忍耐していると当然、苦痛の増すものが多い

2019年10月17日 | 忍耐論2(苦痛甘受の忍耐)
2-4-2-2. 忍耐していると当然、苦痛の増すものが多い
 忍耐は、苦痛を甘受し続ける。忍耐するほどに、苦痛・損傷が蓄積することからいうと、苦痛はしだいに大きくなるはずである。忍耐は、続けていると、苦痛を増し、耐えうる苦痛の限度になって、忍耐を放棄・断念することである。正座は、はじめは何でもないが、少しずつ痛くなり、苦痛がだんだんと大きくなる。我慢できない苦痛になって、正座を断念する。
 尿意や呼吸の抑止も忍耐していると苦痛が激増する。苦痛の原因となる有害な状態が増大するのだから、苦痛を大きくして、(反自然の)我慢をやめさせようというのは、うまくできた自然の摂理である。呼吸をとめていても、あまり苦痛が増大せず、だんだん苦痛に慣れて呼吸しないのが平気になったのでは、生の維持が危うくなる。
 辛い労働は、はじめは、なんとかこなしているとしても、時間とともに疲労も蓄積して苦痛の度合いが大きくなる。一日の仕事が終わる頃には、もうくたくたとなる。苦痛は重なり大きくなる。忍耐への気合も、疲労が大きくなるとともに強くもつことが必要となっていく。日々、それの繰り返しである。さらに、休息を入れて疲労からの回復をはかって労働を継続するとしても、完全な回復はならず、年々、苦労の蓄積となるのが普通である。ひとより多く辛苦を積み上げている者は、心身の損傷の度合いをひとよりはやく大きくして、早く死を迎える。長生きしている者は、なまけて楽をしていたからという場合が結構ある。『論語』で、老いて死なぬは悪なり(「老而不死 是為賊」(憲問篇))というが、老いる前から悪だったのである。お人好しは、多くの苦労を背負い、命までひとに譲る。身勝手なエゴイストは、逆で、長命である。
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