光ばかりですね?通りすがりの村も新緑の中に埋もれるようです。(かつらたろう)
 この句はいい!すべての投句のなかでも、随一かと。緑に溢れ、緑に包まれた村、なんと素晴らしい光景でしょう!(ゆらぎ)
 本句を「選」とします。(紘子)
たらう様 ゆらぎ様 紘子様
 拙句を取り上げて頂き、鑑賞の言葉有難うございます。バスで四国を回っているとき、峠に差し掛かるころ眼下の谷の村がすっぽり新緑の光に包まれていました。印象的でした。(龍峰)

梅雨小止み洋館揺るるにわたずみ
梅雨雲や車窓の古山まぶた奥
 どんよりと曇る、日本海側の梅雨雲が想われます。いつでも何処にいても故郷の山は、まぶたの奥に蘇りますね?同じ思いをとても共感致します。(かつらたろう)
たらう様
 本句を取り上げて頂き有難うございます。たらうさんの鑑賞の通りです。電車で故郷を通り過ぎようとしましたが、あいにく雲に覆われて見えるべき故郷の山・白山が見えませんでした。少し句に情調がなさ過ぎると反省しています。(龍峰)

六月の水の暗さや深田池
梅雨寒や机辺に置きし正信偈
 「梅雨寒」と「正信偈」の関係をどう解釈するか。あれこれ考えましたが、「薫風爽やかな天気の良い緑の森を散歩する時は「正信偈」は読む必要がなく、自然そのものが如来の心である」と理解して一件落着。〔九分九厘)
 梅雨の頃、雨が降り続いているので、己の居室に籠もって親鸞聖人の正信偈を読む、それも声にだして。それを読んでいると心が落ち着いて来るのではないでしょうか? (ゆらぎ)
 思わず、居住まいを正せねばと思ってしまいます。(葉有露)
九分九厘様 ゆらぎ様 葉有露様
 拙句を取り上げて頂き、深読みの鑑賞有難うございます。正信偈はいつの頃か手元にあります。特別信心深いわけではありません。鎌倉時代に次々と名僧が現われ、己の仏の道を切り開いたことに痛く感心します。梅雨時の寒い日には静寂の中に心置きたいものだと思った次第です。(龍峰)


(ゆらぎ)
夏半ば盛り上がる雲ビール呑む
 ジョッキの中の生ビールは、盛り上がる雲そのものでしょうね。(葉有露)
  葉有露様、ビールの句にコメント頂きありがとうございました。夏真っ盛りの暑い時には、思わず生ビールに手がでますよね。(ゆらぎ)

二人ゆく五月雨傘の重かりし
 梅雨の頃、五月雨の中を相合傘をさして出掛けます。濡れないように大きな傘で、相手を気遣いながらの雨の中を行きます。その重かった事が想い出されるのですね?ゆらぎ様ならではの、艶っぽい一句かとも?(かつらたろう)
 この句は、ゆらぎさんが足を痛めた時の状況を詠んだものでしょう。表に出た表現だけからすると、ひょっとして二人の仲が悪くなったのかしら? いやゆらぎさん夫婦はそんなことは絶対にない。一寸心配する句ではあります。お大事に!(九分九厘)
 二人で歩んできた長い人生、雨の日も風の日もそして晴れの日もあった。こうして今日も二人で傘さして歩いていると、それらの事が思い出され、さしている傘に人生の重みを感じることよ。しみじみとしたものが感じられます。(龍峰) 
 本句を「選」とします。(紘子)
 たろう様、九分九厘様、龍峰様、紘子様、五月雨の句にコメントを頂き、ありがとうございました。九分九厘さんには、ご心配をおかけしました。恐縮です。また龍峰様には心温まるコメントを頂き、ありがとうございました。

なお掲載した本句は、五月雨がじゃあじゃあ降るので傘も重く感じるというほどの句です。お陰さまで、夫婦揃って元気に過ごしております。(ゆらぎ)

夏の空秋はそこまで近づきぬ
初瀬寺あじさいは咲き静かなる
 奈良桜井市の初瀬にある、紫陽花で有名な長谷寺の光景ですね?その美しい庭を散策すれば、まさに静謐そのものの様です。普段の景色とは違う非日常の景色を眺めれば、癒されますね!!。(かつらたろう)

 たろう様、初瀬寺(長谷寺)の句にコメントをありがとうございました。長谷寺は、いつ訪れていいところですが、紫陽花の咲く頃は、降る雨のせいか、
ひ人もあまり訪いこず、落ち着きを感じます。(ゆらぎ)


(葉有露)
入梅の大仕事なる古書整理
 入梅となればあまり戸外に出掛けられず、自宅にある古書の整理を思い立たれたようですね?手をつけて見れば、要不要の判断もあり、あまりの多さに愕然としています。(かつらたろう)
 ちょうど梅雨の時期に入り、外に出ることもないので蔵書の整理をする。それも古書を。思い出のある本を整理する、片付けてしまい、挙句の果ては捨て去る。思い出も含めて捨てるのは、まさに大仕事でしょうね! (ゆらぎ)

 (お礼)たろう様、ゆらぎ様
誠に地味な句に注目して頂き有難うございます。毎年にた句をよんでいます。
年の前半を終える時期に反省を込めての習慣です。(葉有露)

梅雨に入る無音の中で古書開く
 中七をいかに解釈するかが難しい。外から聞こえる音が対象ではなく、心の中の「無音」と考える。その無音が古書と関係しているのだが、何となく分かったようでも、それを言葉でうまく書けない。しばらくお預けとさせていただきます。(九分九厘)
  雨の日は古書整理にうってつけ。昔貪った愛読書を手にしていると当時の熱き思いが一瞬に甦る。いつしかうつつを離れた若き日の世界。既に何も聞こえない無音の世界。作者の至福の時が伝わってきます。(龍峰)
 本句を「選」とします。(紘子)

(お礼)九分九厘様、龍峰様、紘子様
 やや意味不明の句にも拘らずお採りあげ戴き、感謝です。初めは「静寂」とかを考えていましたが、古書の世界に入り込み、自然界には存在しな状況を想像しました。(葉有露)

子らを見る親燕の目我恥じる
燕の子羽音聴いて餌近し
 今頃の燕の子であれば、二番子のようですね?親鳥が餌を咥えて帰巣してくれば燕の子はその羽音により、餌を貰えると大はしゃぎです。可愛いものですね!!(かつらたろう)

 (お礼)たろう様
   親子の深いつながりを素朴な状況で見れるのは、とても新鮮な気持ちになります。有難う御座いました。(葉有露)

花菖蒲同じ高さのあいさつで
 花菖蒲も腰をかがめているようではあるが、やはり人間の方が腰をもっと曲げなければならぬようです。自然との挨拶や対話はやはり人間が動くことが前提ですね。しかし、残念なことに歳を取ると腰が曲がらなくなります。(九分九厘)
 腰をかがめて、咲き誇る花菖蒲を見る。 そのことを、”同じ高さのあいさつ”、と表現された葉有露さんのユニークな物の見方に感じ入りました。(ゆらぎ)

 (お礼)
  九分九厘様、ゆらぎ様
 花菖蒲様も、人間様も同じ世界の存在です。どちらからともなく、挨拶をかわします。 平凡な句を採りあげて頂き、感謝です。(葉有露)
                            以上

皐月句会、終了といたします。

2024-05-02 | Weblog

5月七日に皐月句会が始まります。(写真は、五月の花(なんじゃもんじゃ))
皐月句会では、初夏の句を投句して頂きくことになります。予め、初夏の句を
ご用意ください。(なお、今回の幹事は、「ゆらぎ」です。)

皆さま、初夏の句をご投句ください。

皆さんの句がでそろいましたので、コメントをお願いいたします。やり方は、いつものとおりです。間違いがあったら、幹事のほうで、修正いたします。

コメントが出揃いましたので、コメントバックしてください要領は、いつもと同じです。

コメントバックも出揃いましたので、本句会は終了といたします。皆さまのご協力ありがとうございました。(ゆらぎ)

(紘子)
屋上のソウラパネルや夏を呼ぶ
風薫るドレミファソラシドと歌ひ
  今年の「立夏」はうるう年の関係で、5月5日であり、例年より一日
 早かったですね?暦の上とは言え「立夏」と思えば、吹く風も爽やかに思え   るようです。その様子を音階に喩えての表現は、薫風のように新鮮ですね!!。(たろう)

 5月の薫風は気持ちがいいですね。思わず、ドレミファソラシドと声をあげたくなります。そして、その気持がそのまま句になりました。佳き句です!
(ゆらぎ)

空っぽの日を重ねをり五月晴れ
 直感的に同感を呼ぶ句です。頭の痛い問題を抱えて暮らす毎日より「空っぽの日」のほうがよっぽどいいと思います。しかし、この「空っぽ」なる意味は人それぞれに違うのでしょう。「悟りをひらく」とう意味になれば万万歳です。上五と下五がよく響きあうようです。(九分九厘)

春の暮れそっと閉じ込めたき齢
   春は、花満開の季節であり、一方では憂いの季節でもある。春の夕暮れ時、ふと老いていく自分を見つめた時、以前のように自分の思いの通りには心も体も動かない。憂い勝ちにはなるが、齢のせいににするのはやめよう。作者はこの先も前向きに生きようと、そっと自分に言い聞かせた。静かに心打つ句です。(龍峰)

 春の暮れは、なぜかもの憂く、もの思う宵です。そしてこれ以上、年をとりたくないという思いがあります。 それが、「閉じ込めたき」という表現につながったのでしょう。これはなかなかの名句です! (なお、「春の暮」は三春の季語ですので、ご注意あれ。(ゆらぎ)
 
森羅万象をのみこみ、全てを受け入れんとする心境でしょうか。(葉有露)

初夏の音なき風を追ひかけて
  立夏後は季節外れの暑さも未だなく、何となく吹く風も爽やかに
  感じますね?。その吹くとはなしに、木々の若葉を揺らし通る風の
    行方を追いかる作者の心情が見えるようです。(かつらたろう)


(九分九厘) 
翔平の薫風高しホームラン
 ドジャースへ移籍後にトラブルがあっても何のその、結婚も発表し5月7日
 時点でホームラン11号とリーグトップでもあり、打率も3割7分と最高です   ね?何処まで記録が伸びるのか恐ろしいばかりです。世界中が脅威の眼で見て 居り我が日本の誇りですね!!。(たろう)
 本句を「選」として頂戴します。(紘子)

 たろうさま、紘子さま
選を頂き有り難うございます。大谷翔平選手の活躍は殆ど毎日放映されています。彼の爽やかなプレイ振りと大きな放物線を描くホームランが、彼独自の「薫風」を生み出していると観察しました。

柿若葉あれよあれまのティーンエージャ
薫風や腕自慢のペペロンチーノ
 ペペロンチーノ * ここ数年お料理も良くなされるとかお伺いしておりましが、腕もかなり 上った事でしょうね?オイルベースのガーリックの利いたパ スタ料理は、とても 美味しく奥様もさぞお喜びの事でしょう!!。(かつらた ろう)

