草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

新若葉 / 文月句会 (最終清書編) 文月句会を終了いたします。 

2023-07-02 | Weblog

7月21日記:最終清書編
 コメントバックの記入の締め切りを致します。文月句会を終了いたします。次回は8月7日です。担当は ゆらぎさん です。

7月11日記:コメントバック記入編
 参加者全員の選句及びコメントが終了しました。コメントバックの記入をおお願い致します。書式は各自の自由とします。

7月8日記:選句・コメント記入編
 ゆらぎさんが都合で今回は欠席となりました。参加者全員が揃いましたので、選句とコメントの記入をお願い致します。
 
7月7日記:投稿編
 7月7日 投稿日になりました。晩夏の句を中心に投稿お願いいたします。

7月2日記:予告編
 今月7月7日に文月句会の投稿をお願いいたします。本句会よりブログの掲載要領を次のように編集したいと考えます。皆様のご協力をよろしくお願いいたします。

      1,予告編
      2,投稿編
      3,選句・コメント記入編
      4,コメントバック記入編
      5,最終清書編

 従来のやり方に加えて、「コメントバック」を付け加えました。お互いのコミュニケーションを更に向上させたいのが目的です。(今回の当番は九分九厘です)

<紘子>
今朝もまた番ひの烏青葉風  

  あの頭も良くていたずらの好きな烏とて、今朝も又番ひでやって来ています。やはりどんなに良い気候の下とは言っても、連れ合い(相方)は居て欲しいものですね?その心情がとても良く表れて居ります。(たろう)
 
七月の風あをあをと我が息吹き

  「風あをあを」がいいですね。生い茂る木々の間を抜けてきた7月の風の、いかにも爽やかで、そして我が息吹も清々しいと、伝わってきます。(龍峰)

  七月となり梅雨の最中であり、連日日替わりメニューのように天候と気温が替わっています。しかし、吹く風は青々として居り、私の息吹きを蘇らせて呉れるようである。(たろう)

  この俳句を読んだあと、外に出て大きく深呼吸をしました。あをあをとした木々の緑の間を吹いてくる風に、我を取り戻しました。(九分九厘)
 

雷鳴と花火の音と響きあふ

鳥追ひ文月の入り日森に消ゆ

  時の流れでの一瞬の変化は、絵画を見るようです。(葉有露)

初夏の風部屋に入れ満たしけり


<九分九厘>
腕白の記憶戻して西瓜切る

  親が西瓜を切るぞと声をかけると、中は熟れて真っ赤か固唾をのんで見守ったものです。そしてこの時だけは腕白も静かになったように思います。西瓜を切る時、その小さい頃の自分をふっと思い出す。全く同感です。(龍峰)

  子供の頃より、昼寝から目覚めれば西瓜を切ると云って家族皆集まりましたね?中々等分に切る事は難しく喧嘩にならないよう苦労しました。その当時の記憶を呼び戻し、西瓜を切ります。家族大人数でかぶり付いた頃が懐かしいですね!!。(たろう)

  たろう様、龍峰様 / 西瓜の句の選、有り難うございました。現在では二人きりの生活なので、スーパで八分の一に切った西瓜を買っているのが実情です。昔の楽しい思い出は浮かべながらの西瓜はとてもおいしいです。(九分九厘)

頃合ひを指でさぐるや夏キウイ

骨切りの出来栄えよしと鱧を買ふ

  七月に入り、祇園祭が近くなれば関西では鱧を食べる時季です。鱧は骨切りを上手に行ってあれば、とても食べやすく美味しいものですね?関西人ならでは一句かと。(たろう)

  家内が淡路生まれなので、タマネギと一緒に煮込む鱧鍋が大好物です。(九分九厘)

  京都生まれの私には、懐かしく、しっかり骨切りされた鱧を味和せて頂きました。(紘子)

  淡路島の沼島から、海と淀川を遡って、鱧を京都に運んだとの話を聞いています。(九分九厘)


青柿の落ち転ぶとこ風雨つよし

百合一花狭庭にありし心所かな 

 「心所」なる言葉を初めて知りました。句者の「心」にとって百合はどのような「心所」なんでしょうか。お教えいただきたく。(葉有露)
 
