聖徳太子研究の最前線

聖徳太子・法隆寺などに関する学界の最新の説や関連情報、私見を紹介します

上代日本の誓願に関する昔の拙論を公開しました

2011年01月13日 | 聖徳太子・法隆寺研究の関連情報
 田中英道『聖徳太子虚構説を排す』の内容を批判した際、上代日本の誓願に関する拙論をこのブログで公開すると書きましたが、その論文「上代日本仏教における誓願について--造寺造像伝承再考--」(『印度学仏教学研究』40巻2号、1992年3月)のPDFを、先日、作者の論文コーナーにアップしたのに、紹介するのを忘れてました(ここです)。

 大昔の論文で申し訳ありません。ただ、仏教学の方では、法蔵菩薩(阿弥陀仏)の本願などに関する論文は多いものの、拙論以後もこうした論文は出ていないようなので、多少は役に立つことと思います。初期中国仏教の誓願に関する論文は、

「初期中国仏教における現世的誓願信仰の流行と衰退」
(『日本仏教学会年報』第60号、1995年5月)

ですが、こちらはPDFはありません。

 今回アップした拙論では、『日本書紀』に見える守屋合戦の際の聖徳太子と馬子の誓願については、一つの誓願を無理に二つに分けて太子と馬子に割り振った形跡があると論じています。

 なお、この拙論で触れた野中寺の弥勒菩薩銘については、真偽や成立年代について論争がなされており、前回の記事でとりあげた「天皇号」の問題ともからみますが、最近、論文が2本出ていますので、近くご紹介します。また、拙論のうち、「城砦ともなりうる伽藍」という点については、初期の寺を軍事施設と見る本が最近出ましたので、こちらも近く紹介します。