 爽やかな風の吹く五月。”さあ、ペペロンチーノでも拵えてわが愛妻を喜ばしてやるろうか”、、との思いでしょうか。にんにく香るペペロンチーノ。いいですね。イタリアンパセリにアンチョビでも加えてやると、止まらない美味しさです。私も食べたくなりました!この季節にあった佳き句です。(ゆらぎ

たろうさま、ゆらぎさま、/ コメントを有り難うございます。
 パスタでは、ペペロンチーノは簡単で上手につくれば最高の料理と思っています。ニンニク油を美味しく作るのがコツだと思います。あとは塩加減のみです。シラスかチリメン或いはタラコをいれて青身の細葱で仕上げます。部屋中しばらく薫りが広がります。(九分九厘)

快晴に乾きしタオル五月の匂ひ
 万物が光の恩恵にあずかる季節に、我が家にも身近にあります。(葉有露)

 葉有露さん コメントを有り難うございます。洗濯物に太陽光線をたっぷりと当てると、何か安心感と清潔感が溢れてきます。昔の大家族時代の洗濯の大仕事に郷愁を覚えます。(九分九厘)

新緑やブック閉じての安らぎを
 青葉若葉の滴るような樹下、緑陰で好きな読書に耽り、ふと疲れて本を閉じる。何にも代えがたい至福の時を過ごしたことに心から満足、安らぎを憶えた。静かに流れるクラシックと暖かいコーヒが心の隅まで満たして行く。
作者の満足げな顔が浮かんできます。(龍峰)

 薫風薫るこの五月。”本など読んでいられるか”、と思い、庭に枕付きのハンモックを吊ってまどろむ。まさに、至福の時! 五月なればこその句です!(ゆらぎ)

 龍峰さま、ゆらぎさま
  コメント有り難うございます。お二人のコメントを合わせた状況を詠んだものです。加うるに、最近バリラックスの眼鏡の度が合わなくなってきて難渋しています。(九分九厘)
 

(葉有露)
新緑の老いの身染めて心地よし
  新緑の中をウオーキングの光景のようですね?透き通るような新緑の中を深呼吸しながら通れば、我が身さえ緑に染まり、若返るような心地良さです ね!!。(たろう)
 本句を「選」として頂戴します。(紘子)
 きれいな言葉で、年寄りに元気を与える句ですね。天気の良い日私も散歩しようと思いました。好きな句です。(九分九厘)

 九分九厘さんのコメントに同感です・(ゆらぎ)

 (お礼)たろう様、紘子様、九分九厘様,ゆらぎ様
  平凡な句に目を止めて頂き感謝しています。「緑に染まる心地良さ」を、今更ながらに感じる歳になりました。 (葉有露拝)

新樹来て町の顔つきは精気満つ
 この季節初夏の日差しはまぶしく、町には新樹が光り輝いています。町は、若者のはち切れんばかりの姿のように、まるでその顔つきが変わってきた。そして町だけでなく、作者自身もはつらつとしてきたと感じておられる。作者のみずみずしい感受性が際立っています。(龍峰)

 (お礼) 龍峰様
   新緑の放つ精気に引き寄せれる自分を感じています。有難う御座いました。(葉有露拝)

街並みに青壮老の新樹立つ
豆飯をほうばる子らは静かなり
  小生はこの春、ある事に気付きました!!。秋口と同様暑さとは反対に寒さも 和らぎ、日毎に暖かくなり心地良い気候となれば、食欲も出て来るようですね? 概していつも元気な子供達は「豆飯」を好むようながら、好きな食べ物を食べる時は無言にて、一生懸命に食べる事に専念のようですね!!。 
(たろう)

 子どもたちは、この気持ちのいい天気の下で、遊びまくって楽しんで、お腹が空いたことでしょう。豆飯でもいい、ハンバーグでもいい、ミスタードーナッツのドーナッツでもいい、とにかくお腹いっぱい食べたいことでしょう!
そして、食べている間は静かですよね。その情景を巧みに描写した
佳き句です。(ゆらぎ)

 (お礼)たろう様、ゆらぎ様
  平凡な句ながらお採りあげ戴き有難うございます。子供たちの見せる情景ですが、これに自分の幼き頃を重ねてしまいます。(葉有露拝)

箸先の豆飯緑畠の母
 

(たろう)
新緑の美味しさうなる在所かな
 たろうさんの故郷は、たしか鳥取県、大山のあるところでしたね。私も、途中まで登りましたが、どこまでも緑一色でした。その新緑の美しさを、”美味しそう”と表現されたところに面白みを感じました。佳き句です。(ゆらぎ)

 上記の拙句をお選び頂き、素晴らしいご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。鳥取の霊峰大山の新緑もさりながら、京都郊外になります洛西の身ほとりも明るい若葉の新緑に被われ、はっと息を呑むほどの美しさ
であります。究極の美味しく食べられそうな若みどりです。(たろう)


竹皮を脱ぐや至りぬ薮の天
 嵯峨野あたりの竹林でしょうか。筍は目が出たと思うが早いか、一晩で伸びて三日もすれば藪の天上に達すると。作者は、若竹の成長の速さ、すなわち生命力の強さにいたく感動されておられる。作者の感動がまっすぐ伝わってきます。(龍峰)
 堂々とした見事な句ですね。タケノコを詠んでいる事は分かりますが、むしろクリスチャンの「桑本栄太郎」の姿を詠んだものだと思います。(九分九厘)

(龍峰様、九分九厘様)
上記の拙句をお選び頂き、嬉しくも過分なるご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。
当地京都洛西は昔より竹林も多く、「山城筍」としても有名な産地であります。散策ウオーキングの時には、彼方此方で筍を見掛けます。
かなり伸び、もう人の背丈を超えたかな?と思えば、次に見る時には薮の天の高さまで伸びて居り、その勢いには驚くばかりであります。 (たろう)

(たろう様)コメントをうっかりしていました。お詫びします。小生、戦前戦後を通して三回に亘り、茨木、千里丘に住んだことがあります。食材の乏しい頃で、黙って筍を竹林から頂いて帰ったことを思い出します。(葉有露


ジャスミンの紅のつぼみや雨予報
 本句を「選」として頂戴します。(紘子)
 ジャスミンの花の蕾の色をみて、雨を思い浮かべるなんて、洒落ていますね。詠み手の想像力感嘆いたします。(ゆらぎ)

  (紘子様、ゆらぎ)
 上記の拙句をお選び頂黄、嬉しいご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。我が家ではベランダの大きな鉢に、ジャスミンを育てて居ります。上向きの紅色のつぼみが開けば、真っ白な花びらが捲れるように咲きとても高貴な良い香りがします。雨が降りそうな時には、とても良く目立ちます。(たろう)

父母在りてこその嬉しき子供の日
午後よりの雨の催ひや花うばら*

(ゆらぎ)
父母(ちちはは)の永代供養夏のよそ
  「よそ」とは余所行きの余所、あるいは他所の事のようですね?
いずれにしましても、現在のゆらぎ様の住まいとは遠くある墓所に於いて
 永代供養の法要を営まれたようですね?小生も同じながら、こんな事も考える 年代ですね!!。(たろう)

 たろう様、永代供養の句に、コメントありがとうございました。最近、西宮にある我が永代供養の墓に詣で、今はなき父母の供養をいたしました。ご存知とは思いますが、「夏のよそ」という言葉は、夏の暑さを忘れるという意味の季語です。(ゆらぎ)


暑かりし日差しやわらぎ走り梅雨
 初夏の今頃、日差しがさんさんと降りかかるかと思えば、梅雨でもないのに、翌日にはしとしとと雨模様。特に最近は天候の変化が激しいですね。作者は敏感に季節の変化を捉えて句に仕立て上げられた。作者の数多の句の中で、本句のような季節の妙を詠まれた句は、また別の味わい深いものがりますね。(龍峰)

 龍峰さま、走り梅雨の句に、丁寧なコメントを頂きありがとうございました。お褒めの言葉を頂き、恐縮です。(ゆらぎ)

浮御堂句会賑あふ今朝の夏
 あやさん主宰の句会であちらこちらに吟行に行きましたね。最初の旅行が余花朗のウナギ。平成19年8月31日(金)第四回芒の会です。会報を見ると、特選は正道二句、有世二句、紘子一句となっています。正道さん、紘子さんの特選句を下記に記しておきます。(九分九厘)
  堅田なる澄雄の句碑や法師蝉   正道 
  湖の国み仏おはす白木槿     正道
  京近江ひとつに山の霧わたる   紘子

 九分九厘様、浮御堂の句に、懇切丁寧なコメントを頂き恐縮です。その
おりは、堅田の波の音酒造のお店(余花朗)で真に美味な鰻の蒲焼きを堪能しました。その折の句会は、今も忘れる事ができません。(ゆらぎ)

まだ若き父の和服に初蛍
 以前の我々の父親の年代の若い頃は、普段着は和服姿も多かったようですね? ここでは、浴衣姿の御父上の「遠い想い出」でしょうか?一緒に蛍狩りに出掛けた 遠い日の想い出の印象が、「初蛍」の明りに今でも強烈に焼き付いている作者です。 (たろう)
 本句を「選」として頂戴します。(紘子)

 たろう様、紘子様、初蛍の句にコメントを頂きありがとうございました。亡父の写真はほとんど残っておりませんが、それらを見る限りでは、亡父はいつも和風を着ておりました。懐かしい思い出です。(ゆらぎ

晩年の父の浴衣は藍浴衣

  (龍峰)
蔦若葉学舎の煉瓦赤深し
 ご出身大学の京都大学の煉瓦の校舎のようですね?赤煉瓦の建物に蔦若葉がつたい、如何にもアカデミックな母校の様子を誇りに想う、作者の心情が良く伝わります。 赤煉瓦の建物には、蔦若葉がとても映えるようですね!!。(たろう)。

 俳句紀行で金沢にご一緒しましたね。気のしれた仲間との吟行は、とても楽しいものでした。今も、忘れる事はできません。その時の思い出が蘇って来るような思い出深い一句です。そういえば、あの時は大学の教室で、お互いの句の鑑賞していたところ、隣の教室から歌声が聞こえてきて、思わず大声で歌を歌って返した事がありましたね! (ゆらぎ)

たらう様 ゆらぎ様
思いの籠ったコメントを頂き有難うございます。
赤煉瓦の学舎はゆらぎさんご指摘の旧制四高です。この時期、若葉に覆われる歴史ある煉瓦の学舎は深みを増し、色は絵画的です。しかし、投稿後、季語の選び方は、あまりにもステレオ的であったと反省しています。
金沢の吟行の折の句会は、現在石川近代文学館として活用されている旧制四高の校舎の部屋を借りて行いました。その時の印象も句づくりに役立ちました。何にも代えがたい思い出です。尚、小生は旧制三高系ではありません。(龍峰)


