聖徳太子研究の最前線

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『日本書紀』は4群が独立して述作され、複数の原撰史書を整理統合して成立:葛西太一『日本書紀段階編修論』

2021年03月13日 | 論文・研究書紹介
 前の記事では、戒律に関する『日本書紀』の記述の仕方をとりあげました。『日本書紀』に基づいて何かを主張するには、『日本書紀』の記述の仕方に注意したうえで述べないと危ないのです。

 これは全体の編纂についても当てはまります。聖徳太子虚構論を唱えた大山誠一氏の著書・論文で重要なのは、遠山美都男氏が指摘したように、『日本書紀』の個々の「厩戸皇子」関連記述の真偽を個別に検討するのではなく、『日本書紀』全体は「厩戸皇子」をどのように描こうとしているかに着目し、それを明らかにしようとした点でした。これ自体は有意義な試みであったのに、結論が陰謀論になってしまったのが惜しまれます。

 『日本書紀』の記述の仕方に注意するには、どのように編集されたのかを明らかにしなければなりません。その際、基礎となるのは、筆者の違いなどによる巻ごとの特色によって成立過程を解明しようとする区分論です。

 この区分論を画期的に進めたのは、中国人が正音・正格漢文によって記したα群(巻14~21、巻24~27)、非中国人によって日本漢字音・和化漢文で書かれたβ群(巻1~13、巻22~23、28・29)、それ以外(巻30)に分類し、α群でも最初に着手された巻14~21と、巻24~27では筆者が違うとした森博達さんであり、『日本書紀の謎を解く』(中公新書、1999年)は学界に衝撃を与えました。

 その森さんの研究成果を高く評価したうえで、別の視点から編纂区分の問題に取り組み、森説の有効性を再確認して補強しつつ、森説とは異なる新たな指摘もするに至ったのが、

葛西太一『日本書紀段階編修論-文体・注記・語法からみた多様性と多層性-』
(花鳥社、2021年)

です。

 葛西さんは、早くからコンピュータを活用して『風土記』における仏典の利用状況などを明らかにしてきた瀬間正之さん(こちら)の指導を受けたうえ、幅広い研究者に学んでおり、上記の書物は、上智大学に提出された博士論文を増補したものです。

 面白いことに、その博士論文審査に加わった一人は、大山氏とともに聖徳太子虚構論を展開し、道慈の役割を強調した吉田一彦さんです。ただ、宗教を奉じるかのように虚構説は無謬だと主張し続け、次第にトンデモ説を展開するようになった大山氏と違い、吉田さんは道慈説以外の面では着実な文献研究をやってきていました。

 最近では、長く打ち込んできた神仏習合説について、従来の研究を大幅に進めた編著、『神仏融合の東アジア史』(名古屋大学出版会、2021年)を刊行したばかりです。吉田さんは葛西さんの研究を認めて励ましてきた由。

 さて、『日本書紀』については、特定の語彙、助詞の使い方、日本語の歌謡を漢字で表記する際の特徴などに基づく様々な区分説が提示されていました。これによって多くの点が明らかになってきたのですが、こうした方法だと、歌謡がとりあげられていない巻、特定の語彙が用いられる事態が起きていない巻などについては、判定が難しくなります。このため、どの巻にも共通する要素であって、しかも巻ごとの特色を判断できるものを検討する必要があります。

 そこで葛西さんが着目したのが、文の最初に置かれる句頭辞、「~也」など最後に置かれる句末辞、四字句を連続させているかどうかといった同字数句の用い方、などでした。近代以前は、句読点が打たれませんので、どこで文が始まり、どこで切れていて、どこで終わっているか分かりやすい書き方を工夫する必要があり、しかもそれは人によって違いが出る部分だからです。

 それらを検討した結果、葛西さんは、次の4区分を提示します。

  甲群(巻14~21) *句頭辞の使用に消極的、同字数句の使用に積極的
  乙群(巻24~27) *句頭辞の使用に消極的、同字数句の使用に消極的
  丙群(巻1~3、5~13、22・23・28)
           *句頭辞の使用に積極的、同字数句の使用に消極的
  丁群(巻4・29・30) *句頭辞の使用に消極的、同字数句の使用にきわめ
              て消極的。ただし、丁群の3巻は甲・乙・丙群と異
              なるというだけであって、同じ特徴を持った同一
              人物が書いたことにはならない。

 以上です。葛西さんは、森さんとは異なる要素に着目して検討したものの、結果としては森説の区分とほぼ一致するものでした。森説と違ってありうる述作者の名をあげることは控えていますが、甲群と乙群は異なる中国人によって書かれたとする森説が正しい可能性は高いとします。また、森説ではともに和習の多いβ群とされている巻28と巻29は筆者が異なるとするなど、新しい発見をしています。

 葛西さんは、他にも様々な視点から検討を加えた結果、丙群は「漢語本来の用法でも和語に由来する語法でもない」(350頁)ため、漢語に不慣れな人たちに理解しやすいような文体を模索したものと見ます。また、『日本書紀』はゼロから書かれたのではなく、「複数の原撰史書がいくつかの段階を経て整理統合され、さらに同一文献としての体裁を整えるべく加筆修正が行われ、あるいは、空白が生じないように新規書き下ろし部分も加えられることによって、はじめて現在の姿へと編修されたものだと考えられる」(348頁)と論じています。
  
 ただ、丙群に位置する巻22の推古紀などの編纂順序を初めとして不明な点が残っているとし、推古紀のうち文体が異なる「憲法十七条」、また乙群ながら問題の多い孝徳紀の詔勅など、論じ残したものがあると述べています。

 以上、内容のごく一部しか紹介できませんでしたが、森さんの区分論を補強し、さらに新しい指摘がなされています。想像ばかりの論義ではなく、こうした着実な検討によって少しづつ『日本書紀』が明らかになっていくことは喜ばしい限りです。

 課題としては、新羅など古代韓国の変格漢文との比較、仏教用語ないし仏教用語に基づいて日本で生まれた表現にも注意すべきだという点でしょうか。ただ、葛西さんは1985年生まれでまだ若いため、これからさらに研究を深め、優れた業績を次々に発表していってくれるでしょう。

 なお、葛西さんは、早い時期からの文系パソコン仲間の集まりである漢字文献情報処理研究会のメンバーであった瀬間さんが、私が主催した変格語法の国際研究プロジェクトにも参加してくれていた関係で、そのプロジェクトの研究会に何度か顔を出していました。以後も、私が開発に関わった N-gramによる比較分析(紹介は、こちら)の講習にも出てくれており、その成果の一部がこの本に含まれています。N-gramは強力ですよ。