聖徳太子研究の最前線

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法家思想に基づき「公法」を提示した「憲法十七条」 : 宮地明子「日本古代国家論」

2010年10月05日 | 論文・研究書紹介
 「憲法十七条」の受容ではなく、本体に関する論文を見てみましょう。大山誠一説によれば、『日本書紀』の聖徳太子関連記述のうち、儒教関係記事は、外典を博士の覚に学んだという記事を除けば、「憲法十七条」だけということになっていますが、「憲法十七条」には法家の思想も見られることは早くからの通説です。瀧川政次郎に至っては、法家の思想こそが根本となっているとまで論じていました。

 それほど重要な法家思想の要素について大山氏がまったく触れないのは、『日本書紀』の聖徳太子像は、律令を編纂した儒教主義の不比等と、道教好きの長屋王と、僧侶の道慈が作り上げたものであり、「憲法十七条」は不比等の基本構想をもとにして、僧侶の道慈が仏教に関する箇所を加えて書いたという役割分担説では説明しきれない、という点も一因となっているように思われます。

 一方、瀧川説を受け継ぎ、「十七条憲法を貫く最も重要な論理は、法家の思想に基づくものであるといえる」(178頁)と断言したのが、

宮地明子「日本古代国家論--礼と法の日中比較--」
(館野和己・小路田泰直編『古代日本の構造と原理』、青木書店、2008年)

です。

 この数年、「公法」としての「憲法十七条」という観点で一連の論文を発表している宮地氏は、この論文では、日本は礼を柱とする中国のあり方を受け容れず、中国の礼制の秩序に組み込まれない道を選択し、法だけを手本としたことを強調します。そうした姿勢の典型である「憲法十七条」については、真作・偽作の問題は扱わず、『日本書紀』において「憲法十七条」が果たしている役割だけを扱うと明言しています。これはこれで一つの方法でしょう。

 その際、氏が注意するのは、『古事記』では「公私」という意味での「公」の語は「公民」という一例のみ、「私」も「是れ天神の御子なり、私に産むべからず」という一例しかないことです。『日本書紀』にしても、そうした「公」の用例は限られた巻に集中しており、推古朝に6例(うち5例は憲法)、大化の改新に3例、天武朝に7例見えるだけであって、きわめて偏っていると、氏は指摘します。この指摘は重要ですね。

 氏はまた、『日本書紀』には律令の記事が少ないのに対して、「憲法」は全文が掲載されていることから見て、「『日本書紀』の核とする法思想は、十七条憲法であることが想定される」(174頁)と説きます。「篤く三宝を敬え」にしても、法として規定されているところに意義があるというのが、氏の考えです。

 「憲法」では「和」が強調されているものの、儒教が重視する「礼」と「和」の関係が示されていないうえ、「党」を作るなというのは法家の主張であり、第一条と密接に結びついているのは第十五条であって、ここに見られるのは「公私」の別を強調する法家思想であるとするのです。

 氏は、このような日本のあり方を、唐礼を受け入れて中国を中心とする礼に基づく華夷秩序のうちに入った新羅・渤海・吐蕃と比較し、吉備真備による唐礼の導入が唐側の史料に見えないのは、法を基本とする日本の体制を維持する方針のもとで行われたためと思われると述べています。

 宮地氏の主張の個々の部分については異論もあるでしょうが、「憲法十七条」では法家思想がきわめて重要な役割を果たしているのは事実です。儒教と仏教だけに着目して法家思想に触れない大山説は、自らの図式を優先し、「憲法十七条」の本文そのものにきちんと向かい合おうとしないものと言うほかありません。