マーラなど語り合ひをり若葉陰
 上五の「マーラ」と下五の季語との関係を探りました。「若葉陰」動かない季語であるかどうか? マーラーの特に交響曲をよく聴きますが、特有の新鮮で時には驚くような響きがでてきます、そして途端に陰鬱なムードになったり哲学的になったり、何を考えているのかなと疑問を感じたりして、ヴェートーベンの筋書きと違うようです。マーラなどを語り合っているのは、どうやら血気盛んで感傷的になる若者たちなのでしょう。これで納得々々と言うことになりました。(九分九厘)

九分九厘様
 句の季語と「マーラ」に関してのご高説有難うございます。
単純にこの句は狭庭の若葉を見ながらの句です。マーラの交響曲は時々聞きますが、中でも第3番が多い。マーラは「初期ロマン派音楽家以来の形而上学的な音楽観の最も忠実な後継者である。彼は{交響曲を書くとは一つの世界を創造することだ}と言っていた。」と西洋音楽史に書かれている。そして、常に「私は何者だ」と問い続けたと。彼の第五番までの交響曲は合唱を伴い、器楽と声楽を統合して宇宙的な法悦へ高めようとする試みであると言われる。中でも三番がやはり一番味わい深い。(龍峰)

若者ら櫓組みをり風青し
 どんな情景を思い浮かべて、この句を詠まれたのでしょうか?
私は、明治の頃の画家和田三造が描いた日本画「南風」を思い浮かべます。筋骨隆々たる青年が筏の上に立ち、前方を見つめている絵です。(よろしければ、ネットで覧ください) 龍峰さんの詠まれた句では、「風青し」との季語が組み込まれていますね。この言葉は、若々しく力強い印象を与えます。そしてこの言葉が、一句を引き締めて、優れた句になっています。(ゆらぎ)

 ゆらぎ様
 和田三造の「南風」を引き合いにしての句評有難うございます。
句は散歩中に広場で祭りのために、若者たちが力強く、櫓を組み立てている光景に出くわし、作りました。「風青し」若者の印象を託しました。(龍峰)
 

縦縞の帆を掲げをり港夏
万緑や風の磨きし磨崖仏
  何処の「磨崖仏」でしょう?磨崖仏とは石を削ったもののや、天然の石切場などに仏像を彫り込んだものなどがあり、日本全国の至る所にあるようですね?周囲の万緑に映える磨崖仏の尊い御姿は、信仰心の深い日本ならではの石像仏です。(たろう)
 本句を「選」として頂戴します。(紘子)
 この句を読んだ時に、北九州の国東半島の磨崖仏を見て回ったことを思い出しました。細い山道を掻き分けて登ると突然ほとけさまが現われました。まさに、この句の情景そのものでした。(九分九厘)

  幾年月も過ごしてきたのでしょうが、今年も新しい命の動きの中に、身を
置いています。(葉有露)

たらう様 紘子様 九分九厘様 葉有露様
 本句にいろいろな思いをこめてのコメント有難うございます。
本句の摩崖仏は以前尋ねた岩船寺からの道すがらの摩崖仏です。万緑の下、のんびりと道の脇の色々な表情の仏の顔を見ていると、本当に心が癒される思いがしました。(龍峰)






新若葉 卯月句会 本句会を終了します。

2024-04-03 | Weblog
いよいよ桜の花咲く四月となりました。四月七日に開催いたします。しばしお待ち下さい。(今回の幹事は、「ゆらぎ」です。)

四月七日となりました。皆様の投稿をお願いいたします。(今月の幹事は、ゆらぎさんの都合が悪く、九分九厘代行です。)

皆さんのコメントをお願いいたします。ゆらぎさんの今回の投句はありません。

コメント記入が終りました。コメントバックをお願いします。

本句会を終了いたします。皆様のご協力に感謝申し上げます。(九分九厘)

今回は、句会に参加できず、コメントにも書き込みできず失礼いたしました。
伏してお詫び申し上げます。(ゆらぎ)
ピンチヒッターで幹事を引き受けて頂いた九分九厘さんには、厚くお礼もうしあげます。(ゆらぎ)

(紘子)
空遠み桜並木の動き出す
「遠み」を「たどおみ」と読むことを初めて知りました。桜が咲き始めてから満開になるまでの時間と空間の変化がまことに上手に詠まれ込んでいます。満開になるに従い空の占める空間が小さくなり「たどおみ」ていきます。(九分九厘)

朝ぼらけ弥生の空のちぎれ雲
 朝早く起きて見れば、弥生の空は良く晴れ、ぽっかりと千切れ雲が浮かんでいたようですね?「折角の春なればあの雲のように自由に出掛けたいもの」との、心情が滲み出て居ますね!!。(かつらたろう)

遥か富士桜のひと日始まりぬ

曇天の黙深くして桜充つ
 花曇りの光景でしょうか?穏やかな曇り空に愈々桜の花が満開となったようです「黙深くして」との措辞により、曇天ながら艶やかな桜満開の景色が想われます(かつらたろう)

雨も良し桜さくらの語り合ふ
 客お相手に忙しい日々、この日ぐらいは、一息入れて。(葉有露)
    世の中は開花宣言だ、満開だ、宴会だ、散り始めたと大騒ぎ。少しは静かにゆっくり楽しみたいものだ、雨に降られるの花も落ち着いてよいものだと、作者は桜に託して詠んでおられる。全くその通りです。(龍峰)


(九分九厘)
老櫻にひこばえありて花一輪
 老いの命のつつましいことよ。(葉有露)
 上部の桜が満開の時季を迎えれば、下の大きな幹のあたりに出て居るひこばえの蕾も開花を迎え、可愛らしい桜の花が一輪ほころびますね!!。(かつらたろう)
 
 葉有露さま、たろうさま、 コメント有り難うございます。夙川の桜を見に行った時まだ花は一分咲きくらいでしたが、老木のひこばえに桜一輪をみつけました。老木の命の強さを再認識しました。(九分九厘)

桜木のつぼみのどれも明日ひらく
 この句を「選」として頂きます。(紘子)
 
 紘子さま、「選」を頂き有り難うございます。第一句で詠んだ通り、桜の花は夙川の花は殆ど咲いていませんでしたが、これほど多くの蕾がすぐに一斉に咲くと思うと、自然の不思議さをまざまざと感じた次第です。(九分九厘)

一瞬の花見楽しむ特急電車
 この句には二つの意味があるように思う。一つは文字通り、特急電車の窓から沿線の、一瞬に過ぎてゆく満開の桜を楽しんでいる。もう一つはこの時期に毎年訪れる、世を挙げての桜の大騒動、しかしこれも人間の一生の時間軸で見れば、一瞬に過ぎてゆく楽しみなのかもしれない。(龍峰)
 電車の車窓より眺める桜の「お花見」ですね?あっ!綺麗に咲いて居ると思っても、ほんの一瞬です。昨日7日は、鳥取の田舎より弟がバスツアーでの阪神競馬場へ来ました。桜花賞が目的であり、小生も電車に乗って行き付き合いました。好天に恵まれ、桜並木の素晴らしい阪神競馬場でした。勿論結果は「さくら咲く」でありました。(かつらたろう)
 
 龍峰さま、たろう様、コメント有り難うございます。句の真意を龍峰さんがずばりと当ててくれました。たろうさん、桜花賞をご覧になったとのこと、賞金の具合はどうでしたか?(九分九厘)

老櫻の赫灼なりし花満ち満つ

櫻充つこの一週間憂さ忘る


(たろう)
無垢なれや傷つきやすき白木蓮

花ゑんどう支柱の丈にまだ足らず
 これからの長い付き合いの始まりです。(葉有露)
 この句を「選」として頂きます。(紘子) 
 
 <葉有路様、紘子様>
 上記の拙句をお選び頂き、嬉しいご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。京都洛西の近在には西方の京西山の麓に、田畑が広がって居ります。小生は何時も、散策ウオーキングのコースとして好んで歩いて居り、この時は、2メートルの丈の支柱の下方に、早くもゑんどうの花が咲いて居りました。概して実のなる植物の花は、その先に楽しみが在る為でしょうか?とても美しくて愛らしいく、思われます。(たろう)

乙女等の白き足裏(あうら)や青き踏む
 
 この句を読んだ瞬間、フランスの葡萄園で収穫された葡萄を、裸足の乙女達が歌を唄いながら踏みつぶしている光景がよぎりました。勿論、季語は「踏青」と知った上での話です。いろんな光景が見えてきて新鮮な雰囲気を持つ句です。(九分九厘)

 <九分九厘様> 上記の句をお選び頂き、フランス絵画よりの連想でしょうか?美しい光景のようにご鑑賞頂き、大変有難う御座います!!。近くの公園の芝生に於いて、春休みの女高生と思しき乙女等が弁当を食べ、その後CDラジカセの音楽を掛け躍って居りました。その光景は当に「青き踏む」の季語にぴったりと想いました。(たろう)

濡れつつも開き初めをり花の雨
  雨にもめげず咲き初める花を見て、その健気さに心打たれる。作者の花への慈しみ、優しさのにじんだ句ですね。(龍峰)
 
 <龍峰様>上記の拙句をお選び頂き、嬉しい過分なるご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。この春は寒暖差が激しく、中々暖かくならず桜の開花も御多分に漏れずかなり遅くなりました。丁度3分咲き頃と七分咲き頃には花の雨に見舞われ、ずぶ濡れの状態で咲きつづけて居りました。桜の美しい花の命は短くても、咲きつづける力強さはかなりのもの感嘆しました!!。当に「雨しずく滂沱となりて花あはれ」でした。(たろう)

咲き満てど蒼ざめゐたる花あはれ


(龍峰)
春背負ふ友遠きより絵画展
 遠くのご友人より、絵画展のご案内があったのですね?いつも戸外に出てデッサンに励むご友人の様子が「春背負府」との措辞に、見事に表現されて居りますね!!。(かつらたろう)
 この句を「選」として頂きます。(紘子)

たらう様 紘子様
 本句を取り上げて頂き有難うございます。たらうさんのコメントに深く考えさせられました。自分としては先の自分の絵画展に、友が遠方より、冬を乗り切り、春の雰囲気を持って来てくれたという気持ちを詠んだつもりでした。勉強になりました。(龍峰) 

万象の芽をさましをり催花雨よ 
 この二ヶ月ほど毎週雨が降っているようです。植木は元気でどんどん新しい芽を吹き出しています。次第に暖かくなって、もう桜が散りはじめます。 梅雨の時期にこのまま繋がっていくのでしょうか。〔九分九厘)

九分九厘様
 本句のコメント有難うございます。鑑賞いただいた通りです。
今年の春は暖冬と言われていたのに、2月の20日ごろから1か月間、雨模様で寒かった。先月25日ぐらいからようやく春めいてきた。その頃の雨は、万象の草木に遅れていた花の芽出しを促しているように感じました。そしてあっと言う間に桜は開花し、満開になりました。(龍峰)

四月馬鹿年中となり午後のテイー

曲水に影流しをり花万朶
 曲水とは庭園内を流れる小さな川の事であり、何処かの庭園内の桜見物でしょうか?その小川には花万朶の影を映しております。京都には城南宮の「曲水の宴」が余りにも有名ですね!!。(かつらたろう)