  狭庭の白百合の花が、所構わず時を一緒にせず一本ずつ咲きます。毎年少しづつ増えています。個々の花を見るたびに、私の心に浮かぶ思いは同じではありません。母親への思い、病気、死の予感などなど・・・私の過去の行動情報が深層意識にプールされていて、ふいと今の私の眼前にあるものに触発されて、その都度の意識に上ってくるのでしょう。
 心所は、心の働きを意味する仏教用語ですが、5世紀ごろにインドの無著・世親が論理化した唯識教学にもっぱら使用されます。唯識論は日本では法相宗に継承され、総本山は興福寺と薬師寺です。「心所」は六つのグループに分けられて、合計51種類にもなります。『俳句で学ぶ唯識超入門 / 我が心の構造』(多川俊映、春秋社、2020)がとても分かりやすく且つ面白く読めます。
 日本では古代末期から中世にかけて、具体的な現象世界をそのまま悟りの世界と肯定する本覚思想が宗教界全体に広がります。草木成仏もその一局面です。しかし、法相宗のみはこの思想を認めていません。同じ生命体でも輪廻する人間と植物は截然と区別され、悟りを開く可能性は人間のみとしています。(九分九厘)

<龍峰>
寝床で聞く悲喜の汽笛や明易

  朝方、未だ薄暗い頃に聞く遠くで鳴っている汽笛を聞けば歩と目覚め、田舎を出てからこれまでの「悲喜こもごも」の事に想いを馳せる事はよくありますね?蒸気機関車の汽笛であれば尚更哀愁がそそられます。(たろう)

たろう様
  出船や入港の時の汽笛を聞いていると、船に乗っている人の思いは悲喜こもごもだろうなあと感じ、その汽笛はそれを一つにまとめて響いてくるのだろう と思いました。(龍峰)    

ひと山越ゆあぐら組む手に心太

しょうぶ湯や同窓集ふ加賀の宿

  親しく懐かしい顔の揃った加賀の湯の楽しい時間を思いました。(紘子)

  加賀温泉に於いて同期生会が行われ、参加されたのですね?温泉に浸かり昔の誼をつなぎます。小生も昔の同窓生の夢を良く見る事があり、懐かしさが込み上げています。(たろう)

  今回のしょうぶ湯は、幼き頃の、或いは少年の頃のしょうぶ湯に思いを重ねたことでしょうね。(葉有露)

紘子様 たろう様 葉有露様
  金沢の市内から車で30分ほど山の方に向かうと、山合に旅館が7件ほどの湯涌温泉がある。江戸時代前田家のいわば奥座敷であった。今回5年ぶりに同窓会が開かれた。前回は出席者は15名、今回は10名。この間1名亡くなり、あとは療養中であったり入院加療中であったりした。出席者は意気軒昂ではあるが、懐かしいしょうぶ湯につかりつつも、ひしと感じるものを噛みしめる一夜でありました。(龍峰)


長雨や夏越の京菓書を閉じて

裏山の梅天抜けて今朝の鳥

  作者の住まいの裏山とは六甲山。下界も裏山も白く霞んでる梅天の世界に鳥を見つける、その情景が「今朝」の事である。この「今朝」なる言葉に「今生きている」という作者の気概を想像します。作者の自然との繋がりに共鳴します。(九分九厘)

九分九厘様  
  朝起きると裏山は如何にと眺める。今朝も変わらぬ厚い梅雨の雲。ふと今年の梅雨の長さを感じるも、万象はそれに順応しているのだろうと思う。今朝もヒヨドリや老鶯の声を聞きながら感じた次第です。(龍峰)

<葉有露>
暑き日に影を求める身の軽さ

  日頃は悠々迫らぬ動作ですごしていても、外に出てこの暑さでは堪らず日陰に逃げ込む。我ながらこの時の身の軽さに、また、まだ自分に残っている素早い動作にも驚いている。共感を覚えます。(龍峰)

暑き故友の誘いもことわりて

  七月に入り、未だ梅雨の最中とは言え全国各地の気温が上昇し早くも今年一番の気温を記録するようになりました。折角コロナ禍も下火となっても急激な暑さは身体に堪えるようになり、友人からのお誘いも時には断ることも!!。(たろう)

