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法隆寺金堂釈迦三尊像の様式:金子啓明「日本古代彫刻の様式問題」

2020年12月12日 | 論文・研究書紹介
 論争が続いていて珍説奇説も多いのが法隆寺の特徴であり、再建非再建論争と並んで議論が盛んだったのが、金堂の釈迦三尊像の成立年代です。この三尊像については、光背および光背銘についても考えないといけないのですが、とりあえず、三尊像に関する最近の研究を紹介しておきましょう。

金子啓明「日本古代彫刻の様式問題-法隆寺金堂釈迦三尊像(六二三年)と伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像(七〇〇年頃)-」
(『芸術学』第19号、2016年3月)

です。金子氏は東京国立博物館において主に古代から中世の彫刻の研究を担当し、法隆寺宝物室長や博物館の副館長をつとめた美術史研究者です。

 金子氏は、研究が細分化し、研究方法も多様化している現在、ルネッサンス期の絵画に取り組んで近代的な様式論を確立したハインリヒ・ヴェルフリンの研究法を見直すべきだとし、法隆寺金堂の釈迦三尊像と、同じく法隆寺に伝わる橘夫人の阿弥陀三尊像の様式の違いを論じていきます。

 この阿弥陀三尊像は、藤原不比等と結婚して光明子を生んだ県犬養橘宿禰三千代(?~733)の念持仏と伝えられるものであって、制作時期は台座内の墨書から見て700年頃と推測されています。

 金子氏は、法隆寺金堂の釈迦三尊像については、太子没後の623年に建立したと記す光背銘の記述に基づいており、以下のように述べています。
彫刻でありながら立体性が抑制され、《両脇侍像》ではあたかも銅板をU字形に後方に曲げたようにつくって背面を制作せず凹面をいたで塞いでいる(図2)。《釈迦像》も背面は簡略化しており平らである。三尊像で重要なのは正面性であり、背面の造形は無視されている。また肢体の動きはきわめて少なく立体造形でありながら浮彫的な性格を強く持つ。


 これに対して、軸の先に咲く蓮華の上に阿弥陀如来が坐し、蓮華のつぼみのうえに両脇侍が立つ阿弥陀三尊像のについては、「宙に浮いた印象がつよい。……ここではあたかも小舞台のような立体空間が設けられている」と述べ、釈迦三尊像のような平面的な造りとは「まったく異なる」と断定します。つまり、両者の様式の違いはきわめて大きく、当然ながら制作時期もかなり離れているとするのです。

 平面的な造りという点では、日本最古の飛鳥寺の釈尊像がその典型ですね。金子氏は、法隆寺の釈迦像については、前方の方向性や光明の造形ぶりなどから見て、「釈迦像としての霊的な救済力を持つ形体の「実在性」をつよく保持している」のであって、「飛鳥時代の彫刻様式のひとつの典型とみなしてよいであろう」と結論づけています。

 金子氏は触れていませんが、飛鳥時代の作であることが確定している飛鳥寺の釈迦三尊像(現在は仏頭など一部だけが現存)については、精密な調査および復元作業がなされています。その結果、分かってきたのは、法隆寺金堂の釈迦三尊像との類似ということでした。釈迦三尊像の光背銘によれば、その制作は止利仏師であって、まさに飛鳥寺の大仏を造った仏師なのですから、似ているのは当たり前ですね。このことは、法隆寺釈迦三尊像の制作時期、および光背銘の真偽論争について考える際、重要な点です。