たらう様
 本句を取り上げて頂き有難うございます。鑑賞いただいた通りです。曲水の場所は城南宮でありませんが、公園の中の曲水に沿って咲き誇る様子を詠んだものです。(龍峰)

碧眼の笑みこぼしをり花見橋 
 櫻は人選びません.(葉有露)

葉有露様
 本句を取り上げて頂き有難うございます。この時期日本に来ている西欧人は、桜の花を楽しんでいるように感じました。満開の花を眺め写真を撮り合い、微笑む姿は我々と変わらない姿でした。(龍峰)


(葉有露)
菜の花を夜の野照らす灯りとし
 一面の菜の花、夜になれば辺りの野をほのかに浮き上がらせ、夜道の灯になる。何と風雅な、江戸前の俳諧のような句ですね。作者の風流を楽しむ気持ちが伝わってきます。(龍峰) 

(お礼)龍峰様
  お採りあげ戴き有難うございます。中七で「の」と「野」が続き滑りがよくないとおもっています。この風景は、随分昔済州島に行ったとき経験です。
当時,長女がここに学術調査のため、長期滞在していました。葉有露拝
 

春風は裏の草木も見舞いたり 
 春風は時には春疾風ともなり、台風並みの大風になる事があるようですね?「裏の草木も」とは、お家の裏手にある六甲山の山並みの事でしょうか? 春の大風に見舞われ、恐ろしい音を立てて居ります。(かつらたろう)
 この句を「選」として頂きます。(紘子)
 
(お礼)たろう様、紘子様
 平凡な句にも拘らず、お採りあげ戴き有難うございます。どのような境遇にあろうとも、すべての自然と人々とに春が来ますようにとの思いです。葉有露拝

花の散るその行く末はどの世かな
 あれ程待ちにまった桜の開花と云えども、一週間ほどで散ってしまいます。その花びらの行く末は、どのような世の中になっていることであろう?と遠い行く末まで想う作者です。(かつらたろう)
 (お礼)たろう様
 お採りあげ戴き感謝です。散る花の行く末は、想像も及びませんが、やがてあの世から見ることになるでしょう。葉有露拝

花衣飾りて孫は卒業す 
 一張羅の着物を着る孫の姿を、目を細めてみる作者。いいですね! 素晴らしい人生の一コマです。〔九分九厘)
 (お礼)九分九厘様
 孫に対する努めを果たした気分で、この句になりました。もっとも「卒業」は季語であり俳句教室で先生に注意をうけました。葉有露拝

花衣母と過ごしし年月よ

                          以上



新草若葉句会  弥生の巻 本句会を終了します

2024-03-03 | Weblog

       

       

 今年も早くも三月の声を聞いています。梅が咲き誇り、続いて桜の花見となります。三月七日に恒例の句会を開催します。先月の会で、本句会を今後別のブログに変えるお知らせをしましたが、まだ準備が整いませんので暫く本ブログで続けるものとします。(三月幹事:小河原)

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(ゆらぎ)

花ミモザランボルギーニで出かけましょう

 そう云えばゆらぎさんは、外車の名車指向でしたね?昔のお写真に、赤い車を見せて頂いた事があります。黄色の豪華なミモザの花には、外車がピッタリです。(たろう)

  たろさん。花ミモザの句に素敵なコメントをありがとうございました。僕は、イタリアの車が大好きです。とくに、マセラッティ、フェラーリなどなど。(ゆらぎ)

花ミモザ心浮き浮きポルシェに乗って

ミモザ咲く蝶ネクタイつけ手をつなぎ

 本句を「選」として頂きます。(紘子)

    恐らく20代の実際の光景か、今でも見る夢の中の夢なのか。何とも作者の輝けるご尊顔が浮かぶ。永遠に夢を持つ作者は若い。(龍峰)

 本句のあとに七七を付けたくなりました。まずは、ゆらぎさんの奥方をイメージして。奥方に感謝の意を表して温泉にでもいかれるのかな!(九分九厘)

  龍峰さん、紘子さん、九分九厘さん、蝶ネクタイの句を選んでいただき頂きありがとうございます。龍峰さんから頂いたコメント通り、結婚したての頃は蝶ネクタイをつけて嬉しそ うに出勤していました。流石に手はつなぎませんでしが、・・・。お恥ずかしい限りです。九分九厘様、ぜひ、七七をつけてください。 

 (ゆらぎのサンプル)ミモザ咲く蝶ネクタイつけ手をつなぎ公園を行く仲良しふたり (あはは)

 紘子さん、当句をお選びいただきありがとうございました!

 

花ミモザ桜も咲いておらが春

大和こそ国のまほろば龍天
    (六甲アイランドで開催されている日展をみてきました)・・・・後ほど、最も印象に残った小灘一紀の「大和は国のまほろば」(洋画)を掲載致します。

    写真は、ここにアップする予定でしたが、なぜかブログの冒頭に置かれてしまいました。手抜かり、ご容赦ください。

 大和(奈良の地)こそ国のまほろば(優れた良い地)ですね?此処から、春になれば龍が天に向かって昇るとか。我が国の発祥の地に相応しいようです。(たろう)

   たろうさん、コメントをお寄せいただきありがとうございました。大和(奈良)は、本当に日本人の心の故郷ですね。春になり、暖かくなったら奈良を訪れたいものです(ゆらぎ)

 私も丹水会の残党(トンボの会)と組して日展をみてきました。「大和は国のまほろば」の絵もとても印象的でした。画風は明治時代の洋画家の雰囲気ですね。ゆらぎさんのお好きな原田直二郎に近いのかと思いました。今回の日展の大賞には超写実的絵画が選ばれていて、審査員の構成も変ってきているのだろうと思いました。(九分九厘)

  九分九厘さん、日展をご覧になりましたか! 今回の「大和は国のまほろば」は、私の見るかぎり、最高傑作でした。この絵を書いた画家(小灘一紀さん)が渾身の力を奮って書かれた渾身の力作だと思います。余談ですが、もう一枚、青いソフアの上に横座りしている女性の絵がありました、白っぽいワンピーズに青い斑のような模様がついています。その色っぽさに目を惹かれました(ゆらぎ)

 

龍峰)

 服装の間にあはずとも春帽子

 早春賦の歌のように何時までも寒暖定まらず、寒い侭です。着るものは春物では無くても、せめて春帽子だけでも?(たろう)

 春を迎える気持ちが新鮮です。(葉有露)

  ガールフレンドからお呼びがかかった。なにを置いても行かねばならぬ。いや、行きたい!そこで愛用の春の帽子を被って、駆け出していく。若き日の思い出か。年老いて、若き日のことを思い出して詠んだ句であろう。こんな句が詠めるとは、素晴らしい!(ゆらぎ)

  たらう様 葉有露様 ゆらぎ様 :色々と愉快なコメント有難うございます。今年の春は、特に最近は暖かな日と寒い日が入り混じっています。春になったのに今日は寒い、せめて帽子でも春物をと言う実感で、ふっと浮かんだ軽い句です。(龍峰)

観梅や王朝風の名のならび

 長浜の盆梅展などを、見物に出掛けられたようですね?元々梅がかの国中国が有名であり、中国王朝風の名前の鉢が多かったようですね?(たろう)

 本句を「選」としていただきます。(紘子)

 勿論この句の主人公は龍峰さんになるわけですが、至極客観的に捉えて読ませて貰いました。中国の歴代王朝の遍歴に一歩離れて、泰然とした梅が存在している・・・と言った感じです。(九分九厘)

たらう様 紘子様 九分九厘様 :本句に高尚な深読みのコメント有難うございます。本句の「王朝」は、中国王朝なんぞと言う恐れ多いものではなく、ここは日本の特に平安時代を、さらに平たく言えば、「雅な」と言う程度の意味で詠みました。先人は梅の姿形を見て、なんと奥ゆかしい雅な名前を付けたものよと、いつも感心して梅見をしています。(龍峰)

 河津桜夜空に梅と肩ならべ

 河津桜は静岡の河津で咲く早咲きの桜。早咲きゆえに梅と同じ時期に咲く。それを、”肩を並べて”、と表現したところがユニークで面白い。目の付け所が面白い。

 実際に、河津まで出かけられたにでしょうか? (ゆらぎ)

ゆらぎ様

 おほめのコメントありがとうございます。河津桜といっても近場です。そこでは河津桜と梅が、それぞれが満開で並んでいて、ちょうど見ごろでした。これは少し珍しいと思い、季重なりも承知のうえでつい詠ませていただきました。(龍峰)

 梅満開呉服(くれは)枝垂れか笠枝垂れ

 百とせの枝垂れ梅いや艶の増し

 

(葉有露)

水草生ふ三島の先に富士の峯

 かつての「36会」の旅行をおもい出しています。(九分九厘)       

 (お礼)九分九厘様 有難うございました。参加してくれた仲間の顔が浮かびます。葉有露拝

醒井に水草生ふなり鱒の里

 滋賀県醒ケ井の水は、名水100選にも選ばれるほど有名な名水です。又、その水を利用して、日本で初めて開かれた養鱒場もあり鱒釣りの場としても有名ですね?春ともなれば水草も?(たろう)

 本句を「選」として頂きます。(紘子)

 醒ヶ井の川の流れは、とてもきれいですね。そこに、ゆらゆらと水藻が浮かんでいる。その情景を巧みに描写している。技巧を凝らさぬ、いい句です。(ゆらぎ)

 (お礼)たろう様、紘子様、ゆらぎ様 :醒め井は、新入社員の頃課内旅行で訪れたことがあります。水の流れが速く、透き通っていて、水草が鮮やかでした。この歳になっても覚えているのが不思議です。有難うございました。(葉有露拝)

遥かより近づきあるか春の山

 山が眠りから次第に目を覚ましていくと、だんだん山は緑を増し、くっきりしてくる。ちょうど山が向こうから近づいて来るような錯覚に捕らわれる。実感として良く分かります。作者はそのことを「山が近づいて来るか」と詠まれたのは素晴らしい。そして長い冬から春を迎えていく森羅万象に、作者は喜びを感じておられるようにも感じます。(龍峰)

 好きな句です。龍峰さんの読み全くの同感です。(九分九厘)

 (お礼)龍峰様、九分九厘様: この山は小生が生まれ育った六甲山系です。山の起伏、峰々の変化はすっかり眼に焼き付いています。(葉有露拝)

散歩する遠回りして花ミモザ

 詠み手の気持ちは、よく分かります、私もそうするでしょう。自然体で、いい句です” (ゆらぎ)

花ミモザ町の眠りをさましたり

 ミモザの花は豪華な黄色の燃え立つような花ですね?この花が至るところに咲き出せば、町中が冬の冬眠より目覚めたように活発に動き出しますね!!。(たろう)

(お礼)ゆらぎ様、たろう様 : このミモザの花は、小生の高校同期の自宅の角に植わっているものです。同期の彼も昨年この世から去っていきました。(葉有露拝)