 (葉有露よりお礼)
   龍峰様、たろう様
 「暑き日」の句をお採りあげ戴き有難うございます。俳句教室での兼題でしたが、「暑さ」から逃げまくっている小生には、この程度の句が精一杯でした。


ぬかずきぬ十字架の下白き百合

  礼拝の時には、聖壇には必ず花が飾られていますね? 白い百合の下にてお祈りを捧げれば、身も心も洗われるような心情になりますね? 語順を少し変え、「十字架の下にぬかづく白き百合」などとも?(たろう)

  上五「ぬかずきぬ」は動作を表わす言葉ではあるが、むしろ信心・信仰を表わす象徴的な言葉と理解したい。本句は、一旦この上五で「切れ」て、一呼吸おいて次の中七・下五で表現される信仰の「物理空間」に繋がるものと考える。そこは十字架と白百合という清らかな空間がある。(九分九厘)

(葉有露よりお礼)
  たろう様、九分九厘様
 「百合」の句をお採りあげ下さりお礼申しあげます。未熟にも拘らず、俳句の中で聖書の世界を少しでも読めたらとトライした次第です。当初は、たろう様のご教示の作句でありました。主体は「百合」であり、全体として状況を読んでいるのみで句者の姿、心は見えません。そこで五・七・五を組みなおし、教会での自らの礼拝の姿を上五に据えた次第です。

甘酒の売り子の声のややさびし

  声張り上げて売られるのではない甘酒のやさしさを思いました。(紘子)
 
 (葉有路よりお礼)
    紘子さま、お採りあげ戴きお礼申し上げます。「甘酒」も俳句教室での兼題で、小生自身どのような句が作れるか、ながながと迷いました。ふと浮かんだのが小さい頃に耳にした甘酒売りの声でした。竿竹売りの声、チャルメラの音などと違い、語りかけるような正にに人の声でありました。

甘酒を昔どこかですすりしを


<かつらたろう>
山藤の莢の垂るるや風涼し
  
  山の中に藤の花、咲き終わった後見事な莢が幾つもたれ下がっている。そこを潜り抜けている風の涼しいこと、感性豊かですね。(龍峰)
 
  龍峰様
「山藤の莢の垂るるや風涼し」の句をお選び頂き、感性を感ずるとの素敵なコメントを頂戴しまして大変有難う御座います!!。バス停へ向かう坂道に樹木が茂り、春には山藤がとても綺麗に咲いて居りました。今の時季には山藤の莢が垂れ下がり、風に揺れその下を掻いくぐるようにバス停に向かいます。(かつらたろう)

日盛やホースの水に鴉どち

あおぞらの視界ぐるりと梅雨晴間
  
  梅雨晴れ間がくると、なにかほっとする安らぎを感ずるものです。作者はこの安らぎを、とても大きな景で句を作られました。素晴らしく大きな景です!(九分九厘)

  梅雨の晴れ間は、心を明るくし、又心をも広くしてくれます。(葉有露)

  九分九厘様、葉有露様
「あおぞらの視界ぐるりと梅雨晴間」の句をお選び頂き、それぞれの方に素晴らしいコメントを頂戴しまして大変有難う御座います!!。梅雨の長雨が続いた後、ある日我慢をしていたご褒美のような晴間の日がありました。
 うそでしょう!!?と思いながら戸外に出て空を見渡せば、東西南北ぐるりと秋晴れのような青空が広がって居りました。梅雨最中でもこのような日もあるのですね!!。(かつらたろう)

色なせる龍田川とやみどりさす

  懐かしい竜田川が緑に染まっているとか、久しぶりに岸辺を歩いた思いです。(紘子)

  紘子様
「色なせる龍田川とやみどりさす」の句をお選び頂き、嬉しいコメントも頂戴しまして大変有難う御座います!!。ニュースでも取り上げられました秋には竜田姫もお出ましになると云う、大和の清流竜田川(名前の漢字を間違えていましたね?)が
みどり色に染まって流れると云う事件がありました。大量の染織粉末と見られていましたが、警察の調査の結果はその後何ら発表されて居りません。心無い事をする輩もいるものですね!!。(かつらたろう)

街角の祇園囃の四条かな

                        以上
 
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