聖徳太子研究の最前線

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「仏教タイムス」紙に聖徳太子に関する小文を寄稿

2021年01月23日 | 聖徳太子信仰の歴史
 「仏教タイムス」紙には、2008年10月から2009年1月までの2327~2336号に「聖徳太子論の見直し」と題するコラムを連載させてもらったことがあります。今回、1400年遠忌を前にして、久しぶりに「日本仏教における聖徳太子の意義」について論じるよう依頼を受け、書いたものが先日、第一面に掲載されて刊行されました。

「展望2021 日本仏教史は太子のイメージ変遷史」
(『仏教タイムス』2021年1月21日号。公開されている電子版は、こちら

 自ら「三経学士」と名乗り、三経義疏について最も詳細な注釈を書いたのは、東大寺・唐招提寺の大学僧、凝然(1240~1321)です。凝然は、聖徳太子のことを単に「仏教を広めた」偉人とは考えておらず、「大乗経典について注釈を著わし、日本を大乗国とした」という点を重視していました……という趣旨の書き出しで始め、太子および太子信仰が最澄や親鸞、さらには戦時期の日本に与えた影響の大きさなどについてごく簡単に述べたものです。

 太子は没後には観音の化身とされるようにされるようになりますが、身近な人たちは生前から、何回か生まれ代わった後に仏になる特別な存在とみなしていたようです。こうしたことは不思議ではなく、国王やその候補を仏菩薩と同一視することは、東アジアや東南アジアではよく見られる現象であることを強調しておきました。仏や菩薩扱いされるのは、亡くなって神格化が進んだ何十年も後のことだろうなどとするのは、現代の常識にとらわれすぎた考え方ですね。

 現在でも、権力者を宗教的に崇拝することは、日本の西隣の某社会主義国では国是となっていますし、東隣の某民主主義国でも大統領を政治家として尊敬するにとどまらず、宗教的救済者としてあがめる人が出てきていることが示す通りです。「世間虚仮、唯仏是真」とつぶやいていた太子を、そうした権力者たちと同一視することはできませんが、そもそも、我が日本でも、わずか70年数年前は、「天皇陛下は神様でいらっしゃるので、見たら目がつぶれる」などと言っていたことを想起すべきでしょう。

 凝然の聖徳太子信仰と三経義疏研究については、論文を書きました。3月に唐招提寺が700回遠忌起念として刊行する『凝然教学の形成と展開』(法藏館)に掲載されます。
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