 

(たろう)

友よりの句集着きたる日永かな

 春ののどかさが感じられる日、詠み手は親しい友から届いた句集を広げる。”さあ、どんな句が詠まれているのかなあ”、と思い浮かべながら句集を紐解く。友人と作者の濃密な交友が感じられる佳句!(ゆらぎ)

 <ゆらぎ様>
 上記の句をお選び頂き、丁寧なコメントも頂戴しまして大変有難うございます!。田舎、鳥取の小・中・高と同じ同級生がお寺の住職のかたわら俳句も嗜んで居ります。革新系団体の少し毛色の変わった句ながら、俳句歴は長く選者も務めて居ります。今回も句集を送って呉れましたが、趣味が同じであれば話がよく合います。(たろう)

夜もすがら雄叫び聞きぬ春北風

 <鳥取の田舎の追憶より二句>
春潮のふくらみ蟹の流れ落つ

海苔掻きやはるかに見ゆる隠岐の島

 本句を「選」として頂きます。(紘子)

 目に浮かぶような光景です。波打ち際の岩の上に生えた海苔を掻き取る。波が来れば下がり、波が引けば又、海苔を掻く。腰を上げ、沖合を見ればはるか彼方に、微かに隠岐の島が見える。まるで日本の原風景を詠まれているように感じます。作者は郷里のこのような光景に、こよなく安らぎを感じておられるのが伝わってきます。(龍峰)

 龍峰さんの句評に同感です!自然体で詠まれたいい句ですね!(ゆらぎ)

 私も龍峰さんのコメントに同感です。隠岐島には伊丹から飛行機で旅行したことがあるのですが、鳥取の浜からの光景は見たことがありません。広大な日本海の光景が想像されます。いい句ですね。(九分九厘)

 <紘子様、龍峰様、ゆらぎ様、九分九厘様>
 上記の句をお選び頂き、特に龍峰様には懇切丁寧なコメントを頂き大変有難うございます!!。今頃の時季ともなれば、鳥取の田舎の子供の頃の日本海の海での追憶が多くなります。冬の間は大荒れの海も春の凪となり、この様な時には岩海苔掻きに良く出かけました。メンソレータムの蓋にゴムを通し、手のひらにつけてそれで掻き採るのです。潮のふくらみの合間を縫って、掻き採るのですがお茶碗一杯採るのがやっとでした。それでもとても美味しいのでよく出かけました。家に帰り塩水で洗い、お醤油を垂らせば磯の香りが蘇りとても美味しいものです。その他、「ふくらかしもんば」と呼んでいましたが、こすれば風船のようになる海藻もあり、採ってよく遊びました。(たろう)

 

(紘子)

森の影ほのと明けゆく二月尽

 二月末の明けがたの光景のようですね?その光景を眺めながら、あ〜明日から三月になるのだ!と待ちに待った春の到来を喜んで居ますね?嘗ての紘子様の十八番である、「ほのと」が出ましたね!!。(たろう)

老いの日の華やぐ一日雛の間

 日々あまり変化のない老いの日を送る中に、ひな祭りのシーズンには、お雛さんが飾られる。その部屋だけは華やぎに包まれている。作者はその部屋で遠き日のひな遊び、子供さんやお孫さんが大きくなるに従い、それぞれのお雛さんにまつわる日々を思い起こされているのでしょうか。老いの日の中のオアシスように感じます。(龍峰)

 若かりし頃を思い出しての句。あの頃は、一日中、お雛様を眺めて心豊かに過ごしたものだ。龍峰さんの、「老いの日の中のオアシス」との表現がピッタリ当てはまりそう。(ゆらぎ)

紙雛の老人ホウムの一隅に

やはらかく弥生の空の明けゆかむ

 やはらかに弥生の空が明けてゆく、その措辞がなんとも言えぬ心の豊かさを表しているように思います。素人では,詠めない練達の人の句です。(ゆらぎ)

雛飾る遠き日のあり今朝も晴れ

 三月三日の「雛祭り」を迎えた感慨でしょうか?遠い昔の事となってしまったものの、目を瞑れば昨日の事のように想い出されるようです。(たろう)

 色々な出会い、出来ごとがあった日々でありました(葉有露)

 想像力によって己の過去と繋がる時、そこに人は現在に於ける新しい意味を見いだすといわれます。この新しい意味を、現実的に俳句に表現できるのは作者の構想力の仕業だと思います。下五の表現が素晴らしいです。私もこのような句を詠めるように精進したいと思います。(九分九厘)

 

(九分九厘)

春キャベツ千切りのコツ会得せり

 今ではスーパーへ行けば、カット野菜はいくらでも販売しているものの、やっぱり瑞々しい侭の春キャベツを食べたいものですね? 九分九厘様の料理の腕も、相当あがったのではないでしょうか?(たろう)

 本句を「選」として頂きます。(紘子)

 こんな句は、とて詠めないなあ” 自然体で、よほど俳句に練達した人の句だ!(ゆらぎ)

 たろう様、紘子さま、ゆらぎ様: 拙句に「選」を頂き有り難うございます。毎朝の定番サラダにキャベツを千切りにする作業があります。その日の気分によって切り方が変ります。最近になって漸く安定してきたようです。(九分九厘)

 

啓蟄やふと気がつきし庭の施肥

 つい先日6日が、「啓蟄」でしたね?何時までも寒く寒暖定まらない云々と云っても、暦の二十四節季は待ってくれないようです。ふと気づいて庭の草花へ施肥を行う作者です。(たろう)

 自然界が、ひと様のお出ましを待っています。(葉有露)

 たろう様、葉有露さま: コメントを有り難うございます。春の気配を感じて、ふと寒肥ををするのを忘れていたことに気付きました。一寸遅いかなと?。まさに、葉有露さんのコメント通りです。(九分九厘)

柔き味の歯にも優しき鰆かな

 鰆は「字」の通り、春の代表魚なのでしょう。身は柔らかくあっさり気味。味は優しく、硬いものが苦手となった歯にも優しい。作者は鰆を買って春を文字通り、満喫されておられるのでしょう。作者の喜びが伝わってきます。(龍峰)

 龍峰さま:コメント有り難うございます。「鰆」の字面もいいですね。鰆は大好物ですが、生きの良いものを見つけるのが一苦労です。(九分九厘)

春時雨ひとみしりするビニール傘 

 この句は、何を言わんとしているのでしょう。傘も、どうせ挿されるなら、美女に挿してもらいたいと思っているのかも。

 人生の高みに到達して、何もかも知り尽くした練達の士にして、詠める句なのでしょう! 愉快な句です。(ゆらぎ)

 葉有露さま、ゆらぎ様: コメント有り難うございます。ちょっと分かりにくい句になっています。「傘も、どうせ挿されるなら、美女に挿してもらいたいと思っているのかも」で正解であります。(九分九厘)

山茱萸の黄色の芽生へ春を呼ぶ 

                     以上

 


如月句会を終了といたします。

2024-02-01 | Weblog

如月句会のご案内です。二月七日に投稿してください。初春の句を、お願いします。(今回の幹事は<ゆらぎ>です)

全員の投稿が終りました。コメントをお願いいたします。いつものように、句の一段下に一字右寄せで、お願いします。

コメントが出揃いました。コメントバックをお願いします。(ゆらぎ

コメントバックが、、出揃いましたので、本句会(如月句会)は終了といたします。皆様のご協力ありがとうございました。

なお、これまで「草若葉」は、gooブログで運営してきましたが、「編集画面」に入れない方がいるなどの不都合がありました。そこで近いうちに別ブログ(おそらくアメーバブログ)に切り替えて運営することになろうかと思います。実施に当たっては幹事二人で、相談して決めることに致します。 (文責 ゆらぎ)

 

(紘子)

耳澄ます如月の朝音もなし

  2月になった日に朝耳を澄ます。無論何も聞こえない。その中で極寒の寒さが伝わってくる。作者は無音を通して厳しい寒さを表現されようとしたのではなかろうか。研ぎ澄まされた感覚が伝わってくる。(龍峰)

ふとそこに人の影見ゆ春の昼

今でもご主人様の面影は胸の中にあり、何かの拍子にふと「人の影がご主人に」見えるようですね?春の昼な
 らではの哀愁の一瞬です。(かつらたろう)

心身の痛み包みて春の風

 大自然の豊かさに包容さている作者の姿が見えます。作者が幸福なのかどうか、複雑な気持ちで読みました。(九分九厘)

 心にも体にも、言うに言われぬ痛みを感じる。それを優しいい春の風が包み込んでくれる。しかし、果たして、それで痛みが取り去られるのか、微妙な気持ちであろう。(ゆらぎ) 

ゆっくりと積もるがよけれ春の雪 

 春の雪の淡雪は、ゆっくり降るとはなしに降る風情が良いですね?知らぬ間にお菓子の様に積もって来ました。
(かつらたろう)

 春の雪もまた、この季節の旅人、訪問者です。歓待しましょう。(葉有露)

耳澄ます春の足音朝まだき

 静かに耳を澄ますと春の足音が聞こえてくる。しかし、まだ夜が明けきらぬ、薄暗い時間である。そんな中、聞こえてくるのは、今は亡きご主人の足音かもしれない。

 期待に胸が膨らむ句である。(ゆらぎ)

 

(九分九厘)

歳時記の季語多岐なれど寒き春

 2月4日の立春以降、暦の上では春とは云えども冬から春に切り替っても気温も定まらず、春寒し、早春、春浅し、春淡し
 冴返る、など季語は沢山ありますね?然し、今は寒いようです。(かつらたろう)

 寒き春というのは、春風の肌に寒く感ぜられることである、それを、どのように表現するか,詠み手はあれこれふさわしい表現を渉猟したことであろう。そうして、やっと結論に至った。詠み手の嬉しさが伝わってくるようだ。(ゆらぎ)

 立春は過ぎても、寒い。年中で一番寒い時期である。春の季語は沢山あるが、この寒さを的確に表現する季語は見つからない。世は暖冬と言うが寒い。この感覚的な落差。作者の頭の中には「寒さ」「季語」「暖冬」この三つの言葉が感覚的に絡み合って、この句ができたのではないかと想像します。(龍峰)

 たろうさま、ゆらぎ様、龍峰さま: コメント有り難うございます。歳時記をみると、現代の季節感と随分ずれてきているのは明らかです。「季語」を共有して歌を詠むと言う文化が、崩れ始めてきたものと杞憂しています。(九分九厘)

大東京清濁覆ふ春の雪

 本句を選句といたします。(紘子)

 紘子さま、コメント有り難うございます。投稿前夜に大雪が降っているのをTVで知りました。

ほうれんそう札値変らず午後三時

春菊の土を払ひてかをり立つ

 葉の独特の芳香と苦みが良く、おひたしやなべ物によく利用しますね?泥を落としたとたん香りが立ちます。自宅のお庭で
 育てられているのでしょうか?えっ!、そんな事「菊菜」って?(かつらたろう)

 香りはまるで生き物のように、季節の変わり目を鮮やかに教えてくれます。(葉有路)

 たろうさま、葉有露さま: コメントを有り難うございます。私の住んでいる地域は40年ほど前に開発されましたが、すぐ近くには昔からの農家が多く残っています。ビニールハウス栽培を主にしていますが、菊菜やほうれん草などは2〜3ヶ月で成育させて出荷しています。産直ですが結構いい値で売っています。(九分九厘)

寒明けて我の誕生祝しけり

 これは、名句だ! 寒明け、つまり立春に詠み手は生まれたのだ。今朝の春に・・・。(たしか、二月九日生まれだ)詠み手は、嬉しくてしょうがない!

