臆病ゆえに、先に手を出す事もある。

2012年06月21日 | 勇気について

4-2-6-1.臆病ゆえに、先に手を出す事もある。
 戦いでは、大胆なものが、危険に無頓着で、防御無用と即攻撃に向かうから、先手必勝で手をだす。だが、臆するからこそ、先に手をだすこともある。大胆な方は、危険に無頓着で危険排除の必要はないと平然としているのに、臆病な方は、危険を大とみて怯えることがある。この臆病な者が、危険を除去しなくてはと焦り、恐怖・不安に我慢できず、危険排撃の振る舞いに出る、つまり、先に手を出してしまうのである。勇者は、恐怖によりよく忍耐できるが、臆病な者では、過度に恐怖して、我慢の限度がすぐきて、恐怖に耐ええず、これから逃げたい一心になる。恐怖にとらわれて、冷静な判断がふきとび無謀状態になる。敵が攻撃してこないので、その強烈さの具体も描き出せず、危険なものの排除の衝動のみが台頭してきて、短絡的な行動に出る。臆病で過度に恐怖する者が、先に手を出すことになる。
 戦争で、待ち伏せしていて、チャンスが最大になったときに攻撃することがある。じっと攻撃を我慢して逸らないようにと忍耐しているのだが、敵兵が近づくほどに、恐怖は大きくなってくる。そのとき、怖くて、危険を主観的に排除することしか頭になく、反撃されることなどを思う余裕のない者が、無謀に、恐怖ゆえに、早まって弓や銃を発射してしまう。折角のチャンスを逃してしまうのみか、居場所を知られて攻撃を受けることになってしまう。敵が強力な攻撃をしてくるときには脅えてなにも出来ない臆病者が、攻撃がないので、その危険の具体に思いが及ばず、焦って、待ち伏せという策に辛抱できず、怖さをはやく片付けたいばかりに、先走ってしまうのである。
 喧嘩でも、ときに臆病者の方が無謀で狂暴な事件を起すことがある。臆病だと、危険を過度に見てしまう。大胆な相手は、まだ大したことではないと見て危険度を低くとらえているので、低レベルの構えしかしない。だが、臆病な方は、過度に危険と想像するので、その危険想定に見合った対応をしてしまう。相手は素手でと思っているのだが、臆病な方は、過度に危険とみて、それに見合うナイフをもってすることになる。恐怖にこころがとらえられて冷静さを失い、怖いものの排除のみに気を奪われて、相手の攻撃がどの程度になるかなど念頭にうかぶこともなく、無防備の相手に対して恐怖に震えながらナイフを使用する。臆病ゆえに、早まってしまうのである。
 大胆な者が先に手を出すのは、危険に無頓着で、恐怖によるためらいがなく、攻撃となれば、ストレートに先手をうつのが得策だからである。だが、臆病者が先に手をだすのは、逆で、過度の恐怖に陥ってしまいこれに耐えられないからである。相手からの反撃を思う余裕もなく、恐怖させる危険なものを排除したいという一心で、見境なく短絡的に、思わず手を出してしまうのである。

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