先手必勝と大胆に

2012年06月18日 | 勇気について

4-2-6.先手必勝と大胆に
 大胆になると、目前の危険や恐怖を小・些事と見なし、危険に臆したりためらうことがなくなる。危険に防御の構えをとることは、不要とみなす。したがって、対決し攻撃するべきであれば、防御態勢を構築することなく、ストレートに即時に攻撃にでる。危険に躊躇することなく、なすべき行動をただちに展開していくことになる。相手の出方を見極め、その対応を待ってから、その後から出ようというのではない。それでは、大胆ではなく、慎重ということになる。大胆さは、ためらうことなく即実行に出ることであろう。危険無視であり、先手をとるのが原則となろう。
 戦いは、本来的に、先手必勝である。攻撃にでれば、相手はそこで防御に手をまずとられるから、攻撃力をそれだけ失うことになる。第一、防御の構え自体ができていないこともあろうから、そうなると、不意打ちになる。大胆に奇襲攻撃をかければ、防御の態勢すらもとれないで敵は遁走することになる。そこまでではなくても、一般的に先手にでれば、こちらの好都合の戦い方がとれる。陣地も有利な場所を確保できる。「兵は先を貴ぶ(兵貴先)」(『尉繚子』「戦権篇」)、戦いは、先を尊ぶのである。
 危険があると、臆してためらい勝ちとなる。それがないとしても、ひとによっては慎重になることがある。戦いでは、生か死かとなることもあり、短慮な対応では、取り返しのつかないことともなる。それなりの慎重さは大切である。が、それが過ぎると、おくれを取る。優柔不断では、いつまでたっても、事は決することができなくなる。戦いがはじまっていたのだとすると、防御にまわるのみとなって、勝利することはできなくなる。大胆な勇気は、そうならないようにと、慎重居士にならないようにと、先手を大切にする。勇気を必要とするのは、弱者である。強いものは、普通に構えて勝てるが、弱者は、それでは必敗である。勝てるには、精神的に、強い相手に勝る勇気のエネルギーをもってしなくてはならない。大胆に、危険をものともしない対決・攻撃の態勢をとって有利にことをはこべるように、先手必勝の対応をする。 
 危険に賭ける大胆な勇気は、強いからではなく、本来弱いからそれが必要となるのである。弱くても、相手が戦いの、防御すらの構えももってなければ、有利に戦い、勝つ事が可能となる。奇襲・電撃作戦で、先手必勝を狙う。かつ、勝ったら即刻、これも大胆に引き払うことがいる。戦争自体がもともと非常のものとして、短期決戦が原則だが、勇気がいるような弱者の戦いは極力短期に終わらせる必要がある。本来、弱いのだから、相手が戦う体勢を本格的にとると、勝ちはおぼつかなくなる。第二次世界大戦で、日本やドイツは、弱い後進国だったが、奇襲、電撃的進攻で緒戦は勝ち続けた。弱いことの自覚が薄れていったこともあろうが、引く勇気をもてず、敗北となった。大胆な勇気は、攻撃する場面以上に、引くことも大胆に、躊躇せず行わなくてはならない。

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