 自分で自分の誕生を祝い喜んでいる! 結構毛だらけ猫灰だらけ! (ゆらぎ)

 ゆらぎ様、いやいや、ここまで詳しく句意を説明していただき、驚き桃の木山椒の木! 愉快なコメント有り難うございました。 それにしても、我ながら長生きをしているものだと感心しているのが実感です。小沢征爾さんの死亡はちょっとショックでした。(九分九厘)

 

(たろう)

哀しみと怒りのつづくニン月に

 本句を選句といたします(紘子)

 紘子さんのコメントに激しく同意! 二月には、トルコ・シリア大地震、また不世出の指揮者小澤征爾さんが亡くなられたなと、色々ありました。(ゆらぎ)

    紘子様、ゆらぎ様

        上記の句をお選び頂き、嬉しい語句評も頂戴しまして大変有難うございます!!。今年令和6年は、元旦の能登半島の巨大地震、2日の羽田空港での飛行機事故と続き、驚愕と哀しみ          が 続くばかりでした。ところが能登半島地震への支援、復旧がままならないままに、1月24日より始まりました国会では、政治資金規正法により収支報告書への不記載、キックバッ        ク問題裏金づくり問題など、岸田総理を初め、現政権はまともに答弁せず安倍派に至っては幹部が安倍元総理、細田幹事長などの派閥会長からの指示であったと「死人に口無し」の         言い訳です。これらの哀しみと怒りのつづくままに、二月に入りました。(かつらたろう)

 

うすらひや旅出はいつも風任せ

   まるで寅さんが作ったような句です。およそ日頃の俳句狂の作者の生き方とは反対の吐露です。あるいは、これが作者の願望なのかも知れない。いいですね。(龍峰)

  龍峰様上記の句に大変丁寧なコメントを頂戴しまして、大変有難う御座います!!。春先の水溜りや池に張った「薄氷」は、直ぐに融け出し、風によってあちこちと流されて居りま   す。その状態を自身の旅心に重ねて詠みました。(かつらたろう)

淡雪の降っては消ゆるもの想ひ

立春の遠出をおもふ陽射しかな

 本句を選句といたします。(紘子) 

 好き句です。この歳になっても、まだ行きたい外国があります。(九分九厘)

 かっての大事な思い出の地でしょうか、あるいはかねてより予定しているかの地でしょうか。(葉有露)

  紘子様、九分九厘様、葉有露様上記の句をお選び頂き、嬉しい句意そのもののコメントも頂戴しまして大変有難う御座います。この冬は余りにも気温差が激しく、散策ウオーキンさ  えままならない程でした。立春を過ぎてから少しづつ陽射しも明るさを増して来れば、子供のように遠出を思い立ち、うずうずして来ます。(かつらたろう)

<2月4日京都市長選挙>

春立つや激戦たれに投票日

 京都市長選は、本当に激戦・接戦でした。松井孝治さんは、かねてより存じ上げているので、心の中で応援していましたが、共産党の候補が猛烈に追い上げました。 一時は、予想不 能でした。そんな状況を、うまく詠まれました。 まさに、激戦! (ゆらぎ)

  ゆらぎ様 上記の句をお選び頂き、嬉しい語句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。今回の京都市長選は、無所属「有志の会」の北神圭朗議員を支援して居ります
関係上、松井孝治さんをしっかり応援しました。現在の京都市政には松井孝治さんの内閣府副官房長官、大学での「総合政策」、民主党参議院時代の中央とのパイプ等が必要であり、その上飾らない誠実な人柄なども感じたからであります。右京ふれあい文化会館のおいて開催されました「決起大会」、西京区樫原小学校での「立合い演説会」、阪急桂駅前での「街頭演説会」などもしっかり出掛け応援し、その都度ご本人へも挨拶を交わしました。2月4日の夜の選挙速報はずっとテレビ観戦でありましたが、大激戦であり当確が出たのは午後11時でした。(かつらたろう)

 

(ゆらぎ)

春寒しこころ燃やせし日の遠く

 立春を迎えたと言ってもまだ実際は寒い侭ですね?春と聞けばこころ躍らせ「さ~出掛けるぞ!」と、心を燃やした日も今では
 遠くになってしまったとの述回です!!。(かつらたろう)

  たろうさん、「春寒」の句にコメントを頂きありがとうございました。「こころ燃やせし」の本音ですが、好きだった彼女に入れ込んだというほどの意味です。それも遠い日のことになりました。(ゆらぎ)

寒明けや和醸良酒ということば

 寒明けのこの時期が酒造りの一番大事な時期。酒の造詣の深い作者は、この時期に、「酒は和をもって醸す」の精神に思いを馳せ、一人瞑想に耽っておられる。荒走りを待ち焦がれておられるのでしょうか。「後五」の言い切りが瞑想の余韻を強く表現されているように思います。(龍峰)

  龍峰さん、「寒明け」の句に嬉しいコメントをありがとうございました。和醸良酒」と言う「言葉は、能登の老いたる蔵人の言ったことばです。その意味は、ご指摘のとおりです。 この句の本当に言いたかったことをご理解いただき、心より感謝申し上げます。(ゆらぎ)

          
春風が氷溶くとき君の笑み

墨の香の立ち上がるとき寒明くる

 そう云えばゆらぎ様は書道も嗜まれて居られましたね?墨を擦っているうちに墨の香が立ち上って来れば、「寒明け」を
 実感するようですね!!。(かつらたろう

 本句を選句といたします。(紘子)

  紘子様、たろう様、「寒明くる」の句に嬉しいコメントを頂きありがとうございました。句意は、たろうさんのおっしゃる通りです。(ゆらぎ)

春兆す相撲甚句の爽やかさ

 下五が私の実感を呼び起こします。その昔大阪の春場所の升席に行った時こと。相撲甚句ではなかったのですが、呼び出しの声や拍子木の音の独特の爽やかさを思い出しました。(九分九厘)

その声は観客のみならず、春を待つ通りがかりの人々も聞き入るでしょう。(葉有露)

  九分九厘様、葉有露様、相撲甚句の句にコメントを頂き恐縮です。相撲甚句を聞いていると、春場所も賑やかに、爽快にすらなります(ゆらぎ)

 

(葉有露)

山眠るなじみの峰も静かなり

 六甲山の冬の光景でしょうか?寒い時季の「山眠る」情景は、いつも静寂そのものです。(かつらたろう)

 (お礼)六甲の山並みは、神戸生まれの小生にとって幼少の頃から親友です。毎日、峰々と話しあっています。有難うございました。

早春や何やら急ぐ我おかし

 春の浅い時季は何やら浮かれ、寒い時には出来なかった事のあれもこれもと急ぎ、「ふと気づき」思わず可笑しみが湧く作者です。(かつらたろう)

 私も時々この句と同じ感覚を持つことがあります。春が巡ってくるのが意外に早いのが其の原因かとも思います。(九分九厘)

 私もふとこのような感覚にとらわれることがあります。本句を読んだ時に瞬間的におかしみを感じました。それもいわゆる江戸前の滑稽味です。芭蕉が弟子を前にして、俳諧のおかしみを説いているときの例句のような感じです。句の軽妙な滑稽味がいいですね。(龍峰)

 (お礼)たろう様、九分九厘様、龍峰様

 平凡な句の目を止めていただき恐縮です。怠惰な生活を送っていても、なにか普段と異なるものを体が感じるのでしょうか。その状況に自ら不思議がっている時分です。これも己の意思でしょうか。

初午や田の神に会う頭垂れ

紀元節後につづきし大戦は

 次の句もそうですが、物凄い曲玉(くせだま)を投げてこられましたね、それで少し調べて見ました。戦前は、今の建国記念日を紀元節と呼んだ。神武天皇即位の日、2月11日を紀元節と定めた。”建国を偲び国を愛する心を養う日、とされた。ところが終戦後、GHQの意向で紀元節は廃止となり、「建国記念の日」となった。その後に続く大戦ですが、第二次世界大戦のことと推察します。国を愛する余り、他国を軽んじて見る。そういう観点から、(紀元節が)第二次世界大戦へと繋がって行ったのでしょうか? 解説をお願い致します。(ゆらぎ)

建国日国とはなにか問いつづけ

「建国日」は、「建国記念の日」(2月11日)のことでしょう。しかし、そのことが何を意味するのか、詠み手は自問自答しました。建国記念して自国を大切にする余り、    他国を軽んじることにならないか?、と。そう云う考え方は、大切だと思います。詠み手の真摯な姿勢には、敬意を表します。(ゆらぎ)

(お礼)ゆらぎ様

 子難しい二句に目を向けていただき。感謝です。この季語は俳句教室での兼題で、自ら選んだのではありません。この季語を前に自分の思いを句に仕立てた次第です。第一句でのゆらぎ様のコメントは当を得た内容とおもいます。昭和15年11月は紀元節2600年式典が行われ、天皇は勅語を述べています。その中に「我が惟神の大道を内外に顕揚し以て人類の福祉と万邦の協和とに寄与するあらんことを期せよ」とあります。ところが、前年昭和12年7月には日中戦争を始めています。翌年昭和16年12月太平洋戦争に突入です。天皇の勅語と現実には矛盾があります。ここに天皇の戦争責任を見ます。話が少々長くなり、恐縮です。

 

(龍峰)

晩成の人のごと梅蕾かな

 強き心で寡黙な人でしょうか。(葉有露)

「梅蕾(梅ふふむ」は、花がまだ開花せず、ふっくらと紅色が兆し始めた「梅のつぼみ」のことを指します。それが花開き、満開になってくる。

 まさに大器晩成の感があります。詠み手は、この大器晩成のことを言いたかったのでしょう。詠み手の己の信条でもありましょう。(ゆらぎ)

 

葉有露様 ゆらぎ様

 拙句にいろいろなご感想有難うございます。3年前より小さな紅白の盆梅を育てています。年明けてから蕾が少しづつ膨らみ始めましたが、なかなか花は咲かない。1か月ほどたってようやく1輪咲いた。しびれが切れるほど寡黙で、かつねばり強い。正に大器晩成の人を見ているようです。(龍峰)

山里はなほ深眠り梅蕾

 好きな句です。被災した石川の山里の今を、作者は意識されたのかも知れない。(九分九厘)

 

九分九厘様

 拙句に震災の思いを寄せて頂き有難うございます。暖冬だと言われていても、やはり風は冷たい。ましてや被災した地や山里の日陰は寒く冷たい。長い冬である。蕾は当分固い。(龍峰)

