僕の前世はたぶんオランダ人。

おもしろきこともなき世をおもしろく

胡蝶の夢(司馬遼太郎)

2020年04月05日 | よむ
1月頭に手に取ったというのに
遅々として進まず
まさかの3ヶ月かけての
読了となった。
端々に実に興味深い描写があり
散文的に記そうと思う。
まず
「日本人のスケッチ好き」とな笑。
ブログ・食ログで残したがる
この風潮もその名残か。
日本は陸続きでない分
物は入ってこずに
文字が入ってくる。
そしてそこから想像で世界を組み立ててゆく。
ということが日本人の知恵を育てた。
のだとすれば
自分は生粋の日本人だ。
逆に言うと
とある物質をそのまま受け止めず
ある種のフィルターを通すこととなったり
概念を通してみるというのもまた
それは日本人らしいと言える。
「人間関係とはリズムの共感、
それをシステム化したものが儀礼」
儀礼を逸脱したものがいると
それをわからせるために
意地悪が発動する。
しかし伊之助は司馬文学
始まって以来のコミュ障だわ笑。
コミュ障で天才肌で
酒と女にめっぽうだらしない。
これは儀礼にゆるくなった現代日本においても
今なおなかなか行き辛いわ。
途中、伊之助のロードムービーになるが
このあたりだけ
「峠」の継之助のよう。
さらには秀才信仰なる
土俗化した日本の伝統にも抵触。
いやおもしろいわ笑。
司馬の晩年は日本の風習について
とんでも解説の風呂敷を広げることがままあり
これが大変興味深い。
先日までもてはやされていた
「消えた天才」なんてテレビ番組なんて
まさにその最たる例。
深層に眠る秀才信仰を心地よく刺激する
人気番組だったように思う。
なるほど
日本は眼病が多かったのか。
日本は自然災害が多い中で
自然との融和を図らざるをえなかった農耕民族だし
無理して逆らわずが
本日までやってきた大和民族だもんなぁ。
病理に抗う西洋医学は
文中にあるように
「戦慄的なほどに大きかった」
んだろうな。
ワンピースのジャヤ編、
モンブラン・クリケットを思い出した。
自然への過剰なまでの迎合は
進歩への冒涜ってやつだな。
僭越ながら親近感沸くなぁ、徳川慶喜。
才気だけが先走って
政治的根回しとか
一切できないでやんの。
とにかく江戸期の身分制についての言及が多く、
「多様かつ微細な上下関係の組み合わせ」
という表現が何十回と頻出する。
3巻後半からは
浅草弾右衛門にまで言及する始末で
このあたりがまた
途方もなくおもしろい。
最終的に
「医者が患者に無用に威張るという
日本的減少も江戸期の名残」
化石扱いでぶった斬るあたり
痛快でたまらない。
なお、
日本医学の礎となった
医学所のあった神田和泉町の地名は
当地に藩邸を構えた藤堂高虎の冠位、
和泉守に由来するとか。
へえー!
勉強になった!