月ケ瀬の蕾ふくらむ梅月夜

 さすが!行動力のある龍峰さまならではですね?早速、奈良月ヶ瀬の梅園に探梅のようですね?未だ開花は少しなれど、夜ともなれば梅の香の
 梅月夜です。(かつらたろう)

 本句を選句といたします。(紘子)

 

たらう様 紘子様

 拙句を取り上げて頂き有難うございます。ご存じのように月ヶ瀬の梅林は自然の地形に広まり、言ううに言われぬ趣があります。蕾の期間は長いが、昼も月夜の晩も、梅は少しづつ膨らみつつあるのだろうか。(龍峰)

万蕾の一目千本梅が里

 関西では著名な月ヶ瀬の梅園です。吉野の桜の一目千本のように梅の香りの万蕾の梅の里です。(かつらたろう)

 

  たらう様

 拙句にコメントありがとうございます。かつて出かけた月ヶ瀬や南部の梅林を思い浮かべつつ詠みました。梅はまじかに見ても良し、見渡す限りの梅林を俯瞰するのも良し。しばし、万葉人になったつもりで愛でるのも良いかもしれません。(龍峰)

民宿の壺に投げ入れ梅蕾

 自分が宿泊した田舎の宿で、その部屋に置かれている壺があり、まだ開きかけの梅の花がさしてあった。まったたく贅沢な眺めを詠み手は楽しんだことでしょう!(ゆらぎ)

 

ゆらぎ様

 拙句に目をとめて頂き有難うございます。仰せの通り、民宿に出かけた折、通された部屋の壺に今朝活けたばかりの紅梅の枝が鮮やかに目に留まった。女将さんの季節感と心意気が枝ぶりに感じられ、食事を楽しんだ。(龍峰)

 

 

 

 

 

 

 


新若葉 新年の睦月句会  本句会を終了いたします。

2024-01-06 | Weblog

明けましておめでとうございます。新若葉句会を七日に開催いたします。皆様の投稿をよろしくお願いいたします。(幹事:九分九厘)

全員の投稿が終りました。コメントをお願いいたします。(九分九厘)

コメントが終了いたしました。コメントバックをお願いいたします。(九分九厘)

コメントバックが終りました。正月の句会をこれをもって終了します。ご協力有り難うございました。次回の「如月の句会」は二月七日に開催いたします。皆様の今年のご健勝をお祈りいたします。(九分九厘)

 

(紘子)

めでたさを探してみようおらが春

 正月を迎え、「何か良い事を探そう!」との前向きの意気込みです。「おらが春」との季語も効いています。(かつらたろう)

  この積極姿勢、いいですね! 一年中、この姿勢で行きたいものです。”めでたさを探してみよう、おらが夏”、などと。(ゆらぎ)

京に生まれ東の国のお正月

 生まれた時から今日に至るまでの時間の流れと、住む場所の違いが表わされている時空の大きな句です。それに、「京」と「東」の対比が日本歴史の流れをおもわせ、今においても文化の違いを作者が暗示しているのでしょう。(九分九厘)

 まるで平安の世の国司の、東国への赴任のようですね?新しい土地で迎える正月の感慨です。(かつらたろう)

  京都で生まれ育ち、正月はもとより、生活習慣、人間形成までこの地で出来上がった。晩年の今、東京近郊に移り住んで、正月を迎えている。風俗習慣の違いや自分の人生の、若いころには思ってもみなかった東下りの生活、作者は、正月を機会に我が人生ながらままならぬ、わが身の大きな運命について、しみじみ感慨を覚えておられるのだろうと思う。(龍峰)

  神戸育ちの家族が、転勤で藤沢へ。食べ物の味、買い物での流儀、言葉のニュアンス等に困惑していました。 (葉有露)

初日の出はるばるとあり富士の峯

晴れわたり正月二日動き出す

明けの空冬満月の笑みたまふ

 確かに正月の何日かは、冬満月でしたね?探せば美しいものは何処にでもとの喜びが、「笑みたまふ」との措辞に窺がえます。(かつらたろう)

 冬満月という言葉がいいですね。寒い冬にも、満月が笑うがごとく中天にかかっている。この草若葉句会が、始まる以前の句会で、たしか碇英一さんという方が、”立ちしものに光りを注ぎ冬満月”、という句を詠まれたことを思い出しました。(ゆらぎ)

 

(かつらたろう)

人はみなおもひ出に生き年迎ふ

 まさに今年年頭の私の所感と同じです。たろうさんはまだお若いのにこのような句を作られるとは! (九分九厘)

 全く同感です。特にこのところ、何かにつけて生まれ育った地や周囲の人々とのシーンが思い出される。最晩年に至った証拠なのだろう。但し、作者にはまだ早い。(龍峰)

 たろうさん、”思い出に生き”などと年寄りのようなことを言っていてはいけません。たろうさんは、まだまだ若いのです。肉体的にも精神的にも。この句の言わんとするところは、わかりますが、もっと積極的に、前向きに生きませんか! (ゆらぎ)

 本句を「選」とします。(紘子)

(九分九厘様、龍峰様、ゆらぎ様、紘子様)
 揚句に上記の皆様より温かく、又思いやりのあるコメントを頂戴しまして大変有難う御座います!!。俳句の想い出に関しましては、10年以上にも亘り、長い間の「芒の会」の句会での彩先生を交えた真摯で楽しい想い出、又その後の昼食会での語らい吟行句会など、小生の人生に於きまして「珠玉の想い出」であります。その他、長い間のコロナ禍による外出自粛では、学生時代の卓球の想い出、社会人となってからはジャズバンド(ディキシーランドジャズ・ニュー大リンズスタイル)での想い出、ノルマで苦しかった大丸の現役の外商時代の想い出など、沢山あります。そのコロナの自粛生活では、俳句の他に過去の趣味を生かし、卓球の動画、昔は垂涎の的であった、古いレコードも沢山契約切れになり出回っていて、その動画による演奏なども良く聴いて楽しんで居りました。最近は興味ある事には、悔いを残さないよう少しづつ外出の機会を増やして居り、ご安心下さいませ。(かつらたろう)

日のすでに高く昇りぬ初御空

御降のありしや路面濡れ光る

歩み行く恵方詣りや大原野

  作者の自宅から、今年の恵方にある社は、大原野の神社。都会の喧騒の中の初詣とは違い、静かな中に淑気に満ちた初詣、そして大原野の大きな景浮かんできます。(龍峰

(龍峰様)
 揚句に嬉しいご句評を頂戴しまして、大変有難う御座います!!。 その昔、小河原様ご夫妻、網本様ご夫妻、龍峰様、そして小生と向日市の栗生の光明寺、奈良春日大社を勧進の洛西大原野神社を散策しました事も記憶にあります。その後は京都エミナースに於いて食事会を行いましたね!。当地洛西では、初詣では先ずこの大原野神社へお詣りであります。(かつらたろう)

三日早やパンコーヒーの朝餉かな

 拙宅では、元旦でも小生ひとりトースト、牛乳で朝食でした。(葉有露)

 今年の三日は、まだおせちの残りを食べていましたが、一般的には、我が家でも、パン・目玉焼き・ベーコンとトーストというメニューになります。お気持ちは、分かります。(ゆらぎ)

(葉有露様、ゆらぎ様)
揚句に共感と日々の生活に照らしたご句評を頂戴しまして、大変有難う御座います!!。我が家では夫婦とも同じ鳥取県出身であり、田舎の雑煮は甘い小豆雑煮(一般的にはお汁粉)であります。おせち料理もあって、二日間同じものではうんざりであります。それに小豆雑煮の後は、コーヒーが飲めず三日目には通常に朝餉であります。(かつらたろう)

 

(九分九厘)

お屠蘇には一号酵母選びけり

 さすが!、元技術者ならではの拘りのようですね?お屠蘇もただのお酒ではなく、本格的お屠蘇を作られたようですね!!。(かつらたろう)

 櫻正宗をお気に召したでしょうか。小生は,かっての勤務地安芸西条の賀茂鶴としました。やや甘口ですが。(葉有露)

 たろう様、葉有露さま:コメント有り難うございます。協会第一号酵母の吟醸酒は三宮の阪神百貨店で入手しました。値段も合理的でてらいのないところがいいです。(九分九厘)

元旦や二人の雑煮餅三つ

 正月はおせち料理も沢山あり、老いの二人だけの為お餅も少なめのようです。(かつらたろう)

 作者の現在の心境を実に端的に、わずか12文字で表されている。どこか一茶の句を彷彿させるような句、実に見事な句だと思う。(龍峰)

 この句は、ある意味平穏な家庭の雰囲気を伝えているように思われます。静かな元旦の雰囲気が伝わってくる佳句です。(ゆらぎ)

 本句を「選」とします。(紘子)

 たろう様、龍峰さま、ゆらぎ様、紘子さま:コメント有り難うございます。雑煮はのどに詰まらせると危ないし、残った餅の処置も困るし、それにあまり美味しいものでもないので、そろそろ来年からやめようと思っています。この句は、1(元日)、2、3  の数字を並べて遊んでいるものでもあります。(九分九厘)

元日の龍の荒れよう蘆雪なる 

 天才絵師蘆雪の描いた龍は、自由奔放に躍動しています。詠み手は、この句の「龍」をもって何を言わんとしたのでしょう。なにか、能登半島での災害に例えようとしたのでしょうか?(ゆらぎ)

 ゆらぎ様:コメント有り難うございます。縁起の良い意味での龍なら歓迎ですが、荒れ狂って災害や戦争を起こすような龍は困ります。蘆雪の晩年はあまり歓迎されたものではなかったようです。(九分九厘)

新年の何がめでたい津波と火

 正にそ通りです。想像を絶する悲劇が一瞬に起きた。この列島で。我々に対する、今日の緩んだ気持ちに過酷な鉄槌が下されたものと思う。(龍峰)

 龍峰さんの言わんとしたところと同感です。新年を祝うどころではないでしょう! 状況をよく表した名句です! (ゆらぎ)

 龍峰さま、ゆらぎ様:コメント有り難うございます。元旦の地震には驚きました。「めでたさ」を探すという紘子さんの俳句と対照的です。俳句はあまり悲観的なものは良くないですね。(九分九厘)

甲辰の睦月と言へど喧嘩の世

 ググって調べました!!。干支と十二支とは違いがあり、今年2024年は「きのえ・辰」のようですね?辰は龍の事であり、風水害などの自然災害も多くあるものの、昇り龍との意味からも勢いに乗じて運気良く成功する者も?然し、現実はウクライナ戦争やパレスチナ・ガザなど戦争拡大の懸念もありのようです。(かつらたろう)

 たろう様:コメント有り難うございます。今年はいろんなことが起きそうですよ。(九分九厘)

 

(葉有露)

幼子のかしわ手響く初詣

 上五・中七の物理的現象が現実に起こりうるのかどうか一寸あやしい。作者の心象なのでしょう。それだけに作者の「優しさ」が俳句を通じて表れていると感じました。俳句の芸の面白さを勉強しました。(九分九厘)

 お孫さん?又はひ孫さんでしょうか?幼子を連れての初詣ですね?可愛らしいもみじのような手で、かしわ手を打っています。(かつらたろう)

 大人に混じっての幼子の真剣に手をたたくしぐさが見えてきます。それを作者は「かしわ手響く」と表現された。俳味のある、ユーモアに包まれた温かいまなざしを感じます。いいですね。(龍峰)

(お礼)小生の幼い句に、コメント頂き有難うございます。近くの西宮戎神社で見る光景です。圧倒的に大人の多い中、幼子の存在は目を引きます。小さな手での心に残る音があったことでしょう。〔葉有露) 

初詣露店のおもちゃあれにする

 幼子を連れて初詣の帰りです。参道の両側に露店が立ち並び、その中より「あれが好い!」と云って選びました。(かつらたろう)

 初詣に行った幼子が、露店に並べられたおもちゃを、ためつすがめつ眺める。そして一品を選ぶ。まさに平和な風景です。ウクライナや、ガザでは、こんな風景は見られませんね。(ゆらぎ)

(お礼)拙い句に注目して頂き恐縮です。小学生の頃父に連れられ,初詣は市電に乗って長田神社にいっていました。参道が長く露店が連なっていました。店のおもちゃが目当てでした。有難うございました。〔葉有露) 

買い始めパソコン開いて品定め

七種の粥はごちそう忘れさせ

 七種がゆは、現代の飽食の時代への気付け薬ですね。作者の昔ながらの習慣を、痛く尊ばれておられる気持ちが伝わってきます。(龍峰)

 質素な七草粥を食べる、美味しかったおせち料理を、一瞬忘れます。それで、いいのですね。(ゆらぎ)

 (お礼)お二人には共感して頂き有難うございます。この粥は、普段の生活の有難さを教えてくれます。〔葉有露)

七種の故郷いずこ野のかおり

 正月七日は「七草粥」の日ですね?最近はスーパーに於いて「七草粥セット」も売られているものの、何処の野の香りであろう?と想いながら頂く、作者が見えます。(かつらたろう)

 本句を「選」とします。(紘子)

(お礼)紘子様、たろう様。お採りあげ戴き感謝申しあげます。この粥は、小さい頃、郊外、田舎で過ごした日々を思い出させてくれます。〔葉有露)

 

(ゆらぎ) 

  新春なので、一句おまけさせて頂きました。ご容赦ください。

二日見ゆ茅渟の浜辺の紙風船

 作者の住まいの窓から見られる風景なのでしょう。「平和」とはこのような景を言うのでしょう。いいですね、「紙風船」がとてもよく効いています。(九分九厘)

「茅淳の海」とは、古よりの大阪湾の呼称ですね?以前お伺いしました「六甲アイランド」の先端の浜辺でしょうか?正月二日に行ってみれば、紙風船で遊んでいる光景も見えたようですね!!。(かつらたろう)

 九分九厘様、たろう様、紙風船の句にコメントをありがとうございました。正月二日に海辺に出て見た光景を詠みました。九分九厘さんの仰るように、平和そのものの光景でした。

ありがとうございました。(ゆらぎ)

  

船がゆく冬惜しみつつ光追い

 海のほとりに住まわれている作者ならではの句ですね。船が去ってゆく姿に、それなりに愛着の湧いている冬が去っていく、その思いを重ねておられる。実に感覚鋭い、心象を詠われている佳句と思います。(龍峰)

 一幅の絵画を見ている気分です。(葉有露)

 本句を「選」とします。(紘子)

 龍峰様、葉有露様、紘子様、船がゆくの句にコメントを頂き有り難うございました。海辺で見たままの様子を句に詠みました。(ゆらぎ)

春遠し能登の加賀屋も休みをり

「おもてなし日本一」と評判の能登和倉温泉の加賀屋も、今回の地震に遭い、再開の目途がまったく立たないとのようですね?現段階では全く、「春遠し」のようです。(かつらたろう)

 たろう様、「加賀屋」の句にコメントを頂き恐縮です。おっしゃられるように、加賀屋さんもしばらくお休みだそうです。行ってみたい宿でしたので、残念の極みです。(ゆらぎ)

冬菫今日という日の贈りもの

寒の雨なゐの襲いし輪島にも

 TVの画面で氷雨や雪の降る被害の跡を見ていると、実に惨たらしい光景に言葉を失ってしまいます。(龍峰)

  龍峰様、「寒の雨」の句にコメントをありがとうございました。被害甚大、その上に冷たい雨が降る。なんともお気の毒のことです!(ゆらぎ)

ことごとく桜炭(さくらずみ)の句夕霧忌

 陰暦16日は大阪新町の遊女夕霧太夫の忌日ですね?どのような謂れか存じませんが、使っていた炭は良い香りの桜の木より作った「桜炭」とのようです。夕霧忌の艶っぽい情念が想われます!!。 嘗て大丸大阪心斎橋店では、今宮戎の日に新町芸者が「宝恵籠・・ほい籠」に乗って囃しながら一階の店内を練り歩きました。(かつらたろう)

 たろう様、、夕霧忌の句コメントありがとうございました。1月7日の法要では、夕霧の遺品が展観されるとか。その中に何故か、桜炭を詠んだ句が数多くあったとか、なかったとか、。夕霧太夫は大阪の遊女の中で、最も美しかったそうです。こんな太夫と、一度でいいから遊んで見たいですね! ちなみに、桜炭は、クヌギからつくられる上質の炭で、茶の湯などに用いられることが多かったそうです。(ゆらぎ)

 

    (龍峰)

歳旦や朝陽いただく茅渟の海

 歳の初めの茅淳の海(大阪湾)の、光輝き淑気の満ちる光景が想われます。お家のある高台よりの「初日の出」の眺望は、得もいえぬ眺めであり思わずかしわ手を打ちたくなるほどのようですね!!。(かつらたろう)

 少年の頃、朝早く起き摩耶山頂上で,友達と震えながら日の出を待ち、拝んだのを思いだしました。(葉有露)

 なぜか、例年元旦の朝には、海に光り輝く朝日が昇ります。そのような光景をみたら、まさに、”淑気満つ”ですね! (ゆらぎ)

 本句を「選」とします。(紘子)

たらう様 葉有露様 ゆらぎ様、紘子様

各々方の素晴らしいコメントありがとうございます。

元旦の日の出は雲の上からでしたが、きれいに出て拝めました。日の出の瞬間は自分でも不思議な位、敬虔な気持ちになります。1年に1回ですが。写真を添付します。(龍峰)

                             2024年元旦 茅淳の海の初日の出

列越しに笑み交はしたり初詣

 お正月を祝う人々の息遣いまで伝わる句です。笑みを交わすのは親族・恋人でも他人でも誰でもいいのです。読んでほっとする好きな句です。(九分九厘)

 九分九厘さんのコメントに同感です! 新年くらい、穏やかににこやかに過ごしたいものです。(ゆらぎ)

九分九厘様 ゆらぎ様

 何気ない句を取り上げて頂き有難うございます。氏神の弓弦羽神社の初詣は、参拝客でいつも参道に長い行列。大体1時間並ぶ。知り合い同士は列越しの挨拶です。(龍峰)

舟音の響き軽やか浦の春

初凪の瀬戸の島々浮き上がり

 この御句も冒頭の御句同様、初凪の煌めく海に島々が浮き上がるように眺められるようですね?海の見えない京都では、羨ましい限りです!!。(かつらたろう)

たらう様

 本句を取り上げて頂き有難うございます。

今年の元旦の海は凪でした。10数時間後には大変な天変地異が起きたわけですが、知らぬが仏で句を詠んでしまいました。少しはばかられます。(龍峰)

夕陽染む一湾の橋初景色

    〈能登地震に寄せて〉

なゐふるや海の激昂地の叫び

 ”天災は忘れた頃にやってくる”、とは寺田寅彦の言葉ですが、今回の能登大地震は、まさにそうでした。その状況を”海の激昂地の叫び”と詠まれた龍峰さんの表現力には、素晴らしいものがあります、特筆すべき名句でしょう” (ゆらぎ)

ゆらぎ様

 本句を取り上げて頂き望外のお言葉有難うございます。

 仰せの通り、天災は突然やってきますね。なんだかんだ言っても、大自然の前では、人間の知力、体力なんてものは芥子粒のような無力なものだと、今回も改めて思い知らされました。但し、人間には,けなげにも、少しずつ立ち直る力もありますね。(龍峰)

初凪の一転魔海胸つぶれ

情熱き地の叫喚や凍てのなゐ

なゐ語る高ぶり郷の初電話

 龍峰様の田舎のご実家は、立山の眺望も臨む海の近くでしたね?今回の能登半島地震には驚かれた事でしょう!!。心配のあまり初電話をすれば、地震の凄さを高ぶりながら語る郷のようです。被害などなかったでしょうか?(かつらたろう)

たらう様

 本句へのお言葉有難うございます。

 実家は能登ではなく、加賀の方です。家からは立山ではなく霊峰白山が見えます。地震の揺れは相当に激しかったようですが、幸い大きな被害はありませんでした。初電話は開口一番、地震の状況から始まりました。(龍峰)

吾がなゐのよぎり来凍ての能登のなゐ

「地震」は漢語であるが、「なゐ」は古来の日本語「根居」(当て字)で大地を意味するとありました。大地が震うので「なゐふる」と呼ばれ、その省略形「なゐ」が定着したものといいます。これで上五の「吾がなゐの」の意味が分かりました。「作者の住んでいる神戸の地」と狭義に解釈できるし、故郷にもつながる大地とも解釈できます。中七は上五・下五のいずれにもかかるものと考えます。この解釈でいいでしょうか。ただ、作者は句の切れをどこにもって来られたかを知りたいです。難しい句を詠まれました。(九分九厘)

 ”吾がなゐ”、は恐らく阪神淡路大震災のことでしょう。寒気で凍えそうな中で起こった能登半島の激震の様相をみて、前述の阪神淡路大震災のことが胸によぎったのではないでしょうか? 気持ちが入り混じった中での名句でしょう。小生には、とても詠めません。(ゆらぎ)

  ゆらぎさん説の方が句意が理解しやすいようですね。「よぎり来」で切れるのでしょう。ただ、一人称に繋がる「吾が地震」の表現には抵抗感があります。私は「よぎり」をあえて「夜霧」に解して、「私の故郷の地が地震で襲われ、夜霧で何も見えなく、凍てついてしまった」と読んでしまいました。〔九分九厘)

九分九厘様 ゆらぎ様

拙句を取り上げて頂き、いろいろ深読み有難うございます。

句意はゆらぎさんの解釈の通りです。切れは「よぎり来」です。「吾がなゐ」は自分が経験した阪神淡路大震災のことでしたが、表現にはもう少し吟味が必要だったようですね。夜霧を晴らすためにも。(龍峰)

                           以上